神のミワザ
煌びやかなネオンが瞬く街の中。
彼は、そわそわと落ち着かない様子で、噴水の前でスマホをいじっていた。
目に留まるのは、スマホ画面中央の時刻表示。
彼はメールアプリのアイコンをタッチし、何十回と確認した一通のメールをまた開く。
宛先のアドレスを見返して、はあ……と大きなため息をつく。
『今日の午後7時 噴水前で』
彼が送ったメールはそれだけ。
返信は……来ていない。
物心ついた頃からの付き合いの幼馴染。それが送信先の相手。
ただの一歳下の幼馴染――その当たり前だったはずの関係がギクシャクしだしたのはいつからだっただろう。
もっとも、一方的にギクシャクさせたのは彼の方だったが。
毎日顔をつきあわせている彼女の顔を何故か正面から見られなくなり、一方的に避けてしまう様になってしまった。
彼の態度の豹変に幼馴染は戸惑っていたが、彼女よりもずっと戸惑っていたのは、彼自身だった。
顔を見るのが嫌になった訳ではない。嫌いになった訳では尚無い。
寧ろ逆。
彼女を見つめ続けたい。今までの様に中身のない話で笑い合いたい。――彼女に触れたい、抱きしめたい――。そして――――。
そんな自分の本当の気持ちに気付いたのは、いつからだったか……。
そして、一度気付いてしまったら、尚更彼女の前に立つことが出来なくなっていた。
彼女の姿を見かけると、目に触れない様に慌てて姿を隠し、家の中で彼女の話題が出ると、話をはぐらかした。
――だが、彼女への思いは日々募り、もはや耐え切れない。
そして、彼は覚悟を決めた。彼女に自分の思いを伝えようと。
彼女が彼の想いを受け入れてくれるか……自信も確信も無い。
全く逆の結末を迎える可能性もある……いや、その方がずっと可能性が高いと思う。
だが、このまま陰に隠れてこそこそと彼女を想い続けていては、自分が前に進めない。
いいじゃないか、断られても、嫌悪されても、たとえ頬を張られたとしても。
それで自分は前に進める。望むべくは彼女と一緒に前に進めることだが、それが叶わなくとも。今の自分の気持ちにケリをつけて、前に進む事はできる。
『どうせ斃れるなら前のめり』
どこかのマンガの主人公の吐いた陳腐な台詞が、彼をこの場に留め続ける勇気をくれる。
彼はもう一度携帯電話の画面に目を落とす。
約束の時間まで――あと5分。
彼は、目を閉じ、――――
向かいのビルの外壁が、戦車砲の直撃を受けて、まるでウエハースの様に粉々に吹き飛んだ。
アサルトライフルを抱えた兵士は、舞い上がる圧倒的な土埃と暴風に、車の陰で身を竦める。
政府軍の圧倒的な攻勢の前に、孤立してしまった兵士の小隊はこの市街地の真ん中で立ち往生を余儀なくされていた。
「おい! 生きてるか?」
小隊長が彼に大声で呼びかける。が、雷の如き筈の小隊長の声も、絶えない爆発音と無数の弾丸が空気を裂く甲高い音にかき消されてしまって、殆ど聞こえない。
「はい! 大丈夫であります!」
兵士も応えるが、その声も小隊長に届いているのか分からない。
「この銃撃が止んだら、ポイントを移動するぞ! お前ら! はぐれないでついてこ――」
小隊長の叫びは途中で途切れた。白目を剥き、ぐらりと身体が傾く。
「しょ、小隊長ど――!」
猛烈な弾雨の前に、駆け寄る事もできない兵士の前で、小隊長の身体は、糸の切れたマリオネットの様に瓦礫の上に転がった。迷彩色の戦闘服が、みるみるどす黒い血に塗れる。
銃撃が一層激しくなった。勢いを増した敵軍の兵士たちが、手榴弾を投げつけ始める。
至近距離で炸裂する手榴弾。目の前で爆発に巻き込まれた同僚たちが、みるみる肉片と化していく。
兵士は、ガチガチと歯を鳴らしながら、力の限りライフルの銃把を握り締める。
助けてくれ――彼は涙を流しながら、そう願った。誰でもいい、この地獄から俺を救い出してくれ――!
兵士は、目をきつく閉じて――――
市場は今朝も活気に溢れている。
「ほら、これを見てよ! 今朝の採りたてだよ!」
「ねえ、おじさん。こっちのジャガイモも買うからさぁ、コレちょっとまけてくれない?」
「奥さんにはかなわねえなぁ……、ええい、もう持ってけ!」
売り子の声と、客の丁々発止の価格交渉に、商品の鶏や豚の鳴き声、走り回る子供たちの嬌声が、広い市場中に飛び交っている。
――どいつもこいつも。この邪信徒どもが……!
その少年は、道ばたに停められたワゴン車の運転席で深く座りながら、心の中で毒づく。
彼の顔は蒼白で、冷や汗に塗れ、全身が細かく震え、歯がカチカチと耳障りな音を立て続けている。
しかし、右手はしっかりとリモコンを握り締めている。自分の胴体に巻き付けた、プラスチック爆弾の起爆リモコンを。
少年は、自分を落ち着かせようと、深く深呼吸し、シートに凭れた。
――自分はもうすぐ死ぬ。
しかし、それは「死」ではない。
己の身と引き換えに、邪神を信じる愚かな民を皆殺しにする――その行為によって、彼は己が信奉し崇める偉大な神々に勇者と認められ、御許に侍ることができるのだ。いわば神が与える昇華への試練。
畏れる事は何もない。
いや、栄えある“聖儀”に、自分は選ばれたのだ。こんな喜ばしい事があるか!
そう考えると、全身の震えは消えた。彼は息をつく。深く、深く。
と、ふと脳裏に、両親の顔が浮かんだ。彼の頬を涙が伝う。
――どうだ、あんたらがさんざん邪魔者扱いしてきやがった厄介者が、神の代行者として、愚民どもの清罪を為すんだ。お前らはせいぜいこの糞のような世界で苦しんでな!
少年は、右手のリモコンを握り直し、神の彫刻が施された首元のペンダントを左手に持ち、そっとキスをした。
震えは収まっていた。心もびっくりするくらいに穏やかだった。
――今、御許に参ります。
彼は、ゆっくり右手の親指に力を込め――
また、機内が激しく揺れた。
彼女は、座席の肘掛けをあらん限りの力で握りしめた。
彼女だけでは無い。隣の老人も、後部座席の若いカップルも、斜め前の席のビジネスマンも、一様に蒼白の顔面を恐怖で引きつらせながら、じっと座席に座っていた。座っているしか無かった。
彼女は、傍らの窓から恐る恐る外を覗いてみる。彼女の目に映ったのは、翼のエンジンから激しく吹き上がるオレンジ色の炎。分厚い窓のガラス越しなのに、凄まじい熱気が、彼女の皮膚にチリチリと照りつけるのを感じた。
前の方で、子供が泣き叫んでいる。それを必死であやしているかの様な母親の声。だが、それ以外は、機外から伝わってくる凄まじい風切り音と、ガタガタと機体を揺らす振動音しか聞こえない。
乗客の殆どは、これから訪れるであろう悲惨な己の死から、必死に目を背けようとするかのように、平静を装い、じっと黙ったままだった。
(――大丈夫! 助かる! きっと……助かる!)
彼女は必死に、そう頭の中で呪文のように繰り返していた。が、機内の揺れが激しくなる度に、否応なく遠ざけていた“死”のイメージが蘇ってしまう。
(ダメ!あたしはこんな所で死ぬ訳にはいかないの! まだ、あの子がいるのに――!)
彼女の脳裏に、あどけない笑顔が浮かぶ。今回の出張に出かける時も、「行かないで」と玄関先で泣き叫び、スカートの裾を離さずに、彼女を困らせた息子の顔が。
(あの子は、あたしがいないと、この先ずっと泣き続けちゃう……)
また、機体が大きく揺れた。頭上から垂れ下がった酸素マスクが、前後左右狂ったように揺れ続けている。
激しく揺さぶらながら、彼女はもう一度窓に目をやる。窓の外は、相変わらずオレンジ一色――いや、茶色と緑の色彩が新たに加わっていた。――地表が近いのだ。
それを認識した彼女は、これまで以上の恐怖に震えた。
(誰か――誰か! ああ、どうか――)
肘掛けを掴んでいた両手を組んで、強く握りしめた。
(ああ――どうか……どうかお願いします――! どうか――)
彼女は、きつく目をつむり――
彼は――
兵士は――
少年は――
彼女は――
――――祈った。
「「「「――神よ……」」」」
そして――――
世界は、暗転した。
……………………………………………
…………………………………
「あ――――――――っ! クソが!」
“神”は、天を仰いで叫ぶと、『データ1を消去しました』とメッセージが表示された液晶画面に向けて、コントローラを投げつけた。
コントローラは、派手な音を立てて、画面に激突する。
「うわっ! ヤベえ……ついやっちまった……」
“神”は、音で我に返ったのか、狼狽えた様子で、慌ててテレビに近寄り、画面が割れてしまっていないかを確認する。
「…………ふう、良かった……」
幸い、テレビは無事だったようだ。“神”は、ほっと胸を撫で下ろす。
空き缶や雑誌、コンビニ弁当の空容器で足の踏み場も無い床から、投げつけたコントローラを拾い上げた。
カチカチとボタンを押して確かめる。――振ると中でカラカラ嫌な音を立てるが、ボタンは正常に反応する。……いや、ちょっとアナログスティックがグラグラするような気がするが、まあいい。“神”は、アクションゲームはプレイしない。
「あーもう。また詰まっちまったよ……。今回はレベル2000までいけたのになぁ……」
“神”は、脂ぎった頭髪をガシガシ掻きながら独りごちる。
「マジ腹立つわー。どんだけステータスバランス厳しいんだよ……。少しエリアバランス値が崩れただけで、あっちこっちで開戦イベントフラグ立つし。ケアしまくってやったら、あっという間にネズミみたいに人口増えて食料供給バランスも崩壊するわ、開発値上げすぎると、環境値ダダ下がりであっという間に絶滅するし……。マジ無理ゲーだろ、コレ……。クリアした奴なんているのかな……」
“神”は、ブツブツ言いながら、コントローラのBボタンを押し、タイトル画面まで戻す。
オーケストラ風のBGMが流れ、テレビ画面に『PLANET MAKER 4』と、シックなデザインにあしらわれたタイトル名が表示される。
「レベル1400くらいまでは、めっちゃ面白いんだけどなぁ……」
“神”は、十字ボタンでメニューの『NEW GAME』を選択し、Aボタンで決定する。
――オープニングムービーが流れ出す。
「あー、スキップできねえのがまた苛つくんだよな……コレ見るの、もう何回目だっつーの?」
“神”は、机の上の飲みかけの缶コーヒーをグビグビと飲み干し、テレビの前にどっかと腰を下ろすと、呟いた。
「……今度はレベル2200まで上げたいなぁ」
――そしてまた
新しい世界が、
生まれた。