007
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幽生は思う。仄ちゃんを助ける為、僕は黒竜となって始祖竜を倒す……はずだった。それなのに今の僕は翼を酷使して森を翔け、全力で逃げているのは何故だ……。
『くそっ! 何がゲームみたいなもの、だ!』
黒々とした翼を羽ばたかせ、高い樹々が聳える森を翔け抜ける幽生は鬱積を吐露し続ける。
『いくら攻撃しても鋼みたいな翠の鱗に小さな傷をつけるのがやっとだ。あの巨体で僕たちより速く飛べるとか。しかも、この森の全ての樹木を操って襲ってくる悪条件な戦場。一方的過ぎてゲームになっていないじゃないか!』
まさか、“神さま”がでたらめを教えたのか? という疑念を抱く。
『嫌、嫌よ……嫌嫌嫌嫌嫌!!』
幽生のすぐ後ろを飛ぶ大西敦子と名乗っていた女が、黒竜が泣き叫び始めた。
『死ぬわけにはいかない。あの子は、私の帰りを待っているのに……』
その更に後方からは、翠玉色の巨大な影が神樹の間を縫って徐々に迫り来る。首を僅かに振り返らせ、視界の端に始祖竜を捉えたその時、幽生たちの界隈で無数に隆起する幹。変化の気配に寸秒遅れて気付いた幽生は、
『大西さん! 横から来ます! 避けてくだ――』
叫び切る前に幹から隆起した無数の樹枝が鋭利な槍に変形すると、凄絶な勢いで襲い掛かってきた。蛇の如くしなやかで鋭く伸びる無数の木槍が二頭の黒竜を狙う。
『ッ!』上下左右から吹き荒れる木槍の雨を身を翻して躱し、紙一重で切り抜けた幽生。だが、
『あぐっ――!』悲鳴に首を振り返らせると、黒竜の肢体を樹枝の槍に貫かれた大西を見た。
無数の木槍が縮んで神樹の幹に戻ると、蜂の巣にされた黒竜がふらりと墜落していく。
『大西さん!』彼女の姿に意識が奪われ注意散漫になっていると、樹の陰から回り込んでいた始祖竜が幽生の進路を塞ぐ。自分を覆う巨大な影に気付いて咄嗟に視線を戻す。
『しまっ――』
身を翻し、振り下ろされた鉤爪を間一髪で躱す。だがその風圧に巻き込まれ体勢を崩し中空を一転。翼を広げて体勢を整え、透かさず頭上を仰ぐと眼前に樹枝の槍が降り注いで来ていた。
――あ、死んだ。その言葉が脳裏を過る。
しかし、木槍は横からの爆炎に呑み込まれて灰燼と化し、霧散した。
咄嗟に、すぐ近くに聳える神樹の太い樹枝に四肢を降ろした幽生。すると、
『いまの内に体勢を立て直してください!』幽生の隣に降り立った黒竜が、樫之幽花が言った。
頭上では炎を吐く二頭の黒竜が始祖竜と交戦していた。黒竜の中でも幾らか大きな体躯の彼らが時間を稼いでくれいるのだと悟る。
『間に合って良かったです』
ついさっき木槍を吹き飛ばし、自分を助けてくれた炎は樫之が吐き放ったものだと知り、
『助かりました、ありがとうございます。……そうだ、大西さんは?』
幾つもの風穴から鮮血を散らし墜落していった彼女をふと思い出し、地上を覗き込む。すると、花々の上に転がる血塗れの黒竜を見つける。
翼を羽ばたかせて急降下し、着地する幽生。虚ろな瞳の彼女から、か細い声が聞こえてくる。
『…………ごめん、ね。お母さん、帰るの……もう少し……遅くなりそう……』
『……大西、さん』
『私がいなくても……ちゃんと学校に行けるかしら……。お腹、空かしてたらどうしよう……。ちゃんと……ご飯、食べられるかしら……』
喀血で汚れた大きな喉から嘆息を漏らすと、
『ごめん、ね……ごめん……ね………………』静かに息を引き取った。
『…………』彼女の亡骸を前にして無意識に息を詰まらせた。
幽生は胸中で呆れる。彼女たちに仲間意識を幽かに持っていた自分の意外さに驚いていた。冷血な人間だと思っていた彼は自分の人間らしさに、驚く方の意味で呆れた。なぜなら、黒竜となり人間を辞めてから己の人間らしさに気付かされたのだから。
『……もう行きましょう。彼らだけでは、そう長く時間を稼げません』
幽生の傍に舞い降りた樫之は言った。
『……はい』
屍を飛び越え、彼らは再び神樹の森を翔けていく。翠玉色の巨竜を追って。
この時、これはゲームなどでは無いと幽生は今になって気付いた――。




