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神さまと繋がった  作者: たつのオトシゴ
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002

   002


「……奇跡、みたいだ」と、幽生は思わず感動を漏らした。

 彼らがいた世界とは別の異世界。そこは奇跡を具現したみたいな美しい情景が隅々まで広がっている。艶やかな花々の絨毯が果てし無く咲き乱れ、優に百メートルを超える背の樹木が聳え立つ森。その森には蛍の光を思わせる無数の光が漂い、仄かに甘い花の香りが流れる。大地やそこに咲く花々、樹木の太い幹や葉からは光の粒子が生まれ、小風が粒子と花香を舞い上げる。空に届きそうな樹木の葉に陽光が遮られて薄暗いはずの森は温かい光に包まれていた。

 東京というビルの森を見てきた幽生は思わず溜め息を吐いてしまう。異世界の森はあまりに幻想的で、風光明媚という言葉が相応しい。それ故に、ここが異世界であると信じられた。

「本当に、異世界に来たんだな……」

 そうだ。来た、といえば扉は? と、幽生は体を振り返らせる。

 艶やかな花々が咲く情景の中で不自然な存在感を放っていた巨大で厳かな扉がスウッと跡を残さず消えていった。

「もう逃げ道は無くなったってことか」幽生は呟いた。

 振り返ることも後戻りも許さない。前だけを向いて進むしかない。胸中でそう言い聞かせて体を戻す。すると、隣に立つ雨宮の淡い唇が静かに開く。

「……綺麗…………ぁ、ごめんなさい」

 無意識に漏らした声を聞かれてしまったことに気付いた彼女は謝りながら俯く。脅えたように目を伏せていると幽生の反対隣に立つ黒い背広姿の男が彼女に柔和な口調で言う。

「謝ること何て無いよ。この景色に見惚れるのは普通の女の子なら当然だ」

 そう言って、十三人の中で最年長の彼は娘を見る父親のような優しい視線を向ける。

「……普通の、女の子……ですか」

 隣に立つ幽生にしか届かない声で雨宮は呟いた。一瞬、彼女の幼さが残る顔に陰りを見せる。しかし、背広姿の男はそれに気付くことなく辺りをキョロキョロと見回して言う。

「ところで、“神さま”はどこに……。こちらの世界には来ていないのか?」

「“神さま”は添乗員ではないのですから、私たちだけで行動しろ、ということでは?」

 黒いジャージ姿で腕を組む元トップアイドルの樫之幽花は淡々とした調子で言った。その流麗な声に反応し、情景に見惚れていた皆の意識が彼女に集まる。

「それもそうだね。私たち十三人で始祖竜エンシェント・ドラゴンという敵を倒すのが目的だと分かっていることだし」

 そう言って黒い背広姿の男は「そうだなぁ」と、枝葉が広がる空を見上げて唸る。

「……とりあえず、お互いに自己紹介でもしようか」彼は唐突に言った。

「何故そのようなことをするのか理由が分かりません。ここは仲良しこよしの幼稚園ではないのですよ? 私は遠慮させて頂きます」樫之は無遠慮に無表情で言い放った。

「そう言わずに。私たちはこれから一緒に戦う仲間なのですから、きっと協力が大切になる。それに……皆が無事に帰れたら、また何かの縁で会えるかもしれませんよ? 社会でも人との縁や絆が何よりも大切ですから」

 背広姿の男は柔らかい物腰で説得を試みた。しかし、彼女は口から小さく溜息を漏らす。

「仲間とか、絆とか……そんなものは全部嘘です。信じられるのはファンだけ。私を応援してくれるファンの愛以上に大切なものはありませんよ。貴方は阿呆なのですか?」

「えっと……ファン?」彼は樫之の言葉の意味を理解できずに首を傾げた。

「何か間違っていますか?」薄ら笑う彼女は暗澹とした瞳を浮かべて不気味な美しさを醸す。

 幽生は樫之幽花の得体の知れない人間離れした麗しさを垣間見て、背筋に寒さが走る。

「い、いえ。でしたら、私たちの自己紹介に耳を傾けるだけならどうですか?」

 顔を緊張させた背広姿の男も幽生と似た何かを感じたのか説得を諦め、妥協案を提示した。

「……お好きにどうぞ」樫之はそっぽを向き、その場を離れ、すぐ側の巨大な幹に背を凭れる。

 息苦しい空気が流れる二人を見兼ねた幽生は御節介を覚悟で口を挟む。

「あの、そもそも彼女は自己紹介するまでも無いと思います。アイドルグループ『ラプラス』の元メンバーで、トップアイドルと呼ばれた樫之幽花さん、ですよね?」

「……ええ、そう呼ばれていた頃もあります」

「つまり、芸能人なのですか?」背広姿の男は目を丸くし、幹に凭れて腕を組む彼女を見た。

「はい。樫之さんの熱烈なファンである僕の妹によれば最高のアイドルだそうです」

「もう私はアイドルですらありません。ですから、その話は止めて頂けます?」

 樫之は冷ややかに言い放った。不快さを滲ませた彼女の声に凄まれた幽生は慌てて話を戻す。

「だから、彼女に自己紹介は必要ない、ってことです」

「これは失礼しました。何分、仕事ばかりしていたので芸能関係の情報には疎く、芸能人だとは存じ上げておらず……」背広姿の男は首の後ろに手を当てながら小さく頭を垂れた。

「いえ、気にしていませんので」

 彼女の言葉を聞いて幽かに安堵した男は「ありがとう」と言って幽生たちの方へ振り返る。

「それで、えっと……そうだ、自己紹介でしたね。少し脱線しましたが、まずは私から。私は佐々木真守(ささきまもる)と言います。皆で力を合わせて願いを叶えましょう」

 では、次どうぞ。と、佐々木という男の掌が隣に立つ幽生を指名した。

「え、僕ですか? 僕は……」

 “人殺し”

「――ッ」不意にどこからともなく声が聞こえ、幽生は全身に緊張が走った。しかし、他の誰もこの声が聞こえていないと気付き、幻聴だとすぐに理解した。

 “人殺しのくせに生きてていいのかよ”

 俯き、右手の親指の付け根に走る傷痕を指でなぞると幽生の脳裏にフラッシュバックする。どす黒い血に塗れた包丁を握り、親指の付け根から血をドクドクと滴らせる自分の手が。

 僕は……僕は、人殺しだ。

「どうかした?」佐々木は急に沈黙した幽生を心配し、右肩に手を乗せて言った。

「いえ、別に。えっと……遊佐です」大人しい自己紹介を済ました頃には幻聴は消えていた。

「ちなみに下の名前も聞いてもいいかな?」佐々木は柔和な態度を崩さずに言った。

「ああ、忘れていました。幽かに生きるで、幽生です」

 そう言ってから幽生は、もう少し良い例え方があったんじゃないか、と後悔する。

「よろしく。遊佐幽生くん」と、佐々木は柔らかい表情を向ける。

「……はい、こちらこそ」

「じゃあ、次お願いします」

「――ッ」指名され、幽生の隣で肩を小さく飛び上がらせる反応を見せたのは、

「えっ……と……」雨宮ゐるかだ。

「軽く自己紹介するだけで大丈夫ですよ?」

 忙しなく目を泳がせる彼女は誰とも視線を合わせずに震える口を開く。

「……ゐるか、です。……よろしく、おねがいします」

「えっと……それは下の名前なのかな? それとも……」少し困ったように佐々木は言った。

「ぁ……ご、ごめんなさい。つい、癖で。雨宮、ゐるか……です」

「雨宮ゐるかさん、よろしくね。では次は――」と、佐々木の進行のもとで各々が自己紹介をしていく。その最中も雨宮は相変わらず俯き、白銀の髪が顔を隠す。

 彼女を横目に幽生は仰ぎ、背の高い樹々の枝葉の隙間から覗く青空を見遣る。

 ……夢の世界、か。大それた言い回しだけど、この世界にも空や太陽があるんだな。それなら、人間みたいな存在もいるかもしれない。ああ、仄ちゃんに見せてあげたかった。……そうだ、帰ったら“神さま”に頼んでみよう。きっと、仄ちゃんも喜んでくれる。だから――。

 と、幽生が思い耽っている内に、

大西敦子(おおにしあつこ)です。ご迷惑を掛けないよう頑張ります」

 三十歳前後と思われる大西と名乗った女を最後に十三人の、正確には十二人の挨拶を終えた。

「これで全員の自己紹介が済みましたね。皆で協力して始祖竜を倒し、願いを叶えて貰いましょう!」オー! という声が上がるはずも無く、佐々木の溌剌だけが空振りする。

「挨拶は終わった?」

「「!!」」何処からともなく不意に聞こえてきた、くぐもった声が皆を吃驚させた。聞こえてきた方向に全員が振り向くと直径十メートルはある幹の陰から宇宙服姿の“神さま”が現れ、ペタペタと聞こえそうな足取りで近付いてくる。艶やかな花々を躊躇いなく踏み潰しながら。

「いやー、こっちの世界に戻るのに時間が掛かってしまった。でも、君たちの世界では救世主(ヒーロー)は遅れてやってくるルーズな存在なのだろう?」

 ヘルメットのシールドの奥では、まるで光さえも吸い込むブラックホールを思わせる闇を蠢かせ、その表情は窺い知れない。明媚な森の中で“神さま”は異質な存在感を放っていた。

「それはさておき、さっそくだけど始祖竜を殺しに行こうか。ピクニックじゃないからな?」

 言葉の軽さと内容の重さが比例していない。

「“神さま”、どこへ向かえば目的のその竜がいるのですか?」佐々木は率先して尋ねた。

「始祖竜はこの神樹の森の中心に聳える神樹の母樹、その根元にいる。ほら、ここからも見えるだろう? ただでさえ馬鹿みたいに高い樹々が広がる森で圧倒的な存在感を放つ巨樹が」

 そう言って指し示す白いグローブの指先を追う。空まで届きそうな樹々の隙間の奥に、その母樹が姿を覗かせていた。雲を悠々と貫いている巨樹が幽生たちを見下ろしてくる。

 樹というよりも山という表現の方が近いその母樹の直径は百メートルを下らない。天辺に傘のように広がる枝葉から無数の光の粒子が緩慢に降り注いでいるのが遠目でも分かる。

「そう遠くは無さそうだな」と、佐々木は呟くように言った。

「あの樹の根元にいる竜から“槍”を奪えば仄ちゃんの病気を治してくれるんですよね?」

「焦るな焦るな。奴は私たちが近くにいることに、まだ気付いていない。気付かれたところで逃げられることは無いから焦るな」

「どうして言い切れるんですか?」幽生は率直に尋ねた。

「例えば、十三匹の小さな蟻が近付いてきたら君は逃げるか? 叩き潰すなり踏み潰すなりするはず。それと同じだよ」

「つまり、始祖竜(そいつ)からしたら僕たちは蟻みたいな、ちっぽけな存在に過ぎないと」

 癪に障ったのか幽生は表情を一瞬だけ歪ませた。

「君たち人間を蔑む言い方になったけれど実際に見て、戦えば分かる。自分たちがどれほど、ちっぽけな存在なのか嫌でも思い知るよ」

 そう言い残して宇宙服の白い背をくるりと向けると、

「とりあえず母樹まで案内するから(はぐ)れないように。しばらく異世界観光ツアーと行こうか」

 “神さま”は花を踏み潰して歩き出した。幽生たちは戸惑いながらも慌てて後をついて行く。

「ねえ、君……遊佐幽生くん、でしたっけ?」

 不意に鈴音の声に呼び止められ、振り返るとすぐ後ろに樫之幽花が立っていた。

「……なんですか?」と、平然を保っていながらも人見知りが発揮されて胸中で身構える。

「気を付けた方がいいですよ」唐突に彼女は言った。

 他の皆が森の奥へ消えていくのを横目に、言葉の真意を思考する。これから竜と戦うことを案じてくれているのだとしたら、幽生だけに言うのは不自然だ。つまり、それとは別の意味を含有しているに違いない、という結論に至った。しかし、真意は分からなかった。

「……どういう意味ですか?」小首を傾げる幽生。

「きっと、私たちの殆どが死ぬことになります」

「全員少なからず覚悟しているはずです。願いを叶えるための竜退治が楽なはずは無い」

「そういう話ではありません。……本当の敵は他にいる、という話です」

 本当の敵? と、その言葉を反芻させる。しかし、やはり理解には至らない。

「どうして僕だけにそんなことを?」樫之の妙な態度に合点が行かず、眉を困らせた。

 突然、人間離れした端麗で霊妙な美貌をぐいっと近付けてくる。すると、彼女は幽かな笑みを見せる。幽生がファンなら歓喜する状況に違いない。しかし、彼の胸に湧きあがった率直な感想は『怖い』だ。その異質な美しさは美しさを通り過ぎ、人間のものとは思えない美しさを纏う樫之幽花が自分と同じ人間には思えず、得体の知れない彼女に恐怖すら感じた。

「今、怖いって思いました?」

 心を見透かされてドキリと心臓が跳ね上がり、平然を保っていた顔が強張る。

「…………少しだけ」隠せないと思った幽生は素直に答えた。

 幽かな笑みを浮かべる樫之は顔を近付けたまま言う。

「幼い頃からよく言われます。だから、私はこの顔が大嫌いでした。ですが、こんな私を愛してくれるファンの皆がいると知ってから生きる希望ができました」

「それが、僕だけに注意を促す理由にどう関係するんですか?」

「私を応援して、愛してくれた妹さんへの|贈り物(ファンサービス)みたいなものです。応援してくださって、ありがとう。と、お伝えください」

 そう言い残して彼女は顔を離すと幽生の脇を抜け、皆が歩いて行った方角へ足を進める。途中、ふと足を止めて振り返ると、

「まあ……生きて帰れたらの話ですけれど」

 無感情で冷淡な瞳で彼を一瞥してから森の奥へ消えていった。

 最後まで樫之幽花の言葉の真意を確かめられないまま幽生は母樹を目指して歩き始める――。


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