028
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巨大な母樹の下、咲き乱れる花々の上に真っ裸で仰向けに倒れている幽生は首を起こし、足元に立つ樫之幽花を見遣る。始祖竜に殺されたとばかり思っていた樫之幽花が人間の姿で立ち尽くしていた。その左手には“神槍クイーン”が握られている。しかも、
「……どうして」と、眉を顰める幽生。
「何がですか?」人間離れした美貌を向けてくる樫之は小首を傾げた。
「……どうして、エルフの服を着ている」
幽生が気になっていたのは彼女の装いだった。翠を基調として金色の刺繍が施されている、その衣装はエルフたちの物である。エルフたちの衣装をどうして……、と怪訝な顔を浮かべる。
「そっちですか? てっきり私は『どうして生きているんだ』と言われると思っていました」
樫之は目を丸くして大袈裟な態度を見せた。骨折した両腕に加え、胸に空いた風穴の激痛にしばしば顔を顰める幽生とは真逆の悠々とした調子である。
「アイドルがヌードを見せる訳にはいきませんから。それなので、転がっていた死体から拝借しました。それに……騙されたとはいえ、あのような写真を撮られる失敗はもう繰り返したくありませんので」
「……そういえば、男とベッドで寝ているところを撮られてアイドルを辞めたって聞きました」
己が全裸であるのも忘れた幽生がそう口にすると、彼女の表情が陰りを見せた。
「私は辞めたのではありません。……辞めさせられたのです。メンバーの一人に嵌められて」
必死に平然を装っていたが、その声は幽かに震えて動揺を滲ませていた。
「嵌められた? それじゃあ、あの写真は……」
「私に睡眠薬を飲ませたメンバーの一人が役者の男と協力し、でっちあげた写真です」
日本中を騒がせたトップアイドルのスクープが全て捏造されたものだと知らされた幽生は目を剥き、息を詰まらせて吃驚した。
「……は、ははは。それが知れたら日本は大騒ぎだ」もう笑うしかなかった。
「私を陥れたメンバーの彼女は同期である樫之幽花が常に人気を集めていることが許せなかったのだと思います。役者の男には知名度を上げるため、などと言って眠った私をホテルに運ばせたのでしょう。私をアイドルの天辺から突き落とすために……」
「そういうことか……」と、幽生は同情した。樫之幽花を陥れたメンバーの一人に同情した。 トップアイドルの樫之幽花と同期であるその彼女は周囲から常に比べられ、彼女自身も樫之幽花という人間離れした存在と自分を比べてしまったのだろう。アイドルの規格から外れた樫之幽花というアイドルと比べ、比べられることがどれほど苦しいのか考えただけでゾッとする。
樫之幽花がこの世界に来た理由を悟った幽生は、風穴が痛む胸を膨らませて息を吐くと、
「……気付いていたんですね」おもむろに本題に触れた。
「何のことでしょうか?」と、白々しくも無表情で言った。
「僕に言いましたよね?」
この世界に、異世界に来てすぐ“神さま”の案内で始祖竜の元に向かう際、彼女に呼び止められ言われた言葉を思い出す。
“気を付けた方がいいですよ”
“きっと、私たちの殆どが死ぬことになります”
“本当の敵は他にいる”
そう口にしていた樫之が生きていたと知った時に確信した。
「僕たちが殺し合うことになる、って気付いていたんですね……」
「“神さま”の言葉に違和感を覚えたので、もしかしたら……と、思っただけです」
「だから死んだように思わせて、機会を狙っていたのか……。まさか、大きな黒竜に変身できる人が始祖竜と戦うのを提案したのも姿を暗ませるため?」
「ええ、仰る通りです」
無表情のまま樫之は淡々と言葉を続ける。
「もし、私の深読みだったなら、それはそれで構いませんでした。全滅した場合は諦めるしかありませんけれど……」
「……」
「今回は貴方が始祖竜を見事倒してくれましたので大変助かりました。ですが、始祖竜との戦いの最中に姿を暗ますのも一苦労でしたよ?」
「知らねぇよ! そんなこと……」
幽生は胸に込み上げてきた感情を爆発させるように乱暴な声音で言い放った。
「……何だよ……何だよ、それ。……ふざ、けんなよ」
死に狂いで戦ってきたことを全て否定されたような悔しさが湧き上がってくる。始祖竜を殺し、エルフたちを殺し、佐々木真守を殺し、雨宮ゐるかを殺し、ようやく手に入れた“神槍クイーン”を掻っ攫われて平然としていられるはずが無い。
「こんな終わり方……納得できねぇよ。……返せよ。それは……僕のだ!」
仰向けていた体を翻し、起き上がろうと諸手を突く。しかし、折られた両腕に激痛が走り、崩れるように倒れてしまう。惨めに倒れ込んだ彼を俯瞰する樫之は冷ややかに言う。
「……無理ですよ」
「ざ……けんな」顰めた顔を振り返らせ、睨み上げた。
「遊佐くん、貴方はもうゲームオーバーです。両腕は折れ、自分で立ち上がることすら敵わない。黒竜に変身する力も残っていないのでしょう? ……もう、諦めましょう?」
「……そんな軽々と終わらされて……たまるか。仄ちゃんは……どうなるんだよ!」
恥ずかしげもなく叫んだ。頬に触れた地面がいやに冷たく感じる。それに反して胸の奥が熱く、魔力が滾る。しかし、肢体に力が入らず黒竜に変身できない。
「あと、半年しか……くそっ」と、痛いくらい奥歯を食い縛った。
儚くも、たった一言で“願い”の終わりを告げられた。自分の“願い”が呆気なく霧散していくのをひしひしと感じさせられる。離しまいと心の手で握っていたのに指の隙間からサラサラと零れ落ちていく、そんな気分だった。
「“半年しか無い”のではなく、“半年もある”の間違いでは? 半年もあればできることが貴方にはあるはずですよ」
樫之の言葉が無責任に聞こえ、憤りを含んだ瞳で睨む。しかし、彼女の透き通るように美しい双眸を見た途端に憤りが冷めた。
その瞳はいい加減な言葉を口にした人間のものではない、と幽生は思った。相も変わらず無表情に見下ろしてくる。本気で「貴方には何かが出来る」と訴えかけている目だ。
「半年で、いったい何が出来るんだよ。たった半年で大金を集めるなんて……」
戸惑いを含有した声音で訊ねた。すると、
「そういうことを言っているのではありません」きっぱりと切り捨てられた。
「……?」訳が分からず眉を顰めた。
「遊佐くんはこの殺し合いで知ったのでは? 一見普通の人間でも、いいえ、普通の人間だからこそ胸の内にどんな願いを抱えて生きているのか分からない。その者が何に苦しみ、何を願っているのかを他人が悟るなんて不可能なのですよ。ちなみに……貴方は、妹さんが何を願っているのか知っていますか?」
そんなのは……。と、胸中で呟いてから幽生は答える。
「そんなのは当たり前だ。仄ちゃんの願いが分からないほど、愚かになった覚えはない」
仄が生まれてから十四年間ずっと傍にいた、兄としての自分を微塵も疑わなかった。
……僕に分からないはずが無い。と、彼は自分に言い聞かせる。
「それなら訊ねましょう。貴方は妹さんの、仄さんの本当の“願い”を聞いたことはありますか? 彼女の口から直接聞いたのですか?」
端麗で霊妙な樫之は美しくも悍ましい双眸で彼をじっと見下ろす。畏怖すら感じるその視線を浴び、息を詰まらせながらも言う。
「仄ちゃんは……生きたいと願っている。だから僕はその願いを叶えるために……」
「それは……彼女が本当に願っていることなのかしら?」
樫之の見透かした言葉に怪訝な表情を浮かべ、
「……何が言いたい」と、急かすように言った。
「目の前の“願い”ばかりを見過ぎて、大切なものを見失っているのではありませんか?」
ふと、佐々木真守が死ぬ寸前に口にした言葉を思い出す。
“遊佐くんは大切な人の、妹さんの気持ちを見失わないでくれ”
佐々木真守が言い残した言葉と、樫之幽花の言葉を反芻する。
僕は何か勘違いしているのか……?
僕の知らない、仄ちゃんの本当の“願い”があるというのか……?
「……」幽生が口籠っていると樫之は言葉を続ける。
「大切な妹さんは、大好きなお兄ちゃんが命を賭してまで助けてくれることを望んでいると本当に思っているのかしら?」
仄ちゃんの口から“願い”を聞かなくとも、僕には分かると勘違いしていたのか……?
「そう勘違いしているのでしたら、最低なお兄ちゃんですこと。そんな男に“槍”を渡す価値も、願いを叶える資格もありません」樫之は辛辣に言い放った。
「……」彼女の言葉が胸を深々と突き刺し、あれやこれやと想いを巡らせる。
妹が産まれた日から、昨日まで過ごしてきた仄との日々が脳裏を駆け巡った。十四年間の記憶はどれも掛け替えのないものばかりであると改めて知る。
霞む意識の中、幽生を“お兄ちゃん”と呼ぶ幼い頃の仄を鮮明に思い出す。ランドセルを背負い、学校帰りに躱した約束を思い出した。
……ああ、そういうことか。と、納得した途端に幽生は、
「クハッ……クハハハハハ」と、己の情けなさに自嘲の笑いが込み上げてきた。
地面に額を当て、自分の影に目を落とす。
「そうか……そういうことだったのか……フッ」僕は最低だ……。と、胸中で嘆く。
「何かに気付けたようですね」樫之は言った。
“願い”を追い求めるばかりに、大切なものを置き去りにしていたのだと気付かされた幽生。仄を守り続ける以外に約束したことがあった。
“何があっても僕はこの手を離さない。仄ちゃんの傍に居続ける”
と、ランドセルを背負っていた頃の幽生は仄の手を握り、もうひとつの約束を交わしていた。決して忘れてはいけない、反故にしてはいけない“約束”という名の“願い”を。
そうか……僕にしかできないことが有ったのか。
半年もあればできること……。仄ちゃんの傍にずっといてあげられる。小さな手を握って、怖いことから守ってあげなくちゃ……。病気は治してあげられないけど、死の恐怖から守ってあげることなら僕にもできるかもしれない。そうだ……早く帰らなくちゃ……。
帰らなくちゃ……。
「僕が、仄ちゃんの傍にいてあげないと……。大切な妹が……僕の帰りを待ってるはずだから。お見舞いに行かないと、心配させてしまう……」
幽生は諸手を突くと、倍以上に腫れ上がった両腕で上半身を起こそうとする。腕を駆け抜ける激痛を食い縛り、樫之に背を向けたまま言う。
「樫之幽花さん……僕のお願いを少し聞いてくれませんか?」
すると、彼女は小さく息を吐いてから言葉を返す。
「私は神様ではありませんが、聞くだけ聞いておきましょう」
激痛を堪えて体を起こし、諸膝を突いた彼は「ありがとう」と呟き、お願いを口にする。
「僕の体を扉の向こうまで連れて行ってくれませんか? 約束を破ったら、妹にぶっ殺されちゃうんです……ハハッ」と、気付いたら笑っていた。
「…………いいですよ」無表情だった樫之幽花は双眸を幽かに笑わせると小さく頷いた。
“神槍クイーン”を地面に突き立てると、一番上に羽織っていた翠の外套を脱いで幽生の肩に羽織らせる。そして、彼の上腕を自分の後ろ首に回して肩を貸す。
「――いっ!」骨折している下の腕が揺れて痛みが走り、思わず悲鳴を漏らした。
「我慢してください。立ち上がりますよ」
樫之の合図と共に肩を借りて立ち上がった。しかし、急に恥ずかしくなった幽生は「や、やっぱり、あとは自分で歩きます」と言う。
「遠慮はいりません。それに、フラフラな足で歩いたらまた倒れてしまいます。倒れる度に貴方を起こすのは私が大変ですので」
正論を言われてしまい、返す言葉を見失った。彼女は地面から引き抜いた“神槍クイーン”を左手に握ると歩き出す。幽生も足を引き摺るように歩き出した。
「……」ふと、彼は思う。顔のすぐ横にトップアイドルの樫之幽花がいる現実が異世界に来たことよりもファンタジーである、と。視線に気付いた彼女は、
「どうかしましたか?」歩きながら小首を傾げた。
「僕に“槍”を奪われるのを考えないんですか? 動けない演技かもしれないのに……」
どうして僕を……。と、瞳で訴える。すると、樫之は悩む素振りすら見せずに答える。
「私のファンが大切に想っているお兄ちゃんを見捨ててしまったら、私のファンを悲しませてしまうからです」
「樫之さんのファンへの愛情って、他のアイドルとは何か違いますよね……」
「ファンは恋人だと思っていますから」
「それは……それくらいファンを大切に想っている、って意味ですよね?」
「ファンになら抱かれても構いません」
「おい」なけなしの力でツッコミを入れる。
「冗談ですよ。半分は」と、彼女は真顔でふざけた。
表情から感情が窺い知れず、一瞬本気かと疑ってしまった幽生は「どこからが半分なんだ……」と胸中で呟く。彼女の愛情はアイドルがファンに向ける愛情とは、やはり何か質や種類が異なっているように思えた。
あと二、三歩で扉を潜る間際、ふと幽生は尋ねる。
「あの、最後に教えてくれませんか? どんな願いを叶えるつもりなんですか?」
すると、扉の前でピタリと足を止めた樫之は目を伏せ、少しの沈黙を置いてから口を開く。
「……アイドルの樫之幽花を取り戻したい。“神さま”には、そう願いました」
「メンバーに妬まれて、裏切られてもアイドルであり続けたいんですか? また何かされるかもしれないのに、どうして……」
彼女は何かを懐かしむように双眸を細め、無表情に語り出す。
「私は自分が嫌いでした。感情が乏しく、満足に笑顔を浮かべられない私が大嫌いでした。そんな時にスカウトされて何となくアイドルになりました。そして、私のファンだと言う人に初めて会い、考えが変わったのです。こんな私を愛してくれるファンがいる……。私が歌い、踊ることで幸せになってくれる人がいる。だから、樫之幽花を愛してくれるファンを裏切るようなことは絶対にしたくありません。……そのためにも願いを叶える必要があるのです」
そう話した彼女は「それに……」と言葉を続ける。
「それに……アイドルが楽しいからです」端麗で霊妙な顔に幽かな笑顔を見せ、彼を見遣った。
「……」幽生は少しだけ理解した。ほんの少しだけ理解できた。アイドルの樫之幽花を好きになるファンの気持ちが。
「帰ったら妹に自慢します。トップアイドルの樫之幽花に会えたことを……」
そして幽生たちは足を踏み出し、開かれた扉をくぐる。扉の奥に広がる闇の中に入る間際、彼は「ありがとう」と呟いた。
扉をくぐった彼らの背後では“神槍クイーン”を失った神樹の森が一斉に枯れ、樹々が朽ちていく音を鳴らす。ゴゴゴッと重々しい音を立て、緩慢な動きで扉が閉ざされると、生命が朽ちていくその音はピシャリと聞こえなくなった。
こうして、願いを叶えるための戦いは終わった――。
「私は“神さま”です。おめでとう。素敵なハッピーエンドを迎えたのは樫之幽花、君だ」




