020
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布一枚纏わない人間の姿に戻った幽生は黒焦げた地面を力無い足取りで歩く。陽炎が漂う、まだ燃えるように熱い大地に裸足を落とすたびに足裏がジュッと音を立てる。
「――ッ!」皮肉が焼かれる痛みを堪えながら歩き進む。
しばらく黒焦げた更地を行き、始祖竜の灰燼に足を落とす。熱い灰燼に足首まで埋まり、火傷の鋭い痛みに襲われた。大きく足を上げて灰燼の中を進み、その中央に突き立つ“神槍クイーン”に手を伸ばす。そして、求め焦がれた“槍”をついに掴むと力を込めて引き抜いた。
勢いよく引き抜いたものの、崇高で重厚な“神槍クイーン”は想像を遥かに下回るほど軽く、力が余った幽生はたたらを踏んで後退りする。体勢を戻して「ふぅ」と一息を吐いてから手に持った“神槍クイーン”に目を落とす。特にこれといった力は流れてこない。始祖竜の鱗と同じ翠玉色の装飾が施されている黄金の槍は心臓が脈を打つように鼓動し、燦爛としている。
「これで……仄ちゃんが」
――助かる。
「とでも、思っている顔だね」背後から不意に声が飛んで来た。
胸中を言い当てられた幽生は心臓をドキッと跳ね上げ、慌てて体を振り返らせる。敵の生き残りが“神槍クイーン”を取り返しに来たのかと焦っていた彼は、声の正体を見て安堵する。
「……なんだ、“神さま”か」
白くて丸いヘルメットと白尽くめの宇宙服を纏って立っていた。宇宙服姿の“神さま”はペタペタと聞こえてきそうな足取りで黒焦げた更地を歩いてくる。さすがの宇宙服には皮肉が焼ける程度の余熱は効かない。それが少し羨ましい幽生。最早、火傷の痛みで足が痺れている。
「まさか本当に取り返してくれるとは……。感動で涙を流したいところだけど、生憎だが涙を流す肉体をいまは持ち合わせていないんだ」
「別にいいです。妹さえ救えるなら……もう、どうでもいい……」
仄の命を守れる。そう思うだけで胸の奥から激情が溢れてきた。
幽生はずっと恐れていた。余命を宣告されてから、ずっと不安で怖かった。いつか仄の声を聴けなくなり、手も握れなくなり、側にいることさえ出来なくなるのが怖い。それ以上に、死の恐怖に脅え続けていた仄が誰よりも辛いに違いない、と考えるだけで彼は苦しかった。
しかし、これで仄は苦しまなくて済む。涙を流していた仄を救える。仄を笑顔にできる。
――仄ちゃんを幸せにできる。と、胸中で呟いた幽生は、
「“神さま”……ありがとう、ございます……」
声を震わせながら心から感謝し、“神さま”を神様だと思いながら深々と頭を下げた。
「おいおい。今にも泣きそうな顔をしてるな。願いを叶えられるのは、そんなに嬉しいのか?」
「……はい」震える声を必死に抑えて答えた。
「それはなによりだ。ところで、その“神槍クイーン”なのだが……」
「えっと、これを“神さま”に渡せばいいんですよね?」右手に持った黄金の槍に目を落としてから“神さま”の元に持って行こうと灰燼に埋もれた足を踏み出すと、
「まあ待て。その通りなのだが、今は受け取れない」
白いグローブに覆われた手を突き出すと制してきた。
「……どうしてですか?」小首を傾げて怪訝な表情を浮かべる。
「僕が全裸だからですか?」
そう尋ねると「違う」の一言で否定された。まさか、ここまで来て約束を反故にするつもりなのか? と、嫌な想像を脳裏に浮かべる。すると“神さま”は事情を話し始める。
「本来この世界では私は存在できないんだ。外の世界から宇宙服という入れ物を操っているだけで、もし、こっちの世界で“神槍クイーン”に触れれば私の魔法が打ち消されてしまう。言っていなかったけれど、その“槍”はこの世界の私という存在を封印している鍵のひとつなのさ。君たちの世界に持ち出してくれないと触れることすらできない。だから、扉を潜って持ち帰ってくれたら、どんな願いもすぐに叶えてやる」
――封印? と、気になる言葉が含まれていたが意識の片隅に追いやる。
「そういうことなら……わかりました。持って帰ればいいんですね」
約束を反故にされる心配は杞憂に終わり、胸中で安堵した。
「ところで、その扉はどこに?」焦土と化した森を見渡しても扉の影も見つからない。
「奇襲をするために使った扉を覚えているかな? 母樹の根元にその時の扉が残っているから、それを潜れば元の世界に戻れる。扉を何度も出せないほどに、この世界では魔力が制限されていることを察してくれ」
ふと、魔力を蓄えるために洞窟で眠っていた“神さま”の姿を思い出す。
「……わかりました」色々とある事情を呑み込んで幽生は頷いた。
突然、幽生と“神さま”は大きな影に覆われて辺りが暗くなる。彼らは咄嗟に仰ぎ見ると、二頭の黒竜が翼を羽ばたかせて舞い降りてきた。焦土や灰燼が舞い上がり、目を細める幽生。
「佐々木さんと……もしかして、雨宮さん?」まだ再生し切っていない左翼を広げる黒竜は佐々木真守だと判った。雨宮ゐるかと思われる黒竜を見て小首を傾げた幽生。
『遊佐くん! もしかしてと思って飛んで来たけど、本当に倒してくれたのか……』
佐々木は嬉々とした声で言った。
『そ、それが……“神さま”が、探していた…………』
と、口籠る話し方に加えて幼さが残る声を聞き、この黒竜は雨宮ゐるかだと確信する。
「ええ、この“槍”があれば願いが叶えられます。だから、もう戦いは終わりました……」
自分が全裸であるのも忘れて腕を突き出し、その手に握った黄金の槍を見せた。
『願いが叶う……。あ、あはは……夢みたいで何だか実感が湧いてこないよ……あはは』
開けた空を仰いだ佐々木は笑いを零した。
『……やっぱり、遊佐くんは……凄いや。…………でも、ありがとう……ありが、とう』
目を伏せた雨宮は幾度と感謝の言葉を呟いた。
二頭の黒竜は、二人は願いを叶えられる実感と感慨に耽ると彼らの瞳から緊張が失せていく。
「僕だけの力じゃないですよ。雨宮さんがエルフを倒してくれたから。佐々木さんが最後まで始祖竜と戦っていてくれたから……。死んでいった皆が戦ってくれたから……倒せたんです」
初めは幽生を含めて十三人いた仲間が、終わりには三人だけになっていた。幽生たちは戦いの凄絶さを改めて実感する。
『いいや、感謝してもし切れない。……遊佐くん、ありがとう』佐々木は頭を垂れて言った。
二人に感謝されてむず痒い気持ちになる。だが、悪い気分ではない幽生は素直に受け取った。
『ところで遊佐くん……。裸のままだと雨宮さんが困るのでは……?』
「……ぁ」と、己の肢体に目を落とし、全裸を晒していることにようやく気付く。
『い、いえ……大丈夫です。……慣れています、から』動揺する様子もなく雨宮は言った。
『慣れ……?』雨宮の黒い噂を知るはずも無い佐々木は黒竜の長い首を傾げる。
彼女の瞳が陰るのを見た幽生は話を戻す。
「あの、ところで他に生き残った人は……」始祖竜の討伐隊は佐々木を残して全滅しても、エルフ抑留隊として戦っていた新谷少年がまだ生き残っている可能性と希望を込めて尋ねた。
『……わからない。私も彼女も新谷くんの姿を見つけられなかった。多分、彼は…………』
佐々木は言葉を詰まらせたが、幽生は悟る。
「そう、ですか……」二人だけが空から下りてきた時に何となく悪い予感はしていた。
“やれます。おばあちゃんの為だと思えば”と、死の恐怖に脅えながらも戦う覚悟を決めた新谷少年の姿が脳裏に浮かぶ。中学生でありながら大切な人のために命を賭して戦った彼がいたからこそ、自分たちは願いを叶えられるのだとヒシヒシと感じる。
死んでいった仲間たちを思っていると、ふと、樫之幽花の言葉を思い出す。
“本当の敵は他にいる”
その言葉には、どのような真意を含んでいたのかは樫之幽花が死んでしまった今では知ることは敵わない。しかし、戦いは終わった。彼女の勘が外れたのかもしれない、と幽生は思った。
「母樹の前にある扉の奥で、劇場で待っているから早く“槍”を持ち帰ってきてくれ」
“神さま”は少し急かすような態度で言った。
劇場? と、何のことを言っているのかすぐに理解できなかったが、最初に幽生たち十三人が集められた、だだっ広いホールを遅れて思い出す。
『持ち帰れば私たちの願いを叶えて頂けるんですね。これで願いが……あはは』と、佐々木は緊張が解けたのか再び笑いを零した。それを見た幽生も全身に脱力感を覚える。
「仄ちゃん、もうすぐ帰るから待っていて……」と、目を瞑って呟いた。
「…………はあ? 何を馬鹿なことを言っているんだ?」
唐突に“神さま”は粗雑に言い放った。言葉の意味を理解できず、幽生たちは固まった。
「私たち? あれ、言ってなかったか? 願いを叶えてやるのは“槍を生きて持ち帰って来た者”と言ったはずだ」
「…………か……神、さま……?」
ヘルメットのシールドの奥で蠢く闇を恐る恐る見遣ると嫌な予感を覚えた幽生。
「願いを叶えてやるのは“槍”を私の元に持ち帰った者、ただ一人だけだよ」
最初に集められた劇場の舞台上、扉に飛び込む前の“神さま”の言葉を驚くほど鮮明に思い出す。確かに言っていた。“槍”を生きて持ち帰った者の願いを叶えてやる、と。
「だけど――」
「生きているだけで願いが叶うなら、逃げて隠れていた奴の願いまで叶ってしまうだろ? 願いを叶えるって、簡単に言ってんじゃねぇぞ」幽生の言葉を容赦なく遮ると言い放った。
嫌な予感は徐々に確信へ変わっていく。
『……い、いまさら……そんなこと……』動転を滲ませた声を漏らす佐々木。
『あ、あの……それって…………』何かを悟った雨宮は瞳を泳がせ、言葉を詰まらせた。
「願いを叶えたければ“神槍クイーン”を奪い取って扉まで逃げろってことだ。それに私は最初に言ったはずだ。竜から“槍”を取り返せ、と」
「その“竜”には僕たちも含まれていたってことですか……?」弱々しい声で尋ねた幽生。
「そうだよ」と、“神さま”はあっけらかんと言った。
『う、奪う……って……どうやって……』
その雨宮の問いに対する答えを全員が薄々と解っている。彼女自身も察していたに違いない。
「それはやっぱり、殺して奪うしかないだろ? 彼に“槍”を譲って貰えるなら話は別だけど」
『“神さま”、貴方は……私たちに殺し合えと言いたいのですか?』佐々木は焦燥を滲ませる。
すると宇宙服の白い腕を大きく開き、大袈裟な態度を見せると、
「いいや、そこまでは言っていないだろ? 談義で解決しても、ジャンケンで決めても構わない。……まあ、君たちは互いに譲れない“何か”を背負っているから円満に解決できるとは思っていないけどね。クフフッ」
含み笑いをヘルメットでくぐもらせ、嬉々とした態度で幽生たちを見遣る。
「“槍”を諦められる者はいるのかな? 妹を見殺しにできるのかな? 男に嬲られ続ける地獄のような生活に戻る勇気はあるのかな? 家族を取り戻せなくてもいいのかな?」
「……これが、この戦いの本性ですか」
「隠しているつもりは無かったんだけど?」と、白々しく言った。
一度は心から感謝し、信じていた“神さま”に裏切られ、白々しい嘘まで吐かれて許せなかった幽生は冷ややかな瞳で睨み、刺々しい口調で追及する。
「いいや、隠していなくても、こうなるのは分かっていたはず。……“神さま”は、さぞ愉快だったのでしょう。願いが叶えられると悦び、安堵し切った僕らの顔が絶望に染まるのは」
「これはゲームみたいなものだ、とも言ったはずだよ? 仲間と倒した始祖竜。しかし、“神槍クイーン”を手に入れられる人間は一人だけ。何てことは、よくある仕組みさ。ゲームには現実以上に残酷なことがあるって知らないのかな? クフフッ」
“神さま”のくぐもった嘲笑に怒りを覚え、眉間にしわを寄せて奥歯を食い縛る幽生。
「ふざっ――」と怒声を上げようとした時、不意に辺りが薄暗くなった。
自分が大きな影に覆われているのだと一瞬遅れて気付いた幽生は透かさず頭上を仰ぐ。すると、頭上から落ちてくる黒竜の巨大な足を視界いっぱいに捉える。
「――ッ!」黄金の槍を握ったまま咄嗟に身を翻し、横転すると間一髪で往なす。彼が立っていた場所は地鳴と共に黒竜の巨足によって潰された。
その衝撃で吹き飛ばされた焦土と灰が全裸の幽生の肌をザラザラと撫でる。“槍”を杖にして立ち上がると自分を圧殺しようとした誰かを見上げ、
「……佐々木、さん……?」再生し切っていない左翼を広げる黒竜、佐々木真守がそこにはいた。一瞬、何が起こったのか理解できずに呆然と立ち尽くす。
『ごめん……ごめんね……。願いを諦めるなんて、私には……できない』
視線を逸らして辛そうに謝る佐々木。しかし、幽生を圧殺しようとした足下の地面は陥没し、割れている。紛れもない殺意を感じた幽生はゴクリと固唾を呑み、口を開く。
「……僕を殺してでも奪うつもりなんですね?」
『ああ……そのつもりだ。これしか方法が無い……。だから、私をありったけ怨んで欲しい!』
そう言い放った佐々木は胸を膨らませると、至近距離から全裸で生身の幽生に炎弾を吐き放つ。咄嗟に背の筋骨を隆起させると左翼だけを変身させ、その翼を盾にして爆炎を受け止める。
「――――ヴッ!!」爆音が脳髄まで響かせると共に、頭の中に流れ込む。佐々木真守の“想い”が記憶として幽生の心に流れ込んできた。
「――――!!」幽生の視界に見知らぬ景色や人が次々とフラッシュし、脳裏を駆け廻る。
ふと、“神さま”の言葉を思い出す。『竜の力は“想い”が源になっている。君たちの攻撃を受けた者の心には君たちの“想い”が流れ込んでいくんだ。簡単に言えば、君たちの“記憶”が相手の心に伝わってしまうって話だよ』
始祖竜が戸惑っていた気持ちが理解できた。心に、頭の中に他人の記憶の断片を流し込まれるのは心地の良いものではなかった。頭が痺れるような衝撃が駆け抜けていく。
すると、佐々木真守の記憶の断片が映像として見えてくる。
――若くして出世できた私は会社や部下にも恵まれ、家族にも恵まれていた。
立派に働くことで妻と娘に幸せな暮らしをプレゼントできると思うだけで仕事は楽しい。
その時の私は、働くことが家族の幸せになると思っていた――
幽生は首を横に振り、流れ込む記憶から意識を取り戻した。
爆炎を浴びた左翼を振り広げ、炎を吹き飛ばすと共にモクモクと漂う黒煙を払い飛ばす。視界を覆っていた黒煙が晴れると佐々木をじっと見遣る。右手に持っていた“神槍クイーン”を地面に突き立てると覚悟を決めた表情と瞳を浮かべ、言い放つ。
「……わかりました。僕も、佐々木さんを殺すつもりで“槍”を死守します」
そして幽生は筋骨を膨張させ、巻角の黒竜に変貌する。
まだ、戦いは終わっていなかった。人間たちの無様で悲惨な本当の殺し合いが始まる――。




