019
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どす黒い魔力を鱗の隙間から漏らすと幽生の、黒竜の姿が変異し始めた。より硬質で分厚い鱗を纏い、両翼が膨張すると倍近く拡大する。双角は生長し、悪魔を思わせる巻角に変形した。
『……殺す』と幽生は始祖竜を真似て胸を目一杯に膨らませ、肺に溜めた魔力を圧縮する。高密度な魔力に変質させると、マグマを思わせる黒々した炎の砲弾を口腔から一気に吐き放つ。
『――ッ!』躱す間も無い勢いで放たれた黒炎弾は始祖竜を直撃した。
するとマグマのような黒炎は爆ぜ、翠玉色の巨体を悠々呑み込むと神樹の天辺まで焼き尽くす火柱を昇らせる。爆音と地鳴が空気を震わせ、駆け抜けた灼熱の風が界隈の花々を燃やした。
『仄ちゃんを汚す奴は焼き尽くしてやる……。灰になって消えてしまえばいい』
そう言って幽生はモクモクと黒煙を昇らせる業火をジッと睨む。すると、その炎を裂いて翠玉色の巨竜が飛び出してくる。全身に火傷を負った始祖竜が鋭牙を露わに凄絶な勢いで翔け、一気に迫ってきた。巨大な黒翼を羽ばたかせて咄嗟に飛び上がった幽生。樹々の枝葉の傘を突き貫け、上空まで翔け昇る。
体を反転させ、真下の神樹の森を俯瞰する。自分を追って森を飛び出し、翔け昇ってくる始祖竜を狙ってマグマ色の黒炎弾を落とす。堅牢な肉体に初めて傷を負わせた炎を、おもわず身を翻して躱すと真下に広がる神樹の森に黒炎弾が墜落。轟音と火柱を昇らせ、森の一部が穴が開いたようにポッカリと消失する。首を振り返らせ、森を俯瞰した始祖竜は、
『しまった、森が……』と、無意識に避けてしまったのを後悔した。
その反応に手応えを感じた幽生。彼の攻撃を躱さずに受け続けていた始祖竜が無意識で攻撃を躱した事実は、黒炎の砲弾で大きなダメージを与えられている確証を表す。
『……躱されるなら、躱させないまでだ』と、冷然と次の行動に移る幽生。目一杯に胸を膨らませて黒炎弾を矢継ぎ早に吐き放つ。幾多の黒炎弾は隕石群の如く森に降り注ぐ。
『貴様の仲間がまだいる森を巻き込むつもりか!? 悪魔に魂を売ったか……!』
頭上に広がる黒炎の弾幕。その奥に滞空する幽生を仰ぎ、荒々しく叫んだ。
『ああ、もう僕は人間じゃない。黒竜だよ』
『貴様は、罪と悪に汚れたその手で大切な者を救うのが正しいと思っているのか? 流れ込んできた記憶の中では、優しき兄として妹を励ましていた。その優しさも捨てたのか?』
そう言って胸を膨らませると雷の光線を放ち、降り注ぐ黒炎弾を次々と撃ち抜いていく。黒炎は爆ぜて爆音を鳴らし、中空で黒い薔薇を思わせる爆炎を咲かす。
『“優しさ”や“正義”だけじゃ大切な人は守れないんだよ!』幽生の叫びが爆音を貫いた。
神樹の森を守るため、降り注ぐ黒炎を必死に迎撃している始祖竜に構わず叫び続ける。
『妹ひとり守れない“優しさ”に何の意味がある! 妹ひとり笑顔にできない“正義”に何の価値があるんだ! ふざけんなっ!』叫ぶと同時に最後の黒炎弾が撃ち抜かれ、中空で爆ぜる。
炎が渦巻く黒煙が二頭の竜を隔たると、透かさず幽生は翼を大きく羽ばたかせて急降下した。そのまま黒煙に飛び込み、突き貫ける。黒煙の覆われていた視界が晴れ、翠玉色の巨体を捉えると黒鋼の鱗を纏う体を一気に加速させる。黒々とした巨翼を羽ばたかせるとまるで空気を蹴るように一瞬で加速し、音速を超えた黒い隕石となって翠玉色の胸に直撃した。
『グヴッ――――ッ!!』鋭牙の隙間から吐血と共に呻きを噴き出す。
翠玉色の堅牢な鱗を砕き、骨身にメリメリと減り込む音が幽生の体に伝わっていく。残像を走らせて神樹の森に墜落し、凄絶な地響きを立てると砂塵と花弁を樹々の上まで高く舞い上げた。その衝撃によって界隈の森を激しい突風が駆け抜ける。
その砂塵の中に悠々と着地した幽生。割れて窪んだ地面に蹲っていた始祖竜は食い縛る鋭牙や口元を血反吐で汚しながら立ち上がる。
『ゴホッ、ゴホッ……ぜぇ……はぁ…………フッ、クハハ』
苦悶の表情を浮かべていた始祖竜は不意に笑いを漏らした。それを見て怪訝な瞳を浮かべる。
『……何が可笑しい?』
『稚拙な理論を掲げて我儘を通そうとしている子供にしか見えないな……ゴホッ』
潰れた花々にベチャベチャと夥しく吐血した。
『僕には、アンタが理想論を語るだけの大人たちと同じに見えます。願いを叶えて幸せを手に入れるためには犠牲が生まれる。それが現実だ。妹を護るために僕が父親を殺したように……』
『それでも理想を掲げなくなれば、それこそ終わりだ。願いや理想を諦めてはいけない。信じていれば必ず実現するのだから』
『諦めなければ必ず……? 僕は、その言葉が大っ嫌いなんだ……大っ嫌いだ』
牙が軋むほどの力を込めて幽生は言う。
『その言葉が仄ちゃんを苦しめてきた。それに、その言葉を信じていた唯ちゃんは、その言葉に裏切られたまま死んだ……』
『……』始祖竜は目を伏せ、血が滴る口を噤んだ。
『何が“諦めなければ願いは必ず叶う”だよ。……まるで、諦めなければ神様が魔法で願いを叶えてくれるみたいな言い方だ。違うだろ! 願いって自分の手で叶えるものだろ? “諦めなければ願いは必ず叶う”その言葉を口にした瞬間、願いを自分で叶えるのを諦めたようなものだ! だから……それを軽々しく口にする奴は、もっと大っ嫌いなんだよ!』
怒りを溜めるように胸を膨らませるとマグマを思わせる黒炎の砲弾を吐き放つ。始祖竜は地面を割って生えてきた幾つもの巨大な樹根を編み、壁を作って炎を防ぐ。しかし、樹根の壁は一瞬で灰燼に帰し、始祖竜は炎に呑み込まれる。
地面を蹴り割って黒い巨翼を羽ばたかせた幽生は黒煙を昇らせる業火の中に透かさず飛び込む。炎に包まれ苦悶していた始祖竜を見つけると、その翠玉色の巨大な背に掴み乗る、すると、黒い胸を膨らませ、ゴツゴツと硬い背に生えている対翼の根元に黒炎弾を零距離で撃ち込んだ。
『――――ッ!』轟々たる爆発の衝撃を浴び、夥しい血を吐いた始祖竜。
自らの炎を全身に浴びながらも無傷な幽生は冷然と言い放つ。
『己の力で願いを実現させることを諦めた奴に、空へ羽ばたく翼は必要ない』
振り落そうと咄嗟に翼を羽ばたかせて飛び上がろうとした始祖竜。しかし、再び黒炎の砲弾を大きな背に撃ち込んだ。その爆発の衝撃に耐え切れずに猛々しい巨足が崩れ、ついに倒れる。
『――グッ!』
メラメラと炎が残る背からは鱗や肉が焦げた臭いが立ち昇る。その始祖竜の片翼に鋭牙を突き立て、燃えている背を足で押さえ付けると一気に首を引き上げる。骨肉が裂ける音を立て、鮮血を噴き出しながら翠玉色の片翼を噛み千切った。
『ウグルゥウアアアアアアアアアア!!』厳かだった始祖竜の声とは思えない悲鳴を上げた。
『まだだ。もう片方も貰う』咥えていた翼を放り捨て、再び顎を開いて鋭牙を露わにする。
残る片翼に鋭牙を突き立てて千切ろうと首を引いた時、樹根を振るって幽生を薙ぎ飛ばした。
花々を散らしながら転がった幽生。黒竜の体を素早く起こすと、その口には千切れた翼を咥えられていた。粗雑に放り捨てた翼を苦痛に歪んだ双眸で追う始祖竜。
『アグッ……ガッ……わ、私の翼を……はぁ……はぁ……はぁ…………フフッ』
両翼を無残に失い、満身創痍でありながら目を瞑ると不意に笑いを漏らした。
『……余命……僅か半年の妹。その病を治すには……大金を数ヶ月で集める必要がある、か』
目を半ば開くと始祖竜は呟くように言った。
『……』じっと身構えたまま厳かな声に意識を向ける幽生。すると、
『とても、実現できる願いでは……無いな。……それなのに君は……一度も諦めなかった。叶えられるはずの無い願いを必死に叶えようとする……その“想い”が私を殺すのか……フフッ』
そう言った始祖竜の声と態度からは敵意と殺意が抜け落ちていた。その大きな瞳は虚ろでありながら、幽かに愉悦を滲ませている。最早、彼から戦意を微塵も感じなくなっていた。
『……ああ、これで終わらせる』死を悟った始祖竜に言い放った幽生。
『フハッ……フハハハハハハッ…………残念だ。皆を……森を……守れなくて、すまない……』
黒竜は胸を膨らませ、肺に溜めた魔力を圧縮させた黒炎を更に圧縮させる。高密度に圧縮された魔力分子は異常振動を起こし、黒竜の口腔からキィィイインと甲高い音を震えさせ始めた。
そして、漆黒の焔の息吹を吐き放つ。真っ黒な焔が濁流の如き勢いで界隈の森を呑み込みながら始祖竜を襲う。巨大な樹々を一瞬で焼失させていく漆黒の焔が翠玉色の鱗を焼き尽くす。
『…………我が子たち、すまない』
その言葉を最後に、始祖竜の骨肉は燃え上がると骨まで灰燼に帰した。
漆黒の焔を吐き終えると、大地を黒く焦がされ更地と化した情景が黒竜の瞳に広がる。風光明媚だった神樹の森の一部がポッカリと跡形も無く消失し、何も残らなかった――。
――いいや、一本だけ残っていた。
始祖竜の灰燼に燦爛と突き立つ“神槍クイーン”だけが無傷で残っていた。




