001
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瞬きをする前まで東京の街にいたはずの幽生は携帯電話を片手に、見知らぬ場所に立っていた。薄暗くだだっ広い扇状の空間には数え切れない座席が並び、コンサートホールや劇場を思わせる。ただひとつ違和感があるのは、ライトに照らされている壇上の中央に鎮座する重々しい巨大な扉だ。前後左右に壁などは無く、独りぼっちに扉だけが立っている。
「なにが、どうなって……」と、幽生は眼鏡の奥で目を泳がせ、好き勝手に伸びた髪をなびかせて体を捻り、辺りを見回す。すると、薄暗闇の中で誰かと目が合った。ホールの中には幽生以外に十二人の男女が淡い灯りに照らされ、皆同様に狼狽している。見ず知らずの他人ということもあって、目を合わせても互いに無意識で視線を逸らしてしまう。しかし、幽生は十二人の中に一人だけ顔見知りを見つけた。
幽生と同じ、肩に校章があしらわれた特徴的な紺色の制服姿の少女。ロシア人の祖母を持つ銀髪碧眼の同級生を見間違えるはずも無く、目鼻立ちの整った顔の彼女も「ぁ……」と淡い桃色の唇をわずかに開き、彼の存在に気付いた。
「たしか、名前は……雨宮ゐるか?」
席が遠く離れていても判るくらい視線を泳がせて戸惑っている雨宮は小さく会釈した。なぜなら数時間前、幽生は偶然ながらも彼女を助ける行為をしていた。
「どうして雨宮さんもここに……?」
小動物を思わせる態度と、前髪で隠した童顔に反して大人びたフェミニンな容姿に好意を持つ男子生徒が後を絶たない。それとは裏腹に幽生は彼女の黒い噂を耳にしたことがあった。
ふと、彼女の手に握られた携帯電話を捉える。携帯電話……? 何かの違和感に目を細めているとしばらく辺りを見回して気付く。幽生を含めた十三人が携帯電話を握っていることに。
“神さま”に願いを聞き届けられた者がここに集められたに違いない。つまり“神さま”は本当にいたのか。でも、肝心の“神さま”はどこにいる? と、ホール内を目で探していると、
――私は“神さま”です。
突然、だだっ広いホールに声が反響した。
「「!?」」全員の挙動がピタリと停止し、巨大な扉が鎮座する檀上に視線が集まる。
厚かましいまでに照らされた檀上の脇からペタン、ペタン、ペタンと、わざとらしい足音が聞こえてきた。すると、壇上の脇から現れた発光する白いナニカを見て幽生は声を漏らす。
「……宇宙、服?」
神々しさを主張する後光を纏う宇宙服姿のナニカは壇上の扉の前で足を止め、客席を向く。
「私は“神さま”です!」と、ヘルメットでくぐもった声で唐突に自己紹介を叫んだ。
“神さま”と名乗った宇宙服は客席に立ち尽くす十三人の人間を見渡しながら言い放つ。
「君たちが何故ここに集められたのかは気付いているはず。そう、何をしてでも叶えたい願いがある人間だけが集められた。願いを叶えたい。その想いを胸に“神さま”である私に縋った君たちに願いを叶えるチャンスを与えよう」
「願いを叶える……チャンス?」幽生は顔を訝しめ、宇宙服を穴のあくほど見る。
普段の彼なら夢のような甘い言葉に耳を傾けるはずがなかった。しかし、東京の110番を占領するだけにおさまらず、テレポーテーションまで体験させられては信じざるを得ない。
「ここに召喚された君たち十三人は、抱えきれない何かしらの“願い”を持っている」
“願い”。その言葉を聞く度に幽生の脳裏にはたったひとりの妹、仄の姿が浮かぶ。
夕焼けに染まった病室。白いベッドの上で青白い肌のか細い体を起こし、無理に作った笑顔を浮かべる十四歳の少女――。
「愛、悲しみ、寂しさ、苦しみ、憎しみ、怒り。それぞれの想いに満ちた、欲深き人間たち。“神さま”である私がどんな願いでも叶えてやろう」
妹を救えない自分の無力さを憎んでいた幽生には、後光を纏う宇宙服が神様に思えた。
そうだ、僕は仄ちゃんを助けたいから電話したんじゃないか。命に換えても守ると誓ったんだ。と、無意識に携帯電話を握る手に力が入る。
「だけど、願いを叶える対価としてお願いがある。願いを叶えてあげるための条件、と言った方が分かりやすいかな?」
願いを叶える対価? 一方的に進む話に幽生は顔を顰めると同時に納得していた。当然である。無償で押し付けられる恩恵ほど怖いものは無く、何か裏があると考えてしまう。しかし、取引と聞き、荒唐無稽な“神さま”の話に信憑性を感じていた。それと同時に大きな不安にも襲われ、ゴクリと生唾を飲み込む嫌な音を鳴らす。
“願い”に対する“お願い”には、どれ程の対価が必要だ? 例えば……命。僕が死ぬだけで仄ちゃんを救えるならまだ安い。だけど、それ以上の何かを求められたら僕に払えるのか?
幽生が気を焦らせていると“神さま”の言葉に対し、三十代と思われる黒い背広姿の男が恐る恐る手を上げ、
「その条件とは……何ですか? やはり、命とか……ですか?」と、十三人全員の脳裏に過っていた不安を代弁した。幽生は不安と希望が交錯する表情を浮かべ、食い付くように“神さま”の返事を待つ。しかし、
「自惚れるなよ、人間。君たちの命にそれほどの価値があるとでも? 生ゴミを渡されても困る」と、切り捨てられた。
「私が提示するのは、たったひとつの明快な条件だ」
命を生ゴミ扱いするような対価。願いを叶える為には、一体どれほどの犠牲を払わなくてはいけないのか、と幽生たちは“神さま”の言葉に胸中で身構える。宇宙服姿の“神さま”が提示する条件は、この世界の常識を超え、常軌を逸していた。
「君たちにはこの世界とは別の世界、異世界に行ってもらう。そして、竜から一本の“槍”を取り返し、生きてそれを持ち帰ること。それが願いを叶える、たったひとつの条件だ」
「…………え? 異世界? 竜? ……何を言って」幽生は思わず声に出してしまった。
きょとん、とせざるを得ない突拍子もない条件に、緊張していた全身の筋肉が弛緩する。
緊張が解けると同時に、ヘルメットのバイザーシールドの奥からは冗談を言っている様子を感じなかった。しかし、“神さま”のお願いは命を賭するよりも不可能な条件だった。
無理難題を提示し、からかっている可能性があると思った幽生は半信半疑の質問をする。
「本当にそれが願いを叶えるための条件だとして……その竜が僕のイメージしている竜だとしたら、ただの人間が素手で戦って勝てるとは思えないんですが?」
すると突然、宇宙服がグニャリと粘土のように姿形を歪ませ、色形が止め処なく変化してランドセルを背負うツインテールの幼女に姿を変えた。
「良い質問だね、流血眼鏡のお兄さん♪」
と、後光を纏う幼女は愛らしい声で何事も無かったように言った。
「……」幽生は目を疑い、言葉を失った。
早着替えや手品の次元とは異なる芸当。彼の脳裏に浮かんだ言葉は“魔法”の二文字である。
「この通り、わたしは魔法が使えるの♪ お兄さんお姉さん達にはわたしの魔法の力で竜と戦える力を与えてあげる♪ だから心配は無用だよ♪」
「それはつまり……僕たちも魔法が使えるようになる、とかですか?」
再び姿形を歪ませ、黒髭を垂らす海賊を思わせる巨漢に変身した“神さま”は、
「いいや、違う。毒を以て毒を制す、という言葉があるように竜には竜の力を以て制す。その為にお前たちには竜の力を与えてやろう」と、野太い声を反響させた。
「竜の力……?」幽生は眉を寄せ、その言葉を反芻する。
「自由に竜へ変身できる力だ。空を翔け、炎を吐き、目の前の敵を焼き尽くす|力を与えてやる」
腰から銀刃のサーベルを引き抜いて突き上げると、剣先が後光を反射させて煌々と輝く。
「その力を暴れさせ、竜の心臓に刺さっている一本の“槍”を取り返し、持ち帰ってみせろ。さすれば、どんな願いも俺が叶えてやる」
黒髭の海賊の姿がぐにゃりと歪み、真っ白な宇宙服に姿を戻すと“神さま”は言葉を続ける。
「ゲームみたいに考えてくれてもいい。竜の力を手に入れたプレイヤー達が巨大で強大な敵を倒すゲーム。倒せば希少なアイテムが手に入るボス攻略だ。簡単な話だろ?」
竜に変身して目的の竜を倒せば願いが叶う。単純明快な条件だが、幽生は現実味のない“神さま”の言葉が荒唐無稽に思えてしまった。しかし、“神さま”には願いを現実に変える魔法の力があることをまざまざと見せつけられた事実が彼らの怪訝な表情を徐々に晴らしていく。
「どんな願いでも叶えると言いましたけれど、不可能は本当に無いのですか?」
不意に鈴を転がすような女の声が幽生の側を通り抜けた。彼は首を振り返らせると、伊達眼鏡と黒いジャージ姿の若女に目を向ける。“神さま”を含めた皆の視線が彼女に集まる。
「……え」と、その女の顔を見た幽生は目を剥いて驚いた。
「過去を書き換えたり、人間の記憶を書き換えたり出来るのでしたら……私は何でも致します」
やはりこの声は間違いない。僕は彼女を知っている。と、幽生は彼女の正体に気付いた。
樫之幽花。絶大な人気を誇る、十一人のアイドルグループ『ラプラス』のメンバー。中でも圧倒的人気を集め、グループのセンターに立ち、弱冠二十歳にしてアイドルの頂きに立つトップアイドルの樫之幽花、本人だ。艶っぽい漆色の長い髪、人間離れした霊妙で端麗な顔立ちと蠱惑な瞳は老若男女多くのファンを虜にしてきた。アイドルとしての活躍は華々しい。しかし、ある日を境にアイドルの世界から姿を消した。
どうして、あの樫之幽花がこんなところに……。と、幽生は彼女のアイドルらしからぬ姿に目を奪われていると、
「生意気な女の子だぞ、プンプン☆」
“神さま”はいつの間にかバニーガールに変身して、わざとらしく頬を膨らませていた。
「プンプンは止めて頂けます? 殴りたくなってしまいますので。それで、どうなんでしょうか?」と、樫之は伊達眼鏡の奥から冷ややかに睨む。
「過去を書き換えることも、記憶を書き換えることもできます☆ お望みならタイムワープさせることもできますよ☆ これではご不満かしら?」
その答えを聞いた樫之は「いいえ、十分です。……ありがとうございます、“神さま”」と、表情を変えず冷淡に言った。しかし、幽生には彼女がどことなく嬉々としているように見えた。
三度“神さま”はバニーガールの姿を歪ませて宇宙服姿に変身する。
「それじゃあ質問は以上かな? それじゃあ、戦う覚悟ができた人間から壇上に上がって扉の前に立て。願いを叶えるチャンスを与えよう」
「ぁ、あの…………」と、どこからか少女の儚い声が聞こえてきた。
「はい、そこの可愛い女の子」と、“神さま”が白いグローブで指差す先に雨宮ゐるかがいた。
一斉に集まった視線に脅え、胸に手を当てる彼女は目を泳がせ、逡巡しながらも口を開く。
「そ、その……竜は……私たちを、襲って来るんですか?」
“神さま”は再び変身すると、毒々しい色のドレスを纏い、鍔広のとんがり帽子を被った妖艶な魔女に姿を変える。身の丈ほどの杖を立てて檀上から雨宮を見下ろす。
「もちろん抵抗してくるだろう。強大な竜であろうと殺されるのは怖いに決まっているわ。だから、命を狙ってくる奴は容赦なく殺すはずよ」
「……ころ、す?」雨宮の声は語尾が殆ど消えていた。
「ゲームみたいなものとは言ったけれど、殺されれば当然死ぬわ。貴方たちが行く世界は異世界だけれど、そこは現実よ」
魔女の姿をした“神さま”は妖しく微笑む。
「危険を冒さずに奇跡が起こるとでも? ウフフッ……可笑しな人間ね」
口に手を当てて妖艶に笑う“神さま”の言葉に雨宮は俯き、白銀の髪が顔を隠す。彼女の様子を遠目に窺っていた幽生も、どこか“神さま”に期待していた自分を憎んだ。
「舞台の観客みたいに眺めているだけで何かを変えられると勘違いしていたの? 人生は物語よ。物語を動かすのは観客ではなく役者。……でも、安心しなさい。人生という舞台に演技力は必要ないわ。貴方たちの、ありったけの“想い”を叩き付ければいいの。だから、物語を、運命を変えたければ壇上に登りなさい。この扉が異世界に繋がる扉よ。夢の世界へ飛び込み、運命を変えてみなさい」
運命を……変える? と、幽生はその言葉を反芻させる。
「願いを叶え、運命を変え、私とハッピーエンドを迎えましょう? ……それとも貴方たちは傷ついたり、死んだりするのが怖いのかしら?」
幽生は“神さま”の挑発に乗るつもりは無かった。しかし、彼は迷わず手を上げ、魔女の双眸を見つめて覚悟を口にする。
「……やります。今の僕には死ぬことよりも怖いことがあるから。だから、願いが叶うなら竜でも何でも殺します。仄ちゃんを救えるなら……やります」
「フフッ。いいわ。覚悟ができた人間から登って来なさい」
微塵の迷いも無い瞳を浮かべる幽生は席を抜け、緩やかな段の通路を降り切ると舞台に架かる短い階段をカツカツと登っていく。すると、樫之幽花もカチャリという小さな音を立てて伊達眼鏡を外し、ジャージに仕舞い込むと声を上げる。
「私もやらせて頂きます。その為に電話を掛けたのですから」
そう言って彼女も席を離れ、舞台に上がっていく。
さらに、黒い背広姿の男も手を上げ、魔女の姿をした“神さま”を見据えて言う。
「私も、戦います。……家族を取り戻せるなら」
ネクタイを緩めて深い溜息を吐くと、二人の後を追うように席を抜け、通路を降りていく。彼らに続いて他の皆もそれぞれの覚悟を顔に滴らせ、舞台へ足を動かす。
そうして彼らは願いを胸に壇上の扉の前に立つ。最後まで席に残ったひとりの少女を除いて。
「貴方が最後よ? 願いを叶えたくはないの? それとも諦める?」と、“神さま”は問う。
幽生は薄暗闇に満ちた観客席に目を向け、俯き立ち尽くす雨宮ゐるかを見遣る。白銀の髪に隠れた彼女の表情を窺うことはできない。すると、
「……ます…………行き、ます」
吹けば消えてしまう声で雨宮は覚悟を口にした。今にも泣き叫びそうな顔を上げ、
「私を……連れて行ってください。一秒でも、あんな世界にいたくない。だから……」
俯いたまま席を抜けて通路を降りていく。そして舞台へ登ると幽生の側で足を止めた。ふと、彼女の足が震えていることに幽生だけは気付いた。
「これで決まりね」そう言って魔女から宇宙服へ姿を戻した。
“神さま”は檀上から飛び降り、ぺったん、と気の抜ける音を鳴らす。最前列の席にボフッ、と腰を掛ける。まるで舞台を見に来た観客のように。
「竜の力は電話で繋がった時、すでに譲与してある。胸元に刻まれた竜の紋章が、その証だ」
幽生は制服のネクタイを緩めてワイシャツの中を覗くと胸元に黒い竜の紋章が浮かんでいた。
「ルールは簡単明瞭。竜の力を使い、神樹の森を守護する始祖竜を皆で倒し、その心臓に刺さっている“槍”を生きて持ち帰った者の願いを叶えてやる。ありったけの想いと欲望を力に変えてハッピーエンドを手に入れてみせろ、人間共」
ゴゴゴ、と重々しい音を立てて観音開きの巨大な扉が開いていく。
ふと、幽生は病室のベッドで自分を待っている妹の姿を思い浮かべた。
仄ちゃん……ごめんね。お兄ちゃんは少し出かけてくるよ……。と、妹に謝りながら紋章が浮かんでいる胸を制服の上からギュッと皺くちゃに握る。
「諦めなければ願いは必ず叶う」と、“神さま”はヘルメットの中で声をくぐもらせて言った。
幽生はその言葉に不愉快を覚え、苦々しい顔を幽かに浮かべてしまう。
……“神さま”の嘘吐き。僕はその言葉が大嫌いだ。それなのに、大嫌いな言葉を平気で口にする“神さま”に縋らないと仄ちゃんを助けられない自分が情けない。何が、諦めなければ願いは必ず叶う、だ。そんな言葉で願いが叶うなら、どうして仄ちゃんは苦しみ続けているんだ。どうして仄ちゃんが生きることを諦めなくちゃいけない。……ふざけるな……ふざけるな。そんなの嘘だ。全部嘘だ。嘘ばっかりだ。だから……仄ちゃんの願いは僕が必ず叶えてみせる。
と、幽生は奥歯を噛み締め、悔しさと覚悟が渦巻く双眸で、開かれた扉の奥を見据える。
「異世界への扉は開かれた。さあ、夢の世界へ飛び込もう」
“神さま”の言葉を合図に十三人の人間たちはそれぞれの願いを胸に、光を通さない暗黒が蠢く扉の奥へ踏み出す――。




