018
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『ぐあぁぁああぃあぅああああああぃああああごぉぉぁあああああアアア!!』
森に墜落し花々の上を悶え転がる黒竜。全身を襲う夥しい激痛を獣染みた悲鳴が物語る。眼球が沸騰する激痛に悶え、全身の血液に己の肉を煮られているような凄絶な痛み。視界は濃霧に覆われたように白く霞んでいる。
もう幾重にも意識が飛んでいるが、その度に酷い激痛に襲われて意識を取り戻す。地獄だ。
『どぅぐるるるぁあああああぁあぁぃぁあぁぁぁぁあああぁぁぁぁがぁあっ!!』
口や全身の至るところから血を噴き出して黒竜の体を暴れさせていると、
『まだ生きているとは……我ながら竜の体は頑丈だな』と、明滅する意識の中、悠々とした厳かな声が聞こえてきた。頭の傍に始祖竜の重い巨体が着地し、小さな地鳴を震わせる。
『び、びえない……いだぃ……くぞっ! だだだ、まだ、だっ……!』
最早、痺れた舌が回っていない。幽生の惨めな姿に憐れみを浮かべた双眸を落とす。
『……諦めろ。初めから貴様たちは騙されていたんだ。神を|騙る悪魔に騙されていたんだ』
『あ、あぐ……あぎら、めぉ? …………ぐふ、ぐふふはぁっ。……まだ、ぼくは戦えぅぞ』
と、何故か唐突に笑いを漏らした。何が可笑しかったのかは幽生自身も分からない。
『失明でもしたか……。今の己の姿すら見えていないらしいな。不憫な人間、いや黒竜だ』
彼を俯瞰する瞳に含有されている憐みがより濃厚になった。最早、幽生よりも惨めな幽生を見ている始祖竜のほうが辛そうである。
『く、そっ……なんぇ……なん、で……起き上がぇないんだよ!!』
蹲ってそう叫ぶと鉤爪で地面を抉り、花々を握り潰す。
『安心しろ。すぐ楽にしてやる。だから……全ての苦痛から解放されてくれ』
見るに耐えなくなり、彼の頭蓋を潰そうと巨大な足を落とした。グググ、と何トンもの体重を加えた踏力を落とされ頭蓋骨が軋む。ミシミシという頭蓋の悲鳴が幽生の全身に伝わる。
『そしてどうか、生まれ変わった世界では幸せになってくれ』
さらに踏力が加わると、地鳴と共に地面が割れて蜘蛛の巣のように罅が走った。頭が押し潰されていくと、意識までも押し潰されていく。次第に意識が遠退き、白く霞んで何も見えない視界が暗澹と陰り始めた。
ああ、これは死の影か……。と、幽生に死の影が迫ったその時、
“お兄ちゃん”
突然、何処からともなく声が聞こえてきた。
“お兄ちゃん!”
また聞こえてきた。
仄ちゃん……? 仄ちゃんが僕を呼んでる…………ごめんね。
“お兄ちゃん?”
……そうだ。僕は何をしているんだ? 仄ちゃんを助けるんだろ?
妹の幻聴を聞き、遠退いていた意識が一気に引き戻された。そして幽生の“想い”が胸の内に湧き上がっていく。
仄ちゃんは僕の大切な妹だ。そして、妹を薄汚れた不条理な世界から守るのがお兄ちゃんだ。だから僕は、仄ちゃんを殴っていた父親を殺した。
最愛の妹。世界で一番可愛い妹。僕だけの妹。純真無垢な美しい妹。それが仄ちゃんだ。妹の幸せのためなら全身が血に汚れても笑っていられる。それだから、僕が罰を受けるのは構わない。だけど、死ぬべき僕が生きて、罪の無い仄ちゃんが生きられない世界が許せない……。
お兄ちゃんが生きている限り、妹が理不尽に殺されることを許さない。誰であろうと許さない……。神であろうと、竜であろうと、僕がそいつを殺す。
“お兄ちゃん”その声が聞こえてくる限り、僕は無敵だ。だから、仄ちゃん……もう少しだけ待っていて? ……もうすぐ帰るから。
『っざけんな……』
始祖竜の足下で幽生は地面に頬擦りをしたまま顎を僅かに動かして言い放った。すると、白く霞んで失われていた視界が晴れ、双眸に光を取り戻す。
四肢を奮い立たせて体を起こすと、長い首にありったけの力を込める。そして、地面を割るほどの踏力を首の膂力だけで押し上げ始めた。頭蓋の次は頸骨を軋ませ、首の筋肉繊維がプチプチと切れていく。
『なっ――!』どこからそんな力が! と言いたげに始祖竜は目を見開いた。
ついには首の膂力だけで何トンもの踏力が乗せられていた巨大な足を弾き上げる。幽生は透かさず顔を起こし、大きく息を吸い込んで肺を膨らませると炎弾を零距離で翠玉色の胸部に撃ち込む。爆発の反動で吹き飛ばされた幽生は後ろに転げた。
『ぐっ……』その時、爆炎の中から幽かな呻き声が聞こえてきた。
ザッ、と地面を擦る音を立てて始祖竜は初めて足を後退る。転げ倒れていた幽生は、最早炭と化している肢体に力を込め、花々を踏み潰すとゆらゆら起き上がる。
『……何なんだ……一体。その体で……どうして動ける』と、信じられないとばかりに厳かな声を引き攣らせた。始祖竜を仰天させた幽生は俯いたまま突如奇声を上げる。
『ざけんな!! ふっざけんなっ!! はぁ……はぁ……はぁ……始祖竜だか何だか知らねえけど、テメェに仄ちゃんの可憐さが解るか!! いいや、解ってたまるかぁぁああああああああ!!』
ありったけの咆哮を轟かせ、その衝撃波によって辺りの花が舞い散った。その“想い”を込めた咆哮に励起し、全身に負っていた凄絶で夥しい傷や火傷、さらには炭化した肉体までもが再生し、あっという間に治癒する。
『どうなっているんだ……。この夥しい魔力はどこから…………』始祖竜は呆然と立ち尽くす。
すると、自己再起した黒竜の肉体がさらに変異していく――。
×××
洞窟の最奥で開かれた扉に飛び込む直前、“神さま”は幽生たちに言う。
「君たちには始祖竜を倒せるだけの力があるんだよ? 各々の竜の体躯や姿形が多少異なるだけで、ほぼ同じ魔力を有している。ただ、その力は君たちの“想い”が大きく影響する」
「進化とか、レベルアップでもするってことですか?」と、幽生はゲームに例えて言った。
「そういうことだ。炎を吐くための魔力、飛行速度や反射神経を含めた膂力、傷を再生させる治癒能力などは“想い”が強まると限界を超える。つまり、始祖竜の力を上回る強い“想い”を持つ者なら始祖竜を倒せるわけだ」
始祖竜の圧倒的な力を見せつけられ、彼らの胸の隅に不安が積もっていた。希望と可能性を乗せた“神さま”の言葉がその積もっていた不安を少しばかり吹き飛ばす。
幽かに緊張が解れた人間たちを見遣り、ヘルメットの中で聞こえないように呟く。
「まあ、大抵は進化する前に殺されるのが落ちだけどな。ハハハ」と、“神さま”は嘲笑った。




