014
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「竜神さま!?」エルフの女は母樹の方を慌てて振り返った。
「姉さん、黒竜が来たみたいだ。でも、どこから……。まさか、この霧が」
そう言ったエルフの青年が異変に気付いた時には、すでに濃霧で視界が遮られていた。分散される前に危険を感じ、エルフの姉弟を含む四人が咄嗟の判断で寄り合って奇襲に備える。
「姉さん、この霧は奴らの魔法みたいだ。どうするの?」
「落ち着きなさい、リン。私たちの役目は竜神さまを御守りすることよ。もし、竜神さまの身に何かがあったら、この森は――」
――ザッ。と地面を擦る足音が濃霧の奥から聞こえてくるとエルフ達は透かさず振り返る。すると、霧を割って現れたのは一人の人間。エルフにとっては見慣れない紺の制服を纏い、好き放題に伸びた髪を垂らす青年が足を止める。
「……人間? 竜神さまが言うように、本当に黒竜……なの?」エルフの女は小首を傾げた。
「いや、あの人間の中から人間じゃないナニカを感じるよ、姉さん……」
エルフの姉弟に加えて二人のエルフと対峙する遊佐幽生は悠々と開口する。
「貴方たちに怨みは無いけれど、僕の邪魔をするなら――」
――殺シマス。
肉体を隆起させて制服が弾けると幽生はエルフ達を俯瞰する巨大な黒竜に変貌する。汚れを忌むするエルフにとっては黒竜から流れ出る魔力が忌々しく、彼らは顔を顰める。
「リン、油断するんじゃないわよ」
「分かってる。僕だって神樹の守り人に選ばれた一人だ。それに……僕にはこの御守りがある」
リンと呼ばれているエルフの青年は首に掛けている花のペンダントをギュッと握った。
「そうだったわね」と、姉であるエルフの女は仄かに一笑する。
一頭の黒竜と対峙する四人のエルフ。
「竜神さまを御守りするため。そして、仇を討つため。婚約者とそのお腹にいた子供を殺されたクリスさんのためにも……」
エルフの女は透き通るように美しい緑眼を睨ませると、
「行くわよ!」
彼女の声を合図にエルフ達は風のように駆け出し、黒竜と化した幽生に襲い掛かる。
願いと命を賭した、最後の戦いが始まった――。
×××
――一年前。桜が舞う通学路で眼鏡を掛けた幽生の右隣を歩くのは、まだ着馴れていない制服姿の妹。皺ひとつ無い鞄を手に、今日から晴れて中学生の仄はご機嫌に鼻歌を歌っている。“ラプラス”の新曲だ。
ふと、仄の空いている左手に視線を落とし、少し前まではずっとその手を繋いでいたのを思い出す。幽生の視線に気付いた妹は「どうかした?」と可愛く首を傾げた。
「薬は持った? 何かあったら僕に連絡するんだよ?」と、誤魔化すように言った。
「分かってますぅ。お兄ちゃんは心配し過ぎ。あと、くっ付かれると歩き難いから離れて」
そう言って仄はサッと半々歩だけ右に離れて歩く。
……これで離れたつもりなのかな? と、幽生は微笑む。体を傾ければ触れてしまう距離で十分離れたと思っている仄の愛おしい価値観に兄の心は擽られた。
「小学生の時は、お兄ちゃんのお嫁さんになる、って言ってくれたのになあ……」
「馬鹿! こんな所で言わないで! 思い出すだけでも恥ずかしいんだから!」
「ほっぺにキスしてくれた――」
「それ以上口にしたら、ぶっ殺す」と幽生の右頬に繊細な人差し指を突き立て、睨み上げた。
耳まで紅潮させて脅迫されても胸がキュンキュンするだけであった。
「結婚したら、またキスしてくれる約束だってしたのに……」
「死ね」恥じらいを含有した声音で兄を罵る。
「ごめん、ごめん」嬉々として謝った幽生。
「記憶から消してくれたら許してあげる」
「それは……できないな。仄ちゃんは僕が守るって約束もしたからさ」
「・……意味わかんない。もう、好きにすれば。馬鹿」
ドン、と幽生に華奢な肩を軽くぶつけて外方を向く。肩を当てたことで仄との距離は離れる前よりも、ずっと側に近くなっていると幽生は気付いた。歩いているだけで手が微かに触れる。
「僕も同じ学校に通えたらよかったのに……」わざとらしく嘆息を漏らす。
「お兄ちゃんは少し前に卒業したでしょ。それに、私なら大丈夫だよ」
「僕のせいで虐められたりして……。ああぁ、やっぱり心配だ」
四年前、小学六年生だった幽生は父親を殺していた。殺人犯の名札を付けて中学校に入学すると、あからさまな虐めを受け、友達のひとりも出来ないまま高等学校に進学した。仄にも火の粉が飛ぶのを恐れ、幽生は顔を顰める。
しかし、妹は当たり前のように、
「お兄ちゃんは何も悪いことしてないでしょ? だって、私を守ってくれたヒーローだもん」
と、笑顔を浮かべて言った。
「……え……ぁ、うん」向けられた愛くるしい笑みに見惚れ、言葉を見失った。
しばらく歩いていると中学校の門の前で足を止める。早めに登校したせいか生徒は疎らだ。
「お兄ちゃんも早く行かないと遅刻しちゃうよ」
「僕なら大丈夫だよ」
自分の隣を離れて行く妹を目で追う。校門を一歩潜った所で仄はくるりと振り返ると、
「言い忘れてたけど…………私、今でもお兄ちゃんのお嫁さんになりたいって思ってるよ」
恥じらう様子も見せず、顔を仄かに綻ばせて言った。
「それは……キスしてくれる、って約束も有効なのかな?」
「妹に何を聞いてるのよ、フフッ。お兄ちゃんの、ばーか」そう言い残して背を向けると歩き去って行く。校舎の中に仄の背が見えなくなるまで見送ると、幽生は自分の学校に足を進める。
前髪を垂らし、道に落ちている桜の花弁に目を落とすと、
「……やっぱり可愛いな」と呟いて口元を一笑させた。
仄が授業中に倒れ、入院することになったのはその数日後だった。
入院してから一年後に幽生は妹の余命を知らされた――。




