05.真冬の雨
気付けば真冬の空は泣きだしていた。
要塞都市ソサエティは、空を正体不明のバリアが覆っている。
だが雲や星空を作ることが可能であり、驚くことに雨や雪までも再現出来た。
これは都市への雨水の供給と、市民が天候の概念を忘れないようにという目的があるらしい。
ルールに則った毎日というのは有難かったが、今雨に打たれるのは辛かった。
「クソクソ! 一体どうなってやがる!?」
悪態をつきながら、濡れる体に鞭打って歩き続ける。
体にまとわりつく冷気よりも、さきほどの出来事の方がより問題だった。
「何で!? どうして母さんはあんなことを!?」
母はまるで他人のように仁を拒絶した。
外泊を怒っているという態度ではなく、芯からお前は余所者だと示し、とても演技には見えなかった。
この異常事態の心当たりがあるとすれば、それは天使に他ならないと思い至る。
「ちょっと待て! まさか!?」
悪い予感が頭を過ぎり、IDカードを持って近くの駅へと飛び込んだ。
都市の発行するIDには職業などのプロフィールが記憶され、電車やバスを学生料金で乗る際に使用できる。
おそるおそる券売機にカードを投入すると、ピーッと鳴って吐き出された。
こちらのIDは使用できません、とパネルに表示された。
「……ははは」
乾いた笑いが漏れた。
つまりこれは、自分の存在は抹消されたということか? ならもう笑うしかない。
呆然とした表情のまま、駅の構内から出ていく。
そこで見知った顔に出会った。
「だから言ったのです。あなたはまだ外に出るべきではないと」
目の前に現れたのは、身を挺して庇った銀髪の少女だった。
彼女は傘を差し、もう片方の手にも傘を携えていた。自分を迎えに来たのだろうか?
「これは、お前らの仕業か?」
「はい。あなたの存在はこの世から消え去りました。我々の手によって」
死刑宣告を告げるように、パメラは無感情のまま言う。
「あなたの戸籍から在学情報、都市の市民情報に至るまでを消去しました。あなたの身の回りの人間からも、あなたとの関係性を取り除きました」
つまり記憶操作を行ったという事だ。以前見せられた力を考えれば、不思議ではない。
「それは、一体何の為に?」
「ルールだからです」
「また、それかよ」
聞き飽きたセリフに思わず笑ってしまった。
目の前の女はルールだからと言って、紅山仁の生きた証を、何の断りもなくゴミ箱へ捨て去ったらしい。
「大人しく一緒に来てもらえると助かるが、抵抗するならば実力行使になるぞ」
突如聞き覚えのある女の声が聞こえた。
その方向を見ると、記憶にあるシルエットを象った少女が立っていた。
「お前は……ザフキエルっていうエセ天使か?」
「エセではなく本物だ。本来はあの面接で最後のはずだった。しかし君があまりに手際よく脱走を図るものだから、思わず見届けたくなってね」
「……俺の行動に気づいてたのか」
どうやら脱出計画はバレていたらしい。
しかしカメラも盗聴器も警戒していたため、どうにも腑に落ちない。
そんな仁の心境を悟ったのか、ショートヘアーの管理職は微笑した。
「触れた者の視界を左眼に映す力が私にはあってね。寄生視と言う」
「視覚情報を盗む? ということは俺の目を?」
仁の問にザフキエルは頷いて見せた。
それなら逃げるなど始めから不可能だったと言える。
準備から逃げ出すに至るまで、彼の視界を通じて把握していた。
ようは掌の上で踊らされていたのだ。
「だがもう監視する必要もないだろう。君も逃げないだろうしね」
彼女の言葉にがっくりとうな垂れると、体に赤い斑点が浮かんでいるのに気づく。
それは以前見たことがある、狙撃手が狙いを付けるための印だった。
「帰らなかったら、俺はどうなるんだ?」
「聞かなくても分かるでしょう?」
パメラの言葉を聞き、選択権などないことを知った。
絶望的な状況に首を振り、しばらくして小さく頷いた。
「分かったよ。帰れば良いんだろう?」
トボトボと死人のような顔で、暗くなった街中を歩き始める。
傘は受け取らなかった。施しは受けたくなかったから。
そんな仁にパメラは何も言わず、黙って後ろを歩き出した。
ただの寄り道がすべてを狂わせた。
どうやら何もかもを失ってしまったらしい。
白い息を吐きながら、ふと人工的な冬の空を見上げる。
仁はこの規則正しい空模様を、ただ睨むことしか出来なかった。