エピローグ
真冬の十二月。
要塞都市ソサエティに、本物の雪がちらつきだした頃合い。
テロだの何だのと人騒がせな事件が起こったが、市民達の関心は他所にあった。
彼らはみな久方ぶりに見られた雪原風景――そして冬の夜空に息をのむ。
都市を覆う壁と結界が現れる前、ここは霊験あらたかな土地として有名だった。
天使が根を下ろしたことで人間はすっかり忘れていたが、ようやく思い出したのだ。
鳥籠の中で不自由なく暮らしていた彼らは、家族や友人、あるいは恋人と寒空の下へと出かけた。
めいっぱいに服を着こみ、夜空の輝きに真っ白な息を零す。
それは誰にとっても、特別な時間であるに違いない。
「……寒くなってきましたね」
パメラは窓辺からぼんやりと、星空の輝きに目を向ける。
黒のジャケットにジーンズという出で立ちで、彼女は暖を取っていた。
傍らには義理の母たるザフキエル、ゴスロリ服姿のピコの姿がある。
「そりゃあクリスマスなんだから寒いだろう。結界がなくなったせいで雪が積もり、電車のダイヤに遅れが出て、多くのリーマンが苦しみを味わう季節となった」
「いやもう少しプラスに考えましょうよ。他にもあるでしょう?」
この空が見たくてたまらなかったパメラは、否定的なザフキエルに苦言する。
しかし彼女は引く素振りもなく、隣にいるピコも大いに賛同を示した。
「路面が凍結して交通事故が増えるわ。静電気もバチバチで最悪よ」
「ピコの言う通りだ。雪は降るし、寒いし、何も良いことがない」
「ええ!? どうしてそんなに冬を嫌うんです?」
「子供は風の子と言って雪遊びが好きでしょう? 逆に大人になるとウザくてしょうがない。つまりパメラ……アンタはガキなのよ」
「え、そんな……子供っぽいでしょうか?」
幼いと言われてしゅんと肩を落とすと、義理の母が励ましの言葉を述べた。
「成長するのだ、我が娘よ。私なんてさっき外で、子供に雪玉をぶつけられても冷静だった。無論、三倍近い大玉で大人の恐ろしさを教えてやった」
「言いにくいですが、向こうには仲間だと思われていますよ。きっと」
伝説的な諜報員の器量の小ささに、娘であるパメラはため息をついた。
どうやら彼女達とこのテーマで話すべきではないらしい。
例えば冬とか、夜空とか、そういう例の暗殺者を想起させるワードはダメなのだ。
「ああ寒い。さっさと湯につかって、コタツにでも入ろう」
そんな事を呟き始めたので、定時報告を兼ねた集まりは解散となる。
パメラも流れに従い、自室へ戻る運びとなった。
****
シリウスの狙撃から始まった一連の出来事は、すでに完全な決着を見せていた。
秘密情報部は多くの地上要員を失い、幹部ラグエルまでも喪失した。
事態を重く見た上層部はパメラの処分を破棄し、これまで通り部員として扱うことを認めたのである。
ザフキエルやピコが喜んでくれた一方、当人の心情は複雑だった。
「さて、行くとしましょうか」
パメラは自室で何やら着替えを済ませ、冷え切った寒空の下へと出か始めた。
いつもの風体とは違い、マフラーやスカートが見える何とも女の子らしい格好である。
正面玄関へ向かおうとすると、廊下でピコと顔を合わせた。
「何よその恰好? 随分とおめかししてるじゃない」
普段の真っ黒なコートとは違う、ふわっとした服装にピコは目を瞠る。
ファーのついたベージュのアウターに、ブーツまで履いている。
戦闘力重視の衣服ではないと一目でわかった。
不味い所を見られたと焦るが、パメラは頬を染めながら答えた。
「仁くんに、以前買っていただいた服なんです」
「はーん……なるほどね」
聞いた途端、ピコはすこぶる意地悪そうな顔になった。
「王子様のプレゼントを着てお出かけですか。良いわねえ、お熱いわよ」
「……さっきあれだけ寒がってたのに」
やっぱり教えるべきではなかったかもしれない、と苦笑いを浮かべる。
ピコはわざとらしく顔を手で煽ぎ、ニヤニヤ顔を隠そうともしない。
「どこ行ってもアンタの勝手だけど、ちゃんと帰ってきなさいよ」
「まだ子ども扱いですか?」
揶揄う発言に未だ慣れないのか、パメラはむっと口を尖らせる。
流石に諜報員としてプライドあるため、軽んじられるのは本望ではない。
するとピコは肩を竦め、仏頂面で言い返した。
「違うわ。アンタの家はここなんだから、余計な寄り道はするなって言ってるの」
「――ッ」
何だか保護者みたいなセリフであるが、パメラは言葉を詰まらせてしまった。
言った本人も極まりが悪いのか、すぐに背を向けてしまう。
「せいぜい今度は余計な噂にならないよう、気をつけることね」
余裕ぶって部屋へ戻るピコだが、耳は真っ赤になっていた。
そんなちょっとした言葉を掛けて貰えるのが、こんなに嬉しいとは知らなかった。
振り返らない後ろ姿に向かって、うわずった声で返す。
「……いってきます」
聞こえてるかどうか不安になるぐらい、小さな声しか出なかった。
しかも今顔を見られるわけにはいかないため、さっさとその場から逃げ去ることにする。
「…………いってらっしゃい」
だが心配を他所に、呟くような見送りの言葉が背に届いた。
****
冬の夜空にはたくさんの星々が輝き、いずれにも逸話が籠められている。
パメラは狩人オリオンと女神アルテミスの伝説が好きだった。
死別したオリオンを大神ゼウスは星として祀り、アルテミスが彼に会うために空を駆ける。
夜空で月がオリオン座を通ることに端を発する、ロマンチックな話だった。
「アルテミスが……羨ましいな」
いつぞやの国立公園に辿り着いたパメラは、白い吐息とともに呟く。
あれから仁はパメラの前から姿を消した。
別に逃げ出したのではなく、今までの日常へと帰っていったというのが正しいだろう。
天使や悪魔と関わった時間を忘却し、一人待つ母の下へと戻ったのだ。
それは悲しむどころか、パメラにとっても彼にとっても最高の結末のはずだった。
仁は初めから元の生活を望んでいたし、彼女だって出来るなら叶えたかった。
でもいざ彼が消えてみると、パメラの胸中にはぽっかりと穴が空いてしまったのだ。
「こんなにも……きれいな夜空なのに……」
彼が見せてくれた光景なのに、どうして寂寥が湧いてくるのだろう。
本当は、今すぐにでも会いたかった。
月の女神アルテミスのように、彼の下へ向かいたかった。
でも天使である彼女には、そんな掟破りは許されない。
形式上、咎人として処分された仁に会いに行くのは、ルール違反となるからだ。
だからパメラには、彼がプレゼントしてくれた夜空を見ることしか出来ない。
「……あなたは今、何を見ていますか?」
顔の見えない恋人へと思いを馳せ、今どんな顔をしているのか考えた。
笑っているのだろうか、泣いているのだろうか。
飄々とした彼の面影はやはり想像がつかない。
宝石のように美しいこの夜空を見て、彼は一体何を想うのだろうか?
「あの、ちょっと良いですか?」
ふと聞いた覚えのある声が耳に届く。
彼女はゆっくりと、夢見心地で振り返った。
「すいません……あなたがパメラさんですか?」
視線の先には、目つきの悪い少年が立っていた。
たぶん日頃からスケベな事しか考えていないであろう彼は、パメラを見た途端なぜか大いに驚いた。
「いや、すいません!! 別に用があるわけじゃないんですけど、どうしても気になって!!」
「……何が、ですか?」
ついに幻覚でも見え始めたのか、とパメラは正気を疑う。
しかし少年はまるで本物であるかのように、焦りに焦って視線を泳がせる。
「あの!! いや、変な手紙にここに来いって書かれてて、それで――」
何やら興奮気味の彼は、ポケットから一通の封筒を取り出した。
それは血のように紅い、曰くのありそうな手紙だった。
「……見せていただけませんか?」
「ええ!? し、しかし……」
文面を見せたくない様子の彼だが、パメラはどうしても知りたかった。
この掟破りをさせたのが一体何者なのかということを、確認する必要があった。
「お願いです……どうか……」
「え? あ……そんなに見たいなら……どうぞ」
泣きそうになりながら懇願すると、少年はおずおずと文を差し出した。
パメラは頭を下げ、文面に目を通す。
そこに書かれた内容は、何とも言い難いものだった。
――お前好みの少女が居るから、星空が見えたら迎えに行け――
ごく短い文を読む終えると、少年は必死に言い訳を始めた。
「いや、俺も怪しいとは思ったんですよ? でも行かないと抹殺するって書いてあるし、待ってるのは銀髪巨乳美少女って書いてあるから――」
自分が何を言っているのか分からないのだろうか?
言葉の端々に彼らしい、スケベな文句が現れている。先生としては体罰ものだ。
「…………ええ、とんでもなく怪しいですね」
でも今日だけは許してあげよう。本当に特別だが、笑って流してあげよう。
だってこんな馬鹿げた脅迫状を真に受け、自分に会いに来てくれたのだから。
そもそも彼はオリオンではない。神話のようにいくわけがない。
ルール嫌いの彼が、大人しく空で待つはずがないと、どうして分からなかったのか。
目頭が熱くなり、頬に温かいものが流れ落ちる。
「あなたは本当に大馬鹿者です。こんな怪しい手紙を信じるなんて」
「え!? まあ、そうなんですけど……」
そのまま逃げるように彼は、頭上の星々へと視線を向けた。
「俺の父さんが昔、この夜空を見ながら母さんにプロポーズしたらしいんですよ。それで何となく、この手紙を無視できなくて……」
「――ッ」
パメラの隙間だらけの心は、その言葉だけで埋め尽くされた。
胸の内に会ったことのない両親の影がよぎり、同時に温もりが湯水のように湧き上がる。
この世に生を受けて、今ほど感謝と喜びに満ちた時はなかった。
彼女は同時に、目の前の少年にとんでもない目に遭わされたと痛感する。
(本当に最低です……こんなに私を困らせて……!!)
認めたくはないが、この高鳴りはどうしても無視できなかった。
まさかこんなふてぶてしい暗殺者に、心臓を撃ち抜かれてしまうなんて!!
必死に茹で上がった涙を隠そうとすると、持っていた封筒が風に攫われた。
夜空に舞う今度の便りは、決して差出人不明ではない。
紅い手紙の末尾は、こう結ばれていた。
――暗殺者より愛をこめて。
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