25.紅VS銀
聳え立つ塔の展望スペースで、仁は日没を待っていた。
あと十分経って変化がないなら、自分から宣戦布告する腹積もりである。このままでは埒があかない。
しかし端末の呼び鈴が鳴ったことで、彼の不安は解消された。
「はいはい。こちらシリウス」
『……パメラです』
コールをかけてきたのは、仁の待ちかねていた人物だった。
「電話が出来るってことは、自由の身になったのか? それともまだ縛りプレイ中か?」
『ラグエル様はもう居ません。……仁くん、あなたの目的は何ですか?』
電話から伝わってくる声音は、普段より幾分が沈んでいた。
トリガーから指を外し、何の気なしに整然とした夕日を仰ぐ。
「秘密情報部を毛の一本も残さず、地上から殲滅する。お前らは俺の人生を消し去った。その復讐を求めるのは当然だろう?」
『……では私のことも、憎いのですか?」
声は震えていた。彼女の胸中は十二分に理解していた。
だがすでに賽は投げられ、後戻りできる状態ではない。
そして彼女に言わなければならないことが、仁にはあった。
「パメラ、秘密情報部はお前にふさわしい場所じゃない。もっと他のところで、お前を求めてくれる所があるはずだ。だから――」
決めていたセリフを言うだけ。怖がる要素なんてどこにもない。
心を落ち着かせ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「一緒に……二人でどこか遠くへ逃げよう。俺にはお前が必要だ」
『――ッ』
精一杯勇気を振り絞った言葉に、顔の見えない相手は言葉を詰まらせた。
かつて彼女の両親が選んだ道を、自分たちも歩もうと。
パメラがどんな気持ちになるのかなんて容易に想像がついた。
「俺はそいつらみたいに、お前を傷つけたりなんかしない。お前の頑張りを嘲笑ったりなんかしない。どんなになったって、いつだってお前の味方だ」
周囲から煙たがられ、爪弾きにされた少女。
家族や友人から忘れ去られ、帰る場所がなくなった少年。
その先は一緒だと、彼は言う。
「俺にはもう……お前しか残っていないんだ」
あの日、仁は彼女と偶然の出会いを果たした。
見知らぬはずの彼女を助けようと駆け出し、そして一切合財を失くした。
彼が今もなお取り零さなかったのは、その時の気持ちだけだった。
「お前が居てくれれば、他には何もいらないから……」
黙り込んでしまうパメラ。
彼女は電話の向こうで、今どんな顔をしているのかと考える。
泣いているのか、笑っているのか、それとも喜んでいるのか?
そこでふと、以前のやり取りを思い出す。
偽りの空の向こう側を知り、その時彼女は何を思うのか、と。
「答えてくれ、パメラ」
窺い知れない、気心の知れた少女に問う。
でも今度ばかりは――彼女を知る仁には、返ってくる答えが予想出来た。
『その気持ちには……答えられません』
予期した返答は、やはり残酷なものだった。
「……理由を教えてくれるか?」
『私は……秘密情報部の諜報員なのです。だから……』
あなたと外の世界へ行くことはできない、と苦しそうに言った。
迷いに迷って出した結論は、彼女らしくなんとも愚かなものだった。
すでにラグエルは事切れ、パメラを追いやる存在は居ない。
情報部の連中もこれまでの会話を聞いて、日和見な考えを示し始めたのかもしれない。
例えば、彼女の反逆罪を取り下げようなどと、上から目線を決め込んだ可能性である。
「許すのか? お前をゴミのように扱った、お前の隣にいる屑共を」
『私は、彼らを恨んだことは――』
彼女はそこで止め、何ゆえか言葉を選びなおした。
『いえ、少しだけ……彼らに文句がありました』
「ほう、ぜひ愚痴を聞かせてくれ」
どんな恨みつらみが出てくるかと身構える。
しかし彼女は何とも楽しげに、ゆっくり恨み節を述べた。
『皆さんの姿は私からすると、とても眩しかった。私もそうなりたいと思ったけれど、上手くいかなくて。……だから彼らが、すごく羨ましかった』
「……」
ポツポツと呟く本音は聞けば聞くほど悲しく、同時に憤りを覚えた。
そんなものはお前の責任ではない。
何もかも周りの奴らが悪いに決まっている。
二週間という短い付き合いの仁が理解したことを、彼らは知ろうともしなかった。
紅山仁からすれば、それだけで断罪するには十分と言える。
『あなたのお誘いは魅力的だった。……でも、ごめんなさい』
彼女は掠れた声に一呼吸を挟み、仁へと挑む。
まるで懺悔するかのように、パメラははっきり告げた。
『私の全ては秘密情報部に捧げる。その誓いに背くことは出来ません』
泣きながらの告白は、仁にとって死刑宣告に他ならなかった。
家族と、友人と、それまでの全てを喪失した。
今日ここへと臨む前、彼は密かに慣れ親しんだ場所を巡り、心の中で彼らに別れの挨拶を済ましていた。
そうして最後に一つだけ残った誇り。
それが今、無情にも消え去ってしまった。
「……そうか。振られてしまったか」
これでこの世界に、何一つ憂いはなくなった。
悲劇の主人公ではないが、本当にこれで自分に踏ん切りがついた。
不思議と晴れやかな気分になった彼は苦笑し、嗚咽を漏らす少女に声を掛けた。
「お前はそう答えると思ってた。……やっぱり、お前は馬鹿だなあ」
『仁くん、私は……』
「最後に一つだけ、お願いがある。聞いてくれるか?」
彼女にしてやれることはもうないが、戦うべき相手がまだ一人だけいる。
この数奇な運命に巻き込んでくれた、顔の見えない暗殺者。
「秘密情報部のルールで裁かれるなんて、俺は絶対御免だ。やったことを後悔なんてしない。ここまで来た自分を、言うのも何だけど褒めてやりたいぐらいだ」
彼女の為に懸命だった自分は、きっとカッコよかったはず。だからこそ――
「俺と戦え。お前の決意が本物かどうか、確かめてやる」
正真正銘、手加減なしのタイマン勝負を要求した。
「俺に負けるようなら、この先お前は不幸になるだろう。そうなるぐらいなら今ここで殺された方が良い。だけど俺を――シリウスを殺せるのなら、お前はもう大丈夫だ」
『……それが、あなたの望みなのですね?』
ああそうだ、と仁は軽く返す。
パメラはじっと無言を守ったと思うと、いつものように簡素な返事をした。
『分かりました。全身全霊をかけて、あなたに引導を渡します』
数分だったが、濃密な通話はそこで途切れた。
やっぱり彼女は最高だ。命をかけて恋をするに値する女の子だった。
携帯電話を投げ捨て、手当たり次第に武器をかき集める。
「死ぬつもりなのか!? こんな事、何にもならんぞ!?」
今まで傍観していたザフキエルは、もう敵意ではなく憐れみを顔に浮かべていた。
これまで無礼を働いたというのに、今はこっちがいたぶられている気分である。
「悪かったな、手荒に扱って。もうすぐ自由になるから、あと少し我慢してくれ」
「止めろ、もうここで手を引くんだ!! 私に出来ることなら何でもする!! だからもう、こんなことは止めてくれ!!」
悲鳴が上がるも、仁は答えることなくエレベーターへ向かう。
扉が閉まる前、展望台から見えた景色は、夜の訪れを告げていた。
****
夕日は地平線の彼方へと姿をくらまし、要塞都市の空模様も暗がりを見せ始めていた。
都市に点在する結界維持装置が描画する景色を、昼間から夜間用の決められていたパターン――規則的な星空へと変更した。
天候不順の存在しないソサエティの空だが、大気圏の外からは凍てついた黒一色だ。
光情報を遮断し、衛星からの画像諜報を遮断する役割がある。
パメラはそんな憎たらしい星々を仰ぎ、ただ一人国立公園へと臨む。
ここから先は、たとえ秘密情報部であろうと邪魔は許さなかった。
「私一人で行きます。手を出さないでください」
仁との通話を終えたパメラは、部員達に開口一番そう要求した。
いつもはない威圧感に満ちた彼女のセリフに、口を挟む者は居ない。
パメラが逃げたり謀反を起こしたりするとは、ここに至って誰も考えなかった。
そんな彼女を見たピコは溜息混じりに、ポケットから手錠の鍵を取り出す。
「こういう事になるかも、と思ったわ。流石に現実になると驚くけれど」
そう零しながら錠を外され、パメラは完全に普段の力を取り戻した。
兵団の力を解放し、異次元と隣り合わせのマントを羽織る。
両手にはデザートイーグルが顔を覗かせる。
「私達から、アンタに掛ける言葉はないわ」
決戦に向かう前、愛銃の動作を確認していると、ピコから言われた。
「謝罪の言葉はどれだけ並べても足りないでしょう? アンタもどうせそんな物は求めていないだろうから、今はただ黙って見させてもらうわ」
「ええ。それで結構です」
パメラは振り返らず、目の前の殺し合いに神経を集中させる。
だが準備が終わって出ようとすると、意外な言葉が添えられた。
「……でも絶対に勝って戻りなさい。……そうじゃないと、私の気が済まないんだから」
それは主義者の彼女らしくない、不器用な見送りだった。
****
市民たちが憩いの場として利用する国立公園は、今は墓地のように静かだった。
「――ッ」
敷地内に足を踏み入れた瞬間、肌に触れる空気が変わった。
確実に何者かに見られている。
それも有象無象ではない本物の殺人者の視線を感じる。
正体は分かっているが、これが彼だとは未だに信じがたい。
謎は深まるばかりだが、これから殺し合いを演じる少年は、今までで最強の敵だと確信出来た。
白い霧が立ち込める暗闇の中、両手の銃を握り締める。
すると刹那、視界の端で紅い閃光が迸った。
「――ハ!!」
右の銃口を瞬時に向け、血のように紅い弾丸を50口径で迎え撃つ。
伯仲した拳銃弾は悲鳴のように甲高い音を鳴らし、あっけなく地に墜ちた。
続けて二撃目、三撃目と死を内包した凶弾が撃ち放たれる。
パメラはマントと銃撃でそれをいなし、夜闇に引かれた線を辿る。
踏みつけた地面に亀裂が走り、稲妻のような速度で彼の元へ急ぐ。
攻撃されているはずなのに、まるで恋人に会いに行くような気分だった。
紅い光源が少しずつ近づき、わずかに見えた人影目がけ、引き金を引く。
しかし特大質量の弾丸は、静止した影を貫かず、空しく奥の林へと消えていった。
「……」
足を止め、相手の姿をじっと瞳に映す。
以前見た時と変わらない、等身大の紅山仁が視線の先に立っていた。
「暗殺者シリウスを倒すには、少々覚悟が足りないんじゃないのか? そんなヒョロ弾じゃあ、止まってる敵にも当たりはしない」
右手に提げた銀フレームの銃を見せながら、評論家のようなセリフを彼は吐いた。
明確な殺意がなければ照準が合わない。達人級の技量を持っていることが分かる。
「ご心配なさらず。次はキチンと殺す気で撃ちます」
「ありがとうよ。ではシリウスの拳銃戦闘術――完全呪甲弾を披露しようか」
言って仁は拳銃ハードボーラーを側面に向け、あらぬ方へと連射する。
それらは木々の間を器用にすり抜け、鉤爪のような軌道でパメラへと襲い掛かった。
急角度で曲がる弾丸を飛び退いて躱し、その絶技に冷汗をかく。
捻じ曲がった弾道に耐えられないのか、飛来する銃弾自身がその負荷で変形していた。
(必殺を込めた呪いの弾丸……これが異界を恐怖に染め上げた暗殺者の銃技!!)
手加減をしようものなら、一瞬で屠られてしまう。
恐るべ呪いを込めた銃撃の嵐を躱し、撃ち落とし、捌きながら判断する。
だが曲がると分かっているのなら、それ相応に対処のしようがある。
パメラは大きく後ろに跳躍し、降り立って一気に身を屈めた。
そして雨のように降り注ぐ紅い銃撃が突き刺さるよりもさらに速く、一直線に仁へと突撃した。
中距離から遠距離では相当危険な力だが、至近距離であれば優位性を削げる。
このように一気に距離を詰め、弾道が湾曲する余裕を埋めてしまえば問題はないはず。
「――そんなに甘くないぜ」
その考えを読んだかのように、彼は真っ直ぐに構えてトリガーを絞る。
四度マズルフラッシュが灯り、パメラは特攻した勢いそのまま、内三つを叩き落とした。
(!? もう一発は、どこに!?)
すると右肩に、鋭い一撃が突き刺さった。
「……!? ……着弾が、遅い!?」
確かに火薬が爆ぜたはずなのに、一発だけが遅れて命中した。
まさか弾道を曲げるだけではなく、停滞させることも出来るのか!?
「相変わらず頑丈だな。これならどうだ?」
走りながら両手に二梃拳銃を構え、敵は幾度も排莢を繰り返す。
顔を見せた弾丸は空中に縫い止められ、その全てが例外なくパメラへと向いた。
(……マズい!!)
そう思った瞬間、示し合わせていたかのように、一度に全弾が襲い掛かった。
物量を言わせる攻撃を異次元マントと防御術式で凌ぐが、被弾した衝撃を殺しきれず、肉体ははるか後方へ吹き飛ばされてしまう。
雑木林を超えて噴水の手前で受け身を取り、態勢を立て直す。
魔術的効果を打ち消すマントだが、物理的衝撃は無効化できない。
完全呪甲弾の力は弾速と疑似重力を増加し、単純な運動エネルギーの向上まで果たしていた。
「……く!!」
被弾箇所がマントの下で鬱血している。
もし生身で受ければ、ひとたまりもない。
だが反撃に転じる暇を削ぐように、物理法則を無視した銃撃が火を噴く。
上空側面から薙ぎ払うような凶撃、警戒の外から襲い掛かる遅延射撃。
おまけに地面を抉り抜き、完全な死角からも必殺を込めた銃撃が冴え渡った。
(認めるしかない。――純粋な銃技では勝てない)
歯痒いが、彼我の力量差を認めるほかない。戦い方を変える。
パメラは撃ち切った二梃のデザートイーグルを捨て、短機関銃とナイフを構える。
五十メートル以上離れた彼目掛け、МP5による面圧射撃を行う。
間断ない連射の中、地面スレスレを滑空するように駆け、ナイフの柄を握りしめた。
「――チ!?」
銃弾をナイフで払いのける彼女に目を瞠り、仁も弾を回避しながら短刀を抜く。
刺突に訴える彼女の一撃を柄で払い、さらに逆手の指が拳銃を咆哮させる。
パメラも拳銃戦闘術の予測処理でそれを躱し、弾切れのMP5を捨て、すぐに新しいデザートイーグルを再発砲する。
当たればコンクリートすら爆砕する50口径弾を、仁は体を引いて紙一重で避ける。
しかし空いた隙をパメラは見逃さず、体重を乗せた蹴りを見舞う。
防御に回した腕など構わず、鍛え上げた健脚が体を弾き飛ばし、ようやく彼に土をつけた。
「……やってくれる。流石は俺の先生だ」
芝生からのっそりと立ち上がった彼は、楽しげに口元の血を拭う。
「一対一を望んだが、本当に味方は呼ばなかったのか?」
「ええ。あなたは私が倒します」
夜風に銀髪を靡かせながら視線を返すと、彼は何故か微笑んだ。
「お前のその銀髪……真っ暗闇でも輝いて、きっと遠くからでもよく見えるだろう」
「あなたの紅い弾丸だって、自己主張が激しい。おあいこです」
「……ああ、そうだな。本当にその通りだ」
皮肉を返したつもりだったが、可笑しかったのか彼は笑いこける。
眉を吊り上げてその様子を傍観していると、仁は何か納得したように頷いた。
「ペンダントとチビ幼女を返して欲しかったら、もっと本気で来い」
「ええ、望むところです」
再び銃声とマズルフラッシュが瞬き、殺し合いが演じられる。
どちらの勝利になるかは見えないが、終幕が近いことを彼女は予感した。




