23.暗殺者
部内最高峰の諜報員と目されるザフキエル。
彼女がいとも容易く誘拐されてしまい、秘密情報部は混乱に陥っていた。
ピコは交渉役を担い、ラグエルと事にあたる運びとなった。
「都市内の監視カメラ映像を検索し、紅山仁の行方を追え。絶対に逃がすな!」
車の後部座席に座るラグエルは、険しい相貌で携帯をひっきりなしにかけていた。
彼は管理者として駐在している諜報員、協力員を統制していた。
苛立ち混じりに携帯を切り、運転席のピコへと荒げた声が向けられる。
「準備は終わっているのだろうな?」
「はい。指定された公衆電話の回線はすでに掌握済みです」
「逆探知にはどれくらい必要だ?」
「時間は掛かりません。電話が鳴った瞬間、発信先を特定できます」
「良いだろう。電話にはお前が出てやれ」
ラグエルの気合の籠った言葉に、ピコはコクッと頷く。
五分ほど車を飛ばすと、彼から指定された電話ボックスが見えた。
車を急停止させ、窓口係のピコが受話器の前に立つ。
先ほどの要求通りならば、そろそろ電話が鳴る頃合いだろう。
すると待ちかねた呼び鈴が鳴った。
「――ん!?」
しかし受話器を持ち上げても、呼び鈴は止まらなかった。
ピコが発信源に耳を澄ますと、台座裏にガムテープで固定された携帯を発見した。
「……はい、ピコです」
『約束通りお前が出たな。うむ、サブヒロインにしてやっても良い』
ピコは顔をしかめる。取り上げた端末の向こうでは、普段通りの呆けた口振りの少年が待っていた。
どうやら逆探知は想定済みらしい。
「よくもこんな子供騙しを……やってくれるわね」
『交渉では互いの信頼が重要になる。まずはその構築から始めべきだ。ちなみにこの携帯に余計な気を回す必要はない。だから今後も使ってくれ」
口振りから察するに、追跡防止処理を済ませた衛星電話のようだ。
「それで、何がお望み?」
『パメラをショッピングモールの屋上に立たせろ。今から三十分以内だ」
簡素な一言を残し、電話は切れた。
急いで車へ戻り、彼の要求をラグエルに告げる。
「そうか。彼はパメラの安否を確かめ、彼女を連れて脱出する肌積もりなのだろう」
仁の狙いがパメラの救出であることは間違いない。
どういう手段を取るかは分からないが、彼は必ず姿を晒すことになる。
「屋上を指定したのなら、彼はその目でパメラを確認するはず。ショッピングモールの半径一キロメートル以内に部員を放ち、彼本人か協力者を探し出すのだ」
ラグエルはショッピングモールの内外。
そして屋上を視野に収められる高層建築へと、人員を割り振るよう指示を下した。
それも総動員で事にあたれ、とのこと。
「私は先に行って準備する。お前はパメラを連れ出し、交渉役をまっとうしろ」
「わ、分かりました」
大役を任され、ピコの顔に緊張が走る。
(ただ人質交渉に臨むとは思えない。……何が狙いなの?)
役目に殉じる覚悟を決めるが、彼女の胸中は複雑だった。
****
ラグエルの命によって動員された機関員は、全部で数十人に上った。
彼らは一般人を装いながらショッピングモールに張り込み、周囲の建物へはスナイパーライフルを抱えた狙撃手と補助員が放たれている。
怪しい動きをする者が居ようものなら、即座に蜂の巣にできる布陣が完成した。
パメラはそんな厳戒態勢の中、ピコに連れ出されてモールの屋上に向かっていた。
「彼は本当にザフキエルを誘拐したのですか?」
「ええ。王子様がわざわざやって来たってことよ。少しは喜んだら?」
背後から銃を突き付けられながら、モール内の階段を上がる。
「仁くんが……そんなまさか」
パメラは仁の凶行が信じられなかった。
少ないながらも共に時間を過ごした彼女からすれば、彼はただの高校生にしか見えなかったからだ。
頭に浮かぶのはやはり、冗談を飛ばして人をからかう、彼の明るい面影ばかり。
しかし心中を察したかのように、苦々しくピコは首を振った。
「本当に壁を越えてくるなんてね。やっぱりアイツは他所の勢力に属する諜報員だったのよ。でなければ、こんな真似できっこないわ」
「彼のバックボーンは我々も裏を取ったでしょう? まさかそんな……」
やはりパメラは納得できない。
人間でなく諜報員だったのなら、養成所脱走などの行動に筋が通らない。
……無論ただの高校生だったとしても、非常に不可解ではあるが。
両者が答えの出ない問いに悩んでいると、屋上へと顔を出すに至った。
遮蔽物の何もない空間が広がるも、床面を見ると結界用の魔法陣が描かれている。
そしてその傍らには、ラグエルが渋面を浮かべて待っていた。
「はやく中に入れ。変な真似は起こすなよ」
三人が陣の中に入ると、彼らを覆うように二重三重に半透明のバリヤが張られた。
さらにラグエルの持つ鎖がパメラへときつく巻き付く。
追放の鎖と呼ばれるこの鎖は、対象者の霊的エネルギーを封じ込める力を持っていた。
「逃げようとは考えないことだ。ザフキエルを取り返すまで役に立ってもらう」
「……はい、分かりました」
パメラとしても反旗を起こす気はない。
あくまでもザフキエルが無事救出されれば良い。
あとは仁が殺されさえしなければ、自分の身はどうなっても問題なかった。
重い鎖を引きずって辺りを見るが、他所の建物に何人も狙撃手が確認できる。
自分を助けるなど逆立ちしたって出来ないし、危険を冒してまでやって欲しくないと思った。
そんな風に彼女が考えていると、ピコの端末に電話が入った。
「はい。ピコですけど」
『約束通り連れてきたみたいだな。お前が横に居ると、胸の差がまる分かりだ」
「んだとゴラ!! 殺すぞクソッタレ!!」
脊髄反射の如く怒声を飛ばすが、パメラは彼の応答に困惑する。
こちらの姿を確認できている以上、彼は見える位置にいる。そう遠くはないだろう。
会話を聞いたラグエルも理解したのか、インカムで部下へと指示を送る。
『パメラに代われ。無事かどうか確認したい」
ピコから端末が向けられ、恐る恐るパメラは応答した。
「はい……パメラです」
『なんだよ元気ないな。メシ食ってるか? しっかり食わないと胸の成長が止まるぞ?』
久しぶり聞いた声は、前と同じくおふざけ全開だった。
パメラはホッとした半面、場違いに明るいテンションに不安を覚えた。
「仁くん……ザフキエルは?」
『心配すんなって、俺に幼女の趣味はない。大人しくしてもらってる」
どうやらザフキエルは無事らしく、パメラもそこは心配はしていなかった。
『それよりもお前の事だが、天界に転送されるみたいだな。その後はどうなる?』
彼の問いかけに、パメラはキュッと唇を結ぶ。
確認を求めてラグエルの方を向くと、彼は頷いて許可を示した。
「……最終的には追放処分でしょうか。ご配所頂いて、命までは取らないそうです」
嘘だった。追放処分と響きは良いが、実際はそのあと殺される運命にある。
ただ天使の体裁のため、天界の外で処理を行うというだけの話だ。
「私のことは心配しないでください。時間は掛かりますが、きっとまた会えます」
だから今はザフキエルを解放して欲しい。あなたの行いも罪には問わない。
彼女はラグエルから指示された通り、一言一句違わずにそう言った。
『ふーん、じゃあ再会できたら一緒に天体観測なんてどうだ?』
「……え?」
『お前夜空が見たいって言ってたろ。見に行こうぜ、一緒に』
思いがけない言葉にパメラは呆然となる。
「……どうして、ですか?」
『前のデートは変な青髪女に邪魔されたじゃん? 俺はやり直しが必要だと思う』
おかしな事を言われ、パメラはすぐに返事が出来なかった。
そう言えばデートまがいの事をやったなと思い出す。
あの日は終始彼の発言に驚かされた。
勝手に服をチョイスされ、エッチな店に連れ回され、閉ざされた空を見ようとした。
彼女の凍りついた人生で、ほんの少しだけあった雪解けの一時。
「仁くん、私は……」
誘い文句になんと答えるか考えていると、視界が滲んだ。
気付かれてはならないと分かっていても、どうしても堪えきれなかった。
「……お願いです。私のことは、もう放っておいて下さい」
『冷たいな。こうして頑張って来たのに、酷いじゃないか」
「私……なんかの為に、命を無駄にしないで。……私なんか死んでも良いんです」
『どうして?』
もはや嗚咽が表に出ていたが、パメラは必死に声を絞り出した。
「私は、生きているだけで、人に迷惑を掛けてしまうんです」
今まで身を粉にして誰かの力になれればと思い戦った。
疎まれていると分かっていても、役に立つ余地があるはず。
全ては努力が足りないからだと考えた。
「私は誰にも、求められていないから。私の存在自体が間違っていたんです」
顔も知らない両親を恨んだことはない。
彼らの愛が正しかったかは分からないが、それでも自分を産み落としてくれた。
何よりザフキエルに拾われたから、それで十分だった。
「結局仁くんにも、取り返しのつかない事をしてしまいました」
体を張って守ってくれたのに、何も返せなかった。
それまでの人生を消し去り、反逆者を釣るための餌代わりにされ、今は自分を助けるため危険を冒している。
「私はもう大丈夫だから……どうか、私を見捨ててください」
こんな言葉しか返せない。そんな自分への嫌悪感が胸中に渦巻く。
パメラはそれ以上何も言えず、体を震わす他なかった。
永遠にも感じられた静寂は、意外にも仁の方から破られた。
『一つだけハッキリさせたい。お前が海外旅行に勤しんでた、その理由だ』
投じられた問いは、査問会でも槍玉に上げられた海外渡航の件だった。
傍らのピコはわずかに反応を示すが、パメラは俯いてしまう。
明かすつもりはなかった。余計な悶着を生むだけだと思ったからだ。
「その件について……私に話す気はありません」
『なんだやっぱりまだ話してないのか。なら俺が代わりに答えてやるよ』
「え?」
何を言っているのか理解する前に、彼の言葉が紡がれる。
『お前は……死んだ両親が巡った地を見てみたかった。そうなんだろ?」
「――ッ!?」
度肝を抜かれたパメラは、思わずピコの方を振り返る。
しかし、彼女も目を瞠って首を横に振るだけだ。
『どうやら図星みたいだな。お前のしごきを受けた甲斐があった』
軽い笑い声を電話口で響かせるが、パメラはただただ驚くばかり。
ついには我慢できなかったのか、ピコが電話を取り上げた。
「どうして分かったの!?」
『簡単だ。パメラが秘密情報部を裏切るわけがない。だから他の理由を探しただけだ』
彼は実にあっさりと言ってのけた。
パメラが巡った地域であるが、そこは天使はもとより悪魔も拠点を築いていなかった。
彼女の両親は許されぬ愛から地上に逃げたとされているが、当然その先は両者の手が届かない場所になる。そう考えるのが自然だ。
『後見人のザフキエルに話せないってことは、死んだ両親に関わる話だと思った』
「そ、それだけで? でも、それならここ半年に集中した理由が……」
『おそらく両親の遺品か何かを手に入れ、彼らの足跡を知ったんだろう。俺に渡した銀のペンダントもそれに含まれるはず』
隣で聞いていたパメラは、寸分狂わぬ推理に蒼白になる。
ペンダントがザフキエルの贈り物でないと知り、この可能性に辿り着いたと彼は言う。
実際パメラは半年前、銀のペンダントと一冊の日記を手に入れていた。
ある時届けられた小包に『死んだ御両親の遺品だ』というメッセージが添えられていたのである。
差出人不明の品に驚いた彼女だが、次に取る行動は一つだった。
『自分を見失っている人間がルーツを辿る術を持てば……あとは簡単だ』
天使と悪魔の間に生まれ、疎まれながら生きてきた少女は当然知りたくなった。
答えが得られないと分かっていても、死んだ両親が見た光景を自分も見たいと考えた。
「――う、ああああああ!!」
隠していた秘密が暴露され、パメラは悲鳴を上げて崩れ落ちる。
何よりも傍らに居るであろう義理の母に――知られたくない人に露見した。
「……ごめんなさい……お義母さん」
当の昔に口にしなくなった呼び名が、零れ落ちる。
今まで散々迷惑をかけ、なけなしの愛を受け、大事に育ててもらったというのに。
いざ死んだ両親の影が見えた途端、どうしても抗えなかった。
許されることではないと思ったが、到底その誘惑には勝てなかった。
『パメラに電話を戻せ。ザフキエルと話をさせてやる』
仁からの言葉を受け、ピコは何とも言えない顔で電話をパメラへと向ける。
彼女の顔には、これ以上ない恐怖が滲んだ。
『……馬鹿なことをしたな。パメラ』
何年も聞いたはずの声なのに、体がこれ以上なく震える。
彼女にまで失望されれば、きっと今ここで喉を掻き切って死を選ぶだろう。
『お前がそんな愚かな考えを持っていたとは。母親失格だな、私は』
「――ッ」
指先から、全身にかけて力が抜けた。
『私が……そんな事に目くじらを立てると、お前は本気で思っていたのか?』
「…………え?」
呆けたような、気の抜けた声が出てしまった。
『私は上司だ! 両親の思い出の地に行きたいのなら、好きなだけ休暇を取らせてやる!』
電話から聞こえる声は、常とは違い感情が籠っていた。
「で、でも……あなたは私のことを大事に育ててくれた。それなのに私は……」
『そりゃ少しは嫉妬するぞ、私も! 死人と比べられるなんて、嫌なものだ!』
ザフキエルは子供のように怒ったが、しかし自信満々にこうも言った。
『だが私は正真正銘お前の母親のつもりだ。お前がどこへ行ったって、何を見たって、最後は私が一番だと思って帰ってくる。それぐらいの自信が……こう見えてある』
大見栄を切り、ザフキエルは所信表明を述べた。
聞いたこともない彼女のセリフに、パメラは放心状態となる。
義理の母のこの上ない思いを知り、感情が渋滞を起こしてしまった。
『言っておくが本心だからな。それにしても、隣で仁くんが銃を突きつけて「パメラを傷つける発言をしたら殺す」と言うんだ。だから早く何とかし――』
揶揄うような声は遮られ、代わりに彼が出た。
『これで胸のつっかえが取れたな。ラグエルに代われ』
ここまで蚊帳の外であったラグエルへと、電話が回される。
彼は非常に渋い顔で受け取った。
『こんちは。ラグエル殿』
「……これが見せたくて誘拐と銃撃を行ったのか? 残念だがな、結末は変わらないぞ」
『ほう、アイツの容疑はこれでは晴れないと?』
「証拠はないからな。それに彼女にはやはり退場してもらいたい。秘密情報部ひいては異界と地上の平和を考えれば、早めに火種は消し止めるべきなのだ」
天使と悪魔の血を引くパメラは、やはり存在そのものがトラブルの種となる。
しかも正体不明の暗殺者に狙われている疑いがあり、早急に片したいのが組織の本音だった。
だがラグエルの発言を聞いた仁は、何故か笑い始める。
『なら俺がその疑いを消し去ってやるよ。アンタらが抱えている蟠りも、ムカッ腹の立つルールも……その全てをぶち壊してやる』
余裕のある口振りから、気合の籠った声音へと変わり、ラグエルは眉をひそめた。
「何をするつもりだ? 人質交換をするのではないのか?」
『まさか。狙撃手に戦闘員がウジャウジャいる中、そんなもんするわけないだろ。最初からパメラを助けるつもりなんて俺にはない』
仁の宣言に対し、一同は驚きを見せた。
パメラの救出が目的でないなら、彼は一体何が狙いなのか。
「では君は……何の為にこの状況を?」
『今から教えてやる。ラグエル、まずはアンタからだ』
電話の向こうから無骨な金属音が響いた。
『――アンタを抹殺する』
刹那、ラグエルの鍛えられた肉体が揺れた。
「……?」
その場にいた全員が、何が起きたか理解できなかった。
うずくまるパメラは涙で濡れた瞳で、事態を目の当たりにする。
紅い雫がラグエルのスーツから零れ、彼の胸が血で濡れていた。
「……!? な!? 何だ……これは!?」
身体を見下ろしたラグエルは、ようやく理解が及んだようだった。
「狙撃!? しかも……この射撃術は!?」
何重にも張り巡らせたはずの結界は、飴細工のように一撃で破壊されていた。
半透明の膜は虚空で紅く輝く銃撃線を中心に、螺旋を描いてゆっくりと消える。
右胸を撃ち抜かれたラグエルは、うねり消える結界とともに崩れ落ちた。
「紅い銃撃線!? こんな馬鹿なことって!?」
ピコが驚愕を露わにすると、さらに彼方で紅い閃光が奔った。
一つ、二つ、まるで流れ星のように、瞬く間に光が空を駆け抜ける。
情報部の狙撃手と補助員が陣取っていた建物へと、震えあがるほどの精度の銃撃が襲いかかる。
さらに驚くことに、その線は生きているかのように湾曲していた。
雷鳴の如き速度でありながら蛇のようにうねり、弾丸そのものが意志を持っているかのようである。
十回ほど閃光が迸った所で、ラグエルが落とした電話から声が届いた。
『暗殺者シリウスが狙うのは、秘密情報部……貴様らそのものだ』
件の暗殺者の名が飛び出し、苦悶するラグエルは血走った眼を見せる。
「貴様が――シリウスだと!? そんなことあるわけがない!! ……しかも私たち全てが標的だと!? ふざけているのか!?」
『俺は真剣だ。これは俺とアンタらの戦争なんだよ』
「勝てると思っているのか!? たった一人で!!」
右胸が撃ち抜かれているのにも関わらず、ラグエルは血を吐いて吠える。
『殺しにかけてシリウスの右に出る奴は居ない。ここから先は俺しか見えていない領域だ。想像の外へと挑むために、アンタらには犠牲になってもらう』
ガシャリと、マガジンパックを交換する音が聞こえる。
揺るがぬ決意を感じさせる仁は、次弾を放つ前に言葉を残した。
『俺は死ぬまで戦う。パメラ……お前が相手でもな』
そこで電話は途切れ、代わりに紅い閃光が空を駆けた。
パメラには仁が何を言いたいのか、まるで理解が及ばなかった。




