プロローグ
屋上というのは下から見上げていた時よりも意外と寒く感じるもので、それは頬を遮り続けている吹き荒ぶ風のせいかもしれないが、悪魔や死神の囁きによるものかもしれない。いやきっとそうだろうと僕は思っていた。神とか幽霊とか、魂とかそういった類いのものを信じないどころかこれまでバカにしてきた僕が言えたことではないが、人間死を目の前にすると主観や固定概念さえも死ぬのかもしれない。
既に斜陽が校庭に現れていたのだが、僕を見上げる観衆は一向に消える気配すら見せず、ましてや僕の知らない人さえ集まり始めた。義理堅い先生方や公務を全うする警察官がメガホンで何か話しかけてくるが、さすがに遠い。僕の心に響かせるにはあまりにも遠すぎる。僕の後ろにある屋上へ通じるただ一つの戸は必死に破られまいとガタガタ言っていた。僕の心のドアでもそんなに頑丈じゃないって言うのに、最新技術ってこう言うときに困るよな。僕だってロックの解除には手間取ってしまったほどだから先生方や警察には到底解除できないだろう。おかげで安心して事を為せるわけだけど。
ここまで必死になっている先生方の授業に僕はあまり思い入れはないが、わからない事を教えられた時の恐怖は未だにある。小学校の道徳の時間に僕は一番大切なものは何? と聞かれたことだ。僕は悩み抜いた末に、当時一番大事にしていた阿寒湖で買ったマリモを挙げた。先生も級友も苦笑しかせず、次に当てられた生徒は「命」だと答えた。僕はそれは明らかにおかしなことであり、命以外ないでしょと学ばされたことに疑問しか抱かず、今もなお違和感がある。なぜかって言われても僕は明確には答えられない。抗いたくても抗えない正当性をどこか一方で認めてしまっているので、僕はまだ子供だなと思う反面、なにかとすべての事象に理由を付けないと理解できない大人にもなりたくはないとも思っている。こんな思考ではやはり僕はまだ大人になってはいけないし、どの道死ぬなら死すべきは大人でも世間でもなくこの僕だ。
「マコトー、はやまるな――」
おっと、少し考えすぎてしまった。僕がこれまでの人生で行ってきた最大の罪をまた重ねてしまった。決して優柔不断と呼べる程のことではないが、この思慮深さはあまり僕を救ってはくれなかったと、改めて思う。何も考えずに声を出せる人間がよっぽどうらやましい。
「命が一番大事。他の事ももちろん大事だけど、比べればやっぱり命が一番大事」
僕の目の前には呟きさえ消えてしまいそうな空があった。それは吊り下がった雲が赤みを帯びることで漸く季節感を取り戻していた。秋の夕焼けが視界から徐々に外れていき、やがて裏側に回った刹那に僕は地球の重力を最大に受けた。
これが、世間で言うところの高校生飛び降り消失事件である。
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