よくわからないチートで異世界行って映画撮って学園祭に勝とうって話
夏休み。
ミーンミンミンミンミンジージジジジッジジ、と。セミがデタラメな音量でアツい求愛行動を行っていると、その羽から放たれた熱波がある部屋に吸い込まれていった。
夏原高校映画研究部室。やや年季の入ったその部屋に、求愛行動とは無縁な、色気のないふたりがいた。
片方は、いかにもインテリです、という顔をした、フチなし眼鏡に黒髪の神経質そうな線の細い少年。もう片方は、やや赤茶けた髪にけだるげな表情を浮かべた、気の強そうな少女。少年の名前を須子智以太郎と言い、少女の名前を井坂鳥子と言った。
バナナを置いたら10秒くらいで腐り落ちそうな部屋の中、全身から汗をだらだら垂れ流した少年は、バァン!!と机を大きく叩き、高らかに言った。
「由々しきは学園祭である!」
「チー太郎はあっついなか元気ねー……」
その元気いっぱいチー太郎くんをちらり、と見た少女は、目線をすぐ外し、やたらでかいハンドタオルで汗を拭いて、水滴がペットボトルの周りに張り付いた、新鮮なスポーツドリンクを飲んだ。
「で、今年はどうすんの。どんな映画撮んの」
「うむ、トリ子。よくぞ聞いてくれた。俺はおとといから色々考えていたのだが、ドラマもいいし推理もいいしサスペンスもいいしコメディもいいし、恋愛もいいと思っていたのだ」
「素直に決まらなかったって言いなさいよ」
「いいや、決まった!」
そう言って、チー太郎は傍らに置いた鞄から、一枚のブルーレイディスクを取り出した。
タイトル名は、『冬の花が咲かない夏』。表紙には見る人のセンチメンタルを煽る感じの夏風景に、白い髪のアニメ絵少女のイラスト。
トリ子はそれを見て、少し目を輝かせる。
「あれ、それもうBD出てたんだ」
「ああ。おととい気付いて即ポチって昨日届いた。すぐにでも学園祭の映画制作の話に入りたいところだが、まずはこれを見てみよう」
一方的に告げて、部屋の年齢に不釣合な新しいテレビにBDをセットするチー太郎。トリ子は、なんでいま見る必要があるんだよ、と思わないでもなかったが、それが劇場公開を見逃していたアニメ映画だったので、ちょうどいいや、とあえて何も言わずに、チー太郎とともに視聴体勢に入った。
そして、映画が始まる。
ジャンルはローファンタジー。現実をベースにファンタジーを組み込むタイプの話だ。
主人公は、夏休みを利用して小旅行に出た高校生の少年。どこにいてもしっくり来なくて、どんどん旅先を変えていくのだが、その道中、観光地でもなんでもない町の外れで、真っ白な髪の少女に出会う。その少女は、青い空を見つめながら、「雪が降るのを待ってるの」と主人公に語り――。
90分経って、映画が終わる。
「最高……」
「ああ……。最高だ……」
チー太郎は、眼鏡を外して、薄手のハンカチで目頭を押さえ、トリ子はでかいハンドタオルで顔を覆いながら、すんすん鼻を鳴らしていた。
そこからさらに50分にわたり、濃密な感想の共有が行われたあと、トリ子が尋ねた。
「で、結局なんであたしはこの映画見せられたわけ?なに、ローファンタジー撮りたいの?それとも単なるボーイミーツガール?」
「まあ、その前に現状を確認しよう」
チー太郎は答えず、ガラガラ、と部室の隅に置いてあったホワイトボードを引いてくる。そして黒いマジックの蓋をきゅぽん、と取り外す。
「まず俺たちは学園祭で必ず勝たねばならない。なぜだ?」
「あんたが同好会とケンカしたから」
チー太郎はうむ、と頷くと、ホワイトボードにきゅっきゅっと音を立てて、「目的:打倒同好会!」と書いた。
ここに言う同好会とは、2年前に夏原高校にできた新興勢力、映像文化同好会のことであり、チー太郎たちの所属する、総部員数2名の映画研究部を取りこんでさらなる拡大を図ろうとしている。それについてすったもんだあったあげく、映画勝負という話になったのだ。
「では、勝つためには何が必要だと思う?」
「面白い映画じゃないの」
「面白い、とは誰にとって面白い映画だ?」
「……大衆?」
うむ、実に傲慢で良い答えだ、とチー太郎はきゅっきゅっと「作るもの:猿でもわかる楽しい映画」と書いた。この男は人間を舐め腐っていた。
「それで、大衆受けする映画とは、どんな映画だと思う?」
「そりゃ、良いストーリーとか良い演出とか、そういうんじゃないの」
うむ。きゅっきゅっ。「要素:テンプレ、視覚的暴力」。トリ子はややチー太郎の頭をひっぱたきたくなってきた。
「では、俺たちの手持ちの武器を確認していこう。まず、役者はどうだ?」
「あたしひとり。カメラ交代したら一応あんたも出られるけど」
うむ、無理だ!きゅっきゅっ。「役者:大天才トリ子」。トリ子は気を良くして、ひっぱたくのはやめてやろうと思った。
「監督、脚本、撮影、演出はどうだ?」
「チー太郎」
きゅっきゅっ。「か・きゃ・さ・え:俺」。
「あとはロケ地と機材の問題がある。いま、我が部の残り予算はいくらだ?」
「もらったのそのままなんだから1万くらいでしょ」
「ぶっぶー、答えはゼロ円です」
「は?」
きゅっきゅっ。「予算:文無し」。
「……は?」
「お前がさっき見たこれな」
そう言って、チー太郎は神妙な顔で、『冬の花が咲かない夏』のBDを手に取った。
「画集とショートノベルと特典ディスクがついて1万円するんだ」
「お前ふざけんなよ!」
「グエエーッ!!ケツが割れる!!」
トリ子の右足が閃き、鋭い蹴りがチー太郎の尻めがけて放たれた。
チー太郎は、尻の痛みに耐えながらホワイトボードにしがみつき、腰を突き出した死ぬほど情けない格好になった。
「なに勝手に部費を使い込んでんだ!いい加減にしろよこのオタク!」
「お前もさっき見て泣いてただろ!貴様も同罪なんだよこのオタク!」
「あたしはオタクじゃない!」
「いーや、お前はオタクだね!このオタクオタクオタクオタク!」
「オタクオタクオタクオタクオタク!」
しばらく呪文のようにオタクと唱え合ったふたりだが、やがて疲れ切って、汗をダラダラ流して息を切らしながら、どちらともなく椅子に座りこんだ。外ではセミがミンミン鳴いて婚活していた。グラウンドでは太陽が野球部の肌色をどんどん黒く焦がしていて、上の音楽室からは吹奏楽部の金管のやけどしそうな音が響いていた。
「もういいじゃないか……。『冬の花が咲かない夏』は素晴らしかった。それがすべてだ……」
「あんた、今月はどうせもう金ないんだろうから、来月から小遣い全部部費の返済に当てなさいよね……」
「人はそれをカツアゲと呼ぶんだぞ」
「あんたのやったことは横領って言うのよ」
「それはともかくとして」
チー太郎は話を逸らす。
「では文無しで役者がひとりしかいない俺たちがいったい何の映画を撮れるのか、という話になる」
「また去年みたいに、あたしが部屋で一人芝居するやつやるしかないんじゃないの」
去年、3年生が早期引退してチー太郎とトリ子と入れ替わりで出て行ったために、まるでなんのノウハウもない状態で学園祭へ出品することになった映画研究部は、トリ子の一人芝居で乗り切った。ちなみに内容は、ある日目を覚ましたトリ子が扉も窓も破れない見知らぬ部屋(ロケ地:チー太郎の自室)におり、なぜ自分がそこにいるのかを推理しつつ、部屋からの脱出を目指す、というものだった。10分くらいの短い作品だったが、トリ子の演技力もあって、それなりに好評だった。
しかし、チー太郎は首を横に振る。
「確かにお前がひとりでラブレターを書くショートムービーなんかいいんじゃないかと考えたが、あれは難しい。あのときはたまたま設定がウケたのと、演技の天才トリ子の」
「もっと言って」
「演技の超絶大天才トリ子の……」
「ふふん」
「……力で成功したが、今回は勝負だからな。確実に勝てるジャンルにしたい」
「ならアニメ買うなやハゲ」
「ハゲてはいない!!!!」
突然烈火のごとく怒りだすチー太郎。
「ハゲてない!!!ほら!!!ほら!!!!」
「わ、わかったわよ……。ごめんごめん……」
前髪を持ち上げて、それなりに広い額を晒しながら詰め寄ってくるチー太郎に、軽く引きながらトリ子は応対する。
チー太郎は微妙に髪が細く、将来のハゲを気にしているのだ。
「でも、じゃあどうすんのよ。なんのジャンルで勝負する気?」
「ハイファンタジー」
「……は?」
「異世界に行ってハイファンタジーを撮る」
「……」
トリ子は何も言わずに、汗ばんだ自分とチー太郎の額にそれぞれ手を当てて、熱を測った。
「……あんた、今日は帰って寝なさいよ。最近暑いから疲れてんでしょ」
「異世界に行ってハイファンタジーを撮ると言っているんだ!」
ガタッと立ち上がって、チー太郎は高らかに叫んだ。トリ子はそれを心配そうに見ていた。
「異世界トリップしてちこっとワーキャーやって帰るだけの短い話を、リアル魔法を使って超ド級演出で撮るんだ!これなら猿でもストーリーがわかるし、仮にわからなかったとしても、映像の暴力で圧倒できる!」
「びょ、病院に……」
「須子智以太郎のちいは、すごいチートのチー!井坂鳥子のとりは、異世界トリップのトリ!」
「巻き込まれた……」
「俺の調べによれば、この高校に在籍する学生の98%が異世界トリップものの小説にハマっている!これぞトレンドだ!」
「なんて嫌なオタクハイスクール……」
「ちなみに同じくお前を含めた98%が悪役令嬢ものにハマっている!よかったな!オタク!」
「あたしはオタクじゃない!」
「見苦しい言い逃れはやめろ!さあ、そうと決まればすぐ行くぞ、いま行くぞ!」
そう言うと、チー太郎は再び鞄の中を漁り、今度は小さなボディバッグとバカでかい壺を取り出した。壺の方は机の上に置かれる。
「なにそれ」
「近所の占い師から3000円で買った異世界に行ける壺だ!俺の今月の小遣いはすべてこれに消えた!」
「完全に騙されてるでしょ!ていうかその3000円を部費に当てなさいよ!」
「聞く耳持たん!」
チー太郎が、ボディバッグを持っていない方の手から、なんだかよくわからない紫色のオーラを迸らせると、壺が呼応してカタカタと鳴り出す。
「えっ、ちょ、ちょっちょっちょ、なにこれこわいんだけど!」
「旅立ちのときはいつだってこわいものだ!行くぞぉ!」
そしてビガーーッと、手加減無用の眩しすぎる光が部室を包み。
光の消えたときには、映画研究部室に人の姿はなく、机の上には、バカでかい壺と、『冬の花が咲かない夏』のBDだけが置かれていた。
相変わらず、うるさくセミが鳴いていた。
「あたし、全っ然展開についていけてないんだけど!」
「そのうち追いつくさ」
腰を抜かしてへたり込むトリ子を尻目に、チー太郎は周囲に視線を巡らす。
一面の砂。彼らの出た場所は砂漠だった。少し遠目に、街があるのがうっすらと見える。
「うむ、結構良い場所に出たな」
「どこがよ」
トリ子はチー太郎の横暴に、ぶんむくれたまま言う。
「だいたい、あれでしょ。異世界トリップってだいたい森から始まるんじゃないの」
「おぬしもなかなかオタクよのう」
「あたしはオタクじゃない!」
「まあ確かにトリ子の言うことにも一理あるが、あれは文章体でさっさとストーリーを進めたいから、人とトラブルに会う確率が高く思える森あたりに設定されているんだろう。だが、映像の場合になるとまた話は違う。植生にもよるだろうが、見通しの悪く、ある程度見慣れた森ではいまいち異世界に来た開放感を出しにくい。かえって、砂漠みたいな見通しがよくて見慣れない場所の方が、現代シーンから繋いだとき見栄えするかもしれん」
テンプレからはやや外れるし、砂漠特有の撮影の難しさもあるがな、と言いながら、チー太郎は早速ボディバッグからカメラを出し、何やら付属品を取り付けている。
「で、どんなストーリーで撮んの?ていうか作品の長さは?それから撮影期間は?」
「まとめて答えてやろう。全部未定だ」
「はあ!?」
「異世界でわちゃわちゃやって帰るというのがメインストーリーになるとは思うが、現地人の協力がどのくらい得られるかがいまいちわからんからな。まあ素人に毛も生えてないくらいの俺たちがつくる映画なんだから、作品は10分前後くらいに詰めた方がいいとは思うが」
そこで、チー太郎は、カメラをいじる手をふと止め、
「ハゲということではないぞ」
と真剣な顔で付け足した。
そして、トリ子に早速カメラを向けた。
「とりあえず始まりのシーンだけ撮ってみるか。いや、あっちに帰ったらたぶんお前が窓際の席でひとり黄昏れてるシーンとか撮るだろうから、厳密には始まりのシーンではないんだが」
「ベタねえ」
「ベタというのはとっつきやすいということでもある」
「どんなキャラでやればいいわけ?」
「いまいち俺も、異世界トリップものの主人公の性格はつかみかねてるんだよなあ……。短い映画だし、素直に、ちょっと自分に自信がなくて、異世界で成長していくタイプのキャラにするか。俺TUEEE系は撮りづらいだろうし」
「ん」
トリ子の表情が変わる。
先ほどまでのチー太郎に振り回される可哀想な人の面影はそこにはなく、どこにでもいる、しかしどこにも居場所がないような、どことなく不安定な印象のある少女の顔になっていた。
たった今この世界にやってきたような顔になり、周囲の砂漠を見つめ、ひどく心細い雰囲気をつくる。
「ここ……どこ……?」
「はいカット」
そう言ってチー太郎は、先ほど撮影した映像をカメラで見直す。
「うん、完璧。さすがトリ子」
「ふふん」
気を良くして胸を張るトリ子。彼女はヨイショに弱かった。
「で、どうすんの。街行くの?」
トリ子が尋ねると、チー太郎は遠くに見える街の方に目を向けた。彼女はすでにこの状況に慣れつつあり、それはそれで異常だった。
「そうだな。現地エキストラの依頼が可能か調べてみて、それで作品の方向性を決めていくとするか。まあ欲を言えば、もう少しこのあたりでシーンを進めてみたいがな」
「例えばどんな?」
「異世界に来たんだから、定番はモンスターの登場だな。非現実性が高くて、映像的インパクトがあるとなおいいんだが……」
「それはたとえば……」
トリ子の声が、途中から震えていることに気付いたチー太郎は、街から目線を外し、トリ子の方を見た。
彼女の顔面は蒼白だった。
そして、トリ子は自分の左側を指さし、
「あんな感じのやつだったりする……?」
モンゴリアンデスワームを、3倍くらいでかくしたミミズが、そこにいた。ものすごい速度で身体をうねらせながら、砂の中からどんどん身体を引きずり出している。
常人なら卒倒間違いなしのその光景を見て、チー太郎は。
何も言わずにカメラを回し始めた。
トリ子は心の中で、ふざけるな、絶対に許さない、と叫んだが、超弱小高校の映研部員にあるまじきプロ意識の高さを見せ、自らの意思に反して演技モードに入った。
時速20kmくらいの、人間の走りと同程度くらいの速さで、その5m近い巨体を気色悪くうねらせながら、ピキーピキーと異様に甲高い声を上げてド迫力で迫ってくるぬらぬらとしたミミズを相手に、トリ子は逃げ出した。
全力疾走だった。そして、その前を、カメラを構えたチー太郎が、完璧な距離感で、一切の手ぶれなく後ろ走りで先行していた。
なにやらトリ子は、とんでもなくみじめな気分になった。あたしはひょっとしていま、世界で一番滑稽なのではないか?
トリ子本体の、絶対こんなアホなことで死ぬのは嫌だ、チー太郎を殴り飛ばすまでは死なんという激しい怒りは、主人公役の、どうして私がこんな状況に、という困惑と焦燥と恐怖に完全に包み隠されていた。トリ子自身が心で何を思っていようと、それとは別にして完璧な役を体内に宿すことができる。トリ子は天才だった。
しかし、前門のチー太郎、後門の3倍モンゴリアンデスワームという状況にも終わりが来る。3倍モンゴリアンデスワームがトリ子に追いつこうとしていたのだ。
このとき、トリ子の足を鈍らせていたのが、トリ子自身の足の疲れだったのか、それとも主人公役の少女としての疲労の演技だったのか、判断できない。チー太郎は当然として、トリ子もたいてい異常な人間なのだ。
いま、3倍モンゴリアンデスワームによって、トリ子が頭からぱっくりいかれそうになった瞬間。
雷光が閃いた。
「大丈夫か、そこの君!」
そして、疾風のように駆け抜けて、トリ子を庇うように間に入り、3倍モンゴリアンデスワームを切り裂く金髪の男性。
さらに後ろから、やや無骨な全身鎧を着た、大柄な灰色の髪の男性が遅れて駆けつけ、3倍モンゴリアンデスワームをタックルで弾き飛ばす。
「伏せてなさいな、サンダーボルト!」
ずっと後方から声がして、その直後に再び雷が落ちる。
それをとどめに、3倍モンゴリアンデスワームは黒こげになって、崩れ落ち、粒子になって霧散した。
トリ子は演技の本能で呟く。
「ま……ほう……?」
「怪我はないかい、君?」
そう言って、笑顔で手を伸ばす金髪の男性、いや青年と言っていいくらいの年齢だろう。
その手を取って、トリ子(演技)は尋ねる。
「あなたたちは……いったい?」
「あら、わたくしたちのことを知らないと?」
聞こえた声は、先ほどの雷の前に聞こえたものと同じで、その主は身長の高い青い髪の女性だった。その後ろには、紫色の髪の、好奇心の強そうな小柄の少女も立っている。
そして、彼らは4人そろって、
「僕たちは勇者。この世界を守るものだ」
「はい、カットー!」
間の抜けた声が響いた。チー太郎だった。そして、その声を合図に、トリ子も素の状態に戻る。
「カットじゃないわよこのスーパーバカ!何考えてんの!」
「すまん、つい本能で……」
「え?あれ?あーっと……?」
唐突に雰囲気の変わったふたりに、金髪の青年は困惑する。それに対して、チー太郎が礼儀正しく挨拶をする。
「失礼しました。私たちは夏原高校映画研究部というものでして……」
「っかあー!じゃああんたらその映画?とかいうのを撮るために、俺たちの世界に来てまであんなことしてたんか!」
説明を受けて最初に声を上げたのは灰色の髪の30代の男性。名をグレンと言った。彼の口ぶりでは、異世界への移動は珍しくはあるが、ないものでもない、というくらいの認識らしかった。
「めっちゃくちゃだなあ!」
「ほんとそう思います……」
愉快そうにげらげらと笑うグレンだが、女性陣、青い髪のクラリッサと、紫色の髪のララはドン引きしていた。そして、金髪のアルフレッド、彼がこのチームのリーダーらしい、が戸惑いながらも尋ねる。
「あー、じゃあさっきの手助けは、余計なお世話だったかな?」
「いえ、非常に助かりました。いざとなればトリ子を担いで逃げるくらいはできたでしょうが、撃破は無理そうだったので。ありがとうございます」
さらっと現代日本人にあるまじき発言をするチー太郎。そこから、それに、と付け足して、
「とてもいい画も撮れたんです。よければちょっと見てもらえませんか?」
「えっ、いますぐ見られるのかい?」
「お、そんなら俺も見てえ」
「はい」
そう言ってカメラをいじりだすチー太郎の後ろに、アルフレッドとグレンがまわる。クラリッサとララも興味を惹かれたのか、同じく彼らの後ろに立った。
再生が開始される。砂漠に座り込む儚げな少女。唐突に現れた巨大で不気味なモンスター。それがぐねぐねと動いて迫ってくる恐怖の映像を経て、颯爽と乱入する金髪の美男子。映える魔法。2分もない動画だが、そのほぼすべてが衝撃的なシーンだった。再生が終わる。
「とまあ、こんな感じなんですが」
「すっげえ……」
「これ、何回も見ることができるの?」
「はい。そういうものです」
「これは……ちょっとすごいな……」
顎に手をやって考え込むアルフレッド。どうもアルフレッドは動画という媒体自体に驚いているらしい。が、グレンは意外にもモンスターの動きをしっかりととらえた映像の迫力にうなっているし、クラリッサはやっぱりわたくしの魔法って美しいですわ!と悦に浸っているし、ララもやっぱりみなさんかっこいいです!とテンションを上げている。
チー太郎は、自分の口元がにやりと上がるのを自覚した。媒体の新鮮さが与える衝撃も大きいのだろうが、現実に戻れば素材の新鮮さがその衝撃に取って代わるはず。これはパワーある映像だ、と確信していた。
トリ子は、アルフレッドたちの使う言語が完全に日本語であることに違和感を覚え、にやけるチー太郎に視線で尋ねた。チー太郎の唇が「リアルラック」と動いたのを見て、聞くんじゃなかったと思った。
「すみません。事後承諾になってしまって本当に申し訳ないのですが、みなさんが映ったこちらの映像を使用してもよろしいでしょうか?」
「え?うん。悪いことに使わないって約束してくれるなら、全然かまわないよ。あはは、でもこんなにかっこよく記録してもらうと、ちょっと照れるな」
はにかんだ笑みを浮かべるアルフレッドを見て、トリ子はいい人だなーと思った。部費横領アニメ購買異世界連れ去りモンスター前無言撮影開始アンド人物無断撮影クソメガネとは大違いだな、と思った。
ちなみに、チー太郎は、トリ子は異様に強いしなんとなく何振ってもいいかな、と思っているが、それ以外は意外と気にしいなので、無断撮影をかなり気に病んでいたし、アルフレッドの反応に救われていた。
「で、チー太郎、これからどうすんのよ」
「映画の内容の話か?それともスケジュールの話か?」
「どっちも」
「うーむ、内容の方の話になるが、折角ほぼ完璧な導入部ができたからなあ。トリ子、お前魔法使えたりするか?」
「無理に決まってんでしょ」
「だよなあ。ならモノローグいれてこの世界の解説をしながら、トリ子がこの世界で普通に生活するシーンを入れて、そこから元の世界への帰還方法を見つけて、険しい道を乗り越えて、ゴールみたいな感じの流れかな」
「険しいとかいうすごい不穏な単語が聞こえたんだけど」
「苦難なくしてドラマたりうるか?」
涼しい顔で言うチー太郎。こいつはこいつでさっき3倍モンゴリアンデスワームを目前にするという大プレッシャーの下にいたのだが、微塵もそうした気配はない。
「ところで、アルフレッドさん。こちらからも質問してよろしいですか?勇者のこととか気になってて」
「あ、うん。構わないよ」
そしてアルフレッドたちから聞いたところによると、この世界は根底に魔力がある世界なのだが、その魔力廃棄物とでも言ったらいいのか、生物が上手く吸収できない分のエネルギーが、生き物の形を真似て固まり、暴走する。それが先ほどのモンスターで、勇者とは、そのモンスターを倒して、魔力廃棄物を人間が吸収可能なクリーンな状態に戻す、いわば掃除屋みたいなものなのだと教えられた。
モンスターの発生数はそれほど多くなく、少数の勇者が各地に散らばって、目撃報告を受けて討伐をしているらしい。今回、彼らはあの3倍モンゴリアンデスワームの報告を受けてやってきたらしい。モンスターは会おうと思ってもなかなか会えるものではないらしい。チー太郎はラッキーだった。トリ子はアンラッキーだった。
「ということは、あれは生き物ではないんですね?」
「そうだね。生命活動は何も行わないし、本当にただの変に固まったエネルギーだよ。熱源めがけて暴れまわる石炭屑みたいなものだね」
「よかった……。さすがに学園祭の映画のためだけに生き物を殺すのは精神的にきつい……」
「あんたはさっきあたしが死にかけるのを目の前で撮影してたけどね」
「トリ子は強い生き物だからセーフ」
「断然アウトよ!!」
ギャーギャー騒ぐふたりに向かって、グレンが言った。
「その映画ってえやつよ、演劇みてえなもんだろ?役者は足りてんのか?」
「いえ。できれば現地の方に協力してもらいたいと思ってるんですが、最悪トリ子ひとりで艱難辛苦を乗り越えてもらおうかと」
「メガネ割ったろか」
「やめてくれ」
「ならよ、俺たちでどうだ?結構よ、さっきのかっこよく見えてて、ちょっと気に入っちまった」
「本当ですか!?」
「グレン!?」
チー太郎が喜びとともに、アルフレッドが純粋に驚いて、声を上げる。
「グレン、何を……」
「まあまあ、いいではありませんか」
アルフレッドの言葉を遮ったのは、クラリッサ。両手をやれやれ、のポーズにして言う。
「最近私たちも根を詰めすぎです。このあたりで息を抜くのも悪くはありませんわ」
ねえ、ララ?と問いかけると、ララも、そうですね私も映ってみたいです、とノリノリで頷く。3対1で多数可決だ。
アルフレッドは溜め息をついて、
「じゃあ、すみませんがそういうことでお願いします」
本格的に、撮影が始まった。
アルフレッドたちが撮影に参加してくれるのは、チー太郎としては願ったりだった。導入部からキャラクターを一貫できるなら、話のつくりがだいぶ楽になるし、それぞれ髪の色がバラバラでビジュアルの区別がしやすいのも良い。あとはトリ子と違い演技がそこまで上手いわけでもない彼らを、どのように扱っていくかが問題になる。
「というわけで、みなさん普段通りのキャラクターで動いてもらえるのがいいと思うんですが。キャラ立ちしてますし」
「ええ~!それじゃつまんないですよ~!」
反対したのはララだった。
彼女は演劇や吟遊に憧れがあるらしく、せっかくなら普段の自分とは違う役を演じたい、と主張した。
あまり素人の僕たちがわがままを言って困らせるべきではない、とアルフレッドが諌めていたが、トリ子の、
「まあいいんじゃない?あたしたちもほっとんど素人なんだし。それに、違う自分を演じるって楽しいわよ」
の一言で、彼らも自分とは異なる人格を演じることが決まった。
しかし、全く新しい人格をいきなり演じるのも難しかろう、ということで、勇者パーティー内でキャラクターをシャッフルすることにした。アルフレッドがクラリッサ、クラリッサがララ、ララがグレン、グレンがアルフレッドの演技をすることになったのだ。
この性格シャッフルが思わぬ幸運を生み出した。
基本的に、ロケ地はアルフレッドたちに紹介してもらう形で進んだのだが、当然そういった場所はアルフレッドたちの馴染み深い場所だ。
そうした場所で、高貴なる者の務め……とか顔を真っ赤にして呟くアルフレッドがいたり、生真面目な青年のような顔でキリッとしてるグレンがいたり、溌剌とした元気な口調で喋るクラリッサがいたり、姉御肌に覚醒したララがいたりすれば、人気者の彼らは、それはもう話題になるわけである。
撮影開始3分くらいで、カメラを構えるチー太郎の後ろには、なんだなんだと人だかりができはじめる。
実はチー太郎とトリ子だけで撮っていればすべてのカットが一発オーケーなので、ものすごい速度で終わるのだが、アルフレッドたちはそうもいかない。1日がかりが普通だ。そして、恥ずかしがって戸惑っている間に、どんどん人は増えていく。
これがチー太郎にとっては幸運だった。見物料といって、野次馬にエキストラ出演を頼んだのである。顔から背丈から服装から選び放題。15分弱の短編映画を撮るにしては、潤沢すぎる人材供給であった。
そして、撮れた短い動画を、ついでだからとその場の群衆に見せていたりすると、噂が噂を呼んで、どんどん人が集まってくる。
3日目からは、街中巻き込んだお祭り騒ぎだ。
滞在を始めてほんの数日なのに、この街にもうチー太郎とトリ子を知らない人間はいない。道を歩けばどんどん声をかけられる。食事をしに行けば無料で大盛にしてくれる。子供からは指をさされる。犬に懐かれる。
「あたし、大スターにでもなった気分だわ……」
「どちらかというと、お祭り兄ちゃんたちという認識が正しいような気がするがな」
宿の部屋で、ベッドに突っ伏しながら呟くトリ子と、その傍らでカメラの手入れをしているチー太郎。アルフレッドたちの姿もあった。
街のシーンがおおむね撮り終わり、さて、ではここからどう終盤に繋げるか、という打ち合わせの場だったのだ。
「いやあ、申し訳ない……。僕らのせいで日程を遅らせてしまって……」
「いえ、そんな。問題ありません、助かっていますよ。全部一発オーケーとかいうトリ子が明らかにおかしいんです」
頭をかくアルフレッドに、チー太郎は気にしないでください、と答える。突っ伏したままのトリ子が、いえーい、とピースサインをした。
「でも、トリ子ちゃんすごいですよね~。私、王都の演劇でもトリ子ちゃんみたいな人見たことありませんよ~」
「でへへ、照れますなあ」
「トリ子さんは、そういった道に進む気なんですの?」
嬉しそうにもぞもぞ動いていたトリ子の動きが、ビタリ、と止まった。
「どうですかねー……。上手い上手いってみんなには言われますけど、自分じゃよくわかんないし、やっぱりそれで食べていくかってなると……」
いじいじ、とうつぶせのまま、人差し指同士をいじり始めるトリ子。それを横目に、チー太郎が言った。
「アルフレッドさんたちは、どういう経緯で勇者になったんですか?」
今度は、動きを止めるのはアルフレッドたちの方だった。
皆が口を開きづらそうにしているのを見て、グレンが顎をさすりながら言う。
「まあ、クラリッサじゃねえけど、力には責任が伴うっつーことだ」
その言葉に、ほかの3人が同調したような様子を見せたのを観察して、チー太郎はグレンに目を合わせて言う。
「なるほど、そういうことですか」
「察しがいいなあ、チー太郎はよ」
アイコンタクトを交わしたふたり。グレンは苦笑する。
そういえばよ、と。
「チー太郎は将来どうすんだい」
「実は、俺の将来の目標は小さいころから変わってないんです」
「ほう?」
興味深そうにするグレン。チー太郎はカメラの手入れを終えて、机の上に置き、涼しい顔で、
「やりたい放題です」
らしいなあ、グレンはそう思った。
「で、それはともかく、脚本の話ですね。本来は俺の担当なので、相談するのも申し訳ないんですが」
「気になさることはありませんわ。ここまで一緒につくってきたではありませんか」
「そうですよ~、みんなで頑張りましょ~」
クラリッサとララの言葉に、ありがたや、と頭を下げるチー太郎。トリ子が、突っ伏した状態から頭を上げて尋ねる。
「んで、チー太郎は何に迷ってるわけ?あとは元の世界に帰還するために街を出て~ってそれだけでしょ?」
「カタルシスに欠ける」
「あー……」
「カタルシス?」
アルフレッドが首を傾げる。チー太郎は眼鏡をくい、と押し上げる。
「簡単に言ってしまえば、感情の爆発するポイントがないということです。帰還場所までの道中は、街のみなさんが土魔法の人形で敵役をつくってくれたり、殺陣を手伝ってくれるので、かなり良い画が撮れると思うんですが……」
「終盤ぶっ通しでそれやっちゃうと、ラストのラストにいまいち高ぶりきらないってことよねー」
「なるほど」
そう言ったアルフレッドは、うーん、と腕を組んで考え込む。最初は乗り気でなかった彼も、いつの間にやら真剣に映画撮影に取り組むようになっていた。それをグレンが、気付かれないように嬉しそうな顔で見ていた。
ほかのメンバーも、うーんと唸るが、考え込んだチー太郎が思いつかなかったものを、簡単に答えられたりはしない。
トリ子が口を開く。
「ちなみに、道中ってそれ、いつ撮るの?」
「いつ?」
「昼か夜かってこと」
「ああ……。昼と夜だとどっちが見栄えするかな。やっぱり帰るシーンなんだから夜か?それなら例えば、主人公がこっそりと街から去ろうとしたところに、街の人たちが駆けつけるなんて筋書きもありだな」
「ああ~、いいですね、そういうの~。私そういう友情っぽいの大好きなんですよ~」
友情~と言いながら、ララがトリ子に手を振って、ふたりは手を合わせてきゃっきゃと笑った。クラリッサも、入れてくださいまし、とその中に混じる。
「夜の撮影か……。もう知ってるとは思うけど、ここの砂漠の夜は寒いよ」
「そうですね。俺もこっちに来て驚きました」
「そういやチー太郎たちの世界じゃ、気候はどうなんだ?」
「俺たちが住んでたところは、いまは夏ですね。あそこは夜になっても気温が下がらないからもう寝苦しいのなんの……」
それを聞いて、うへえ、と顔を歪めたグレンは、しかしすぐに、チー太郎の様子が尋常ではなくなったことに気付いた。
「おい、どうしたチー太郎」
「『冬の花が咲かない夏』……」
ぼそり、と呟いたチー太郎の声に、トリ子が耳ざとく反応した。
「……マジで?」
「……マジだ」
「なんだ?チー太郎は何か思いついたのかい?」
尋ねるアルフレッドに、チー太郎は不敵な表情で答える。
「アルフレッドさん、知っていますか?夏に咲く、冬の花もあるんです」
不安定な作戦だった。
撮影決行可能日など、夏休みが10回終わるまでないかもしれない。作戦内容を伝えられた街の住民たちは、いくらなんでも無謀だ、と口々に言った。
滞在期間がすでに3週間を超え、もはやチー太郎とトリ子がこの世界にいられる時間も残り少ない。
だが、それでも。
毎日、アルフレッドたちや街の住人たちと交流を重ねながらも、その合間に空を鋭く見つめ続けるチー太郎と、そのチー太郎を、微塵も疑う様子を見せないトリ子の姿に、誰もがわずかばかりの希望を抱いていたのだ。
見たいのだ。自分たちが参加して、祭りのように作り上げられた作品が、奇跡のように仕上がる瞬間を。あのどこから来たとも知れぬふたりの子供が残す、自分たちの記録が、最高の形になる一瞬を。たとえ、それがどんなにあり得ないように思えたとしても。
果たして。
「来た。今日だ」
短く一言。予言者のような口ぶりで言ったチー太郎の言葉に、それを聞いていた人間は動揺した。
「みんな、今日の夜、最後の撮影を決行する。参加者も観客も夜10時までに門に集合してくれ。そこからの動きは、その場で指示していく」
そして、最後の撮影が始まる。
ひどく冷える夜だった。気温は零下になっている。
しかし、焦りからか、あまりにも早くに砂漠の夜に集まった人々は、熱に浮かされたような火照りを抱えていた。
本当にできんのか、とか、いやなにか自信があるんだ、とか、疑惑と期待が入り混じって、かえって摩擦で感情の熱が上がっていく。
同じく集まっていたアルフレッドは、近くにいたトリ子に話しかけた。彼女は、ほかの人々と違って、泰然としていた。
「トリ子は、どう思っているんだ?本当に撮れると思うのか?」
「あいつがやれって言ったなら」
普通の音量で喋っているだけなのに、信じられないほど声が通った。砂漠の夜に、静かに、しかし響く。
「やるだけです。やれるんですから」
あまりにも疑いのないその言い方に、アルフレッドは、いや、群衆はみな、一瞬言葉を失った。その静寂のなか、トリ子は、それに、と付け足して言う。空を指さして、
「もう、出てきたみたいですよ」
その先には、雲の切れ端が。
待ちきれない、とばかりに身体を震わせる者がいた。おお、と意味もなく唸り声を上げるものがいた。筋肉の震えを抑えようと、しきりに足踏みするものがいた。
アルフレッドは、クラリッサは、ララは、グレンは、胸の高鳴りを抑えるように、待っていた。
そして、彼が。
「なんだ、ずいぶん早く集まっていたようだな」
カメラに映らぬ唯一の人が、そして今夜の主役が。
「諸君」
いま、街中の目線を独り占めにして。
「やるぞ」
街を、歓声で揺らした。
「最初のカットは主人公が街を抜け出すところから。最後にゴーレムが大きく上から振りかぶって殴りつけてくる。土人形班はリハーサル通り準備して。トリ子、絶対避けろ」
「誰に言ってんのよ」
そして、速やかに最初のカットの撮影が始まる。
街の門から、人目を忍ぶようにして、走って抜け出てくる主人公。彼女は砂漠の中腹にあると言われる、夜しか動かない帰還陣の元へ急ぐ。本当は、彼女も街の人間たちにちゃんと別れを告げたい。けれど、できないのだ。愛着がありすぎて、帰れなくなってしまうから。
ひっそりと、誰にも見つからないよう、涙をこらえて、小さな体で抜け出す主人公。異世界で人と触れ合って強くなった彼女は、別れの弱さも手に入れてしまった。ひそやかに砂漠の月と星が彼女を照らす。
そして躓き、倒れ伏す少女。口に入った砂を吐き出して、爪の隙間に砂粒が入り込むのも構わず、地面を強く握りしめ、涙を絞るような声で、
「帰らなくちゃ……。私、ひとりでも、やっていけるって、強くなったんだから……」
その彼女の顔に影が差す。ハッと顔を上げると、そこには勇者たちが幾度も戦っていた、ゴーレムの姿。
咄嗟に転がって、振り下ろされる拳をかわす。なりふり構わず、主人公は砂漠の闇の深くへ逃げ込んでいく――。
「カット!」
そう言ってチー太郎が撮影した内容の確認に入ったとき、ようやくそれを見ていた人々は、現実に引き戻されたような気がした。
トリ子の纏う空気が全く変わっているのだ。以前から、街中の撮影で、ずいぶん上手い役者だとは思っていたが、こうしてドラマチックなシーンに入るとそれがよくわかる。まるで、自分たちの接していたトリ子のほかに、ずっとこの街にあの主人公のトリ子が住んでいたような気にすらなってくるのだ。
「次のカット!主人公が岩陰に隠れながら、ゴーレムをやり過ごそうとする。土人形を遠くから映して独白入れるだけだから短いぞ!」
始まる。
ゴーレムから逃げ出し、どうにか岩陰に隠れた主人公。そこで、抱え込んだ膝に顔をうずめる。
強くなったと思った。だけれど、あの優しい勇者たちが戦っているモンスターにはとても敵わない。
あの優しい街で、自分は強くなったと思った。変われたと思った。けれどそれはただの勘違いだったのか?
周囲を探し回るゴーレムの足音に身をすくませながら、静かに息を殺す……。
「カット!次は15分後!アルフレッドさんたちもスタンバイしといてください!」
そう言って瞑目したチー太郎。トリ子も、足跡が着いちゃうから、と岩陰から動きもしない。
アルフレッドたちは、そわそわと落ち着かない様子だった。自分たちが参加して、この作品を壊してしまわないか、そういう心配をしていた。
そして、休憩が始まってから5分もすると、空にどんどんと雲がかかっていくのが見えた。
誰もがそれを信じられない顔で見ていた。チー太郎とトリ子以外は。
その暗雲のかかっていく様子を当然とばかりに相手にしない、異世界から来たふたりの子供の姿は、一種の神がかりのようで、参加者も観客もどんどん妙な夢に浮かされたような気分になっていく。
15分が経った。
「最後のカット。ここから全部一発撮りです。主人公が気を逸らせて岩陰から飛び出して、ゴーレムに囲まれる。もうダメだ、と思ったところに、勇者パーティーが乱入。街の人々も飛び出してきて、彼らに助けられながら帰還陣へ進む。そしてクライマックスだ。トリ子」
長々とした説明を終え、チー太郎は言う。
「あとは上手くやれ」
めちゃくちゃなチー太郎の指示に、もはやトリ子は返事もしない。
彼女はただ、演技するためにそこにいた。
カメラが回る。
こんなことじゃダメだ、と蛮勇を起こして岩陰から飛び出した主人公。しかし、この世界の人々が恐れるモンスターは生易しいものではなく、気付けば囲まれてしまう。
ここで終わりか、と瞼を閉じた瞬間。
雷光が閃いた。
そして、疾風のように駆け抜けた金髪の青年がゴーレムを切り裂き、灰色の髪の男性が遅れて駆けつけ、タックルで弾き飛ばす。
「伏せてください、サンダーボルト!」
後方から声がして、再びの落雷。
焼け焦げたゴーレムは、崩れ落ち、粒子に分解される。
それは、奇しくも主人公の少女が、初めてこの世界に来たときと同じ光景。
しかし、今度は、それに続いて、彼女がこの世界で交流した多くの人々も救援に駆けつけた。
これが、彼女がこの世界で得たすべて――。
練習通りの完璧な殺陣。そして何より、トリ子が作り出す空気の中、群衆はいま、実在の自分を離れて、主人公の少女が訪れた異世界の住人になっていた。
アルフレッドの魂は震えた。力を持って生まれたばかりに、勇者になるべく育てられた自分。そんな自分が、こんな場所に立っているなんて、と。ある日突然現れた、チー太郎とトリ子は、自分に新たな喜びを教えてくれた。誰かと何かを作り上げる喜び。
その喜びにいま応えたい。そうして剣を振るおうとしたそのとき。
気付いてしまった。足元に、月光のもたらす自らの影ができていることに。
空は、晴れていた。
たった一瞬の動揺が、緻密な殺陣に罅を入れた。たったひとつのズレが、やがて伝播して、すべてを崩す――。
「やあああああっ!」
はずだった。
その崩壊を食い止めたのは、主人公の少女、あるいは演技に憑かれたトリ子であった。
膨大に重ねられるはずだった繊細の崩れを、たったひとつの体当たりで元に戻した。針の穴に、糸を投げて通すような芸当だった。
そのトリ子を見たアルフレッドは、もう迷わないと決めた。トリ子が、チー太郎が、決して疑わぬというのなら、自分もまた、疑うのをやめよう、いや、信じようと。
再び、緻密な殺陣は組み直される。
そして、彼女は帰還陣に辿り着く――。
帰還陣の上に立つトリ子。
それを見守る群衆。
その後ろに広がる、雲一つない空に、群衆はいま、奇跡を逃したような表情をしていた。異世界から来た、奇妙なふたりの子供たちが引き起こした、祭り騒ぎ。その終わりを、彼らは見ていた。
しかし、アルフレッドらはそうではない。
何かを強く信じ続けているような。その表情は、まさにこのシーンにあるべきものだった。
主人公の少女が口を開く。
「私は、ずっとひとりになろうとしていたんだと思います」
「傷つくのがこわくて、誰かを遠ざけて、自分も遠くへって」
「でも、きっと本当はそうじゃなくて。みんなが私を助けに来てくれたとき、本当にうれしかったから」
「だから、帰ります。私、みんなにちゃんと別れを告げて、帰ります」
そう言って、アルフレッドたちを、街の人々を、見つめる少女の瞳は、砂漠の夜の星より澄んでいて――。
そうして、彼女が。
彼女が、その表情を変える瞬間に。
笑顔とともに、彼女の背中に、オーロラが咲いた。
誰もが、息をのんだ。
色を変え、形を変える、その、氷よりも奇跡のような、光の花に。
「ありがとうございました。本当にみんなのことが大好きでした」
彼女は、信じられないほど美しく笑って。
「きっと、自分の生まれた世界で、誰かと一緒に、幸せになりますから」
「きっと、傷つくのをこわがらずに、誰かを好きになってみせますから」
「だから、さようなら」
「私、頑張って生きていきますから。……だから」
――また、いつか。
最後の、一言が響いて。
「……カット」
声の主は、不敵に笑って。
「完璧だ」
大歓声が、響いた。
群衆はチー太郎とトリ子の二手に分かれて、群がっていく。
トリ子はクラリッサにきつく抱きしめられ、涙やら鼻水やらで顔がぐしゃぐしゃのララに泣きつかれ。
チー太郎は、アルフレッドに飛びつかれ、グレンに髪をぐしゃぐしゃに撫でられ。
「すさまじいなチー太郎、君は!」
「トリ子ぢゃん~。私だぢ友達だがらねぇ~」
「トリ子さん!あなたは本っ当に最高ですわ!」
「なんでえチー太郎、あんな隠し玉持ってやがったのか!」
もみくちゃにされ、群衆に埋もれながら、トリ子が声を張り上げた。
「チー太郎ー!!」
「なんだー!!」
チー太郎も声を張り上げると、群衆は気を遣って、人込みのなかふたりを移動させ、真ん中で引き合わせる。
ふう、と一息ついたトリ子の髪はぐしゃぐしゃで、チー太郎の眼鏡はずり落ちていた。周囲の人が、うまい具合に人込みの真ん中に、円形の空間をつくってくれた。
「あんた、あのオーロラどうしたわけ」
「はは、これだ」
そう言って、腕を持ち上げたチー太郎は、紫色のオーラを迸らせた。壺を使って異世界移動するときに使用した謎の力だ。
トリ子は、なんだ、と声に出し、
「最初から保険かけてたってわけね」
「トリ子、お前オーロラの発生原理を知ってるか」
「知るわけないでしょ」
「だろうな、俺も知らん」
「……は?」
トリ子の動きが、止まった。一方、チー太郎は愉快そうに笑いながら、
「雪が降らなかったときは、俺のリアルラックもここまでか、と思わんでもなかったがな。まあなんでも試してみるものだ。まさかオーロラが出るとは思わなかったが」
ぽかん、とする周囲を置いてきぼりに、はっはっは、とチー太郎は笑い、
「なんだかよくわからんパワーを打ち込んだら都合よくオーロラが出るとは、やはり俺の運は最高だ。砂漠に雪よりもオーロラの方が珍しいだろうし、結果オーライと言うやつだな」
ぷるぷる、と下を向いて震えるトリ子に向かって、不敵な顔で、
「チートのちーちゃん。そう呼んでくれても、構わんぞ」
「お前ふざけんなよ!」
「グエエーッ!!ケツが割れる!!」
そうして群衆の真ん中で、取っ組み合いのケンカを始めた、先ほどまでは神がかりのように見えていたふたりの異世界の子供を前に。
人々はどういう反応をしていいか、いまいちわからないでいた。
ただひとり、グレンがぼそり、と「こりゃあ確かに、やりたい放題だ……」と、呟いた。
オーロラの光る、砂漠の夜だった。
「さあ、須子智以太郎!勝負です!」
「狩られるために、ウサギがのこのこやってきたか……」
学園祭当日。
編集を泣きながら終わらせたチー太郎(3倍モンゴリアンデスワームの恨みとばかりにトリ子に尻を蹴られまくった)とトリ子は、いま同好会の会長と向かい合っていた。
「あなたに勝って、映像研究部は吸収合併させていただきます!そうしてあなたたちは映像文化同好会アニメ部門担当になるのです!」
「あたしはオタクじゃない!」
「お前はオタクだぞ、トリ子」
尻を蹴られた。異世界での一件のあと、かなりトリ子の足癖が悪くなった。
赤フレームの眼鏡をかけた同好会の会長は、チー太郎をびしっと指さしながら言う。
「私たちも夏休み直前に『冬の花が咲かない夏』をうっかり購入して金欠になる、というハプニングがありましたが、それでも部員たったふたりのあなたたちに負ける要素はありません!」
「あんたと同レベルのバカね」
「というかこいつもオタクだったのか」
「私をそっちのけで仲良し漫才するのはやめなさい!」
割と切なげな顔で同好会長が叫ぶ。
「と、こ、ろ、で!あなたたちは私たちに勝利したとき、いったいどういう要求をするつもりですか?無駄だと思いますが、一応聞いてさしあげましょう!」
「だとさ。どうする、トリ子?」
「あたしあれ欲しい。高い食器」
「金銭的な負担が発生するものはやめなさい!」
えー……、と不満そうなトリ子を押しのけて。
「だったら、お前らには今度来る、俺たちの友人のウェルカムパーティーの準備を手伝ってもらうことにしよう」
「あら、須子智以太郎に井坂鳥子。あなたたち、お互い以外に友達がいたんですか?」
「いるわい!こいつと一緒にすんな!」
「どういう意味だ、トリ子。まあ、いるかと言われればいるさ」
そう言って、チー太郎は、不敵な顔で。
「街ひとつ分くらいはな」
西日の射しこむ、映画研究部室。蝉の鳴く声はもう聞こえない。
机の上にあるのは、バカでかい壺。『冬の花が咲かない夏』のBD。そしてその横にもう一枚のBD。一度は『冬の花が咲く夏』と書かれたらしいその題名は、横線を引かれて、書き直されている。その、本当の題名は。
『友と咲く花』