01
全三話完結。
私の名前は山下久美でした。
そう、でした、なのだ。
私は東都マンガフェスタに参加していた。
大量の収穫を持って、浮き浮きと。
楽しめそうな新作を一杯買えて、まさに極楽気分だった。
でも、極楽から地獄へと真っ逆さま。
帰り道の途中、信号を無視した暴走車が!
車に気づいた私は、はっと振り向く。
助手席ではバットを振り回していた。
恐らくドラッグか何かでラリっていたのだろう。
私は弾き飛ばされ、大量の薄い本を地面にばらまき、鮮血に染まって倒れ伏した。
即死じゃなかった。
だって、遺言を今でも覚えているもの。
「せめて、全部読みたかった……」
それが私の辞世の句だ。
和歌でも俳句でもないけど。
今の名前はアルネ=モア=ブランソン=エドフェルト。
エドフェルト公爵家の次女だったりする。
エドフェルト公爵家の始祖は、グラスウッド王国を建国した勇者様の仲間にして親友だ。
この世界に召喚された勇者様を助けて、魔王を倒した英雄の一人なのだ。
私アルネも始祖の名前を汚さないよう、厳しい教育を受けている。
貴族もののボーイズラブを描いていた私にとって、ほぼ最高の転生先だった。
異世界?
そんなの、どうでもいいよね。
私は今度こそ、BL作家として満足な人生を生きるのだ。
そう意気込むも幼児期は正直いって苦痛だった。
怪しい挙動にならないよう、配慮するのでやっとだ。
それでも、私は四歳にしてBL道を志す。
小さな手で鉛筆を、ペンをとる。
描きたかったからだ。
薄い本を。
心の中で熱き血潮が渦巻いているのだから、仕方ない。
ただただ、ボーイズラブを私は求める。
ペンは万年筆とほぼ同じ。
紙の質も悪くない。
現代日本と比べて、この世界だと紙は多少高い。
でも、公爵家の財力なら何の問題もなかった。
でも、手が思うように動かないのだ!
前世ほどの腕前にはほど遠い。
この身体だと当然か。
前世では八年も描き続けていたのだ。
差があって当然だろう。
だから、私は描き続ける。
デッサン、デッサン、とにかくデッサン。
満足できる絵を描きたければ、描き続けるしかないのだ。
時折、両親が勉強の様子を見に来る。
そういう時のため、私はきっちり勉強用ノートも用意してある。
「アルネは賢いな。将来が楽しみだよ」
優しげな眼差しで父はいつもそういってくれる。
「勉強も重要ですけど、マナーもしっかり覚えるのですよ」
「はい、母上」
母とはこんな会話が様々なバリエーションでやりとりされる。
公爵家の娘だから、政略結婚前提なんだろうな。
やだやだ。
私はBLの世界で生きていきたい。
両親ともに仕事や社交で忙しいから、それほど接点はない。
だから、私は猫かぶりできた。
私には兄と姉がいる。
四つ年上の兄は正統派で王子様のようだ。
甘いルックスをして、こんな少年が学校にいたら、女子の間でとりあいだろう。
いいモデルだ。
とても、いいモデルだ。
きゅんときます。
神よ!
お兄様を私の兄としてもたらしてくれたことに感謝いたします!
私は光の神ウェズラムに祈りを捧げる。
きっと、信仰心マックスだろう。
だが、一つ失敗した。
八歳の時、ばれてしまった。
私が絵を描いていることを。
「アルネ、絵を描いていたんだね」
一二歳であるお兄様の声はとても優しい。
私が萌え死んでしまうほどに。
私の絵はいわゆる少女マンガ風のタッチだ。
この世界では、いわゆるバロック様式のような絵画が中心だった。
レンブラント、ルーベンス、フェルメールらが描いたかのような絵が多い。
「変わった描き方だね」
だから、お兄様の言葉はもっともなことだ。
現在、私が描いてる少女マンガのようなタッチの絵はないに等しい。
「もしかして、これは僕がモデル?」
あああ、ばれてしまった!
このタッチでもわかってもらえたのはうれしい。
でも、やばかった。
本当によかった。
誰かと絡ませてなくて。
「ええ、お兄様。優しいお兄様を絵にしたくて」
私は微笑でごまかす。
この言葉は真実だ。
しかし、全てを語ってはいない。
お兄様の親友である第二王子と絡ませてみたいんです。
なんて、いえるわけがなかった。
「よければ、この絵をもらっていいかな」
「まだ拙いですけど、これでよければ」
「そんなことないよ。僕はアルネの絵、好きだよ」
「あ、ありがとうございます」
お兄様が発した『好きだよ』の言葉だけ切り取って、脳内で宝物として設置する。