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海送り -sea saw-  作者: est
5/9

第五話


 夢を、見ていた。


  ◆


 校長先生の長い話。

 そう。最後の砦は、校長先生の長い話だった。これさえ終われば、僕達の夏休みが始まる。目の前に広がっていたのは、規則正しく並んだ生徒たちの列でも、校長先生の生い先短い髪の毛でも、大あくびを惜しげもなく晒す生活指導の先生でもなかった。真夏の青い空と蝉の声であり、苺味のカキ氷と夜空を彩る花火であり、エイジとミサキと約束した、両家の旅行先の光景だった。それさえあれば、山のような宿題も、成長が伺えないことが予想される通知表も、大した問題ではなかった。小学生最後の夏。

 夏休みをそんな都合のいいもので埋め尽くせるほどに、その頃の僕達は幼かった。



 台風が近付いている。

 そのことが、終業式を一日だけ早めた。そのことが、僕達をひどく浮かれさせたんだと思う。

 先生は、早く下校をするようにと再三に渡って言い続けた。

 決して、寄り道などしないで帰れと。台風が近付いているんだと。


 僕達がもう少し賢ければ、先生にも迷惑をかけずに済んだのだ。当時は何も分からなかったけれど、そんなことは言い訳にもならない。先生は僕達のせいで、この学校を去ることになってしまったのだから。

 僕もエイジも、勿論ミサキだって言うことを素直に聞かない悪ガキ、というわけでもなかったけれど、その日は真っ直ぐ家に帰ることなんて出来なかった。台風が近づ

いてきているということがどうしてあんなにも胸を躍らせたのか、今となってはほんの少しも分からない。

 僕とエイジとミサキと、あと誰がいたかは忘れてしまったけれど、その時仲が良かった数人は前日に打ち合わせをしていた通り、こっそりと人通りの少ない路地裏を縫って、下校するルートとは逆方向にある浜辺へと向かった。そして着くなり、靴と靴下を一緒くたにして脱ぎ捨て、いつもよりもどこか豪快で、気持ちの悪い風が吹く海へと近付いた。みんな水着を用意してはいたけれど、さすがに入ろうと思うことはなかった。

 果たして、そのことに何の違いがあったのか。危険なことには変わりなかったのに。


 その海は地元の人もなかなか行かない、ちょっとした穴場だった。それがまずかった。

 勿論海の家だってないし、監視員の一人もいない。台風の前日で、子供が海に入らないようにと、大人達が絶対に張り込みにきているとあらかじめ予想しておいた結果だった。

 僕達は、自分達の他に誰もいない海を、まるで貸切りをしたみたいな気分になりながら、裸足のまま浜辺で遊んだ。風が強くなってきて波が荒れ始めても、まだ大丈夫と、勝手に決め込んで遊んでいた。完璧に浮かれていた。


 どれくらいの時間が経った頃だったろう。

 ミサキが大きなくしゃみを3回、間髪を入れずに放った。それが合図だったかのように、僕達は突然風が思ったよりも強くなってきていることに気が付いた。

 初めて、焦った。

 もう帰ろうと、誰かが言った。波が心なしか、高くなってきている気がする。

 僕達は急いで浜辺へと上がり、浜辺の奥の方まで引っ込んだ。ここまで来れば、今ぐらいなら波もそうそうやっては来ないだろう。そういうことにして、用意していたタオルで脚を急いで拭いた。

 僕が靴を履き終えようとしている時だった。

「あれ! ちょっと見ろよ!」

 エイジが叫んだ。普段の彼なら出すはずのない高い声だった。

 あまりにも切迫した様子で、僕には最初エイジが何を言いたいのか分からなかった。エイジが指さした方を、じっと目を凝らしてみる。

 それに気付いた時、僕は鳥肌が立った。

「女の子だ! 赤いランドセル!」

 エイジが、そう叫んだ。他の誰かが、やべえよ、と震えた声で戦慄わなないた。

 あれは、今思うと、本当に赤いランドセルだったのかは分からない。もしかしたら、赤い色をした別の何かだったのかもしれない。でも、その時の僕らはその赤いものを赤いランドセルだとすぐに思い込んでしまった。エイジの声があったからかもしれない。いずれにしても、その時僕らの目の前にあったのは、赤いランドセルを背負った女の子が溺れているという事実だった。

 エイジの行動は早かった。もう靴も履き終わってランドセルまで背負っていたというのに、また靴を脱いでランドセルと服とを脱ぎ捨て、勢い良く浜辺を走りながら海へと飛び込んだ。

 僕はそれを、どこか別の世界で起こっている出来事を見るような目で見ていたと思う。他のみんなも同じだったかもしれない。誰も、エイジの後に続こうとはしなかった。そして誰も、エイジを止めようともしなかった。

 エイジはクラスで一番運動神経が良かった。泳ぐのもとても上手くて、他のクラスメイトとは比べ物にならない実力を持っていた。エイジなら、きっと大丈夫だろうと僕は思っていたのかもしれない。エイジは一見無理そうなことでも持ち前の度胸と潜在能力を存分に発揮して、あらゆる不可能を可能にする男だ。その経歴が、僕にそう思わせていたのかもしれない。

 エイジに頑張れと応援する応援団が、即興で作られた。

 彼ならきっと溺れている女の子も救って、何事もなかったように帰ってきて。

 ああ、そんな凄い奴と自分は親友なんだと、その時僕はなぜか涙を流すほどに誇らしい気分でいっぱいだった。

 頑張れ。エイジ頑張れ。

 子供達の声が、風にかき消されながらこだました。




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