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海送り -sea saw-  作者: est
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第四話


 結局、彼女を犯すことはなかった。でもだからってどうしたもこうしたも、ない。


 僕は彼女を犯そうとした。それだけが真実だった。

 彼女は僕に笑いかけて、私が悪かったと、私のせいだと、だから僕を許すとそう繰り返した。でも、僕にそんな資格はないと思う。

 決して彼女は僕の頬を平手で叩いたり、拳で殴ったり、罵ったりはしなかった。出来ることなら、平手打ちでも罵倒でも何でも良かったから、彼女に嫌われてしまいたかった。

 僕は、とんでもないバカだ。

 自転車で坂を下りながら、僕と彼女は何も話さなかった。

 夕暮れがとてつもなくきれいで、僕はこのまま消えてしまいたいと、切にそう願った。


 家の前で彼女と別れる時に、彼女は僕に向かって話し掛けてきた。

「明日、一緒にお祭りに行こうよ」

 何を言い出すのかと、僕は正直わけが分からなかった。

「いいから。行こうよ」

 僕の気持ちは見透かされていたと思う。それなのに、僕に行こうと誘う彼女の気が知れない。どういうつもりなのだろう。

「じゃあ、また明日ね。6時にここだよ。それじゃあね」

 一方的に言うだけ言って、彼女は玄関の先に消えてしまった。

 僕は目の前が真っ暗になった。


  ◆


 家に帰った僕を待ち受けていたのは、今夜からのお祭りでの仕事の依頼だった。

 僕達17歳の男の子のうち抽選で選ばれた人は、特別に護人の仕事を毎年のように任されていた。正直そんな気分では全くなかったけれど、僕は出掛けることにした。何かやらなければいけない。どこかでそう考えた結果だった。

 この町には、古くから伝わる夏のお祭りがある。

 毎年同じ日時で二日に渡って行われ、二日目には花火が上がる。花火云々については随分と最近になってから始まったことで、それは他の地域からやって来る人に合わせるために作られたイベントだった。

 このお祭りの本来の意図は別のところにある。

 このお祭りは【海送り】と呼ばれていて、海で亡くなった人々の魂に安息を与えつつ畏敬の念を込めて、お祭りの日だけこちらの世界に呼び寄せた後、再び海へ帰すという意味合いが込められている。そのことをしっかりと念頭においてお祭りを運営している人は、もう老人くらいのものだと思われけれど、でも風習として現代でも続いている行事はしっかりとあった。

 それが舞児であり、護人である。

 舞児というのは、この町で16歳に当たる女の子数人に舞を踊らせて、海から魂を呼び寄せるというものだ。古くから伝わる舞児用の衣装に着替えて、華麗に舞う姿は必見と、旅行ガイドに載ってしまったりもする。彼女達はもっぱら町役場の公会堂で、夜に舞を踊ることになっている。夜の海の方が、澄んだ魂が帰って来やすくなるという伝統があるからだと聞いているけれど、詳しいことは僕も知らない。

 ちなみに舞児はその後で体を清めなければならないため、汚れた外気に触れさせないために踊った場所でその日は寝泊りをしなくてはいけないという決まりがあり、つまりは踊った場所が町役場なら、役場内でその日は過ごさなくてはならない。

 ここで意味を持つのが護人。その時に悪い魂を引き寄せないようにと、舞児達の寝所を交代で番をするのが彼らの仕事である。それはこの町で17歳に当たる男の子数十人に任されることで、こちらも古くから伝わる武人のような軽装の衣装に着替えることが原則となっている。ちなみに護人も、交代で見張るという任務のためか、この町役場で寝泊りをしなくてはならない。

 と、要は古い言い伝えを現代になっても踏襲しているということだった。お盆の風習がこの町独特の形を取ったと考えてもいいかもしれない。

 この護人に、僕は今年選ばれてしまったらしい。

 その時僕はなぜか、嫌だと思いつつ何だか救われたような思いがした。それがどうしてなのかは、分からない。

 そろそろ出掛けないと間に合わないわよ、と母親の声が家の奥から響いてくる。

 僕はそれに応えないまま、家を出て行った。


  ◆


 護人という仕事は何て暇なのだろう。

 駅の方に住んでいる先輩に話を聞いたことはあったけれど、これほどまでにひどいものだとは想像していなかった。ただ、町役場の前に数人で立っているだけという、本当にただそれだけの作業。これは拷問だと、すぐにそう思った。他の数人と仲良くなることも出来ただろうけれど、残念なことに向こうは向こうで既に知り合いが組まれていたようで、僕が入り込む隙間は微塵もなかった。居心地が悪いことこの上ない。

 おかげで、僕は散々昼間の自分を責めたてることが出来た。

 こういったマイナス思考の螺旋に引っかかることは自分には無縁だと思っていたけれど、いざ嵌まってしまうと抜け出すことは不可能だと悟った。

 どうしたって、自分を許す気が起こらない。

 当たり前だ。僕はミサキに最低なことをしたんだ。

 もしもエイジが生きていたら、彼は僕にどんな言葉をかけただろう。僕を殴り倒してくれたかもしれない。そんなことを少しだけ思った。そういえば今の僕は護人だ。エイジの魂が会いに来てくれるなら、会いに来て欲しいと、今度は心からそう思った。

 僕を罵倒するなら、そうして欲しい。今ならどんな扱いを受けても構わないと思った。

 向こうが望むなら、僕を殺してくれてもいい。

 そういえばエイジは妹を大事にする兄貴だった。同じ歳のくせに、いつもミサキに兄貴風を吹かせて。そんな仲の良い兄妹に入り込んだ自分は、二人に何もしてやることが出来なかったと思う。与えてやるどころか、エイジには何もしないうちから彼とは死に別れてしまって、妹のミサキからは奪うばかりで……。


 交代だ、という声が聞こえてきて、僕は初めて自分が泣いていることを悟った。

 涙を拭って、僕は頷く。やっと交代だと思う一方で、もっとずっとこのままこの場所に留まっていたいという思いがした。

「誰か大事な人を、海で亡くしたのか?」

 僕の涙を見た町役場の職員が、おずおずと尋ねてきた。随分と無遠慮な人だと思う。僕はもう一度、深く頷いた。今泣いている理由はそういった美しいものではなかったけれど。

「そうか……。今日はもう寝るといい。護人用の部屋に布団が敷いてあるから」

 はい、と短く返事をして、僕は町役場の玄関の中に入っていった。




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