第三話
ミサキにとって、エイジの存在は大きすぎたんだと思う。双子だから、というものを越えたところで。何か、自分の中の大事な何かが欠けてしまったような喪失感みたいな、あるいは決して手が届かないところに手を伸ばそうとする悪あがきに似たようなものか、とにかくそういったものを、ミサキの声や顔は毎年のように主張していた。
ミサキは、毎年のエイジの命日にここへやって来ては、虚ろな目をしたまま墓に向かって語りかける。傍から見れば、それは痛々しい以外の何物でもないことで、僕はそんなミサキが好きではなかった。一度、やめるように言ったこともあったけれど、彼女はこれをやめようとしない。僕はさっきとは別の意味で、涙が出そうになった。
僕はエイジを越えることが出来ないかもしれない。死者はそういう部分で、ほぼ完璧といっていいほどに最強なものに思えた。ミサキの亡霊のような笑顔を見れば、そんなことは火を見るよりも明らかだった。
僕の中で、意味の分からない黒い感情が募る。
死んだエイジに対する嫉妬。でなければ、いつまでも死んだ兄から離れられずにいるミサキへの苛立ち。もっと自分を見てくれと、そういう情けない願望も混ざっているかもしれない。
いずれにしても、本当はそんなものは認めたくなかった。
そんなものを抱え込んでいる自分はひどくちっぽけに思えた。親友を失ったという純粋な悲しみを越えたところで嫉妬をし始める自分なんて。けれど、それを覆せるほどのゆとりを持つことも今の僕には難しかった。抑えようと、必死に抑えようと、僕は自分に思い聞かせる。
ミサキの棒のような呼びかけは止まらない。
やめろよ、と思う。やめてくれ、と叫びたい。
片思いならまだしも、というものがあったかもしれない。それならば僕の思いは一方的なものに過ぎなかったのだから。でも、今は違う。僕は彼女の思いを受け止められたと思っていた。そのはずだった。
それなのに、エイジからずっと離れられずにいる彼女は、ひどく残酷な気がした。僕は一体何のために彼女と一緒にいるのか。彼女は何のために僕と――。
僕は、エイジの代わりになったつもりはない。
ここまで来ると、僕の中のミサキへの気持ちは黒いモノに化けつつあった。一方的に募らせた憎しみのようなものになってしまっていた。
毎年のように繰り返されたこの行動に、僕の我慢はとうとう限界を振り切ってしまったのかもしれない。この時僕は、明らかにキレていた。
だから僕は、瞬時に思い浮かんだ最低な考えを、それを実行することに決めた。
僕はそれをミサキに悟られないようにして、小さく溜め息を吐いた後、両手を合わせて瞼を閉じた。
ごめん、とは思わなかった。
後悔するだろう、とは少しだけ思っていたのが、悲しい。
ここがエイジの墓の前だということなんて、すっかり消えてしまっていた。
「そろそろ帰ろうか」
散々あやしい語り掛けを終えた後で、ミサキがそう言った。それを待っていた僕は、優しいフリをして笑いかけ、彼女の腕を引いた。
「その前に行きたい所があるからさ、寄っていってもいい?」
◆
そもそも、本当はエイジを悼む気持ちがあったわけだし、それは今だってしっかりとある。別に、こんなことを最初からしたかったわけではなかったと思う。
そうだ。そのはずだった。
そうだと思いたかった。
◆
墓地の近くには、先日に廃館が決まった公民館がある。
もっと駅の近くで利用しやすい土地が空いたので、そこに移転することになったからだ。
以来、墓地の近くということが災いして近所の小学生には幽霊屋敷と言われたり、夏の夜には肝試しに使われたり、そんな風にして取り壊しの日をこの公民館は待っている。でも、ここも僕らが小学生の頃は立派にその機能を果たしていたのだ。ここにまつわる思い出も、僕やミサキはたくさん持っている。エイジが関わった思い出だって、たくさん。
そんな場所に彼女を連れ込むことなんて、造作もないことだった。
制服を乱暴に脱がして、半ば裸にさせた後、僕は彼女に覆い被さった。無理矢理にその唇を埋めると、彼女の抵抗が露になった。突き入れた舌を噛んできた瞬間に、僕の中で何かが爆ぜた。もうメチャクチャにぶっ壊してやろうと決め込んだ。
胸を鷲掴みにすると、彼女の口から初めて、やめてと叫ぶ声が弾けた。
絶対にやめてやるものか。僕は狂った動きで彼女の首に齧り付く。
お願いだからやめて、と悲痛に叫ぶ。その声を無視して、僕は彼女の下着の中に指を忍ばせた。彼女の抵抗が激しくなる。それを僕は鬱陶しいとしか思わなかった。
このまま、彼女を犯すことに、僕は何の抵抗もなかった。
畜生。畜生。畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生──そんな言葉ばかりで頭の中が埋まっていた。
僕はここにいる。僕はここにいるだろ。こんなに大好きなのに。エイジはもう、いないのに。
その時は、気付いていなかった。いきなり彼女が抵抗することをやめて、僕にはそれがなぜなのかさっぱり分からなかった。
「ツカサ……」
ミサキが哀れむような、申し訳ないような目で僕を見つめた。さっきまでの僕を恐れていた目は、もうそこにはなかった。
「ごめん。私のせいだね」
声に出ていた、と気付いたのはその時だった。
頭の中が、真っ白になった。
僕が何をしようとしていたのか。それを瞬時に理解し、途端に自分への怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。彼女に対する嗜虐心が消え去って、代わりに生まれたのはどこまでも続くような自責と後悔と、申し訳なさ。
何てことを、してしまったんだ。
「ごめん」
陳腐に謝罪をし始める自分はとても汚らしかった。自分の全てを、今ここで切り刻んでしまえればどんなにいいか。心底、自分はとんでもないバカだと悟った。
そんな僕に、ミサキは、何も言わずに抱き締めて、言った。
「ごめんなさい」