第二話
ところで、そんなミサキに告白をされたのは今から1年と3ヶ月前、高校生になってまだ間もない頃だ。
ミサキとは本当に長い付き合いで、小中と同じ学校なのは当然でも、とうとう高校まで揃ってしまったと分かった時には思わず笑ってしまった。家が隣同士で高校まで同じな男女なんて、マンガの中にしかいないものだと思っていた。これでクラスまで同じだったらもう死ぬまで一緒な気がしないでもないと、互いに笑い合ったりしたのが中学卒業記念のクラス会。まさか本当に同じクラスになってしまうとは夢にも思わなかった。
笑うしかなかった。
そんな彼女とは、僕はずっと腐れ縁を続けていくんだろうと勝手に思っていた。でも、それは違った。彼女の方はそれでは満足しなかったらしく、本当に突然、誰もいなくなった夕暮れの教室で不意打ちを僕に与えてきたのだ。
「私さ……ツカサが大好き。だからさ、私と付き合ってよ」
実に彼女らしいストレートな物言いだった。それもただの「好き」ではなく「大好き」らしい。勿論僕は呆気に取られて何も言えなくなってしまった。まさか来るはずがないと思っていた相手からの突然の告白。しかも夕暮れの教室。もう何から何までマンガみたいだった。彼女の告白は続く。
「そっちは全然気付いてなかったと思うけど、私ずっと、ずっと前からツカサが大好きだったんだからね」
そして実に彼女らしく、追い討ちまで仕掛けてきた。悪戯っぽくにんまりと笑って、言っちゃったと彼女は笑った。それは随分と嘘くさい笑顔で、それを見た僕はここでやっと、笑いながらも声を上げることが出来た。
「僕だって」
ミサキの顔が、今度は優しさにほんの少しだけ切なさを混ぜたような笑顔になった。短く切り揃えられた黒髪が、夕暮れの風に靡く。それは、可愛いを通り越した、言葉では言い表せないような笑顔だった。
告白されてから初めてのキスまでたったの3分だった。
キス。初めてだったくせに、それはまるで大昔から知っていた動作だったかのようで、不思議だった。
◆
ミサキは激しい性格をしているけれど、かなり可愛い女の子だ。と僕は思っている。
中学生も後半の頃に、彼女は化けた。小学生の頃は男の子に間違えられるようなタイプの、あまり可愛くない女の子だったけれど、ちょうど背が伸びなくなって胸が膨らみ始めた頃から、彼女は徐々に可愛い女の子に変化をしていった。彼氏の一人や二人くらいいてもおかしくはなかったような気もするのに、不思議とそんな浮いた話は聞かなかった。だから恋愛には疎いのかもしれないと、そう勝手に決め付けていた。
疎かったのは僕の方だった。幼馴染みの恋愛というのはちょっと特殊なものかもしれない。
例えば、お互いの好き嫌いなんてものは、自分のこと以上にお互いがよく分かっていたし、大した話もしていないうちから、二人はお互いのことを当然の如くよく理解していた。僕達には、いわゆる付き合い始めた二人がゆっくりと登る、お試し期間と大きく書かれた階段は全く用意されていなかった。いきなり、恋愛1年目に突入したような慣れがあった。
家が隣の幼馴染み、というのは大きい。
これがもしも高校で初めて出会った二人なら、付き合って3週間でもう一緒のベッドに潜ってしまっていた、なんてことはなかなかないと思う。初めては僕の部屋だった。2回目はミサキの部屋。それからお互いの部屋をランダムに行ったり来たり。財力に乏しい高校生の恋愛生活はどちらかの家の親や兄弟がいない日というのが原則で、それは今でも続いている。
それにしても、3週間というのは少し節操がなさすぎたかもしれない。少しだけ、反省している。
僕達の恋愛は、こうやって続いている。
高校生の恋愛にしては、当り障りのない方だと思う。
何にしても、僕はミサキと一緒にいられることがとても幸せで、それがこれからもずっと続いていくことを心から望んでいる。ミサキとこれからもずっと、と考えるとそれだけで心が温かくなる。本当に。
でも、それだけに、越えられない壁というものに気付いてしまった時に、悲しくなることがある。僕はミサキの心の中の、ある大きな壁を越えることが出来ずにいる。
厄介なのは、ミサキ自身がその壁を、認知していないだろうことだ。
それをもうずっと、言えずにいる。
◆
坂を登り終えたら、墓地はもうそこにある。
海が見渡せる場所にひっそりと建っている慰霊碑を囲むようにして多くの石碑が並んでいて、その一つ一つに名前が彫られている。
僕はそれら一つ一つを見る度に、胸の底が苦しくなる。海で死んでいった人々のことを考えると、息が詰まってしまう。親友を失った僕にとって、それは決して他人事ではなかった。兄を失ったミサキにとっては、僕なんかよりもよっぽどつらいものに感じられるかもしれない。
僕は自転車を停めた。かごの中の鞄から、紅茶の入った水筒を取り出す。
ミサキがゆっくりと荷台から脚を下ろした。短いスカートから伸びる太くも細くもない脚は、どことなく震えているように見える。
僕はミサキの手を取って、エイジの墓に向かった。
墓といえど、エイジの骨がこの石碑の底に埋まっているわけではない。
――エイジの死体は、とうとう海から上がらなかった。
他の墓も、きっと同じようなものだと思う。
僕は水筒の蓋を開けると、ぬるくなってしまった紅茶をエイジの墓に向かって注いだ。冷えた苦いストレートティー。そんな子供らしくない飲み物がエイジは大好きだった。
「ごめんな。冷えてなくって」
返ってくる言葉は勿論ない。遠慮のない笑顔で笑うエイジを思い出して、少しだけこみ上げた。息を大きく吸い込んで、やり過ごす。
「久しぶりだね。お兄ちゃん」
ミサキは虚ろな目をしながら、墓に向かって笑いかける。それは力のない笑顔で、僕の前ではあまり見せようとはしない類のものだった。
ああ、と思う。心の中で、小さく黒い気持ちを育ませる。
決して認めたくない僕の越えられない壁が、ここにある。