婚約破棄されたけど、明け方に溶ける約束なんて最初から要らなかったので~前世の記憶持ち錬金令嬢、夜明けの魔物退治で成り上がります~
「夜明けと共に、君との婚約は溶けて消える。悪く思うな、リゼット」
白み始めた窓の外を背に、第二王子ユリウスは芝居がかった仕草で言い放った。
王立学園、卒業夜会の広間。シャンデリアの光が薄れ、明け方の青が石床を這い始めている。
私――リゼット・アルヴァンは、氷青の瞳を一度だけ瞬かせた。
(……溶けて消える、ねぇ。ずいぶんと詩的な言い回しで人を捨てるじゃないか、この王子)
心の中の私、前世の鈴宮理恵が冷ややかに呟く。
過労で倒れて死んだ救急救命士。その記憶を丸ごと抱えて、私はこの異世界の公爵令嬢に転生した。
ユリウスの隣には、ふわふわの栗毛の少女。聖女見習いのミィナ・ホロウェルが、申し訳なさそうに、けれど確かな勝利の色を浮かべて俯いている。
「理由を伺っても?」
私は表情ひとつ動かさず、静かに問うた。
「君は冷たすぎる。数字と魔物の話ばかりで、笑顔ひとつ見せない。ミィナのように……温かくないんだ」
広間がどよめく。
(温かくない女に温度求めるとか、正気か王子。三徹明けでトリアージを回していた私に、温度ときたか)
心肺蘇生の最中に泣いてる余裕なんてない。それを冷たいと言うなら、結構。
だが私は喚かなかった。喚くのは、いちばん無駄な行動だと前世で学んでいる。
そう――そもそもこの婚約は、恋ではなかった。
『明け方に湧く魔物が消えるまで、王家を支える』
そういう政略的な“約束”だった。国境の村々を、夜明けに実体化する『溶ける刻の魔物』から守るための。
その約束を、彼は今、気まぐれで溶かした。
明け方に、呆気なく。
私は、ドレスの裾を軽くつまみ、淡々と一礼した。
「かしこまりました」
静まり返る広間に、私の声だけが澄んで響く。
「ではこの婚約と共に――私の錬金術と、魔物対策の全知識も、王家から引き上げます」
ユリウスの得意げな顔が、初めて、わずかに強張った。
□
「……引き上げる、だと? どういう意味だ」
ユリウスが眉をひそめる。まだ、意味が分かっていない顔だ。
(そうだろうな。あんたは一度も、私が何を造っていたか見ようとしなかった)
私はこの世界で『錬金令嬢』と呼ばれていた。
規格外の複合ギフト――『錬金+解析』。
そして私だけが造れる秘薬がある。
『陽光凝縮ポーション』。
夜明けに実体化し、村を喰らう『溶ける刻の魔物』を無力化する、唯一の切り札。
国境防衛の、要。
だが誰もその価値を理解していなかった。私が国境の被害統計を並べ、スタンピードの発生確率を弾き出すたび、社交界は「また魔物の話」と眉をひそめた。
温かくない、と。
「殿下」
私は静かに告げる。
「王都の明け方の結界は、私の供給する陽光ポーションで保たれています。在庫は、あと十七日分」
「なっ……」
「その先は、ミィナ様の聖女の力で維持なさってください。……できるのであれば」
ミィナの肩が、びくりと跳ねた。
「……っ」
(気の毒だとは思うよ、少女。あんたも祭り上げられた側だ。でも、身の丈に合わない椅子は、いつか必ず落ちる)
私は踵を返す。
プラチナブロンドの結い上げは、一分の乱れもない。
「リ、リゼット! 待て、そんな脅しは――」
「脅し?」
振り向きもせず、私は言った。
「事実の共有です。救命の現場では、感情より数字を伝えるものですので」
夜明けの光が、広間の床を白く染めていく。
(溶けたのは、婚約か。それとも、この国の運命か。……まあ、私には関係のないことだ)
私は迷わず、扉を開けた。
*
「リゼットさんの予測、また百発百中じゃないですかー! うきうき!」
辺境の街、冒険者ギルド。
オレンジ色の癖っ毛を高い位置で結った受付嬢――ココ・フェリエが、両手を握って目をきらきらさせている。
「西の峠、明日の夜明けにスタンピード。規模は中。避難は今夜のうちに完了させて、討伐隊は峠の南斜面に配置。これで被害はゼロにできます」
私は地図に指を滑らせながら、淡々と告げた。
王都を出て、数週間。
私は辺境の冒険者ギルドに登録し、前世の救命ロジック――限られた資源で、最大の命を救う判断――を、そのまま魔物対策に転用していた。
「いやーもう、辺境の宝ですよこの人! 王都は何を捨てたんですかねぇ!」
ココがけらけら笑う。
(宝、ねぇ。王都では“冷たすぎる置物”だったんだが)
温度差に、少しだけ、口の端が緩みそうになる。
「嬢ちゃんの言うとおりに動きゃ、村がまるっと助かるんだ。頭が下がるぜ!」
豪快な声とともに、狼の耳と尻尾を持つ大男が入ってくる。獣人冒険者のガロン・ウルドヴィークだ。
「最初は半信半疑だったがな。被害ゼロってのを、この目で三回見りゃ、信じるしかねえ」
「実力主義、助かります」
私は淡々と頷いた。
ここでは、身分は問われない。
成果が、すべて。
(ああ――そうか。この空気が、私はずっと欲しかったのかもしれない)
過労死した前世でも、褒められることなんてなかった。ただ数字と命を回し続けた。
でもここでは、私の“冷たさ”が、人を救っている。
「さ、次の予測いきましょっ! リゼットさん、コーヒー淹れましたよ、辺境産!」
「……いただきます」
温かいカップを受け取る。
(この温度が、なぜだか、少しだけ沁みる)
*
その男に出会ったのは、明け方のギルド倉庫だった。
扉を開けた瞬間、私は足を止めた。
巨体を、無理やり三角座りに折りたたんで、震えている影。
漆黒の竜鱗の紋様が、腕から首筋にかけて走っている。鋭い金の瞳。常人を見下ろすはずの長身が、今は膝を抱えて縮こまっていた。
(……えっと。これは、どういう状況だ)
前世でも、こんな搬送案件はなかった。
「……見るな」
低い、絞り出すような声。
「明け方は……人型が、崩れる。呪いだ。放っておけ」
この男――辺境国家の『竜人将軍』オルトゥス・ドラグヴァルト。戦場では『冷酷無比の竜殺し』と恐れられる強キャラ、と噂に聞いていた。
その竜殺しが、倉庫の隅で、尻尾をへにゃりと垂らして震えている。
私は、迷わなかった。
腰のポーチから小瓶を取り出す。淡い金色に光る液体――陽光凝縮ポーション。
「飲んでください」
「……何を」
「あなたの竜化、夜明けの魔物と同じ“溶ける刻”の性質でしょう。だったら、これで苦痛は和らぐはずです」
差し出された小瓶を、金の瞳がじっと見つめる。
そして――おそるおそる、飲んだ。
数秒。
震えが、止まった。
鱗の紋様が、すうっと引いていく。
「……なんだ、これは。痛くない……夜明けが、痛くない」
呆然とした声。
「よかった。データが取れたら、改良します」
「デ……データ?」
困惑する将軍を前に、私は淡々とメモを取る。
(呪いの正体、“溶ける刻”由来。陽光ポーションで中和可能。継続投与で症状緩和の可能性――これは、面白い症例だ)
「お前」
オルトゥスが、私をまじまじと見た。
「怖くないのか。竜化した俺を見て、皆逃げる」
「逃げる理由がありません。患者が目の前にいるだけです」
しばしの沈黙。
そして彼は、ふいと目を逸らした。
「……別に、礼を言いたいわけではない。ただ、その……」
ぶっきらぼうな声が、尻すぼみになる。
「お前の造る薬は……夜明けが、怖くなくなる」
垂れていた竜の尻尾が、ぴくりと、ほんの少しだけ持ち上がった。
(……なんだこの生き物。冷酷無比の竜殺しじゃなかったのか)
私は、その日から、この不器用な将軍のパートナーになった。
*
王都、その頃。
「なぜだ……なぜ結界が保たない! ミィナ! お前の聖女の力で、なんとかならんのか!」
ユリウスの声が、王城の広間に響く。
陽光ポーションの在庫が尽きて、二十日。
明け方の魔物被害は、日を追うごとに激増していた。国境の村がひとつ、またひとつと襲われ、避難民が王都に押し寄せる。
「わ、わたし……こんなはずじゃ……」
祭壇の前で、ミィナ・ホロウェルは力尽きて泣き崩れていた。
ふわふわの栗毛は乱れ、大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。
彼女の聖女の力では、王都全体の結界を維持することなど、到底できなかった。
温かい、けれど――無力。
「わたし、こんな役目、望んでなかった……」
消え入るような声。
(そうだろうとも。あんたも、この王子に祭り上げられた被害者だ)
もしリゼットがこの場にいたら、そう思っただろう。
温かさだけでは、村も国も守れない。
それを証明してしまったのは、他でもない、ユリウス自身だった。
「陽光ポーション……リゼットが造っていた、あの……あれは、ただの薬じゃなかったのか……彼女は、本当に……」
遅い。
あまりにも、遅い後悔だった。
夜明けの光が、崩れかけた結界の隙間から差し込む。
その光の中で、王子はようやく、失ったものの大きさを知った。
*
数ヶ月後。
私は、辺境国家の防衛顧問として正式に迎えられていた。
国境の被害は、ゼロが続いている。
スタンピード予測、避難計画、討伐配置、そして陽光ポーションの安定供給。前世のロジックが、この世界を回している。
そして、隣には――オルトゥス。
「リゼット」
執務室の窓辺で、彼が静かに私を呼んだ。
金の瞳が、夜明けの光を映している。
「今朝は……崩れなかった。人型のまま、朝を迎えられた」
「継続投与の効果が出ましたね。呪いは、いずれ完全に抑え込めます」
「……お前は」
彼が、少し言葉を選ぶように黙る。
「お前の沈黙は、冷たくない。……安心する、静けさだ」
ぶっきらぼうな声。けれど、その裏に、確かな温度があった。
(この男は、私の“冷たさ”を、そう呼ぶのか。王都では、忌み嫌われた沈黙を)
ここでは、それが誰かを救っている。
私は、窓の外の白む空を見上げた。
「オルトゥス」
「なんだ」
「あなたの呪いも、明け方の魔物も、“溶ける刻”に縛られている。でも、もう怖がらなくていい」
そっと、彼の手に、小瓶を握らせる。
淡い金色に光る、私の造った夜明け。
「あなたの約束は溶けても――私の造る夜明けは、溶けない。何度朝が来ても、消えないものを造ります」
かつて、王子は言った。夜明けと共に婚約は溶けて消える、と。
ならば、私は溶けないものを造ろう。
オルトゥスの金の瞳が、ゆっくりと見開かれた。
そして――照れ隠しのように、ふいと横を向く。
だが、垂れていた竜の尻尾は、隠しきれずに、ぱたりと嬉しそうに揺れていた。
「……ああ。もう、夜明けが……怖くない」
(照れ隠しに横を向いても、竜の尻尾がぱたぱた揺れているぞ、将軍)
*
その報せが辺境に届いたのは、ある明け方のことだった。
王家からの、正式な使者。
「リゼット・アルヴァン公爵令嬢に、王家より切なる願いがございます」
使者は深々と頭を下げた。
「王都の明け方の魔物被害、もはや制御不能。どうか――陽光凝縮ポーションの供給を、再開していただきたく」
その後ろには、憔悴しきったユリウスの姿もあった。
かつての甘い物腰は消え、目の下には濃い隈。彼は震える声で言った。
「リゼット……頼む。あの時のことは、謝る。私が、間違っていた。国のために、どうか――」
(国のために、か)
私は、氷青の瞳で、静かに彼を見下ろした。
喚かない。責めない。ただ、事実だけを告げる。
それが、私の断罪の作法だ。
「殿下」
「な、なんだ」
「私は今、辺境国家の防衛顧問です。私の造る薬は、私を宝と呼んだ人々のためにあります」
ココの、うきうきした声を思い出す。
ガロンの、頭が下がるという言葉を。
そしてオルトゥスの、安心する静けさ、という言葉を。
「あなた方は、私の価値を見ようとしなかった。“冷たすぎる”と、明け方に捨てた」
「そ、それは……」
「ですから」
私は、一礼した。
かつて夜会で、婚約破棄を告げられた時と、同じ角度で。
静かに、淡々と。
「だが、断る」
広間が、凍りついた。
「な……」
「頭を下げる相手を、王家は明け方に捨てましたので」
ユリウスが、崩れ落ちるように膝をつく。
私は、それを見届けもせず、踵を返した。
窓の外は、夜明け。
かつて“約束が溶ける”と言われた時刻。
だが今、その光は――私が守るものを、優しく照らしていた。
「リゼット」
扉の向こうで、オルトゥスが待っている。
金の瞳が、私を見て、ほんの少しだけ和らいだ。
「終わったか」
「ええ。帰りましょう。……溶けない夜明けの、待つ場所へ」
*
【番外編・明け方が怖くなくなった日 ~オルトゥス視点~】
俺は、夜明けが嫌いだった。
物心ついた頃から、明け方になると身体が竜へと崩れた。鱗が皮膚を裂き、骨が軋み、理性を焼く痛みが全身を貫く。
だから戦場では『冷酷無比の竜殺し』と呼ばれても、誰にも近づかせなかった。
近づけば、崩れた俺を見て、皆が逃げる。それが、当たり前だった。
あの日も、ギルドの倉庫の隅で膝を抱えていた。
扉が開いた。逃げろ、と言おうとした。
だが、その女は――リゼットは、逃げなかった。
「飲んでください」
差し出された小瓶。淡い金色。
飲んだ瞬間、痛みが消えた。生まれて初めて、夜明けが痛くなかった。
呆然とする俺に、彼女は淡々とメモを取っていた。まるで、俺の呪いが、ただの“興味深い症例”であるかのように。
(なんだ、この女は)
皆が恐れる俺の姿を、彼女は「患者」と呼んだ。
その冷たいまでの静けさが、なぜだか、ひどく心地よかった。
沈黙が、怖くなかった。
彼女の隣にいると、崩れそうな朝も、まっすぐ迎えられる気がした。
今朝、俺は人型のまま夜明けを迎えた。
窓辺で薬を握らせながら、彼女は言った。
「あなたの約束は溶けても――私の造る夜明けは、溶けない」
横を向いて誤魔化したが、尻尾は正直で、みっともなく揺れていたと思う。
だが、もういい。
隠さなくていい。
この静かな女の隣でなら、俺は――
もう、夜明けが怖くない。
(了)




