誰もが心の中に魔物を飼っている
―――日差しが眩しい快晴の空。
その下で走る電車の中、『衣咲詩乃』は目を覚ます。
「・・・?」
目を覚まし、違和感を覚える。いや、違和感というより異変だった。
乗っている電車には、自分以外の乗客が誰もいない。彼一人だけが、その電車に座っていた。
「・・・どこだよここ」
なんて言葉に、答えを返してくれる者はおらず、ただ虚しく虚空に消えるだけだった。
そうして呆然としていると、電車が不意に止まる。
詩乃は降りようと立ち上がろうとしたが、ふと目の前に不思議に光る蝶が眼前を舞い上がるのを見た。
それに首を傾げていると、その蝶が通り過ぎた向かい側の席に、知らない幼い少女が、いつの間にか座っていた。
「こんにちは」
「・・・・おう」
少女は、その幼さに見合わない大人のような笑みを浮かべて、詩乃にそう話しかけた。
「今はまだ、名乗る事は出来ません。ですので、少し話を聞いていただければと思います」
「聞くって・・・名乗る事は出来ないって怪しさ満点過ぎるだろ」
「そこは飲み込んでいただくしかありません。そこまで時間はありませんが、頭の片隅にだけでも覚えてもらうだけで結構です」
「いやそもそも話を聞くとは言ってないんだが」
「今現在、世界は致命的なまでに危機的状況にあります」
「おい」
詩乃の文句を無視して、少女は話を進めた。
「かつて『正義』に準じていた彼女たちは、今や世界を脅かす脅威となりました。彼女たちの力は絶大であり、自分たちを裏切った世界を憎み、崩壊させようとしている。しかし、いくら自分たちが多くの痛みを背負い、憎しみを抱いているのだとしても、それを理由に多くの罪のない人々を傷つける事は許される事ではありません」
「・・・・・」
「これは、非常に分の悪い戦いです。天外からの訪問者により歪められ、かつての在り方を見失ってしまった彼女たちを止めるには、もはや貴方の力無くして成し得ません。私が見初めし『執行者』よ。どうか、その不条理に抗う意思を以て、この世界を、強いては貴方自身に救済を齎して欲しい」
「いや、何もかもついていけないんだが?」
「いずれ分かるときが来ます。来るべき時、貴方に反撃の意思が宿らん事を」
詩乃の意識が急激に遠のく。突然、猛烈な眠気が襲い掛かってきたみたいに。
「また、お会いしましょう、衣咲詩乃さま」
少女のその言葉を最後に、詩乃の意識は暗転する。
『まもなく、呉乃、呉乃です』
「ふが!?」
電車のアナウンスで、詩乃は跳ねるように起きた。
当然、そんな置き方をすれば、周囲の人間から好奇の目で見られるのは明白。
「ぬぐぅ・・・」
詩乃は恥ずかしそうに学生カバンを抱き締めた。
「・・・待て、呉乃町!?」
そして今度は別の意味で驚いて、詩乃は慌ててその場で立ち上がった。そして、満員電車の中、人混みを掻き分けて開いた扉から外へと出る。
「あ、あぶねぇ・・・」
ほっと胸を撫でおろし、詩乃は飛び降りた駅のホームを歩いていく。
そうして、駅から出た所で、詩乃はその街へと足を踏み入れた。
呉乃。今日から詩乃が暮らす事となる街。
詩乃は、この街へと引っ越してきた。
駅から歩いて数十分―――
「いらっしゃいませ~」
―――和風メイドが彼を出迎えた。
「・・・・はあ?」
「おひとり様ですか?」
「いや、えっと・・・」
詩乃は困惑を隠せない。
周囲を見渡せば、店員の誰もが和風なメイド服に身を包んだウェイトレスがあちらこちらにいた。
「・・・場所合ってるよな?」
そう呟いてスマホの画面を見ていると、詩乃を出迎えてくれたウェイトレスが首を傾げる。
「いかがしましたか?」
「あの・・・ここの住所って、ここで合ってます?」
「はい?・・・ええ、合ってますよ。お客様・・・で合ってますよね?」
「いや違うが」
「じゃあクレーマー?」
「そうでもない」
詩乃は参ったように頭を掻く。
「志熊鈴矢って人に用があるんだが・・・」
「店長にですか?一体何の用で・・・」
「俺、今日ここに居候予定の衣咲詩乃っていうんだが・・・」
「衣咲・・・詩乃・・・?」
ウェイトレスが少し考えて、
「え!?貴方が!?」
「悪かったな女の子っぽい名前で」
ウェイトレスの女性が驚いたのか、店中の視線が一斉にこちらに集まる。
しかし興味というものはすぐに収まるもので、すぐに店の中で普段通りの喧騒が戻る。
だが、店の方はそうはいかない。
「何かあったの?」
一人、何やらリーダーのような雰囲気を持った和装メイドがやってきた。
「あ、先輩・・・この子、店長が言ってた子みたいで・・・」
「店長?ああ、衣咲詩乃って子の・・・男の子?」
「どうも、衣咲詩乃です。これ保険証」
そう言って、身元証明の為の保険証を手渡す詩乃。それを見て、ウェイトレスの二人は、
「「・・・偽造?」」
「この世界のどこに偽造保険証作れる高校生がいるんだよ」
失礼極まりないウェイトレスの反応に、詩乃は思わず拳を握る。
「姉からの贈りもんだ。気に入ってんだから仕方ねえだろ」
そこで零した詩乃の言葉に、ウェイトレスの二人は呆気にとられたようにしんと静まった。
そうしていると、唐突に何者かの声が割り込んできた。
「どうしたのぉ?ユミちゃん、カナメちゃん?」
「「あ、店長!」」
「・・・・ん?」
ウェイトレスたちが、声の聞こえてきた方を向いてそう言うので、詩乃もそちらを向く。
だが、詩乃はその声に、妙な違和感を抱いていた。
なんか、口調に対して、声が野太かったような。
「その男のコが、一体どうしたのかしらぁ?」
「――――」
はっきり言おう。オカマである。
鍛え抜かれた肉体と厚化粧によって白くなった顔肌に口紅で強調された唇。
身体はどこからどう見ても男なのに、その仕草一つ一つが女性のようで、そのギャップが一種の思考停止を引き起こす。
もう一度言おう。オカマである。
「店長、どうやらこの子が衣咲詩乃・・・さんのようです」
「・・・あらぁ?」
「ごめんなさいねぇ、私のミスで。本当は新しい子を住み込みで雇おうと思ったんだけど、まさか男のコだったなんてねぇ」
「それは別に良い。写真無しじゃ良く間違われるし」
店の待合室で、詩乃はこの和風メイド喫茶『万福』のオーナー志熊鈴矢と相対していた。
「それで、俺を預かるって話は・・・」
「こっちが間違えたせいでじゃあ帰ってなんて言わないわよ。予定通り、ここの一室を使わせてあげるわ」
「助かるよ・・・」
「気にしないで、貴方が暮らしてた孤児院の院長とはイイ仲だから」
「俺はその言葉にどう反応すればいいんだよ・・・」
詩乃は引きつった笑みを浮かべる事しか出来なかった。
なにはともあれ、詩乃は今日、宿屋を探すハメにはならなかったことに胸を撫でおろすのだった。
「閉店した後は貴方一人になるけど、くれぐれも、営業に影響を及ぼすようなことはしないで頂戴ね」
「居候させてもらっておいてんな恩知らずな事はしねえよ」
「ふふ、結構。それじゃあ、荷物は既に届いてるから、時間がある時にでも片付けてしまいなさい」
鈴矢はそう言って立ち上がる。
「部屋に案内するわ。疲れているでしょう、ベッドはふかふかだからすぐに夢の世界でレッツラゴーできるわ」
「は、ははは・・・」
鈴矢のウィンクに、詩乃は室内なのに何故か肌寒く感じた。
「それにしても、こんな所に一人で転校だなんて、前の学校で何やらかしたのかしら?」
そうして部屋に案内されている道中、鈴矢は詩乃にそう尋ねた。
「まあ、色々あってな」
「そう」
鈴矢はそれ以上は聞いてはこなかった。
「さ、ここが貴方の部屋よ」
「あー、つかれた・・・」
案内された部屋にて、詩乃はどっかとベッドに座った。今日は驚く事が多過ぎた。
「たかだか高校に通う程度だって言うのに、アホみたいに癖の強い所に来ちまったな・・・」
部屋の片隅に置かれたいくつかのダンボール。それらは全て、詩乃が以前の住処で使っていた私物たちだ。
寝るまでには時間がある。詩乃は整理を始める事にした。
「さてさて、ちゃんと全部あるかなー・・・」
がさごそ、と店を広げて私物の確認をした後、それらを思う通りに部屋に設置していく。
そこでふと、スマホに着信が入る。
「もしもし」
『おう、詩乃。無事についたか?』
「院長?」
電話の相手は、詩乃が以前住んでいた孤児院の院長だった。
「おい、居候先がメイド喫茶だなんて聞いてねえぞ」
『それは違うぞ詩乃。和風メイドコンセプト喫茶だ。そこ、間違えるんじゃないぞ』
「んなのどうでもいいわ。ったく、しかも店長がオカマとも思わなかったぞ・・・」
『嫌がるなよそういう性分なんだから。お前の名前と一緒よ?そういう生き方に誇り持ってんだよあいつは』
「それは分かっている。ってかもう切っていいか?荷物片づけねえといけねえし、明日から学校だから早く寝たいんだよ」
『ええ!?もう少し話していこうぜ?他の子供たちだってお前がいなくなって寂しがってんだからさぁ』
「悪いが長旅で疲れてる。じゃ切るぞ」
『あちょま』
ぶつ、と詩乃は通話を切り、まだ開けていないダンボールに手を出した。
荷物を片付け終えると、丁度いい時間になったので、詩乃はベッドに飛び込んだ。
「つかれた・・・」
今すぐにでも寝れそうなほどの疲労と眠気がどっと押し寄せてくる。
本当に、今日はいろいろとあった。
(ここでしばらく過ごすのか・・・)
落ちていく意識の中で思い出すのは、以前の学校での事―――
『貴方、こんなことをしてただ済むとは思わないでよ・・・!』
『悪いけれど君は退学だ』
『虐め?見た事ありませんね』
『貴方でしょう、うちの子を虐めたのは!』
「・・・クソがっ」
詩乃はそう吐き捨てた。嫌な事を思い出して眠気が少し飛んでしまった。
そうして、全てを振り払うように詩乃は泥のように眠る事を望んだ。
その望みに応じるように、意識は眠気のままに沈んでいく。そんな中で、詩乃が最後に思い出すのは、
(姉ちゃん・・・)
―――死んでしまった、姉の事だった。
翌日。
「おはよう」
「あらおはよう。昨日はよく眠れたかしら?」
「お陰様で」
朝、今日から通う『呉乃高校』の制服に身を包んだ詩乃は、既に店にやってきていた鈴矢と出くわす。
「良く似合ってるわよ」
「そりゃどうも」
「朝食、食べるかしら?」
「食べる」
「ふふ、そう言うだろうと思った」
カウンター席に座った詩乃の前に、この喫茶店のブレックファーストメニューであろう料理が並べられる。
もちろんコーヒーもある。
それをひと啜りしてみる。
「うま」
「あら嬉しいわ。奮発した甲斐があるってものね」
「奮発って、そんなに高いのか?これ」
「違うわよ。これでもコーヒーの淹れ方にはこだわりがあるの。だから今日は人一倍気合いを入れたわ」
「ああ、そう・・・うま」
朝から目が覚めるような美味さのコーヒーを飲んで、詩乃の気分はさっぱり快晴となった。
朝食を食べ終えた詩乃は、そのまま傍らの学生カバンを小脇に抱えて立ち上がった。
「それじゃあ、行ってきます」
「うふふ、行ってらっしゃい、気を付けてね」
未だに慣れない鈴矢の口調にもやもやしながらも、詩乃は喫茶店の入口から出る。
呉乃の街は渋谷や銀座ほどの都会ではなく、かといって田舎かと言われればそうでもない。都市と田舎の中間のような街だ。
(わかってたけど、前の所とは全然違うな・・・)
なんてことを考えつつ、詩乃はナビを頼りに目的の呉乃高校へと向かっていた。
向かっていた。のだが、
「・・・迷った」
詩乃は、道に迷ってしまった。慣れない土地のせいでナビを使っても自分がどこにいるか分からないのだ。
というよりも・・・・
「慣れねえなこのスマホって奴・・・」
そもそも詩乃自身がこのスマホというものに慣れていなかった。
「クソがっ・・・」
「どうかしましたか?」
そんな詩乃に、声をかけてくる少女がいた。
見れば、そこにいたのは一人の黒髪のポニーテールの女子生徒だった。
「・・・・えっと?」
「あ、その制服、呉乃高校の生徒ですよね?」
「ああ、そうだが・・・」
視線を顔から下に向ければ、確かに詩乃が目指している高校の女子制服だ。パンフレットで見た。
あと、胸がすごい。
「新入生・・・ではありませんよね。二年生ですか?」
「ああ・・・今日から転校してきた」
「だったら、分からないことだらけよね。良かったら、私が学校まで案内しましょうか?」
「っ!助かる!スマホの使い方分かんなくってよぉ」
「では、ついてきてください。あ、私の名前は『鳶山朱祢』。貴方は?」
「俺は衣咲詩乃だ」
詩乃は、朱祢と共に学校へと向かう。
道中、この呉乃の事を良く説明してくれた。
「ここ、串焼きが名物なんですよ。時間がある時にでも食べて行ってみてください」
「へえ、良く知ってんだな・・・この街には昔から?」
「ええ、私の生まれ故郷だから」
そういう朱祢は誇らしげで、しかしどこか寂しそうだった。
そんな風に会話していると、ようやく目的の学校に到着した。
「それでは、私はこれで失礼しますね」
「ああ、助かった」
詩乃は朱祢とそこで別れ、職員室へと向かった。
「―――えー、という訳で。転校生を紹介します。衣咲詩乃くんです」
ダカカカ、という音がしそうなほどの勢いで黒板に自分の名前を書いた詩乃は、クラスの皆と向き合って、担任の教師の下、自己紹介をする。
「衣咲詩乃、よろしく」
クラスは静まり返っていた。
「今日からこのクラスの一員となるから、みんな、仲良くしてね」
そうやる気なさげに言う教師に、詩乃は心の中で『大丈夫かコイツ』と思ってしまった。
しかし、それを口にする勇気はないので、心の中にしまっておくことにした。
「貴方の席はあそこね」
「分かった」
詩乃は指定された席に移動した。クラスの中に不自然にぽっかりと開いた窓側から二列目、後ろから三列目の席に、詩乃は座った。
「よっ」
座ると、隣に座っていた男子に声をかけられる。
「俺、『海宮真悟』ってんだ。よろしくな」
「ああ、よろしく」
随分と活発そうな少年だ。
「しかし、転校だなんて、前の学校で何やらかしたんだ?」
「ちょっと真悟、そういう事言わないの」
後ろから、室内なのに何故かマフラーを巻いたままの少女が真悟をそう咎めた。
その少女が、詩乃の視線に気付いてこちらを向いた。
「あ、私は『八雲楓子』。真悟とは幼馴染なんだ」
「まあ、そんな所だな」
紹介されて、詩乃が二人を交互に見て思った印象は、
「・・・・イイ仲か」
「「違うわ!?」」
息ぴったりの否定に、詩乃は目をぱちくりさせた。
授業が終わり、昼休み。
「え、孤児院暮らしだったの!?」
楓子が詩乃の話のそう声を上げる。
「ああ」
「あ、ごめん、嫌なこと思い出させたよね・・・」
「気にするな。もう十年も前の話だ」
「十年前かぁ・・・」
教室で弁当を食べている詩乃、真悟、楓子の三人は転校してきたばかりの詩乃の身の上話で暇を潰していた。
「新宿陥落だっけ?なんか、新宿を中心に、東京がとんでもねえくらいに破壊されたって話」
「俺の家族はそれに巻き込まれた。んで、つい昨日まで孤児院で暮らしてたって訳だよ」
「大丈夫だったのかよ?」
「正直、死んだ直後はきつかったよ。でも、なんとか立ち直って今、ここにいる」
「そっかぁ・・・」
平気そうな詩乃の様子に、真悟と楓子は心配そうな表情を浮かべていた。
「・・・あー、やめだやめだ!せっかくの昼飯が不味くなっちまう」
「それもそうだね。あ、衣咲君の名前って誰がつけてくれたの?」
その楓子の質問に、思わず詩乃の視線が鋭くなる。
「どういう意味だ?」
「あ、えっと、なんだか男の子らしくない名前だなぁって・・・」
「姉だよ」
「え?」
「俺の姉ちゃん。姉ちゃんがつけてくれた」
「・・・・」
何を振っても詩乃の家族の話題になってしまう。お陰で質問に詰まってしまう。
「・・・そういや」
だからなのか、今度は詩乃から話題が振られた。
「ここって串焼きが美味いんだってな」
「あ、そ、そうなんだよ!ここには結構でかい牧場があってさ!そこの肉を串焼きにするとめっちゃ美味いんだよ!」
「そうそう、特性のタレがこれまた絶品でさぁ」
「なんか良い店知らねえか?」
「だったら放課後行かねえか?良い店紹介すっからよ!」
「そりゃあ楽しみだ」
詩乃は思った。どうやら、いい学校生活が送れそうだと。
「ねえ、またらしいよ」
「ん?」
ふと、詩乃の後ろにいる生徒たちの話し声が聞こえてきた。
「今度はE組の岡谷君らしいよ」
「ええ、やだぁ・・・本当にどうなってるの?これで三人目だよね?」
その会話を傍から聞いていると、真悟が深刻そうな顔で教える。
「今年に入ってからだ。なんでもこの学校の中で行方不明になっている奴がいるらしい」
「行方不明だと?」
「そうなの。お陰で逆にここから出ていこうって考えてる親もいるくらい」
「マジかよ・・・」
とんでもない時期に入ってしまった、と思ってしまったが後の祭りである。
「今日はさっさと学校出て串焼きを食いにいくか」
「それが良い」
「だねえ」
そうして昼休みが過ぎていく。
そして放課後。
最後の授業が終わり、生徒たちが部活なりなんなりに向かっていく中で、詩乃たちも目的の串焼き屋へ向かうために教室を出る。
「んじゃ早速、行くとしますか!」
「レッツゴー!」
と、盛り上がっていると、向かいの廊下から、詩乃の見知った顔が現れる。
「あ、衣咲君」
「鳶山?」
やってきた朱祢を見て、詩乃はその登場に少し面を喰らった。だが、詩乃より面を喰らっていたのは後ろの二人だった。
「生徒会長!?なんでこんな所に・・・」
「え、生徒会長!?」
詩乃は心底驚いた。
「知り合いだったか?」
「いや、朝迷った時に案内してもらって・・・ってか先輩だったのか?」
そう尋ねる詩乃に、朱祢を首を振った。
「同じ学年よ。実は一年の時に選挙に立候補したの。けど、他に立候補者がいなかったからそのまま流れて受かってしまって・・・」
「なんだか押し付けられたみたいだったよなぁ、あれ」
「だよねえ。先輩たちが誰も立候補しなかったから、そうなっちゃったって感じ・・・って、なんかごめんね、いきなり馴れ馴れしくて」
「気にしないで。同い年なんだから遠慮なんてしなくていいから」
「そうだ。これから串焼き食いに行くんだが、お前も一緒にどうだ?」
詩乃の誘いに、朱祢は申し訳なさそうに笑う。
「ごめんなさい。これから生徒会で仕事があるの。また暇になった時にお願いするわ」
「そうか・・・分かった」
「楽しんでね」
そう言って、朱祢は手を振りながら詩乃たちと別れた。
「それじゃあ行くか」
「おう。それにしても、まさか初日からあの生徒会長と知り合いになるなんて、中々やるなあ転校生」
「ん?あいつ、なんかあるのか?」
「文武両道、礼儀は正しく姿勢は模範、立ち居振る舞いは高嶺の花にして話せば高貴の麗人の如く、故に人は彼女を『完全無欠』と呼ぶ」
いきなりポエムと謡いだした楓子に詩乃は首を傾げる。
「んだそりゃ?」
「彼女のファンが学校の掲示板に書き込んだポエム。見た目も性格も完璧すぎるから、みんな『完全無欠の生徒会長』って呼んでるんだ」
「完全無欠って・・・」
言われてみると、確かに朝の様子からして人として隙はないように見えた。人伝の言葉でもそこまで言われているという事は、表向きはそういう事なのだろう。
「ファンクラブもあって、結構な人がそこに所属してるらしいよ」
「とんでもねえな」
「なあ、そろそろ行こうぜ。俺ぁ腹減ったよ」
「もう、真悟ったら」
「それもそうだな。行こうぜ」
真悟の言葉にうなずいて、三人は学校を出ていこうと歩き出す。
そのまま階段、廊下、玄関へと移動し、いざ校舎を出ようとした。
そこで、いきなり景色が変わるとは思わなかった。
「「「・・・・え?」」」
突然の景色の変化に、三人の思考はフリーズする。
「・・・え、どこ、ここ」
「俺たち、さっきまで学校にいたよな?」
「ああ・・・その筈だが・・・」
楓子が辺りを見回し、真悟がスマホの画面をのぞき込み、詩乃は唖然と空を見上げた。
校舎の玄関を出た途端に変わってしまった景色に、三人は戸惑う。
何しろ、学校の敷地内だった筈の場所が、その景色をベースにファンシーなフィールドに上塗りしたような場所になっていた。
これで落ち着けと言う方が無理な話である。
「どこなの、ここぉ?」
「なんだ、これ?見えない、壁か!?」
校門に向かってみれば、そこは見えない壁のようなもので塞がれていた。傍から見るとパントマイムである。
だが、その強度は本物。いくら叩いても固い感触が返ってくるだけだった。
「どうなってんだよ・・・」
「どうしよう。私たち、ここから出られないの?」
「方法はある筈だが・・・」
その時、
「よぉーこそぉおお!」
頭の中に鳴り響きそうな甲高い声が響いた。
「「「っ!!?」」」
響くその声に、三人の身体が強張る。その声が聞こえてきた方を見れば、校舎の屋上、その手摺の縁に立つ少女の姿が目に入った。
「こんにちはぁ、玩具ちゃんたち」
語尾にハートでもつきそうな甲高いアニメ声。しかし、それ以上に目を引いたのは、その恰好。まるでアニメに出てくるような目が痛くなるようなカラフルな色合いの衣装は、彼女がただの人間じゃない、と思える程度には奇抜であった。
「貴方たちはぁ、リリカの遊び相手に認定されたのですぅ。だから今からアタシと楽しい楽しいゲームをしましょう」
「ゲーム!?何言ってんだお前・・・」
「ルールはシンプル」
リリカと名乗った不可思議な少女。しかしその周囲には、何かがねじれたような棘がいくつも浮かんでいた。
「私の為にイイ声で鳴いてくれること」
その笑みに、三人は背筋が凍るような感覚を覚えた。
「じゃあ、ゲームスタート」
「走れッ!」
真っ先に詩乃が反応し、真悟と楓子の手を引っ張って校舎へ走り出す。直後、棘が凄まじい勢いで発射され、先ほどまで詩乃たちがいた地面に突き刺さり、凄まじい衝撃を起こす。
「きゃぁぁあぁああ!!?」
「なんだよ。なんなんだよこれぇ!?」
「いいから走れ!当たれば絶対拙い!!」
幾度となく襲い掛かってくるねじれた棘。校舎に飛び込めば、壁に突き刺さってなおも詩乃たちに襲い掛かる。
三人は、がむしゃらに逃げ回った。壁を貫き、窓を砕き、床に刺さって崩れていく。逃げて、逃げ続けて、ようやく攻撃が収まったのは、教室に一室に逃げ込んだ時だった。
「はあ・・・はあ・・・な、なんとか逃げれたのか?」
「ぜえ・・・ぜえ・・・なんなんだよここはぁ!?」
真悟が恐怖に震えるままに喚き散らす。
「いろんなものが変わっちまうし、へんな女に襲われるし、なんか意味わかんねえ攻撃で殺されそうになるし。本当に、なんなんだよぉ・・・!」
「うえ・・・ひっく・・・おかあさぁん・・・!」
楓子が耐え切れずに泣いている。詩乃も、身体ががたがたと震えていた。
「はあ・・・はあ・・・・クソがっ」
状況に、詩乃もまた思わず悪態を吐く。だが、このままでいるなんてことは、彼には出来なかった。
「なんとか脱出する方法を考えるぞ」
「脱出するって、どうやって・・・・」
「今は頭を回せ。考えられないなら俺が考える。あいつ、俺たちに攻撃する時笑ってやがった」
「だから、なんだよ」
「許せねえんだよ」
詩乃は、震える身体を黙らせるように拳を握り締めた。
「人を傷つける事を楽しんで、笑う野郎がいる。自分が間違っている事を認めず、力があるからとお山の大将を気取るクソがいる事を、俺は許せねえんだよ」
前の学校の事を思い出す。
権力を笠にいじめを楽しむ女子生徒、止めた事を逆に咎めてくる他の生徒、怪我をさせたことで退学を言い渡してくる理事長、いじめなどなかったと言い張る担任、逆にこっちがいじめていたのだと喚く保護者―――
『どうせ貴方も力でどうにかしようとするんでしょ』
そして、こちらを否定してくる、助けた筈の人間。
「クソったれどもの為に、食いものにされるのを、黙っているなんて俺には出来ない。そんな奴らに俺は負けたくない。だから、今抗うんだよ」
「衣咲・・・」
詩乃の事を見開いた目で見る真悟。そんな真悟の前で、震えたまま詩乃は立ち上がる。
「今は、なんとかしてここから脱出を―――」
「出来る訳ないじゃん、バァーカ」
次の瞬間、詩乃は凄まじい衝撃と共に吹っ飛んだ。
「がっ―――はぁ・・・・!?」
蹴り飛ばされた、なんて理解する事も出来ず、そのまま詩乃は壁に叩きつけられる。
「衣咲ぃ!?」
「衣咲君!?」
肺から、空気が出ていく。呼吸がままならない。痛みで、状況が理解出来ない。
「うふふ」
突然現れたリリカが、真悟の前に立つ。
「っ!?ひぃっ!」
真悟は思わず尻もちをついて、恐れるままにリリカを見上げた。
その表情に、リリカは悦に入ったのか、片足を上げる。
その脚で、真悟の足を踏みつけた。
「ぐっあぁぁああぁあああ!!?」
「真悟!」
「アンタは後」
リリカが、その手のステッキを振るった。まるで子供向けアニメに出てくる魔法少女が扱う杖のようなものだ。
すると、壁や床がいきなりねじれ出し、そのまま棘が飛び出して楓子を抑え込む様に伸びて固まった。
「いたいっ!?」
その際、腕を切ったのか服が巻き込まれ破れ、その腕から血が流れ出ていた。
「楓子っがぁぁああぁああ!!?」
「あははっ!イイ、イイ!もっと鳴いてよ、鳴き喚けよ。それで最後は、素敵なオブジェにしてあげる」
リリカが指を鳴らす。すると現れたのは、三つの何かの像。
「―――ひっ」
それをみた楓子は息を詰まらせ、真悟はその表情をさらなる恐怖に染める。
なんとか呼吸が出来るようになった詩乃も、顔を上げてそれを見た。そして、絶句した。
「な・・・・」
「あ・・・ぅ・・・」
「お・・・・ごぉ・・・・」
「ご・・・ろ・・・・じ・・・・で・・・・」
それは、石で出来た像ではなかった。悪趣味な像、という表現は生ぬるい。
それは、『肉』で出来たオブジェクト。アートと呼ぶにはそれまでだが、それでも悍ましく、見る事が辛いほどに残酷な―――人間だったものの『作品』。
「泣いて喜んで。至上最高のアーティストであるアタシの、人生最っ高のアートの材料にしてあげるんだから」
「アート・・・?ま、まさか、これ、お前が―――」
リリカが足に力を入れる。真悟が悲鳴を上げてのた打ち回る。
「ぁあぁああぁああぁあああああ!!!?」
「真悟ぉ!」
「だあれが喋って良いって言ったのこの愚図。アンタたちはこのリリカのアートの材料になるために取り寄せたの。アンタたちに何かをする自由はないのよ」
「ぐあっあああぁああ・・・・!!」
痛みに真悟はのた打ち回る。
「海宮っ・・・」
詩乃はまだ動けない。だが、このままでは確実に真悟は死んでしまう。
「ああ、イイわ。イイBGM、創作意欲が湧いてくるっ」
リリカの手が、真悟の首を掴んで持ち上げる。
「やめ・・・やめてぇ!真悟を殺さないでぇ!」
「殺さないわよ。ほら、あいつらちゃんと生きてるでしょ?大丈夫、一生私のアートとして生きられる栄誉が与えられるんだから、無価値なアンタら人間には最高のご褒美でしょ」
「そんなこと―――」
「あーもううるさい」
棘が、楓子の首元に突き付けられる。
「ひっ」
「口答えしないで、アンタたち『人間』に許されるのは悲鳴だけ。アタシたちに使い潰されるのが相応しい無価値な存在なのよ」
「げほっ・・・まるで自分は違うみたいな言い方だなっ・・・」
なんとか喋れるようになった詩乃が、リリカに向かってそう言う。
その言葉に、リリカの視線がぐりんと詩乃に向けられる。
「当たり前でしょ」
瞬間、床から飛び出したねじれた棘が、詩乃の肩を貫いた。
「ぐっああぁぁあぁああぁああああ!!?」
焼けるような痛みが肩から伝わり、詩乃は悲鳴を上げる。
「アンタらのようなカス、アタシらと同じ訳ないでしょ。アタシらをアンタら『人間』と一緒にしないで」
「ぐ・・・がっ・・・」
『痛い』に思考が蝕まれる。ここまで力の差があると、笑ってしまいたくなるくらい、諦めたくなる。
(いて・・・ぇ・・・)
「さて、と、それじゃあ憂さ晴らしに最初の一人、いっちゃいましょー」
「真悟・・・!」
楓子の目から涙が零れる。
「た・・・すけ・・・」
真悟が助けを求める。
「ぐ・・・ぅ・・・・」
詩乃は、棘を抜けないまま、痛みで何も出来ない。
(何も、出来ないのか・・・?)
無力感が襲い掛かる。どれだけの選択をしても、どうしようもない事があるのは分かっている。大勢の力に負けてしまうという事も、既に分かっている。
けれど、誰も助けられない事は、あまりにも辛いと、詩乃は思ってしまう。
その時、目の前を光る蝶が横切る。
『―――諦めないで』
聞き覚えのある声が、耳に届く。
『これは、あまりにも分の悪いゲーム。しかし、反撃の手が無いわけではありません』
声が、まるで身体を支えてくれるように、詩乃を励ましてくれる。
『ただの人では到底かなわない存在。であるならば、彼女たちと同じ土俵で戦うしかない。ですが、彼女たちの領域に踏み込むためには、彼女たちと同じアプローチでは不可能です。それを可能とした存在が、もういないのです』
そんなこちらの気概を削ぐような情報に、詩乃は思わず舌打ちしそうになる。それでも声は、そんな詩乃の意図を汲み取るかのように話を続ける。
『ですが、彼女たちが存在している以上、当然彼女たちに対抗することのできる存在がいるのもまた事実です』
詩乃は、顔を上げる。
『それは、誰の心にもいる存在。誰もが理性で抑圧し、本能の奥底に隠した影にして真の本音。かつての彼女たちは、それが生み出す『魔物』と戦い、そしてその元凶を見事に討伐してみせました』
早くしなければ、真悟が死に、楓子も死ぬだろう。それだけは、させない。
(ここで出来た、初めての友達なんだよっ―――)
詩乃は、自分に突き刺さった棘を掴んだ。
「ぐ・・・ぎぎっ・・・!」
動かない。動かせない。床から伸びて壁に固定するように突き刺さったそれを動かすだなんて、普通の人間には到底不可能だ。
『しかし、その代償が大きかった。彼女たちは世界から見放され、それ故に守った筈の世界を憎み、今、人類を脅かそうとしています。自分たちの存在を知らしめるために、多くの人々を不幸にし、その命を弄び、奪おうとしている』
(そんな事―――)
『そんな事、許される訳がありません』
―――棘にヒビが入った。
「・・・ん?」
異変に気付いたリリカが、詩乃の方を見る。
詩乃は、自分に突き刺さった棘を、その手で握りつぶした。
「なっ・・・・」
突然の事に、リリカは目を見開く。
だが、そんな彼女の驚きを他所に、詩乃はリリカを睨みつける。
「―――同じだ」
「・・・はあ?」
詩乃の言葉に、リリカは怪訝な顔を浮かべた。
「お前も、あいつらと同じ―――クソみたいな人間だ!」
その右手に、炎が宿る。
同時に、その胸から、何かが起きるのを感じ取った。
―――覚悟はいいか?
突然の激痛。
胸を引き裂いて飛び出そうとする何かに、詩乃は思わず悶え苦しむ。
―――あらゆる理不尽にも、あらゆる不条理にも、どんな相手にだって負けない。そんな覚悟を背負って戦う準備は出来ているか?
「―――当たり前だろ」
胸の内から頭に響く声。その声に詩乃は覚悟を決めた眼差しをもって答える。
―――ならば打ち鳴らせ。魂の鼓動を。お前の姉より賜りし名に誓って、己の意思を貫き徹せ。
右手の炎を握り締め、その拳を掲げる。
「何を・・・する気だ!?」
リリカが、ねじれた棘を放つ。しかし、それが突き刺さる前に、詩乃は自らの胸の中央を拳で叩いた。
そして、叫ぶ。自らの心の内に巣食う『魔物』を。
魂の奥底に潜みし、抑圧されし深淵を。
その鼓動を以て、呼び覚ます。
「――――『デュランダル』」
詩乃の背中から噴き出した炎と共に、その真我が姿を現す。飛んできた棘はその衝撃波の前に砕け散り、リリカは思わず真悟を離してしまう。
詩乃の背中から現れたのは、人の形をしていた。
深いフード、顔面を隠す鉄仮面、鎧の上に長いロングジャケットを着るような姿のそれの手には、長く重厚な剣が一つ。
同時に、詩乃の手にも、諸刃の剣が握られる。
彼の者の名は『デュランダル』。不屈たる詩乃の魂より出でし、詩乃の心に巣食う『魔物』。
『―――今より、貴方は運命を踏み出しました。人の心の奥に存在する『真我』。それを操る『執行者』よ。どうか貴方の運命に、祝福が満ち溢れていることを―――』
詩乃は、その手の剣を、リリカへと突き付ける。それに応じるように、デュランダルもまた、仮面の奥の燃えるような瞳を向けた。
「覚悟しろ」
―――衣咲詩乃の戦いが始まる。




