第六話:UNDERGROUND
グラント殺害計画を立ててから一週間が経った日の肌寒い早朝。いよいよ地下街へと侵入する日がやってきた。
思ったよりも出立までに時間がかかってしまった。メイリーンがやけに慎重に物事を進めたがったこともあるが、主な原因はオレの体調の問題だった。
怪物をブッ飛ばした時からずっと腰が痛んでいたため、さっさと治すために仕方なくクソ医者に診てもらい、筋肉を破壊してから無理やり再生してもらった。アイツが言うには、普通の人間ならば余裕で死んでいるほどの衝撃を受けていたらしい。
だが、逆に言えば、あのような怪物の攻撃を辛うじて防ぎきり、反撃で気絶さえさせてやれるほどの強さを持っていることの証明にもなり、今となっては自分の強さを再確認できたいい思い出になっている。
そんなオレが地下街でどれだけ通用するか、いや、むしろ、地下の連中がどこまでオレに抗えるのか、多少なりとも高揚している自分が確かにいた。
しかし、本当の目的を忘れてはならない。レインを地獄から救い出し、あわよくばさらに関係を深められれば…
と、思っていたが、正直、いくら彼女のために行動したり、好感度を上げたりしたとしても、彼女がオレとヤッてくれることは無いということは、薄々感じていた。
ただでさえ、女とセックスしてくれる女なんてほとんどいないのに、嫌々であろうとはいえ、今まで散々男とまぐわってきたという彼女が、オレに興味を抱いてくれるはずなどないだろう。
オレのような醜く狂気的な内面を持った人間には、特に。
それでも、やれることはやる。惚れた原因は性的な部分だったが、今ではなんか、こう、もっと他の所で惹かれている気がする。
その原因は、彼女の存在そのものに対する興味ではなく、憐みから来るものなのかもしれないが。
―もっと、人に歩み寄る努力をすべきだって、わかってる。
あの日、彼女に教えてもらったのに、何かと理由をつけて他者を知ろうとせず、内面を見られても大丈夫なようにと、自分を磨くことすらしなかった。
いくら努力しても本性が変わらないかもしれないことが、怖かった。形だけの愛は、その場限りの快楽で、事が終わった後は言いようのない虚無感が襲ってきたが、何より気楽だった。
布団の上に脱ぎっぱなしのコートを羽織り、蛇口や歯車がごちゃごちゃと大量にくっつけられた洗面所で力強く、ゴシゴシと顔を洗う。そのまま濡れた手で適当に髪をとかす。
「っし、行くか」
壁に掛けてあるバットを拾い、金属の錆びた臭いが漂う茶色いドアを押し開けて外に出る。
飾り気のない鉄骨で組まれたアパートの共用廊下。壁もドアと同じような板金製だが、薄く、上下左右から隣人の生活音が聞こえてくる。
アパートのすぐそばに建ち並ぶ、三階から見える町工場は、低い煙突から拡散していく白煙に加えて、浅霧でいつにもまして霞がかっていた。
壁が薄いのと冬が寒すぎることを除けば悪くない住処なのだが、一つだけ不満がある。
三階に登るまでに、階段ではなく梯子を使わなければならないのだ。
登り降りすること自体は苦でもないのだが、他の住人が一本の梯子に大量に群がって占領していると中々どいてくれないので苛々する。
だから、降りる時は毎回、地上にため込まれているゴミ袋の山にめがけて飛び降りることで時短していた。
今日もいつも通りに飛び降り、完璧な着地を決めてほんの少しだけ気分が上がる。
コートに付いた汚れを払い、人気のないボロボロの工場街の中を、時折ガラスの中に映る自分の顔を睨みながら進んでいった。
* * *
忘れかけていた作戦の内容を頭の中で反復しながら歩いていると、いつのまにかバーにたどり着いてしまった。
"CLOSED"の札が掛かった扉をバンと開け放つ。
店内はすっからかんで、中にいたのはメイリーンにレイン、そして生意気なガキとクソ医者のみだった。
「おー、もう皆集まってんのか。やる気あんじゃねーか」
だが、皆はオレに目もくれずに、自分の銃を取り出して紹介しているエリネミの話に耳を傾けていた。
「みじかいのは、ギギ。ながいのは、ドガラ」
なんか、かなり打ち解けてないか?
あのクソガキ、オレにはいきなり銃をブチかましてきたクセに、今ではメイリーンの腕の中にすっぽりと収まって居心地良さそうにしている。
クロトも馬鹿みたいな汚い笑い声を飛ばしつつ話を聞いてやっているし、レインだって、足を組んで気怠そうにカウンターに肘をついているものの、煙草も吹かさずに狂ったガキのことをじっと見つめていた。
―クソ…
「お前ら覚悟はいいんだろうなぁッ!駄弁ってないで出陣だッ!」
「はいはい、エリネミに場所とられたからってそう起こらないの」
「はっはー!お嬢、エリちゃんに嫉妬してるのぉ~?」
「うっせーテメェは黙ってろ!…ていうか、本当にハニーは来てくれないの?レインくらいしかまともなのがいなくて寂しいんだけど」
「私は"協力する"とは言ったけど、自分の命を懸けるなんて言ってないよ。あと、一番まともじゃないのはあんただね」
………。
「わーかったよ。じゃ、さっさと行って終わらせてくるわ」
「ちゃんとクロトの指示に従ってよ?どうせあんたは計画忘れてるんだろうから」
「覚えてますよーだ。初日はどっかに泊まって偵察すんだろ?そんな必要ねーと思うんだけどな」
あからさまに不満げな声を上げてやったが、メイリーンは人差し指を振りながら三回舌打ちして、オレの発言を否定した。
「グラントをおびき出すには、一番人が少ない時間帯を調べて、そこを突いた方がいい。レインの話を聞く限り、午前中はガラガラだと思うけど、念には念をってやつよ」
相変わらず、慎重な人だ。
「じゃ、死なないように行ってきな~」
「あったりめーだろそんなの」
自信満々に言い返してやり、メイリーン以外の面子を引き連れて、冷たい外へと飛び出した。
初めての地下街。異様な緊張が走る。
だが、正直、本気を出せばオレ一人でも余裕でこなせるものだと思っていた。
この時は、まだ。
* * *
「ウゲェ…なんだここ、クロトより臭ぇよ…レインっていつもこんな道使って地下に行ってるのか?」
「…そう。他の行き方もあるけど、ここが一番安全」
オレたちがたどり着いたのは、下層の生活排水が一か所に集められる場所―そう、下水道だ。
ここの水路は下層内で循環しておらず、地下街に繋がっているのだという。
鼻呼吸を止め、コートの裾を口に押し当てて息を吸いながら中に入っていく。
通路の中央に溝が掘ってあり、そこを流れるヘドロに沿ってオレたちは歩みを進めた。
レインの言う通り、確かに安全なルートだと思った。入口は人目に付きにくいマンホールだったし、中には通行人もほとんどいないため襲われる心配も少ないだろう。
いたとしても、ぼろきれを身に纏い、今にも死にそうに横たわっている男たちが数人いるくらいだった。
―彼らを見て、ほんの少しでも憐みの感情が湧き出た自分の浅はかさに反吐が出そうだ。
以前は困っている人、虐げられている人を救うために暴力を振るっていたが、最近はそうではない気がしてならない。
本当に弱者を救う気があるのなら、ここで死を待つ人々にだって何も考えずに手を差し伸べられるはずなのに。
でも、実際はそうじゃない。やっぱり、本当はただ、自分の生を肯定するために、やってるんじゃないかって…
人を殺すことに興奮を覚えるような人間であることを否定したいのに、そういった疑念が湧き出てくるから、違うと言い切れない…
そしたらもう、わからないんだ。自分が本当は何をしたいのかも、何をされたいのかも、生きていたいのかも、死にたいのかも。
―クソッ…たまに来る鬱タイムが来やがった。もういいんだよオレは。人殺しなんだから。
殺人だってなんだって、正当化してやる。自分勝手に生きてやる…
「…ナユタってさ」
唐突にレインが口を開いた。
「なんで私を救おうとするの?」
「な、なんでって…」
「お嬢はレズなんだよ!レインちゃんみたいなちょっと年上のスケベな子が好きだからじゃない?」
「クロト…お前……」
怒鳴る気力も出てこない。でも…
「確かにこのクソ医者の言う通りだ…初めはな。でも、今はなんか違うんだ…」
「別にレインがオレのものになってくれなくてもいい。ただ、なんか知らないけどほっとけなくてさ…」
レイン、ごめん。
きっとオレは今、レインのためじゃなくて、自分のためにグラントを殺しに行っているんだと思う…
自分の強さを、皆に認めてもらうために…
「…ナユタらしくないね」
「え?」
「…もっと馬鹿みたいに真っすぐに、自分らしくいてよ」
何だよ急に…
勘違い…させないでくれよ…
「お、おう!じゃ、クロトのケツでもカチ割って一発気合入れるかぁ」
「や、やめちくれ~」
クロトのケツを蹴り飛ばして気晴らしした後、ゲロを吐きそうになりながら殺風景な通路を歩き続けた。
そして、あと数十歩歩いたら本当に吐いてしまいそうになった時、ついにトンネルの先が開け始めた。
街灯に群がる虫のように、光に向かってよろよろと駆けていく…
その先に待ち受けていた光景は、目を見張るものだった。
今まで歩いてきた下水道管がぷっつり切れて、ヘドロが滝のように流れ落ちている。
その行き先―下を覗いてみると、どこまで続いているのかわからないほど深く、大きな穴が汚水を呑み込んでいた。
その大穴の周りには平らな地面が続いており、上には建物が群れを成して、巨大な街を形成している。太陽の光が届かない地下だというのに、おびただしい数の電灯が光を放ち、闇を遠ざけていた。
さらには大穴の中にさえ、壁面が削り取られて螺旋状の街が形成されており、不安定な木柱で組まれた家屋が石壁から突き出すようにして乱立していた。
螺旋の中にはぼちぼち歩行者もいて、手枷をはめられた奴隷と思わしき人や、道端で野宿している人が遠くからでも数人見えた。
「こ、これが……地下街…!?」
自分が二年ほど活動していた場所のちっぽけさを思い知らされた。
下層だってかなり広大で、人口も多く、上層に比べて危険な場所だ。だが、そこにはなかった人間の限界と常識を超えた生活文化が、身の毛もよだつようなおぞましい悪が、深く暗いこの地下世界で息をひそめていることを本能が感じ取っていた。
「うっひょ~!スゲェなこりゃ!こっからの景色は初めて見た!」
「そういやお前も地下街行ったことあるのな」
「うん。割と安全なところまでしか行ったことないけどね~。でも今回はお嬢とエリちゃんもいるから、一人じゃ怖くて行けない場所も安心して行けるね~」
「はぁ、お前が行きたい場所なんてどうせろくでもねぇんだろ。グラントブッ殺したらさっさと帰るかんな」
「え~ほんとにちょっとだけでいいから…」
「やかましいッ!さっさと行くぞ!」
クロトを無理やり黙らせて、途切れた下水道管から大穴の上の街に伸びていく鉄桟橋を進んでいった。
* * *
地下街はどれほど治安が悪いのかと身構えていたが、大通りの方はそこまで危険な場所ではなかった。
朝と夜の違いもわからないからか、早朝でもかなりの人だかりができている。市場で見たこともない食べ物を売り買いする人々、道端でゲロを吐き、それでもなお、手に握るジョッキを口に運ぶ男、そして…
「あぁー!お前!」
大通りから少し離れた場所に、ヤツがいた。
ぼんやりと光る実を生らすツタ。それが絡みついている小洒落た木造テラスの下に、以前警備中に出会ったモヤシ男と、真っ黒なスーツとシルクハットを身に着けた長身の男がテーブルに肘をつきながらブツブツ会話していた。
「君は…あの時の…」
「お嬢の知り合い?」
「いや、まあなんつーか…ちょっとだけ…」
特に用もないのに声をかけてしまった。八つ当たりに近いが、アイツの問答を聞かされてからどうも調子が狂う。一発何か言ってやらないと気が済まなかったのだろうが、いざ絡んでみるとうまく言葉が出てこなかった。
すると、モヤシ男のそばにいたもう一人の男が声をかけてきた。
「おやぁ、カルのご友人かい?キミが私以外と関係を持っているなんて驚きですよ」
嫌な声だ。
陽気で聞き心地はいいが、どこか胡散臭い。裏表があるタイプだ。
うっすらと細められた赤い瞳も気味が悪い。あ、ハニーのは別だよ?
「僕の絵に興味を持ってくれたんだ。それで、僕が少し話過ぎてしまって…改めて、申し訳ない…」
カルと呼ばれた男は、バツが悪そうにぼそぼそと喋った。
とても申し訳なさそうに謝罪してくるので、こちらの鬱憤も胸の内をぐるぐると回った後、どこかに消えてなくなってしまった。
「…そうですか。はて、皆様ここでは見ない顔ですが、どちらからいらしたのでしょうか。何か御用があって?」
「見ず知らずの人間に教える義理はねーよ」
「ハハハッ!そうですか…ハハッ…ハッ…ハッ…ハッ…」
シルクハットの男は急にうずくまり、何が面白いのかテーブルに突っ伏して気色悪い笑い声を上げ始めた。
「なんだコイツ…もういこーぜ」
言葉を放ってやる気力も失って、レインの肩を引き寄せて大通りに引き返そうとした、その時だった。
「ギイィィヤアァァッ!」
大通りの方で、耳をつんざく悲鳴が上がった。
振り返ってみると、黒を基調として所々に赤い花柄の装飾が施されている着物に身を包み、しっとりとした黒髪を後頭部のあたりで結い上げた、普通の女性よりは一回り背が高い少女が、道端のゲロの上に寝転がっている酔っぱらいの腹を、鮮血のように真っ赤な傘で貫いていた。
異常なほど上がっている口角が不気味だが、ゴミを見るような冷たく、しかし妖しい眼差しが、危険を孕んだ艶麗な雰囲気を醸し出していた。
「まったく、こんな汚くて醜いものをボクの道に棄てないでよねー」
人を生命とすら思っていない下衆な発言は、さすがに女とは思えない、気味の悪い色気を纏った低音で吐き捨てられた。
その男?は、傘の先端をグリグリと回して肉を抉り続け、あたりは悲痛な断末魔の叫びと、ばらまかれた臓物の悪臭で満たされた。
「…あれがギャングだよ」
―ギャングって、理由もなく道端の人間を殺すようなヤツらなのか?
そんな…クソ野郎どもなのか?
二年前の光景が、鮮明に描き出されていく。
母さんを殺されたから、あの時のギャングどもの方が不快感は大きいが、コイツは本来、アイツらよりもっと醜悪で、下卑た存在だ。
アイツらはまだ、少なくとも理由があった。ただ、生活の困窮という問題を解決する方法として最も誤った選択をとったがために、オレに殺された。
だが、コイツはなんだ?
あの酒飲みが、何かしたのか?
だからと言って、死体を弄ぶまですることがあるか?
もし母さんが、あの男に殺されていたら…
―やはり、完璧な世界に悪は必要ない。
「ほーら、こうすればもっとカワイイ♡やればできるじゃーん」
クソカマ野郎は既に動かなくなった男の顔面を傘で抉り、目を潰し、血で落書きをした。
「こ、ここから離れようお嬢!あれは関わったらヤバいタイプだよ!」
「…店内にしばらく隠れていたほうがいいと思う」
「しごとに、もどろ」
「彼の行動は…僕の美学に反する…生を踏みにじっている…だが、彼にも何か…」
クロトに肩を揺さぶられ、レインの囁くような、しっとりとした声による忠告が耳に入り込み、様々な外的刺激を与えられたが、そんなものには左右されず、オレがこれからとる行動は既に決定づけられていた。
また、それは本能によるものでもあったが、自分は悪を滅するために力を振るうのだということを再確認し、悪とは根本的に異なる存在であることを自分自身に認めてもらうためでもあったような気がする。
「…ナユタっ!?」
「ダ、ダメだよお嬢!」
気がつけば既に、オレは大通りに姿を現して自慢のバットをかざし、野郎の背後に威風堂々と立っていた。
怯え切った表情で、通りの端から動けずにいる人々の全視線が、こちらに向けられているのを感じる。
「ただのおっさんをブッ殺すのは楽しかったかぁ?あぁ?」
相手は傘を動かす手を止めて、ゆっくりと腰を捻って顔を向けてきた。
「ん~?楽しかったっていうより…」
―そのクソみたいなにやけ面を止めろ。
「カワいかったっていうのかなぁ?」




