第五話:Sex Pistols (and a Rifle)
自営業の何でも屋を営んではいるが、ろくな依頼書が無かったり、他の業務もない時は本当に暇だ。
だから、一週間に二回はとある大衆食堂の警備員として働かせてもらっている。
ハニーの部屋で寝落ちした後、昼の十二時に目が覚めた時に今日がその日だということを思い出し、悪態をつきながらバーを飛び出し今に至る。
まあ、警備と言っても、客がオレを怖がらないように、入口から少し離れたところをバット片手にうろつくだけ。
その仕事も残り三十分。本日もなーんも起きずに閉店ガラガラかと思いきや、奇妙な男が地面に膝をつき、路地の側面、つまりコンクリートの壁に向かって不審な動きをしているのを見つけた。
モヤシみたいにヒョロヒョロした腕。その先の青い血管が浮き出た手には、ちょうど彼の二の腕くらいの長さの筆を握り、壁に何かを描いている。
暗青色の長髪でそれに似たような色のくたびれたローブ、というより布を羽織っており、地面に置かれた錆びたバケツに筆を浸す時にちらちら見える中性的な横顔は二十代前半くらいに見えるが、頬骨が出ていて肌は青白く、とても健康には見えなかった。
オレはあまりに退屈だったものだから、ちょっと話しかけてみることにした。
「よっ、お兄さん。何してんの?」
モヤシ男は問いかけにもまったく応じず、ただひたすら壁に筆を走らせ続ける。
ったく、つれねぇなぁ。画家ってのは偏屈なヤツしかいないのか?
遠くに座ってしばらく彼にヤジを飛ばしていると、ようやく完成したのか、彼は立ち上がってひとつ咳払いした。
どれどれ、上手く描けたのかねと、軽い気持ちで覗き込んでみる。
―殺風景だった食堂前の壁に描かれていたのは、赤い塗料一色、その濃淡だけで描かれた、異常な見た目をした赤子の絵だった。
その赤子は膝を抱えるように丸まり、馬鹿デカい顔だけ正面に向けて、薬でもキメてるのかと思えるほど大きくて不気味な目でこちらを睨んでくる。
技巧は凝らされているように見える。だが、これは上手いと言っていいのだろうか?
それに、この赤いペンキの臭い…まさか…!?
「おま…」
「君は、自分が"生きることを許された"人間か否か、考えたことはあるか?」
「は?」
胸を抉るような突拍子のない問いかけに、思わずたじろいだ。
「その反応、考えたことはあるが、止めた人だ。僕には解る」
「人は本能的に…特にやましいことをしておらず、誰かに恨まれていなくとも、心のどこかで自分の生に対して常に許しを求めている。僕はそう考えている」
絵筆とバケツを片付けて、ついさっき壁に誕生した生命を見つめながら彼は話を続けた。
「その"許し"を得るために、人は何か行動をせずにはいられない。僕の場合、これがその行動だ…」
………。
「すまない、急に僕の哲学を押し付けてしまって…君が僕の絵に興味を示してくれたものだからつい喋りすぎてしまった。でも、こうは思わないか?」
「人がお互いの生を肯定しあうことができたなら、どれだけ美しい景色が見えるのだろう、と」
「…そろそろ行くよ。君の生が肯定されることを切に願う。僕以外の人間にもね…」
足音が遠ざかっていく。
気づけば、もう彼の姿はどこにもなく、暗がりの中にはオレと血の赤子しか残っていなかった。
「何なんだよ…」
散々人を殺してきた自分の生を肯定するなんて無理な話だ。
本来は孤独に死ぬべき存在のはずだったのだ。そんなオレとも会話してくれる人たちはいるが、それはオレが強いからとか、殺し屋だからとか、恐怖を抱いているからなのだろう。
表面的なんだよ。でも、オレの内面を好いてくれる人なんているわけがないし、別に愛してくれとも思わない。
―だが、誰かに内面を、生きることを肯定してほしいという、自分勝手で欲張りな願望は確かにあった。
「―レイン…」
出会ったばかりだし、体目当てで一方的にオレが話し始めただけだけど、もし君を救い出せたのなら、たった一言でいい。
ありがとうって、言ってほしい…
オレは店長に退勤報告もせずに、定時の午後八時より少し前にバーへ駆け出した。
* Nayuta → Mailine *
時計の針はちょうど八時を指し示し、店内も賑わいはじめた頃、意外な人物が入店してきた。
レインだ。彼女の仕事にしては随分退勤が早くないか?
そもそも彼女には、今日集まってとも直接お願いはしていない。何か心境の変化があって、覚悟を決めたのだろうか。
そうとなると、問題は客だ。
レインの格好を見て絡まない男なんてそうそういない。そんな奴は文字通り玉無しだろう。
この店では、"マスターに危害を加えない限りは何をしても自由"という規則を掲げているため、平気で色事に浸る者もいれば、賭けに負けて軽い喧嘩を起こす者もいる。
そういうのがめっきりいなくなるから、ナユタは便利だ。彼女の腕は客の誰もが知っている。だから、彼女の前では暴君もただの酒飲みになるし、女に絡もうとする暇人たちも、大抵は彼女が先にナンパしているから絡みに行けないため、店内で男女の気持ちよがる声を聞くことはない。
そして予想通り、レインはさっそく酔った男に絡まれ始めた。伝統のルールを破るのは後ろめたいが、今日はこれから大事が控えてるのだ。面倒ごとは避けておきたい。
「ガブ、ちょっとその子に用があるから我慢して」
名を呼ばれた長身の男は、気を落としながらも渋々承諾した。
「えぇ~?まあ、メイさんが言うんなら従うけどよ。じゃ、じゃあ、名前だけでも教えて…」
女体を諦めきれない酔っぱらいを無理やり席に着かせ、レインをカウンター―私が認めた客だけが座れる特等席に案内する。
「こんばんは、レイン。なんか飲む?一杯奢るよ」
彼女はあの煙草をおもむろに取り出し、火を点ける。ハイライトのない瞳でぼーっと虚空を見定めた後、ようやく口を開いた。
「…三十度くらいの、ビターで冷たいの、ある?」
OKと一言返し、さっそくカクテルづくりに入る。
この店にはテーブル席とカウンター席の二種類があり、一般客はテーブル席限定。飲みたい酒の種類や味、商品名、その日の気分などを紙に書かせ、
私の作業場近くのコルクボードに貼り付けることで注文完了となる。
そして、カウンター席のお客様のご注文は、一般客のどの注文よりも優先される。
これに関しては不満を持つ客もいるが、私だって有用な客にできるだけ良い体験をしてもらいたいのだ。
時間はかかるがちゃんと注文通り、いやそれ以上のモノが届いて、ある程度騒いでも許される場を提供してやっているのだから、それくらい我慢してくれと思う。
カクテルを作ってる間、雑談がてら昨日の夜に気になっていたことを持ちかけてみた。
「レインの煙草、いい香りだよね。甘ったるいけどどこかすっきりした感じ。どこで手に入れたの?」
「…地下で採れる果物、ライターベリー。それの香り。私のとこのボスがくれたものだから、これを持ってるのは私とあと数人だけ」
ボス、ね。
「なるほどねぇ…。私もヤニ吸うの好きでさ。下層で売ってるものはほとんど吸い尽くしたのに、レインのは嗅いだことない匂いがしたから気になってたんだけど、そういうことだったのね」
彼女は小さく頷くと、カウンタ―に肩肘をついて黙りこくってしまった。
何を考えているか全くわからない、そして内情も詳しく知らない彼女とコミュニケーションをとるのはかなり大変だ。何が彼女を傷つけ、心を閉ざされてしまう発言になるかわからない。
私は人と話したり、噂を聞いたりするのは好きだが、別に話し上手というわけではなかった。ここで働くことになったのも成り行きだし、人と話すようになったのも訳あって始めたことだった。
気まずい時間をやり過ごすようにして液体をシェイクし、"サンライダー"を完成させる。
「はい」
グラスが差し出されると、彼女はゆっくりと目を開けてそれを手にとった。
とても気怠そうな動きだったが、その時、彼女の意外と積極的な一面を見せてくれた。
彼女は箱から煙草を一本取り出し、火を点けたかと思うと私の方に差し出してきたのだ。
「…一杯くれたから、一本あげる。ボスからいくらでも貰えるし」
「いいの?ありがとうね」
何だか不思議な気分だ。これから暗殺計画を立てる人間が作ったモノを受けるなんて。
ゆっくりと吸ってみたのに、肺に取り込まれた未知の煙は想像以上に甘ったるく濃い味で、思わずむせそうになった。
だが、そんなことは私のプライドが許さない。煙草を吸って人前で咳込むなどダサすぎる。
はぁ…まあ、悪くない。だが、レインはよくこんなものを吸い続けていられるな。カクテルも地味に三十度で指定してきたし。ま、私はもっとキツいの飲めるけどね。
ライターベリーとやらの煙草にも慣れ始め、ちょっぴり場の緊張がほぐれてきたちょうどその時、あの問題児が店にやってきた。
「…来たぜ。って、えぇ!?」
いつもより扉を開ける勢いがなかったが、レインがすでに来ていることに気づくや否や、ナユタは目の前にエサを吊るされた家畜のようにすっ飛んできた。
「来てくれたんだ!やっぱオレのことが気になっちゃった感じ~?」
やれやれ、そんな訳ないでしょうに。彼女は自分の複雑な境遇と向き合ったうえで、人生を変えるかもしれない大事に臨んでいるのだろう。
それに、自分の人生が懸かっているのはナユタ、あんたも同じことだよ?もうちょっと責任をもった言動を心掛けた方がいい。
「気にしないでレイン。この猿女はいつもこんな感じだから」
「猿女言うな!ひどいよなぁレイン。常連に向かってさぁ」
「…うん、ええと…そんな名前だったっけ?」
「ちょっと!昨日自己紹介したじゃん!ナユタだって!」
ナユタがレインの眼前まで一気に顔を近づけて喚き散らかすと、レインの今にも閉じそうなまぶたがビクッとして目を見開いたのがちょっと面白かった。
「…ナユタね。うん、覚えた」
ナユタはまだ名前を覚えてもらっただけなのに、気持ち悪いにやけ顔を浮かべている。どうせろくでもないことを考えているのだろう。
彼女の妄想を遮るように、私は手を叩いて仕切り直した。
「はいはい、あんたの紹介の次はこの子の番だよ」
私は端の方のカウンター席に座る、分厚い赤褐色の毛皮のコートを纏い、フードで顔が隠れている小柄な人物を指さした。
首元あたりはふわふわした白い綿で覆われており、その暖かそうな羽織ものの中からは、冷たい光沢を放つ細長い棒―銃口が飛び出ていた。
「この子はエリネミ。ナユタと違って、プロの殺し屋だよ。あんたよりずっと強いんじゃない?」
その言葉が癪にさわったのか、ナユタは席を立ちあがり、未だうつむいたままそわそわしているエリネミに近づいていった。
「へぇ~、エリネミっていうんだへぇ~。殺し屋やってるんだって?」
「ちょ、ナユタ待って…」
ナユタが無理やりエリネミのフードを下ろした瞬間、毛皮の中から大砲のように重く、動悸がするほど場を震えさせる発破音が響き渡った。
コートの中から現れたのは艶のない乱れた銀髪を持つ少女の素顔と、目にも止まらぬ速さで出てきた彼女の左手だった。その手には、全体的に四角いシルエットのピストルが握られており、先端が妙に濡れている。
その銃口から放たれた銃弾はナユタの足元のそばをに落ち、床に大穴を開けた。
私の拳銃とは威力が段違いだ。
急な発砲に私とレイン、そして客たちも驚いて、皆の視線が二人の殺し屋に集まった。
「さわら、ないで」
「ころすよ」
言葉をつなぎ合わせるようにして発せられた不気味な喋り方は、豪胆無比なナユタをも怯ませた。
「…テメェみてぇなクソガキに殺られるかよ」
―エリネミ。生まれも育ちも地下街で、幼い頃から殺しで生計を立てているという本物の狂人。
教育は受けていないが、その抜群のセンスと知能であれらの銃を自作したという。
殺しを遊び程度にしか思っていないナユタとは違い、口には出さないものの彼女の行動や計画性は高く評価されている。噂が先行しすぎているのかもしれないが、彼女ならばこの仕事を単独でもやってのけるかもと思わせるほどだ。
また、無理にスキンシップをとろうとしなければ大人しい子なのだが、一つだけ異常な癖があるらしい…
「ごめんねエリネミ。ナユタはちょっと荒っぽいけど、悪い奴じゃないから。撃たないであげてね」
恐らくまだ十三、四歳程度の少女をなだめ、本題に入る。
「エリネミはグラントの殺害を他の人間からも頼まれてる。だから、私がその協力を申し出たってわけ。そのグラントってのが…」
「レインをいいように使ってるクソ野郎ってことか…」
拳を握る手に血管が浮かび上がるほどのナユタの怒りよう。モチベーションは全く落ちていないようだ。
「そう。あんたは娼館を潰してレインを助けたい。エリネミはグラントを殺したい。利害は一致してる。あんたらみたいなイカれた強さを持ったのが二人もいれば、なんとかいけるんじゃないかな」
「でも―」
私は人差し指を立て、ここにいる小娘たちに言い聞かせるように続ける。
「殺し屋のあんたたちならわかってると思うけど、目的を達成した後、相手に足取りを掴ませたら絶対ダメ」
「ニルヴァーナは組織で動いてる。孤独な悪党を殺すのと違って、あんたたちの顔を覚えた仲間が一人でも生き残ってたら、必ず報復にやってくる。そこのところ、覚悟はできてるの?」
ナユタはバットを蹴り上げて肩に担ぎ、自信満々に言った。
「なぁんだ。そんなこと心配してたのか?わかってるって。敵は全員ぶっ殺して、レインは必ず救い出す。よゆーよゆー」
「しごと、だから。しっぱいは、しない」
エリネミの言葉はたどたどしいが、ナユタの百倍は信頼できた。
「はぁ…OK。じゃあ、せっかく今日はレインが来てくれたことだし、彼女から地下街の状況とか娼館の立地、グラントの特徴とか諸々教えてもらって、そこから計画を立てよう。本当、レインが来てくれなかったらどうするつもりだったんだか…」
―この小娘どもは、ちゃんと話を聞いていたのだろうか?
ナユタはいつも通りカウンターに両足を乗せて、飛び回っているハエを目で追っている。エリネミも自分の銃と会話してるし、レインは一応私の方を見ているが、どす黒い瞳で一点を見つめ、煙草をくゆらせるその姿は、私には話を聞いているようには思えなかった。
「レインからクソのグラントの顔を教えてもらって、ちゃちゃっと殺っちまえばいいんじゃねぇの?完璧な計画だな」
「ほんっと馬鹿だねあんたは。娼館の詳しい場所とかグラントの普段の動向とか知ってんの?それに、うまくいけばあんたが出しゃばらずとも、エリネミが遠くから始末できて身バレする確率も減らせるかもしれないでしょ?エリネミもどこから撃つかとか考えておかないと…」
「どこでも、いいよ。ころすの、かんたん」
「ま、まあね?そこらをほっつき歩いてるグラントを頭一発撃ち抜ければ簡単だと思うけど、そうはいかないだろうし…」
才能はあるがあまりに単純馬鹿な二人を諭していると、レインが言葉を発し始めた。
「…ボスと地下街のこと、少しは手伝える…と思う」
よかった。彼女だけはまともだった。
私は深く頷いて、メモを取りながら彼女の話を聞き続けた。私のための計画を練るために。
そう。グラントを殺しつつ、私が地下街の、そしてギャングどもの情報を安全に入手できる計画を…
―私に恋人を殺させたあの殺人鬼の正体に一歩でも近づくためならば、幼い少女だろうと何だろうと、利用できるものは全部使う。




