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君と舐め合う傷が欲しい  作者: 竜果物
一章:那由多の原罪
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第四話:Be Strong Now

感想よろしくお願いします。他のEPもぜひ。

帰路についてからしばらく経った今、どこまでも深く暗い空に浮かぶ星々を見上げながら歩いていると、ようやく海風が正面から吹き込んできた。


今日貰ったピルを失くしていないか、煙草とライターが入ったポケットをまさぐって今一度確認する。


―あった。やはり、包装がやけにベタベタしている。はじめは少し不快だったが、もう慣れてしまった。


これを買いに来ただけなのに、今日は本当に色々あった。特に、あのバット女。


自分より背も高く、武器も強力な相手にまったく動じないで攻め倒したどころか、今度は何倍もの巨体を持つ怪物に挑み、血みどろになりながらも私たちを助けた。


あれが女だなんて、とても信じられない。馬鹿で無鉄砲で強くて、私とは…まるで違う。


もしかしたら私にも、なんて、馬鹿なことを一瞬でも考えた自分が腹立たしい。


私にできることなんて、煙草に火を点けることと、腰を振ることくらいしかないんだから。


―物心ついた時には、私は下層の小さな小さな孤児院で暮らしていた。


親に代わって私たちを育ててくれた老人は優しかった。身寄りのない子供たちに普通の暮らしと教育を施そうと努力していた。


生まれつき無口で、人や物にあまり興味を抱くことがなく、祝い事にも参加せずにただぼーっと生きていた私にさえ彼は笑顔で接し、一緒に"楽しめること"を探してくれた。


それは十歳の時だった。


「レイン。お前さん、いつも夜空を見上げとるだろう?これを使えばもっと面白いものが見れるぞ」


彼が私にくれたものは、円筒に三本の足が生えたような物体、望遠鏡というものだった。


手作り感満載で、見た目はかなりぼろぼろだったが、彼がせわしく角度やつまみを調整すると、その小さなレンズの向こうには、星の輪郭がはっきりと見えた。


この小さな窓から覗いたあの日の夜空はとても感動的だった。


だが、私は星の素顔を覗いたことよりも、私のような根暗な人間が人からプレゼントを貰えたことの方がよっぽど衝撃的で嬉しかった。


私はまだ子供ながら、将来はそんな彼のような、どのような境遇、性格の人々にも寄り添える、優しい人になりたいと思っていた。


―だが、その浅はかな夢は、私がおそらく十五になったある日の夜に一瞬で叩き潰された。


老人は私を含め五人の子供を育てていた。それなりに生活費がかかるはずだが、食事にも困らず、普通の暮らしができていた。


しかし、それはドラッグの密売や地下街で金を借りていたからこそ可能なものだった。


返済が滞っていたのだろう。皆が部屋の中で私のお祝いをしてくれている中、借金取りたちが怒鳴り散らかしながら孤児院の裏口から押し入ってきた。


それから起こった惨劇を、四、五年間煙草で脳を曇らせ続けた今でも覚えている。


老人と、彼を守ろうと抵抗した一番大きな少年は、容赦なく撃ち殺された。


そして、私より年下の無力な三人は、悲鳴を上げることすらできずに、どこかへ連れていかれた。


この時、運が良いのか悪いのか、私は誕生日会の主役であるのにも関わらず、皆から少し離れた外の窓際で星空を観察していたため、中で起こった惨劇を把握し、すぐに逃げ出すことができた。


逃げ出せたのだから運が良いのではと思われることだろう。しかし、その場の危機を回避できたとしても、状況が好転するとは限らない。


皆を置き去りにして逃げ出したその夜、恐怖と自己嫌悪に頭の中をぐちゃぐちゃにされながら走り続け、かなり遠いところまで来て立ち止まったとき、ついに心が潰れて失神した。


そして目を覚ますと、私は見ず知らずの薄汚い酔っぱらい達に犯されていた。


初めての行為は乱暴で、苦しくて、耐え難い痛みがあった。声を上げることすらできなかった。酒瓶で頭を打たれ、ガラスの破片と共に再び意識が散った。


痛い。痛いのは嫌いだ。暗闇の中で、体が、心が踏みにじられていくのを感じていた。


だが、延々と痛めつけられているうちに、ある種の満足感が生まれていた。


これでいいのだと思った。私だけ助かって自由を手にするなど、到底消すことのできない罪悪感と共に生きていくことになるだろうから。


だから、ここで犯されたことは()()()()ともいえる。私が許そうと、誰が許そうと、運命は私を許さなかったのだ。


夜が明ける頃には、男達は夢に溺れていた。大きないびきをかき、壁にもたれかかって爆睡しているその姿は信じられないほど無防備で、私でも殺せる気がした。


路上に散らばった酒瓶の破片。それを喉元に突き刺せば余裕で殺れただろう。


しかし、そんなことをする度胸も気力もなかった。


虫けらのように地面にくたばって、このまま眠れば死に直行できる。そう思って、何もしなかった。


自分を騙して、自由に目を塞いだ。すべてを諦めようとしていた…


そんな時に現れたのがボスだった。


酔っぱらいどもよりも圧倒的に背が高く、肩幅は三倍、いや四倍ほどあった。


上裸で、乾燥して荒れた褐色の肌に所々白い斑点があったり体に無数の縫い跡があったりと、とても不気味な雰囲気があった。


当時、私は徐々に意識を失いかけていたが、その時に響いた何かが潰れる耳障りな音だけは今もはっきりと覚えている。


その音が止んだ後、私は彼の異常な大きさの腕に抱え上げられ、そのままどこかへ連れていかれた。


そして現在に至る。私は訳も分からず売春婦として生きることを強要された。


初めはもちろん嫌だった。だが、数週間、数か月と時間が経つにつれて、見ず知らずの男とセックスしても何も感じなくなっていった。


服を着ていてもすぐに破られてしまうため、客が置き忘れていった丈夫な素材のレインコートを着るようになった。裸でいることにためらいもなくなった。


声も出さない。抵抗もしない。ただ黙々と相手の望みを受け入れる。それが女に生まれた定めなのだと。


無反応というのは、客側からすると退屈に感じられると思うのだが、私の評判は意外と良かった。いつしか私は、娼館の中でも人気指名の一人になっていた。


そんな異端な存在である私を気に入ったのか、ボスからの待遇も良くなった。休みも貰えたし、食事もくれた。


こんな人生も悪くないかな。そう思えてきた。しかし、どうしても過去が消えない。


連れていかれた皆は今頃、死ぬよりも悲惨な人生を送っているのかもしれない…


そして、何の縁もない私を、あのお爺さん…ロドンさんは…何不自由なく育ててくれた…


確かに彼は優しすぎるあまり、やってはいけないことに手を出してしまった。それでも、彼が持っていた綺麗な心は尊敬せずにはいられなかった。


私も、生まれながらに身寄りのない人たちを、不幸な目に遭っている人たちを助けてあげられるような、そんな人に…なりたかった…


そんな夢が、私にもあったなぁ…


煙草に火を点ける。過去を煙に巻くと、心が落ち着いてくる。


そう、これでいい…


でも、やっぱり…


くだらない。そんなことを考えているうちに、私の家―海に面したところに乱立する廃倉庫の一つにたどり着いた。


冷たい外気をまったく防げない、錆びた暗緑色の金属板でできた壁面には相変わらず大きな穴が開いており、私だけでなく鼠や虫もここから出入りしている。


内装も汚く、乱雑だ。上層のゴミが投棄されている空き地から運んできた机やソファを適当に並べ、綿から作った簡素な寝床が冷たい地面にくたばっている。


部屋の片隅には、傷だらけの丸いガラスや奇怪な形をした木片とその削りかすが無数に積み重なっている。


こんな場所で生活していたらかなり不潔になってしまうが、ボスが仕事の前に整えてくれるから、もうあまり気にしていない。


そういえば、バット女はボスを殺すつもりらしいが、本気なのだろうか?あれを目の前にして逃げ出さなかったら、私も彼女を本物だと認めざるを得ない。


それに、他者から見れば私は酷い扱いをされているとはいえ、ボスは私を気に入っている。売り上げがいいというのもあるが、性格が気に入られているらしい。


だからある程度優遇してくれるし、暴力も振るわれない。


やっぱり、このままの生活でもいいんじゃないかな。絶望もなければ希望もない、現状維持の生活。


しかし、今日の戦いを見せられて、私の半端な生き方を否定され、揺らいでしまったのだ。


本当は私だって、彼女のように自由に生きたい。自由に生きたいというのは、人の本能として当たり前に感じることだろう。


けれど、自由を奪われた子たちがいるというのに、私だけがこの地獄から抜け出してもいいのだろうか…?


そんなことを拗らせながら、私は棚の中から魚の干物を取り出した。


これが支給されている飯だ。


海で採れた魚らしいが、きちんと処理されているのか、いくら食べても食あたりを起こすことは一度もなかった。


ある青年が釣ったものを買って食べた時は、しっかり焼いたのにお腹に激痛が走り、何度吐いたかもしれない。


それほどにまで海は汚染されているのに、生き物たちは適応しているのだから不思議だ。私に少し似ているなと思った。


カチカチの干物をひと口かじる。うん。男のブツよりはるかに美味しい。


きれいな星を眺めながらの夜の食事だ。臨海地域は星がよく見えるので、酒と煙草に加えて、これが唯一の娯楽だった。


そして、その穏やかな時間は、しゃがれた男の怒声と共に終了した。


「そ、そこのアマ…!い、いいもんく、食ってるじゃァねェか…」


鼠の出入り口から入ってきたのは、禿げあがった頭の、萎びた睾丸のような肌をした老人だった。


刃渡り二十センチほどの錆びついたナイフを両手で握っているが、よく見るとどちらの手のひらにも小さな穴が開いていた。


まずいな…痛いのは勘弁。相手がその気なら、私だってやり返さざるを得ない。


生に興味はないとはいえ、苦痛を伴って死ぬなんてまっぴらだ。


「…あんたにやるモノは何もないよ」


「う、うるせぇ!お、お前みたいな若い女を見ると、お、俺の手に風穴を開けやがった保安官を思い、出して、腹が立って、殺したくて仕方がねぇんだ!」


なんて八つ当たりだ。倉庫に入っていく私を偶然見つけて、その保安官に似てるからってわざわざ追いかけて殺しに来たのか?


いつもならこんな理不尽な仕打ちも気にせず受け入れるが、痛めつけられるとなれば話は別だ。


だが、勝てるか?


老いていると言えど相手は男で、しかも凶器を持っており、逃げ場も塞がれている。


そして、現実は非情だ。紫煙で曇った私の脳みそでは、急接近してきた相手の攻撃を認識できても一発防ぐのが精一杯だった。


床に押し倒され、ナイフを持つ相手の両手を首の手前で止め、押し返すので精一杯だ。


「―っ!やめ…ろ…!」


銀の刃がじわじわと私の喉元に迫ってくる。


こいつ、年の割にはやけに力が強い。いや、私が弱いだけか…


いつものように卑屈になった途端、世界がゆっくりになり、私を殺そうとしている男の顔が詳細に見えた。


確実に薬物を常用している大きな左目。右目は潰れているのか、瞼が開き切らずに痙攣している。


食いしばった歯からはよだれを垂らし、鬼の形相でたまたま出会っただけの売女を殺そうとしている。


何が彼をそこまで突き動かすのか…まあどうせ、ただのクズで何も考えずに動いてるだけなんだろうけど。


―はぁ、もう、諦めてもいい、よね…


痛いのだけは本当に嫌だが、それも受け入れ始め、自我のない無駄な人生に幕を閉じようとしたその時、私はなぜか、バット女のことを思い出していた。


初対面の時は、うるさくてダル絡みしてくる女なのに女好きの、ただの面倒くさい奴だと思っていた。


だが、絶望的な状況でも恐れずに自分を信じ、当たり前のように障害を突き破ろうとするその生き様に、憧れのような、妬みのような、そんな感情を抱いてしまっていたのだ。


―集中。


どうせ死ぬなら、イチかバチかやってみよう。


…3。相手の力加減を感覚でつかみ取る。


…2。手を離した後の動きをイメージしてみる。


…1。呼吸のタイミングを見計らって…


「今」


相手が一呼吸おいて力が弱まった瞬間に手を放し、左に体を回転させる。


「なっ…!?逃げるんじゃ、ねぇ!おとなしく…グォッ…!?」


勢いあまって地面に突き刺したナイフをかっさらい、私は体勢を崩した男の心臓をそれで貫いていた。


男は仰向けに倒れ、穴が開いた手で空を掴むように悶えたが、数秒後に絶命した。


「ハァ…ハァ…や、やった…」


人を殺す。


ボスがよくやっているから見るのは慣れていたが、実際にやってみるとかなり気分が悪い。


刃物を通して伝わる、臓物を貫いた時の気色悪い感触がまだ残っている。バット女はこんな後味の悪いことを仕事にしてるのか?


胸の中に蠢くのは暗く重い感情ばかりだが、その中には確かに、得体のしれない達成感が入り混じっていた。


「明日の仕事、だるいなぁ…」


彼女なら、私の小さな世界を変えてくれるかもしれない、本当に自由を手に入れられるかもしれないと、一瞬でも思ってしまった。

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