第一話:A Parade of Sexy Girls
人を殺す時は、相手にこちらの姿を認識されてから殺すことを心掛けている。
つまり、殺害依頼の対象の前で、今から何秒で殺すかを宣言する。
鈍い黄金色の時計を肌身離さず首に掛けているのだが、これのタイマー機能を対象の目の前で設定してやるのだ。
それほどの隙を晒してやれば、オレの装備や動きのクセくらいは相手も十分観察できるはずだ。
暗殺なんて誰にでもできる。簡単に勝てる。
そんな卑怯な手ではなく、正々堂々と戦って得られる完全勝利でなくては負けた気がする。
完璧でなければ何も成し遂げられない。オレは、完璧でなければならないんだ…
だが、今日得たのは不完全な勝利であった。どうしようもない自己嫌悪を引きずったまま、ぼんやりと霧がかかった薄暗い路地を歩いていた。
使い古したコートのポッケに手を突っ込み、蹴る石が転がっていないか探す。
消えかけの電灯とシャッターが閉じた建物が永遠に続きそうなその路地を進んでいくと、唯一明かりが灯っている建物が視界の端に見えてきた。
無機質なコンクリで作られた建物が連なる中、温かみのある黒樫の壁と木彫りの装飾が施された扉が粋だった。
老朽化してギシギシうるさいその扉を押し開ける。
グラスが何かと軽くぶつかる繊細な音と、冷たい外気を押し返すように漏れ出る酒と煙草の生温かい香り。
ここが最近ハマってるバー、『ブラッディ・ヴァレンタイン』だ。
客足は少ないが、知る人ぞ知る名店だ。カクテルは美味いし、何よりここの主がとても美人だ。
店内にどかどかと踏み入っていき、その主の目の前にあるカウンター席に腰を下ろす。
普段オレが頼むのは、甘くてガーリーなヤツなのだが、今日はそういう気分じゃない。
「ガットパンチ。ストレートで」
オレが両足を乗っけてふんぞり返っているカウンターの向こうのバーテンダーはグラスを磨く手を止め、
少しからかうような曖昧な笑みを浮かべた。
「フッ、ナユタにはちょっと強すぎるんじゃない?しかもあんた、いつも甘いのしか飲まないじゃない。これがどんな味か知ってるの?」
「"内臓を混ぜ合わせたみたいな味"、だろ?いいからくれ」
バーテンダーの女は、呆れたように首を横に振り、軽くため息をつきながら、カウンター下から今まで見たことのない大瓶を取り出し、背中側の酒棚から小瓶を二本、左手の指で挟んで持ち出した。
その動作の間、彼女の長くて白い指、左目元にあるホクロ、細く妖しげな目や美麗なまつ毛をなんとなく見つめていた。
メイリーン。ここのマスターであり唯一の従業員。
落ち着いた雰囲気の大人の女性で、オレの悪ノリや与太話にも結構乗ってくれる。
が、彼女の身の上はほとんど語ってくれない。謎が多い人物だ。
そんなことはどうでもよくて、何より顔とスタイルが良い。
整った顔立ち。その両耳にはとげとげしい黒のピアスをつけており、すらりとした長い脚に黒のスーツが映える。
やっぱ指キレイだよなぁ。胸は小さいけど目つきと声も色気があるし…一晩だけでいいから付き合ってくれねぇかなぁ…
そんな叶わぬ色事を頭の中で反芻していると、彼女のほうから声をかけてきた。
「何かあった?浮かない顔してるけど。いつもの猿みたいな元気はどうした?」
「いや今日さぁ、依頼があったんだけど、終わらせるのに一分以上かかっちまってさ…」
「ふぅん。あんたにしては珍しいね。いつもは"何十秒で殺したー"とか自慢してるのに」
たいして似てもない、小馬鹿にしたようなモノマネをされて、少しムラっとした。
こういうクールですましてるヤツほど鳴かせたくなってくる。
「そ。あんまし気分が晴れねーから、今夜は気持ちよーくなりたいワケよ。ということでさ…」
カウンターから足を下ろし、代わりに頬杖をついて彼女の細い目を見つめる。
「今夜、お付き合いしていただけませんか?」
できるだけカッコつけた笑顔を繕ったが、彼女は私に嘲笑のまなざしを向けてきた。
「前も言ったでしょ?女には興味ないって。それにあんた、セックス下手そうだし」
「なっ、下手じゃねーし‼むしろクソ上手い‼あまりの上手さに…」
「前ヤッた娘に泣きながら逃亡されたんでしょ?」
彼女は今にも吹き出しそうな含み笑いを浮かべて、オレが過去に酔った勢いで愚痴った黒歴史を掘り返してきやがった…‼
「クソがぁーッ!もういい!今日は酒だけで満足してやるからさっさと出せーッ!」
「もうありますよ、お客様」
目の前のカウンターには、いつの間にか半透明な黄色いカクテルが出現していた。
チクショウ、何なんだこの女!抜け目なさすぎるだろ!
四角いグラスの中身を、苛立ちや後悔といっしょに勢いよく飲み干す。
「ウゲェェェ!?」
なんて味だ…!自分の内臓をかき混ぜてゲーしたものを飲んでいるのかオレは!?
むせればむせるほど、胃の中の液体が外に出ようとしてくる…!
「やれやれ、私は警告したよ?」
今日はとことんツイてない。殺しは手こずり、ダルい過去をほじくり返され、挑戦した酒はゲロだった!
新たに湧き出た鬱憤に地団太を踏む。
五感がトチ狂い、周りの音に対して鈍くなってしまうほど苦い。そのせいで、バーの入口扉がミシミシと軋んで開く音も聞こえなかった。
が、めったに動じないメイリーンが"動きを止めた"ことで、彼女の視線の先、すなわち入口の方に、何か衝撃的なものがあることを察した。
「あんた好きそうじゃない?ああいうビッチ」
「あ゛ぁ゛?」
どういうことだ?歯を食いしばりながら後ろを振り返ってみると、喉が焼けつくような痛みと舌に染みついていた苦みがすっと消えていった。
女だ。
ぼんやりとして無気力な表情だが、顔立ちは整っており、薄灰色のボサボサした、癖のある髪の中から赤くて濁った瞳が覗いている。
つり目だが、メイリーンほど細目ではなく、どこか儚げな印象を受けた。
デカいケツと胸の上に汚い灰色のレインコートを見に纏っているが、よく見ると…素っ裸じゃないかぁ!?
オレらのようなはみ出し者が住む下層には、たまにこういうそそる格好をしている女はいるが、ここまで露骨なヤツは初めて見た。
煩悩まみれの脊髄反射でカウンター席を飛び出し、彼女の肩に腕をかける。
「お客様ぁん、本店では会員制でございまして、初回利用の場合はお名前と年齢、職業、住所を教えていただくことになっております…」
「おい、うちのルール捏造すんな猿女」
メイリーンのツッコミもむなしく、レインコートの女はもっさりした髪から覗く死んだような目をオレに向けて、囁くように言った。
「―そうなの?」
あぁ…低音だ…
同じダウナーボイスでも、キリっとしたメイリーンのとは違ってこっちはミステリアスで、脳が溶けるような甘さがあって…
「いや、"そうなの?"って…なに騙されてんのさ。そんなワケないでしょ?」
余計なことを言うんじゃねぇッ!と言うつもりだったが、もう酔ってしまったのか?
「いやぁお姉さん素敵っすねぇ。いい声・いい顔・いい体…"3E"が揃ってますよぉ。お姉さんのこと、もっと教えてほしいなぁ?」
ちょっと顔を近づけると、少し甘い煙草の香りが鼻の奥をくすぐった。
しかし、コートの中の表情をよく見てみると、あまりに興味なさそうで無気力な表情をしていた。
今まで絡んだ女子はまだ反応があったのに。拒否反応だけど。
興味を持たれないのが一番まずい。オレは詳しいんだ。
「あっ!じゃあオレから自己紹介するんで、お姉さんも後で教えてくださいね?」
彼女の了承もろくに確認せずに話し始める。
「オレの名前はナユタね。ちゃんと覚えた?脳にメモしといてよ?」
「でぇ、好きなのはあなたのようなエロ…じゃなくて、お美しい女性でしてぇ。今日にも忘れられない夜を体験させてあげま・す・よ」
こんなふざけた気色悪いことを吐き散らかしてるのに、相手は眉一つ動かさない。
「でもアンタ、男臭くないけど」
「そりゃ女だからよぉ~悪いか?女でも女とヤりたいやつはいるんだぞッ!」
「胸もなければ愛嬌もない、そりゃ女には見えなくても仕方ないよね」
「う、うるせぇッ!オレはコレでいーんだよコレで!」
胸の大きさを気にするヤツはかなり多いが、正直全然気にならない。
むしろ、並外れた運動能力を持つこの体に感謝している。身長はもっと欲しかったが。
一呼吸おいて、再び灰色の女神に話しかける。
「でまあそういうワケ。でぇ、仕事は"何でも屋"やってまーす。ホントに何でもやってんだぜ?例えば…」
オレはバーの入口から見て左手側の壁の隅っこにある、酒や油、血が染みついたきったない掲示板の方へふらふら歩き、
そこに張り付けてある紙切れ―依頼書を指さした。
「こういうさぁ、警備に護衛、代行、運び屋、そして殺し…はまぁ人を選ぶけど、何でもござれよぉ!って、だっは!」
一番手前に張り出された依頼書には、細長い顔にちょんまげ、そしてアホ臭い目をした男が描かれていた。
面白いのはその依頼内容だ。"ナスオ 再起不能または殺害 報酬:10イン"。
「10インだってよ!やっす!安すぎるだろ!ヤスオじゃんヤスオ!」
「あとこの値段で受けてもらえると思っ1るヤツもバカだなぁ!あのバカ医者くらいだろ!これでいけると思ってんの!」
申し訳程度に描かれた微妙にヘタクソな似顔絵も相まって、コートに汚れが付くのも気にせず床で笑い転げてしまった。
二人の美女の冷たい視線を感じたが、そんなことはどうでもいい…いやよくないよくない!
がばっと起き上がり、ひとつ咳ばらいをして話題を変える。
「はーおもしれ。じゃあ今度はあなたの番で…」
自己紹介を強要しようとしたところで、話を遮られた。
「殺しもできるってことは…」
「それなりに力、あるってことでしょ。ヤりたいなら無理やり犯せばいいじゃん。こんなことしてないで」
「なっ…!?」
おとなしそうなのに、小さな口から出た言葉は衝撃的なものだった。
無理やり、か。
一瞬だけ、遠い昔の記憶が蘇ってきた。
"無理やり"家族を奪った人間の命を"無理やり"奪った。
オレは散々、無理やり人の命を奪ってきたくせに、どうも無理やりってのは気に食わない。
相手は悪人だからと理由付けして、自分の無理やりだけは正当化してきたのか?
でも、仕方がないだろ…誰かがやらないといけないんだ。それに、いまさら後悔したってもう手遅れだ。
沈んでいた意識が、じきに現実へと浮かび上がる。気づけば、あたりは気まずい沈黙に支配されていた。
「オレは…」
いや。
「お互いにヤりたいって思ってないとさ?なんかこう、思いっきりできねーじゃん。わかる?オレなりの決まりってもんがあんのよ」
「…ふぅーん」
また沈黙。メイリーンもなんか喋れよ!バーテンダーってそういう仕事だろ?
無言の間が続く中、レインコートの女はポケットから煙草とライターをおもむろに取り出すと、再び言葉を綴った。
「…ていうか、こんなことしに来たんじゃないんだけど」
本当、その通りだ。彼女はオレにダル絡みされるためにここに来たのではないことだけは確かだ。
ここに来るのは依頼を漁ってたまに酒を飲むオレみたいなやつ、賭け事をしに来た孤独な酒飲みたち、そして人を探してるやつが主だ。
それでもオレは、彼女と関係をちょっぴりでも持つために、昔に比べて小さくなった脳みそを回転させる。
が、もうその必要はなくなった。
「…なんか、外騒がしくない?」
口火を切ったのはメイリーンだった。
確かに言われてみれば、情けない男の叫び声がこちらに近づいているような気がする。
しかもこの声…あのバカ医者じゃないか?
馬鹿でかい図体特有の、地面を震わせる足音が確実にこちらに迫っている。
「助けてくれぇナユタお嬢ぉ~~~!」
クロトだ。あのセクハラクソ医者野郎…またトラブルなすりつけにきやがった!
「メイリーン。銃に弾こめとけ」
「もう準備できてるよ。それと、はいこれ」
さっき座っていたカウンターの上。そこに置いていたオレの金属バットを手渡された。
「お気遣いどーも」
「酔ってるからってあっさり死なないでよね?あんたが死んだら金づると暇つぶしの相手が消えちゃうんだから」
「はっ、オレがそう簡単に殺されたら世も末だぜ」
おそらく話が見えておらず、ただぼーっと煙草をくゆらせるレインコート女に視線をやる。
「血見るの大丈夫?」
「…まぁ、慣れてはいるけど」
「へへっ、じゃあしっかり見てなよ、お姉さん」
そう言い終わると同時に、だらしない体に汚れた白シャツ、短パンのきったねえおっさんと、馬鹿デカい刀を振り回しながらそれを追いかけるヘンな髪型の男がご来店してきた。
っしゃあ、カッコいいとこ見せてやるか!
『ブラッディ・ヴァレンタインにようこそ…!』
誤字脱字、読みにくい箇所や疑問に思った点等、ご指摘があればぜひ教えてください。




