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雨音喫茶

作者: 暁の裏

 その喫茶店は、雨の日にしか開かない。


 都心から少し離れた、古い商店街の奥まった路地。普段はシャッターが下りているその店は、雨が降り始めると、まるで魔法にかかったように灯りがともる。


 看板には、達筆な文字で「雨音喫茶」と書かれている。


 私がその店の存在に気づいたのは、三ヶ月前の梅雨時だった。


 仕事で大きなミスをして、上司に怒鳴られた日。傘も持たずに会社を飛び出した私は、突然降り出した雨に打たれながら、当てもなく歩いていた。


 そして、見つけたのだ。


 雨に煙る路地の奥で、温かな光を放つ小さな喫茶店を。




 扉を開けると、カランカランとベルが鳴った。


 店内は驚くほど静かだった。いや、正確には「静か」ではない。雨音が、店全体を包み込んでいた。


 屋根を叩く音、窓を伝う音、排水溝に流れ込む音。


 それらが重なり合って、不思議な音楽を奏でている。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの奥から、女性の声がした。


 四十代半ばくらいだろうか。ショートカットの黒髪に、シンプルな白いブラウス。エプロンをつけた姿は、どこか昭和の喫茶店を思わせる。


「あの、今日開いてますか?」


 我ながら間抜けな質問だと思ったが、他に言葉が見つからなかった。


「ええ、雨が降っていますから」


 女性は穏やかに微笑んだ。


「当店は雨の日しか営業しておりません。どうぞ、お好きな席へ」


 店内を見渡すと、客は私一人だった。


 窓際の席に座ると、女性がメニューを持ってきた。

「お飲み物は?」


 メニューには、コーヒー、紅茶、ココア。そして「雨音ブレンド」という不思議な名前の飲み物があった。


「これは?」


 私が指差すと、女性は答えた。


「その日の雨に合わせて、私が選んだブレンドです」


「雨に合わせて?」


「ええ。雨にも色々ありますから。激しい雨、優しい雨、悲しげな雨。今日の雨は...」


 女性は窓の外を見た。


「迷いの雨、ですね」


 私は思わず笑ってしまった。でも、その表現が不思議としっくりきた。


「じゃあ、それを」


「かしこまりました」


 女性がカウンターに戻ると、コーヒーを淹れる音が聞こえてきた。豆を挽く音、お湯を注ぐ音。それらも、雨音と混ざり合って、心地よいリズムを作っている。


 やがて運ばれてきたコーヒーは、深い茶色をしていた。


 一口飲むと、苦味の中に微かな甘さがあった。そして、何とも言えない複雑な味わい。


「美味しい...」


 私は呟いた。


 女性は微笑んで、カウンターに戻った。


 私はコーヒーを飲みながら、雨音に耳を傾けた。




 不思議なことに、その喫茶店にいると、心が落ち着いた。


 仕事のことも、上司のことも、何もかもが遠くに感じられた。


 ただ、雨の音だけがそこにある。


 どれくらいそうしていただろう。気づくと、コーヒーカップは空になっていた。


「お代わりはいかがですか?」


 女性が尋ねた。


「いえ、大丈夫です」


 私は財布を取り出した。


「おいくらですか?」


「五百円です」


 安い、と思った。この雰囲気、このコーヒー、この時間。それらを考えれば、もっと高くてもおかしくない。


 お金を払って立ち上がろうとした時、女性が言った。


「また、雨の日にいらしてください」


「はい」


 私は答えた。


 扉を開けると、雨はまだ降り続いていた。


 でも、店に入る前とは違う気持ちだった。


 雨が、優しく感じられた。




 それから、私は雨が降るたびに、あの喫茶店を訪れるようになった。


 いつ行っても、客は少なかった。多くて三、四人。時には私一人だけのこともあった。


 そして、マスターの女性は、いつも同じように穏やかだった。


 決して多くを語らず、ただ静かにコーヒーを淹れる。


 客に話しかけることもなく、助言することもなく、ただそこにいる。


 でも、それがいいのだと気づいた。


 この店に来る人たちは、皆何かを抱えている。


 ある日、隣の席に座った中年の男性は、ずっと窓の外を見つめていた。その目には、深い悲しみが宿っていた。


 ある日、カウンター席に座った若い女性は、何度もスマホを見ては溜息をついていた。


 ある日、奥の席に座った老人は、古い写真を眺めながら、静かに涙を流していた。


 皆、何も言わない。


 マスターも、何も聞かない。


 ただ、雨音だけが、優しく響いている。


 そして、不思議なことに、皆が帰る時には、少し表情が明るくなっているのだ。




 ある日、私は思い切ってマスターに尋ねた。


「どうして、雨の日だけ開けているんですか?」


 マスターは、いつもの穏やかな表情で答えた。


「晴れの日は、皆外に出たいでしょう? 太陽の下で、楽しく過ごしたい。でも、雨の日は違う。雨の日は、立ち止まる日なんです」


「立ち止まる?」


「ええ。晴れの日は前に進む日。でも、雨の日は、自分の内側を見つめる日。そんな時、人は静かな場所を求める。この店は、そういう場所でありたいんです」


 私は頷いた。


 確かに、私もそうだった。


 この店に来ると、普段は目を逸らしている自分の気持ちと向き合える。


「それに」


 マスターは続けた。


「雨音は、素晴らしい音楽です。どんな言葉よりも、心に響く。私は、お客様にその音楽を聴いてもらいたいだけなんです」


 その日、私は長い時間を店で過ごした。


 雨音を聴きながら、自分の人生について考えた。


 このままでいいのか。本当にやりたいことは何なのか。


 答えは出なかった。


 でも、考えることができた。


 それだけで、十分だと思った。




 季節が変わり、夏が来た。


 梅雨が明けると、雨音喫茶は長い休業に入った。


 私は時々、その前を通った。シャッターは固く閉ざされ、まるで店が存在しないかのようだった。


 夏の終わり、台風が近づいた日。


 私は傘を持って、雨音喫茶に向かった。


 案の定、店は開いていた。


 扉を開けると、カランカランとベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 マスターの声は、相変わらず穏やかだった。


「お久しぶりです」


「ええ、夏は雨が少ないですから」


 私はいつもの席に座った。


 今日の店には、他に二人の客がいた。


 一人は、スーツ姿の若い男性。もう一人は、大学生くらいの女性。


 二人とも、静かにコーヒーを飲んでいた。


「雨音ブレンドを」


 私が注文すると、マスターは頷いた。


「今日の雨は、決断の雨ですね」


「決断の雨?」


「ええ。強くて、迷いがない。そういう雨です」


 確かに、外では強い雨が降っていた。台風が近づいている証拠だ。


 運ばれてきたコーヒーは、いつもより濃い色をしていた。


 一口飲むと、強い苦味が口に広がった。でも、後味はすっきりしている。


 私は、そのコーヒーを飲みながら、決めた。


 会社を辞めよう、と。




 実は、転職の話があった。


 以前から興味があった分野の仕事。給料は今より少ないが、やりがいがある。


 でも、決断できずにいた。


 安定を捨てる勇気がなかった。


 今の仕事は嫌いじゃない。上司は厳しいが、それなりに評価もされている。


 それなのに、なぜ辞めようと思うのか。


 雨音を聴きながら、私は考えた。


 そして、気づいた。


 私は、「それなり」に満足していた。


「それなり」の仕事、「それなり」の人生。


 でも、本当にそれでいいのか。


 一度きりの人生なのに、「それなり」で終わらせていいのか。


 コーヒーカップを置いた時、決心がついていた。


 レジに向かうと、マスターが微笑んだ。


「何か、決まりましたか?」


「え?」


「いえ。そんな顔をされていたので」


 私は驚いた。何も話していないのに、マスターには分かるのだろうか。


「はい。大きな決断をしました」


「それは良かった。雨の日の決断は、晴れの日よりも確かなものになりますよ」


「どうしてですか?」


「晴れの日は、気持ちが高揚している。勢いで決めてしまうことがある。でも、雨の日は冷静。じっくり考えて出した答えだから、後悔しない」


 マスターは、優しく言った。


「あなたの決断が、正しいものでありますように」




 それから半年後。


 私は新しい仕事に就いていた。


 大変だった。覚えることも多く、失敗もした。


 でも、充実していた。


 毎日が新鮮で、学ぶことばかり。そして何より、自分が選んだ道だという実感があった。


 雨の日、私は久しぶりに雨音喫茶を訪れた。


「いらっしゃいませ」


 マスターは、私を見て微笑んだ。


「お元気そうですね」


「ええ、おかげさまで」


 私はカウンター席に座った。


「雨音ブレンドを」


「今日の雨は、祝福の雨ですね」


 マスターが言った。


「祝福の雨?」


「ええ。優しくて、温かい。何かを祝福するような雨です」


 確かに、今日の雨は激しくなかった。しとしとと、優しく降っている。


 コーヒーが運ばれてきた。


 一口飲むと、驚くほどまろやかだった。苦味はほとんどなく、芳醇な香りが口いっぱいに広がる。


「美味しい...」


「良かった」


 マスターは嬉しそうに言った。


「実は」


 私は話し始めた。


「半年前、この店で決断したんです。仕事を変えようって」


「そうでしたか」


「最初は不安でした。でも、今は本当に良かったと思っています」


 マスターは静かに聞いていた。


「あの時、マスターが言ってくれたこと。雨の日の決断は確かだって。その言葉に、背中を押してもらいました」


「いえ、決めたのはあなたです。私は何もしていません」


「でも...」


「私はただ、雨音を聴く場所を提供しただけ。答えを出したのは、あなた自身です」


 マスターは微笑んだ。


「雨音は、何も教えてくれません。でも、雨音を聴いていると、自分の心の声が聞こえてくる。それだけなんです」


 私は、改めて雨音に耳を傾けた。


 確かに、雨は何も語らない。


 ただ、降り続けるだけ。


 でも、その音に包まれていると、心が静まる。


 そして、自分の本当の気持ちが見えてくる。




 それからも、私は雨の日に雨音喫茶を訪れた。


 季節が巡り、様々な雨を経験した。


 春の優しい雨。夏の激しい雨。秋のしとしと降る雨。冬の冷たい雨。


 そして、そのたびにマスターは、その日の雨に合わせたブレンドを淹れてくれた。


「今日は、始まりの雨」


「今日は、別れの雨」


「今日は、希望の雨」


「今日は、思い出の雨」


 マスターの表現は、いつも詩的だった。


 そして、不思議なことに、その表現が自分の心情と重なることが多かった。


 ある雨の日、私は新しい恋人と喧嘩した後、店を訪れた。


「今日は、和解の雨ですね」


 マスターは言った。


 そして、その通りになった。店を出た後、私から彼に連絡を取り、仲直りできた。


 またある日、大きなプロジェクトが成功した日。


「今日は、達成の雨ですね」


 マスターの言葉に、私は思わず笑った。


 雨音喫茶は、私にとって特別な場所になった。




 二年が経った頃、私は一つの疑問を持った。


 この店に来る客は、皆何かを抱えている。


 そして、皆が何かを得て帰っていく。


 でも、マスター自身はどうなのだろう。


 マスターは、なぜこの店を始めたのだろう。


 ある日、私は勇気を出して尋ねた。


「マスターは、どうしてこの店を始めたんですか?」


 マスターは少し驚いた顔をした。


 でも、すぐに穏やかな表情に戻った。


「聞きたいですか?」


「はい」


 マスターは、カウンターに座った。


 そして、ゆっくりと話し始めた。




「私には、夫がいました」


 マスターは窓の外を見ながら言った。


「十年前に、亡くなりました」


「そうだったんですか...」


「夫は、雨が好きでした。雨の日になると、必ず言ったんです。『今日は、どんな雨だろうね』って」


 マスターは微笑んだ。


「最初は、何を言っているのか分かりませんでした。雨は雨でしょう、って。でも、夫は『違うよ』って言うんです。『雨にも色々ある。怒っている雨、泣いて

 いる雨、笑っている雨』って」


 私は黙って聞いていた。


「夫が亡くなった時、私は何もできませんでした。ただ、悲しみに沈むだけ。でも、ある雨の日、ふと思ったんです。夫だったら、今日の雨を何て呼ぶだろうって」


 マスターの目が、少し潤んだ。


「それから、雨の日に雨音を聴くようになりました。そして、気づいたんです。雨音を聴いていると、心が落ち着く。夫がいなくなった悲しみも、雨音に包まれ

 ると、少しだけ和らぐ」


「それで、この店を?」


「ええ。私が救われたように、他の人も救われるかもしれない。そう思って、この店を始めました」


 マスターは私を見た。


「雨音は、何も解決してくれません。問題は残ったまま。でも、雨音を聴いていると、問題と向き合う力が湧いてくる。それだけで、十分じゃないかと思うんで

 す」


 私は、深く頷いた。


「夫の形見は、この店だけです。夫が愛した雨、その音を、多くの人に聴いてもらいたい。それが、私にできる夫への恩返しなんです」


 その日、私はいつもより長く店にいた。


 マスターと、雨のこと、人生のこと、色々な話をした。




 三年目の春。


 私は、大きな決断をした。


 結婚することになったのだ。


 相手は、二年前に出会った彼。優しくて、誠実な人。


 そして、雨の日が好きな人。


 私が雨音喫茶の話をすると、彼は「一緒に行きたい」と言った。


 雨の日、私たちは二人で雨音喫茶を訪れた。


「いらっしゃいませ」


 マスターは、私たちを見て微笑んだ。


「お二人ですか?」


「はい。紹介したい人がいて」


 私たちは窓際の席に座った。


「雨音ブレンドを二つ」


 私が注文すると、マスターは頷いた。


「今日は、門出の雨ですね」


 マスターの言葉に、私は驚いた。


 何も言っていないのに、分かるのだろうか。


 いや、きっとマスターには見えているのだ。


 私たちの幸せそうな顔が。


 コーヒーが運ばれてきた。


 彼は一口飲んで、目を見開いた。



「美味しい...」


「でしょう?」


 私は嬉しくなった。


 彼が、この店を気に入ってくれたことが。


「それに、雨音がすごい」


 彼は窓の外を見た。


「こんなに雨の音に集中したの、初めてかもしれない」


「雨音は、素晴らしい音楽です」


 マスターが言った。


「お二人の門出を、祝福しているんですよ」


 彼は、マスターに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その日、私たちは長い時間を店で過ごした。


 雨音を聴きながら、これからの人生について話した。




 結婚式は、秋に行った。


 幸い、当日は晴れだった。


 でも、私は少しだけ、雨が降ればいいのにと思った。


 雨音喫茶で、マスターの祝福を受けたかった。


 結婚生活は、幸せだった。


 もちろん、喧嘩もした。意見が合わないこともあった。


 でも、雨の日になると、私たちは雨音喫茶を訪れた。


 そこで雨音を聴きながら、お互いの気持ちを整理した。


 そして、また仲良く家に帰った。


 雨音喫茶は、私たちにとって大切な場所になった。


 ある日、マスターが言った。


「お二人を見ていると、夫と私を思い出します」


「そうですか?」


「ええ。夫もよく、雨の日に私を喫茶店に連れて行ってくれました。そこで、雨音を聴きながら、色々な話をしたものです」


 マスターは微笑んだ。


「雨は、人を結びつける力があるんですよ」


 その言葉が、心に染みた。


 確かに、雨がなければ、私はこの店に来なかった。


 この店に来なければ、自分の心と向き合うこともなかった。


 心と向き合わなければ、今の幸せもなかった。


 すべては、雨から始まった。




 四年目の冬。


 私たちに子供が生まれた。


 女の子だった。


 名前は「雫」。


 雨の雫から、一字を取った。


 彼が提案してくれた名前だった。


「雨音喫茶で出会った私たちだから」


 彼はそう言った。


 私は、その名前が気に入った。


 春になり、私は雫を連れて雨音喫茶を訪れた。


「まあ」


 マスターは、雫を見て目を細めた。


「可愛らしいお子さんですね」


「ありがとうございます。名前は雫って言います」


「雫...素敵な名前ですね」


 マスターは、雫の小さな手に触れた。


「この子にとって、雨がいつも優しいものでありますように」


 その言葉は、祝福のようであり、祈りのようだった。


 雫は、すやすやと眠っていた。


 雨音が、子守唄のように響いている。


「不思議ですね」


 私は言った。



「この子、雨の日はよく眠るんです」


「きっと、雨音が心地いいんでしょう」


 マスターは微笑んだ。


「雨音は、母親の胎内にいた時の音に似ているそうです。だから、赤ちゃんは安心するんですって」


 私は雫を見つめた。


 この子も、いつか雨の意味を知るだろうか。


 雨の日に立ち止まり、自分の心と向き合うことを学ぶだろうか。


 そして、この雨音喫茶を訪れるだろうか。


 そんなことを考えながら、私はコーヒーを飲んだ。




 五年が経った。


 私は、今でも雨の日に雨音喫茶を訪れている。


 時には一人で。時には夫と。時には雫を連れて。


 マスターは、少し年を取った。


 髪に白いものが混じり、顔にも皺が増えた。


 でも、その微笑みは変わらない。


 そして、雨音ブレンドも変わらない。


「今日は、どんな雨ですか?」


 私が尋ねると、マスターは答える。


「今日は、継続の雨ですね」


「継続の雨?」


「ええ。静かに、でも確実に降り続ける雨。何かを続けることの大切さを教えてくれる雨です」


 私は頷いた。


 確かに、この五年間、私は色々なことを続けてきた。


 仕事、結婚生活、子育て。


 時には辛いこともあった。でも、続けてきた。


 そして、その継続が、今の幸せを作っている。


「マスターも、この店を続けてくれて、ありがとうございます」


 私は言った。


「私、この店がなかったら、今の私はいませんでした」


 マスターは、少し照れたように笑った。


「大げさですよ。私は、ただコーヒーを淹れているだけです」


「いえ、そうじゃありません」


 私は真剣に言った。


「マスターは、場所を作ってくれました。雨音を聴ける場所を。自分と向き合える場所を。それが、どれだけ大切か」


 マスターは、静かに微笑んだ。


「ありがとうございます。その言葉が、私の続ける力になります」




 今日も、雨が降っている。


 私は傘を持って、雨音喫茶に向かう。


 五歳になった雫が、隣を歩いている。


「ママ、今日も雨音喫茶?」


「うん、行きたい?」


「行きたい! 雨の音、好き」


 雫は嬉しそうに言った。


 この子も、雨が好きになったらしい。


 店の前に着くと、いつものように灯りがともっている。


 扉を開けると、カランカランとベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 マスターの声が響く。


「あら、雫ちゃんも一緒ですか」


「うん! おばさん、こんにちは!」


 雫が元気に挨拶する。


 私たちは窓際の席に座った。


「今日は、どんな雨ですか?」


 雫が、マスターに尋ねる。


 最近、雫はこの質問をするのが好きだ。


 マスターは、真剣な顔で答える。


「今日は、未来の雨ですね」


「未来の雨?」


「ええ。新しい何かが始まる予感がする、そんな雨です」


 雫は、よく分からないという顔をしたが、「すごーい」と言った。


 私は、マスターと目を合わせて微笑んだ。


 雨音を聴きながら、私は思う。


 これからも、雨の日が来る。


 辛い日も、悲しい日も、迷う日も。


 でも、そんな時は、ここに来よう。


 雨音を聴きながら、自分の心と向き合おう。


 そして、また歩き出そう。


 雨音喫茶は、いつもここにある。


 雨の日だけ開く、小さな喫茶店。


 でも、その存在は、私の人生を支えている。


 窓の外で、雨が優しく降り続けている。


 その音は、まるで祝福のように聞こえた。


雨音喫茶は、立ち止まることの大切さを描いた物語です。


現代社会は、常に前に進むことを求めます。


でも、時には立ち止まることも必要です。


自分の心と向き合い、本当にやりたいことを見つける。


そんな時間を持つことが、人生を豊かにするのではないでしょうか。


雨音喫茶のマスターは、何も助言しません。


ただ、静かな場所を提供するだけ。


でも、それこそが、人々が求めているものなのかもしれません。


答えを教えてくれる人ではなく、答えを探す場所を提供してくれる人。


この物語が、読者の皆さんにとっての「雨音喫茶」になれば幸いです。


読んでいただき、ありがとうございました。


暁の裏

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