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風に包まれるその姿を、瞳が追う。
嵐が船に戻ってくるカルラから目を離すと、アレンが隣に立った。
「……ありがと、ラン。呼び戻してくれて」
ぽんぽんと頭を撫でられる。アレンの美しい横顔はいつもと変わらないが、それでも心底ほっとしているのは伝わってきた。
嵐は小さく頷く。
「アレン、あの時……来てくれてありがとう」
「んー、いいよ。今度こそ味方になるって、言ったろ」
「飛雨の味方になってくれて、ありがとう」
そう言い直すと、アレンは何かに気づいたように嵐を見た。欄干に寄りかかりながら、ちらりと飛雨とシュナを見る。飛雨が、シュナに感謝を伝え、シュナは穏やかに「無事で良かった」と伝えているその側に、リストも立っていた。
「ラン、気づいたの?」
「……なんのことかわからない」
大切だとわかったとしても、その気持を認められない。その覚悟のようなものを、アレンは受け取ったようにぐにゃりと体制を崩した。
「オレはね、ランの味方でもあるからさ。誰が誰を想っても、自由なんだよ」
「ううん。わたしはだめ」
嵐は首を横に振る。
「わたしはだめ。だけど、さっき全部もらえた。あれだけでいい」
あの瞬間に気持ちが溢れ出て、そのまま天まで昇ってしまった。それくらいに、清々しい気持ちでいっぱいだった。
大切だ。飛雨が、何よりも大切だ。
それはこれからも変わらない。
飛雨を生かすために生きていく。
けれど、その重さが変わったのだ。
死ぬその時まで、一緒にいる。その気持を渡してもらえただけで、もう充分だった。それ以上の何を望むのだろう。願いは一つしか持てないと知っているのに。
「──だめなことなんて、ありませんよ」
上からふっと声がして、嵐は見上げた。
風をまとわせて帰ってきたカルラが、欄干にそっと着地する。
「おかえり」
そう声をかけると、カルラは優しく笑んだ。
「ただいま戻りました」
「ありがとう。来てくれて」
汚い真似をさせた。そのことを、嵐は詫びるつもりはなかった。そんなことをしてしまえば、カルラが手を汚したことになる。するべきは感謝だ。
助けてくれたことへの。
約束を守ってくれたことへの。
由晴を、止めてくれたことへの。
由晴は捕まることなく、自分で死を選べた。カルラは加減していたのに、それでも「自分が殺した」と思う、そういう優しい人だった。
嵐の考えていることなどお見通しだと書いた顔が、困ったように笑う。
「あなたが気にすることではありません。私は船長なので、船員を守るのが使命なんです。それに──この船の全員があなたに甘い。アレンにもちゃんとお礼を言いましたか?」
「……言ったよ」
「いい子ですね」
「……また子ども扱い」
「言ったでしょう。あなたはまだ子どもなんです。一人で抱えるのは限度がある。全員がフォローに回るほうが大変です。ちゃんと相談してください」
叱られる気配に、嵐はわずかに逃げようとアレンの方に後退するが、叱られな、と言わんばかりにアレンに押し戻された。
「ラン」
そう呼ばれたとき、なぜか違和感を覚えた。軽く首を傾げると、カルラは黒眼鏡をそっと押し上げる。
「……相談してください。いいですね?」
「それだけ?」
「はい?」
首を傾げるカルラに、嵐は「もっと色々と叱られると思ったから」と素直に言い、そして「やっぱりなんでもない」と一人頷いた。
「そうですか」
「うん」
「……次からは相談してくださいよ?」
「……うん」
嵐はカルラの顔を見る。
表情は、きれいに隠されていて全く読めない。
けれど、嵐は知っている。
リシマに一人残ったカルラが、アダマスを──自分を見つめていたことを。
その強く揺らぐような感情を。
嵐は目を伏せ、もう一度頷く。
「わかった。ちゃんと相談する」
「そうしてください」
「はい」
嵐が畏まって返事をすると、カルラはふっと笑い出した。
「はい。お願いします。ほら、シュナが心配していますから、行ってあげてください。お礼もちゃんと言うんですよ」
「わかってる」
「ラン」
呼ばれ、振り返る。
「愛しています」
呟くように、カルラが言う。
途端に、嵐の白い心の中に風が吹き荒れた。
甘くて優しいのに、強くなぎ倒されそうな温かな風が、ごうっと吹く。
嵐が瞬きもせずにじっと見つめていると、カルラはやわらかに笑った。
「あなたを、家族として愛しています。だから安心してください」
「……そっか」
「そうです」
「うん」
「はい」
「わたしも、そうだよ」
嵐がそう返すと、今度は眉を下げて笑ったカルラが、行きなさい、と手を振った。
カルラの姿を視線からどうにか消し、シュナのもとへ向かう。
彼の精一杯を受け取った嵐の心のなかに、ほんの少し、愛おしい風が通り抜ける。




