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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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 「──命なき者の瞳を、お返しします」


 (ラン)の言葉に呼応するように、由晴の〝(またた)きの瞳〟が、身体から離れて浮かぶ。


 それは小石のように小さく、濁っていた。

 形を保てないのか、すぐにほろりと崩れる。由晴の上に降り注ぎ、光に満ちていた身体を蝕むように、じわじわと灰のようなものに変えていった。



 水輝の姿をした幻影はずっと微笑んでいる。

 彼女が嵐を見る。

 嵐も、彼女を見る。


『忌むべき(あらし)の子……怖いわね、あなたの力は。四季しか抗えないのだもの』


 彼女は由晴の欠片を見つめた。

 優しく、すべてを許すように。


『可哀想な子──仕方ないわね。望み通り彼を送ってあげる』

「ありがとう」


 嵐の声が、どこまで届いたのかはわからない。

 けれど、飛雨(ひう)も、カルラも、何も言わなかった。


 天恵、緑風(りょくふう)が大きな翼を広げる。

 そうして、風を一つ、優しく運んだ。


 灰となった由晴の身体が、池から芽吹いた新緑にぶわりと包まれる。

 その葉がチラチラと木漏れ日のように瞬きながら散り──何もなかったかのようにその場は静かに澄んだ。


 

「ありがとう」


 もう一度言うと、嵐は祈りの池に足を踏み出した。

 由晴が倒れていた場所で、深く、跪く。

 剣を自分に向けて置くと、幻影の彼女は痛ましげに微笑んだ。


『あなたが怖いわ。本当に怖い』


 その顔で、その声で、そう言われることが、傷まぬ訳では無い。

 それでも、嵐は彼女は水輝ではないのだ、と思えば、言うことができた。


「お送りいたします──〝緑風〟」

『!』


 嵐が呼んだ風は、あまりにも大きかった。

 空から吹き下ろす青々とした風は、薄っすらと葉の色を纏わせながらリシマ全体を手で包むように広がっていく。木立を揺らし、草をなびかせ、花びらを撫でていく。飛雨の髪を優しく愛おしみ、カルラの手についた血を消失させ──幻影に届く。瞬間、彼女はぱらりと光の粒となって消え、天恵の体へ戻っていった。


 緑風が飛び立つ。


 空ではなく、池の中へ消えていくように。

 池の中の青空の中で、旋回し、遠く奥底へ羽ばたいていった。

 

 ほっと立ち上がろうとした、その時──何かが嵐の足を掴んだ。


「!」


 ぐ、と引っ張られる感覚に足元を見る。

 男がいた。

 池の中から手を伸ばし、嵐の足を掴んでいる。

 黒い髪。黒い瞳。よく知っている顔をした、けれど知らぬ壮年の男。男の周りに、じわりと闇が広がっている。


『おいで。〝(あらし)の子〟よ』

「……」

『さあ、こちらにおいで』

「誰なの……?」

『わかっているだろうに。俺はお前を助ける者』


 男が笑う。

 悲しそうに、笑う。

 〝常闇の瞳〟を優しく細めているその男は、なぜか恐ろしくはなかった。まるで胸に花束を抱いているような穏やかさで、嵐に手を差し伸べている。彼の周りは黒く染まっているのに、どこまでも続いているような星の煌めきすら見えるようだった。

 嵐の頭の中がざわめく。

 

『お前が死ねば、お前の愛する男は死ぬ。お前が生きていれば、お前の愛する男は苦しむ。お前はどちらを選べる?』

「……」

『そう……優しい子だね、お前も。ならば、ここで私と一緒に眠ろう』

「……眠る?」

『死ぬのではなく、生きるのでもなく、ここで、この池の奥で眠ってしまうのだ。俺がいる。お前を眠りにつかせて誰にも起こさせない。その苦しみから助けてやろう』


 視界が、晴れたようだった。

 嵐は彼の微笑みを見つめる。呆然と、立ち尽くす。


 その姿に、池の淵に立つ二人は察したように動いた。池に足を踏み出そうとするが、目の前に黒い影がいくつも立ちはだかり、行く手を阻む。影はのっぺりとしたまま、足元に花をいくつも咲かせだした。花を。花束を。それは、エトライで飛雨が嵐に渡した、白と黄色の小花のそれだった。カルラは飛雨を見る。


「嵐」


 飛雨は呼んだ。

 けれど、嵐には何も聞こえない。


『そうすれば、あの子は無事だろう。お前のことを忘れ、誰かと幸せに生きていける』

「本当に?」

『お前に安息を──常闇の子に安息を』

「うれしい」


 嵐の瞳から、ぼろりと涙がこぼれた。


 助けてくれる。


 飛雨を傷つける自分から、飛雨を悲しませる自分から、飛雨を苦しませる自分から、飛雨を助けることができる。

 だとしたら、これ以上の幸せはない。


『最後に願いはあるか』

「なにもない」

『……』

「なにもない」


 繰り返す嵐を、男は深く同情するように足を掴んでいた手を離し、両腕を広げた。

 そこに、いつか飛雨にもらった花束が目一杯広がる。

 嵐は手を伸ばし、全身で飛び込んだ。

 花びらが舞う。


『お前一人だけでも助けられるのなら──俺達は報われる。ありがとう、〝(あらし)の子〟』


 飛雨と同じ声で切なく震えた声に、彼らの苦しさを知る。


 よかった。


 嵐はその胸に──花束に、ぎゅうっと抱きついた。

 

 よかった。

 飛雨を、こんな寂しいところに引きずり込まずに済んだのだ、と。

 





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