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アレンを包む風がふっと消えると、由晴は恨めしげにアダマスを睨んだ。
「……使っているのか。あの船のやつが、〝瞬きの瞳〟を」
「ひどいね、由晴。オレのこと忘れたの?」
アレンが穏やかな声で由晴に笑いかけると、由晴の目はゆっくりとアレンに向かった。
「覚えているよ、アレン」
優しい声が聞こえる。嵐は押し留められていても、アレンの腕から飛雨と由晴を見た。
「……飛雨」
黒い瞳には黒瑪瑙のような輝きはない。どこまでも光の届かない宇宙のように、虚空が広がっていた。
「飛雨」
「ラン、じっとしてて」
「アレン……お前もあの船にいるんだな……残念だよ」
「オレも残念だよ。なんであんなむごいことができたの? 変な仲間に唆された?」
「仲間なんていないよ」
由晴が笑う。
「だって、俺はもうずっと一人しか残っていないリシマの民だもの」
「……一人で、あれを、全部?」
「そうだよ。ねえ、お前たちなんで生きてるの?」
由晴が不思議そうに首を傾げる。
「なんでそんな普通の顔で、シトリアの船に乗ってるの? なあ。なあ!! なんでそんなことができるんだよ!! 復讐しろよ!!」
怒鳴る由晴の声が、池にヒビを入れ始める。
嵐は足元を見る。
何かが、蠢いた気がした。
「……じゃあ聞くけど、由晴がもしヒューの立場だったら──大好きな人を巻き込んで復讐させる?」
アレンの問いに、由晴の顔が強張る。
すぐにこめかみに怒りが走った。
「は?」
「もし、ミズキさんと生き残れてたら、復讐のために殺してまわろうって、そう彼女に言えるの?」
「……」
「ランはそうさせなかった。死ぬように生きることじゃなく、生きることを選んだんだよ。それは強さだ。それを、堕ちたお前に砕かせたりなんてしない──〝雪煙〟」
鈴の音のような可憐な声に呼応するように、突如白く細かい雪が由晴の足元からぶわりと上がった。視界が一瞬にして霞み、アレンは躊躇うことなく手を伸ばして飛雨の腕を掴んで引く。
「しっかりしろ、バカ!!」
アレンが怒鳴ると、飛雨はハッとしたように目を見開いた。
アレンは乱暴にその胸ぐらを掴む。
「今、選べ。ランか由晴か」
「!」
飛雨が怒りに染まった顔でアレンの腕を掴み返したその瞬間、嵐はそっと呟いた。
「──〝花信風〟」
「!」
「……嵐!」
風が吹く。花咲く知らせを運ぶ風を身体にまとわせた嵐は、二人を一気に追い抜いた。
そのまま、逃げ出した由晴を追う。祈りの池の淵で、彼の外套を掴むと、ぐっと引き寄せて、言った。
「ごめん」
由晴の目が見開かれる。揺れる。淡桃の瞳が、すがるように大きく。
「ごめんね、由晴くん。一人にして、ごめん」
「……」
わなわなと震えだす唇が、苦しげに引きつった。
「なん、で……」
「十年前、由晴くんは何を見たの?」
「……い、いやだ、やめろ!」
「答えて」
びくんと身体が揺れる。
由晴の目が揺れる。
嵐がじっと見つめると、許しを請う子どものように顎を震わせながら口を開いた。
「……み」
「うん」
「水輝の上に、蛇が、落ちた」
「うん」
「俺の呼んだ天恵が」
由晴の震えが強くなる。喉を引くつかせ、瞳を呪うように自分の顔を掻きむしった。
「……ふ、船が来る、シトリアの船が、大勢で、俺の後ろに──後ろ、に」
「強く呼んだの?」
由晴がこくこくと頷く。
「そしたら、なんで……なんで」
最初に落ちた天恵は、由晴が呼んだものだったのだ。
嵐は、由晴の肩に触れる。ビクッと震える肩は強張り、冷たく骨ばっていた。
悲しいほどに、恨みと後悔と吹き出しそうな罪悪感がその身体に詰まっている。
「由晴くん」
「お前のせいだ……」
「うん」
「おまえの、せい、だ……」
嵐が無表情に頷けば、由晴はじわじわと悲しみを帯びた顔になっていく。
「おれのせいだ」
「違うよ」
「俺が呼んだから」
「落としたのは、由晴くんじゃないよ」
「どうしてあんなことに……!! うわああああああ!!!」
錯乱した由晴が、外套の内側に右手を入れる。
何を取り出すつもりなのかわかっていても、嵐は動かなかった。
「嵐!」
背後から、飛雨が叫ぶ声も、アレンの声も、聞こえる。
それでも、嵐はナイフの先が自分に向けられているのを見ていた。
待っていた。
「そこまでです」
ぬっと伸びた手は、由晴の手首を掴んだかと思うと、流れるような動作で、ナイフの先を由晴へ変えたのだった。




