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微動だにしない嵐の小さな背中を、カルラは息を殺したように見守っている。
それ感じていてもなお、嵐は眼の前の幻影の動く口元を追うので精一杯だった。
天恵、春風の幻影は、白くぼんやりと光りながら、嵐に酷なことを微笑みながら告げ終えた。
『──それが、〝常闇の瞳〟よ』
「……」
『それがあの雨の子の使命なの。まだ本人は知らないわ。知らされる前に、あんなことに』
「うそ」
『嘘は言わないわ。可哀想だけど、そのために生まれてきたの。遠いところでね』
「飛雨はリシマで」
『違うのよ、白き嵐の子』
嵐の〝瞬きの瞳〟から、蜂蜜が溢れるような涙がこぼれる。
『……嵐……』
「わたしのせいだ。あの時、あんなことをしたから」
『……あれがあなたの精一杯の選択だった。あなたの愛だった』
「どうして来てくれなかったの」
嵐は呆然と彼女を見つめる。
「あの時、どうしてリシマが壊されるのを、ただ見てたの」
『わかるでしょう?』
彼女は困ったように微笑む。
わかっている。
彼らは、リシマの民を「我が子」と呼ぶ。
それほどに愛おしんでいるのに、四季の天恵まで無惨に落ちるわけにはいかなかったのだろう。
それでも、言わずにはいられなかった。
「あなた達が来てくれていたら」
『いずれは、滅ぼされる』
彼女は優しい声で言う。
『嵐。あなたに伝えたいことは、伝わったかしら?』
「……」
『最悪の事態を招きたくないのなら、抑えなさい』
「……」
『〝遠見の瞳〟を持つことになったあなたには、辛いかもしれないわね。それでも、耐えてちょうだい』
頭を撫でる穏やかな手が、ゆっくりと離れた。
『あなたを恐れる天恵たちは〝忌むべき子〟なんて呼ぶけれど……四季は皆あなたを愛しているわ。私たちの主よ──どうか健やかに』
嵐の瞳に、白い幻影が映り込む。
彼女が頭を下げる姿が。
嵐は一粒だけ流れた涙の跡を指で拭うと、自分に向けて置いたままの剣を見つめた。
命を差し出し、帰ることを頼み込む。
覚悟のもとに膝を折っているという意思表示だった。
彼らは嵐を「忌むべき子」と呼ぶが、今まで誰一人、剣に触れたことはない。
できないのだ。
『……死んではだめよ』
「わかってる」
さっきの言葉が嘘でないのなら、死んではいけないのだ。
幻影はやわらかに微笑み、立ち上がった。
天を見上げる。
『みんなが呼んでいるわね──帰るわ。送ってくれるかしら?』
「……カルラ」
嵐が呼ぶと、カルラは静かに嵐の隣で膝を折った。
天恵、春風の名を持つ大きな梟に頭を下げる。その姿に、幻影は眉を下げて笑んだ。
『彼にやらせるの?』
「……」
『睨まないでちょうだい。ただ、負担が大きいのではないかと思っただけよ。四季を呼ぶだなんて、いくらあなたの瞳を持っていても──』
嵐の口が、薄く開く。
隣のカルラの手をぎゅっと握り、その手を、口元へ。
手の甲に口づけを落とすと同時に、二人が空気を打った。
「「お送りいたします──〝春風〟」」
声のようで、声ではない。
頭に直接響く白い煙が、一瞬意識を霞ませる。
ふ、と天から風が吹いた。
穏やかな手に触れられたような、あたたかな風。
天から、それがゆったりと降りてくる。花の香を漂わせ、舞い踊るように大きく、自らの姿を知らしめるように、雄大に。
『……二人で呼ぶなんて』
幻影は見上げてそう言うと、嵐とカルラの心臓のあたりをそっと撫でた。
『ああ。こんなにも一つになって……苦しむのはあなたなのに』
「……」
嵐は彼女の顔に、どこかぎこちなく微笑んだ。
「いいよ。もう、いいの」
『嵐』
「さあ、帰って」
理解したことが、伝わったのだろう。
淡くほどいた幻影は、光の粒となって、天恵、春風の中へと戻っていった。
春色の梟が、身じろぐ。
翼がゆっくりと動き──体の倍近くある巨大な翼が、円を描くように、ぶわりと広がる。
『穏やかな風をありがとう、王の子よ』
「カルラ」
嵐は唇を離したカルラ手を見せるように、春風に向けた。
「彼はカルラ」
王の子ではない、と睨む嵐に、梟は何も言わずに翼を動かした。
天から降った春風に、天恵が吸い込まれていくようにぐんと大きく飛んでいく。
喜ぶように。
その風を、愛おしむように。




