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天の祝福が降ったのは一瞬だった。
小さな雨粒が月光を淡く抱きとめ、飛雨の髪の表面を濡らす。
空を見上げた飛雨はその雨に少しだけ笑むと、足を止めていたシュナの手を取り、嵐と繋がせた。
「俺が舞うと雨が降る。向こうにいるな」
シュナの手を取ったことで天恵を呼ばぬようにした飛雨は、美しく舞ったのが嘘ように気配を消し、三人から離れていった。
ぽかんとしていたシュナが、ハッと感動したように嵐を見る。
「すごい……ヒュー、すごいね!」
「うん。久しぶりだけど、変わらなかった」
「……そうなんだ」
リストが飛雨の舞を思い出すように自分の足元を見る。動きを確認しているのだろう。
「動きが綺麗だった」
「昔は毎日繰り返し練習してたしね」
「へえ……足音しないのはなんで?」
「そういうやり方を叩き込まれてる、からかな」
漠然とした答えしか返せない嵐の後ろから、にょきっとアレンが顔を出す。
「ラン、もしかしてオレの出番?」
「そうかも」
嵐が返事をするやいなや、リストはシュナとの手を離すと、アレンを招き入れた。
優雅に二人の手を取るアレンに、シュナが目を輝かせる。
「アレンさん、舞ってくれるの?」
「うん。三人が楽しそうだったから混ざりたくて」
「久しぶりだ!」
「そうだっけ?」
輪が膨らむ。
五回目の祈りの中で手を離すと、アレンは長い手足で軽やかに舞った。
ふわりと靡く豊かな髪に、桃色の袖。飛雨の重厚な舞とは違う華やかで優美なそれは、彼の身体に染み付いた王都と自由の気配がした。爪の先まで余韻が響く。どこか可憐な、性別と年齢を超えた何かが彼の中に宿っているようだった。
シュナの目が輝き、リストが呆気にとられたように見つめる。
「わあ、きれい!」
「ありがと。もっときれいなの、見たい?」
「もっと……?」
「そ。きれいな舞だよ」
アレンの言葉に、リストが「見たい」と即答すると、アレンはにっこりと微笑んで振り返った。
「カルラ」
飛雨と並んで話し込んでいたカルラが、ぱっと顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「来て」
「……まさかとは思いますが」
「多分そのまさかかな。入ってー」
「いやです」
即答だった。
シュナはキラキラした目で見ているし、リストは興味津々の眼差しで見ている。
嵐が「カルラ」と呼べば、最後の一押しを飛雨に肩を叩かれたカルラは、渋々といった顔で来るとリストとアレンの間に入った。
「一回だけですからね」
「はいはい」
「というか、私はリシマの舞はできませんけど……?」
「一回見たらできるでしょ。器用さん」
アレンに「そういうのには乗りません」と言い返しながらも、くるりと五人で回る。
一、二、三、四、五──
手が、離れる。
カルラは手離した途端に、すぅっと気配を変えた。
息を止めるかのような、空気が圧縮されたような濃密な一瞬。
身体の中に剣が埋まっているような佇まいで、鋭利に舞う。
その硬質さ。
その気高さ。
カルラの生まれからしか生み出されないそれが、一度だけ甲板に舞い降りる。
張り詰めた静寂は、カルラという人間の高潔さと支配者の性質を、底深くから浮かび上がらせていた。
リシマの舞ではない。
しかし、どこまでも研ぎ澄まされた稀有なものだった。
「……はい、一回踊りましたからね!」
カルラがぱっと手を離して輪から離れる。
「明日筋肉痛です、絶対」
「よくがんばったね、おじいちゃん」
「同い年でしょうが!」
「えっ」
無邪気な驚きの声を漏らしたのはシュナで、リストは顔を背けて吹き出した。アレンは遠慮なく笑い出し、カルラは「アレンより年上に見えたんですね……」と胸を抑えて退場して行く。
「あああ、ごめんなさい、違うの!」
「はいはい、アレは放っといていいよ。ね、リスト」
「うん。アレン、舞教えて」
「いいよ」
慌てるシュナの手を離さないアレンが「カルラのことはランに任せた」と言えば、リストは嵐の手を離した。
輪からふわりと出た嵐は、置いていた剣を拾い、カルラを追う。その向こうで、飛雨が操舵室入っていくのが見えた。
「カルラ」
「……おや、遊んでこないのですか?」
「アレンに慰めるように頼まれた」
あけすけに言う嵐に、カルラは口元に笑みを浮かべて「大丈夫ですよ?」と首を傾げる。
「シュナはとても素直で、可愛らしいですよね」
「うん。安心する」
「わかります。裏表のない者は、そばにいてくれるだけで自分を見失わずに済みますから」
嵐は、船の欄干に背を預けるようにしてアレンたちを微笑ましく見ているカルラの横顔を見上げた。
「カルラにとって、アレンがそうだったの?」




