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「呼べる、って」
リストが呟く。
信じられない、という響きだった。
カルラはテーブルの中心から視線を外し、リストを見た。
「エトライで聞いた赤船の噂、覚えてます?」
「……あの最低な噂でしょ。人も天恵も殺して回ってるっていう」
「赤船の船員が言うには、ここ最近はそんなことをしていないそうなんです」
「していないって」
あり得ない、と言わんばかりのリストが、カルラの顔をまじまじと見た。
「それ、信用できるの」
「はい。そもそも、リシマの血もない彼らができるのは〝瞬きの瞳〟を通して騙す呼びかけだけ──彼女も嘘を付く必要はない状況だったので、彼が船長になってからは無用な殺生はしてこなかった、というのは本当なのでしょう」
「……」
そう、と低く呟くリストの声は「なんであろうと罪は罪だ」と言っているようだった。
満たされた食事を終えた嵐は、フォークを置く。
「……で?」
嵐の仕切り直すような一言に、カルラはくすりと笑うと、ズレたショールをつまんで肩に掛けた。
「はい。つまり、まあ、他の船があるようなんですよね。気象空挺団の者も〝それが本当なら厄介だ〟と言っていましたし。天恵を呼べる、というのは、どうしても特別なことなので」
リストは自分の怒りを撫で終えたように、顔を上げた。
「それってさ」
「ええ」
言い淀むようなリストに、カルラは自らその言葉を使う。
「〝瞬きの瞳〟はすべてシトリアの手にあります。それはもう厳重に──返すことができないほど、使われている。ですから、他に赤船のフリができる船がいるのならば、それは異常事態なんです。その身一つで天恵を呼べるリシマの民も、リシマの子孫も、この船の中にしかいないはずでしょう?」
嵐と飛雨、アレンとリスト。
生き残っている四人が、それぞれ顔を見合わせる。が、一人だけ珍しく表情がじわりと困惑する者がいた。
「……アレン?」
嵐が呼ぶと、アレンは顔を覆った。
「ごめん」
そうこぼし、髪を掻き上げる。
美しい形の眉が歪んだ。
「それ、心当たりあるかもしれない」
「どういうことです?」
カルラが尋ねると、アレンは何故か飛雨を見た。
「オレの知ってる奴だと思う」
「リシマの民か?」
「……ごめん、死んだと思ってた。でも、今他に誰か生きてるっていうんだったら──雨であの王が死んだっていうんだったら──多分、知ってる」
「アレン」
飛雨は落ち着いた声で尋ねる。
「そいつの名前は」
「……由晴」
「!」
その名前に、嵐と飛雨は同時に凍りついた。
嵐は思わず「由晴くん」と繰り返す。その親しい呼び方に、アレンは「やっぱり」と何かを飲み込むように目線を下げた。
「知り合い、だよね」
「水輝の──姉の婚約者だった男だ」
「……そっか」
アレンは、深い息を一つ、ゆっくりと吐いた。
王都の踊り子だったアレンは、リシマから舞を教えに来る由晴と交流を持っていたという。
王都の祭事に呼ばれ、天恵の力を借りて軽い雨を降らせるリシマの民の後ろで踊るのだ。
気が合う若者だった、とアレンは懐かしむように口にする。
穏やかでいて、それにしては厳しい男。優しい顔で指先まで指導をしてくる、ちょっと本気すぎて怖い男だった、と。
アレンは時折、王都からふらりと姿を消していた。
一人で砂漠を歩き、一人で海岸を歩き、一人で草原を歩く。
喜んで聞いてくれた由晴に、アレンはとっておきの景色の話をした。
黒砂漠には、一面が青く光る時期がある。
不思議なことに、それには一切近づけず、一定の距離から円状に光るそれを見ていることしかできないが、とても美しい光景なのだと説明すると、由晴は優しい笑みで「次の年にその砂漠で会おう」と無邪気に言ったのだそうだ。
国がリシマの子孫を集めていると知ったのは、それからすぐのことだった。
「オレは逃げた。集められてるなんて碌なことが起きないとわかっていて、逃げた。あの時──ついて行って、大人しくしているふりをして、リシマを襲うシトリアの船を沈めるべきだったのに──リシマを知らなかったオレは、現実感がないままただ単に国に使われるのが嫌で、逃げたんだ」




