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嵐が操舵室に向かうと、優しい香りが身を包んだ。
ハーブと蒸した野菜の香り。
おなかがほっとするようなあたたかいその空気の中から、リストがハンモックから嵐を見て笑った。
「やっぱり、ヒューの予想通り」
リストがキッチンに向かって言うと、ひょこんとシュナが出てきた。
「おお、ランちゃん……時間ぴったり!」
「賭けはシュナとリストの勝ちですね。私とアレンは負けということで……」
「最初から勝ち目ないのに、オレまで道連れにしないで」
二階から降りてきたカルラに、寛いでいたアレンが口を尖らせながら反論するが、カルラは肩をすくめて見せるだけだ。
どうやら嵐が操舵室に上がってくる時間を賭けていたらしい。
キッチンからふわりと湯気が上がり、全員が引き寄せられるように向かう。嵐ものそのそとついていくと、大きな鍋で蒸された色とりどりの野菜が、皿に美しく盛り付けられていた。ふっくらした干し肉の上にハーブがちょこんと乗せられる。
「ほら。嵐」
一番に皿を渡された手が、温まる。
顔を撫でる湯気に、ぐう、と腹が鳴った。
「──ということでですね」
カルラは連絡事項を簡潔に伝える。
オオギが気象空挺団に連行されていったことや、赤船の許可証は取り上げられ、船に数も減るだろう、ということ。
その証拠とばかりに、テーブルの真中に新しい許可証をゴトリと置く。
「天恵に対処する船は、アダマスを含めて五つになりました。その他の船には準許可証を配るそうです」
「へー。すごい高そう」
「持っておくの怖いね」
アレンとシュナが正反対の反応をし、リストは黙々と食べながら同意するように頷いた。
嵐はシュシュ芋にフォークを刺す。
ゆっくりとフォークが通っていくその黄金色の小さな芋は、ほんのりとハーブの優しい香りと干し肉の旨味が染み込んでいた。
飛雨の料理は、どこかホッとする。
生きていることを実感するのだ。
満たされたようなため息が、テーブルのあちこちから聞こえる。
食べ盛りのリストが一番に食べ終え、アレンとシュナが許可証を「宝石だ」「アダマスは真っ黒の石だね」とワクワクした顔で見ているのを、ちらりと見やる。
「……それってつまり、これを受け取った船は正式に気象空挺団の手足となる、っていうことだよね?」
あ、と二人がリストを見る中、嵐はほろほろにほどけた干し肉と青々としたモル草をそっと口に運ぶ。
おいしい。
干されていたガザガザな草が、こんなに美味しくなるなんて、と感動しているが、顔はいつもの無表情だ。
食べ続ける嵐を放って、アレンとシュナはカルラを見た。
カルラは許可証を手にし、頷く。
「ええ、そうなります」
「……なんで?」
「天恵への扱いも変えるそうなので、この件は飲み込むほうがいいと判断しました」
「どういうこと?」
「線引をするそうです。空を飛ぶ船は、国王陛下の意思を正しく理解できる船に限る、と」
リストは黙ってカルラを見た。
言葉を選ばなくてもいい。
そう、聡い目が言っている。
「……前王のしたことを精算し、これからは天恵の力を少しづつ手放し、昔のようにただの信仰として残す──そういう方針を取るそうです。何年かかるかわかりませんが」
「相当かかるだろうね」
リストは穏やかに言った。
否定も肯定もせず、怒りも悲しみもなく、ただカルラの言葉を聞いている。
リストは知っているのだろうか。
自分をリシマへの船に乗せた王の顔を。
母を殺した男の顔を。
嵐の思考が引っ張られるように傾けば、口に運ぶ料理がそっと腹の底をあたためる。
「それが、そうも言っていられないようで」
カルラは心底「めんどうだ」と言わんばかりにこぼした。
嵐と同じようにフォークを動かし、食べてほっと息を漏らす。
「どうやら、陸は当たり前に使えるようになった天恵の力に依存している上に、それが金になるとわかって……天にまで行こうとする者共が出てきているらしいのです」
「え。馬鹿なの?」
アレンが驚き吐き捨てる隣で、リストは目を丸くしてカルラを見た。
「なにそれ。だから手の届かないように離すってこと?」
「……端的に言えば、そうなりますね。準許可証を与える船は今の半数にするとのことです。しばらくは船を奪おうとする者たちと交戦することも起こるかもしれない、と。まあ……それについては、何も気にする必要がないでしょう。このアダマスに手を出す愚か者はいないと思うので──ただ」
カルラはテーブルの中心を見つめた。
そこになにかが浮かんでいるように。
見知らぬ船が浮かんでいるように。
「我々が感知していない、天恵を呼べる船があるそうなんです」




