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「どの瞳のことを言っているのかわかりませんねえ」
カルラが穏やかにとぼける。
その隣で、嵐は無表情のままトファルを見つめた。
隙のない女で、顔が整っている印象に最後まで気づけない、そんな奇妙な女だった。
自らを律し、この場の手綱を掴んでいるような存在感は、カルラとよく似ていた。
「殿下」
「やめてください」
カルラがきっぱりと拒絶するが、トファルは小さく笑っていなす。
「ではカルラ様──この少女の目は、あなたのものでありましょう。違うというのなら、その眼鏡を外してくださいませ」
「勘違いをしていませんか」
「……勘違い、と申されますと」
「言っただろう。お前の質問には答えぬ、と」
カルラの低い声は、彼女の何かを刺激したらしい。
ふふ、と明るく笑い出した。
「──ええ。それでようございます。私がお仕えしたのは無駄ではなかったようで、安心いたしました」
「相変わらず性格の悪い」
「私は慎重なのです。目のことは──見なかったことにいたしましょう。ジェイン陛下はご存知で?」
先ほどとは打って変わって明るい表情になった彼女は、嵐を見てにこりと微笑んだ。
それは母親の笑みであり、慈愛ある笑みであり、嵐にとっては居心地が悪いものだった。ただ無表情で見つめ返す嵐から、彼女はそっと視線を外す。
カルラは仕方なさそうに頷いた。
「……ああ、知っている」
「本当に仲がよろしいことで。この間は突然エトライに視察に行きたいと仰り、時間を捻出して向かいましたが……」
「受け取った」
カルラの言葉に、トファルは目を細めた。
「ならば問題はありませんね。それにしても……瞳の交換の《《脅威》》だとお伝えしたと思っていたのですが?」
カルラは彼女の言葉を無視するように遠くの空を見た。灰色の彼女の船が、点になっていく。
さっさと帰れ、と言っているらしい。
脅威。
ああ、そうか。
嵐は一人納得する。
カルラは王族で、彼の瞳が特殊である以上、その持ち主の心が縛られることは間違いなく〝脅威〟だろう。
「あなたのことですから、彼女を助けたのでしょうけどね」
「赤船のことですが」
「はい?」
「最近特に素行が悪いそうで」
話題を変えられたことに気を悪くする様子もなく、トファルは大きく頷いた。
「ええ。野蛮すぎて困っていたのです。ですから許可証を」
「彼らではないらしい」
きょとんとした眼差しで、彼女はカルラを見る。
そこに分厚い信頼を見た嵐の心に、何かがざわめいた気がした。
視線が何かに引っ張られるように足元に向かう。
「……あの船の仕業ではない、と?」
「彼らが言うには」
「ふむ。そうですか……ではこちらでもよく聞いてみますが──赤船の名前を語れる船が他にいるのなら、問題ですね。なにせあの目はすべてこちらの手中に」
「トファル」
カルラの声に、トファルが口を閉ざす。
「迂闊なふりをして反応を見るのもやめろ」
カルラの忠告に、トファルは「申し訳ありません」と頭を下げる。
足元へ向かっていた嵐の視線が上がり、彼女と目が合う。
まるで嵐を見抜こうとするような鋭い視線が身体の隅々にまで刺さるが、嵐の表情は変わらない。
しばらく無言で見つめ合っていたが、先に折れたのはトファルだった。
「リシマの民よ──そなたに私の謝罪は必要か?」
「いらない」
嵐があっさりと言うと、彼女は二度頷いた。
「わかった」
優しく笑うその顔を見て、ふと、彼女がカルラの信頼を得ている理由を知る。
今ここで、彼女に「申し訳なかった」と謝罪されたら、嵐は腹が立っただろう。
彼女の主観で自分を惨めにされるのは、苛立つ。
トファルは嵐を見たまま、王の最後を語った。
「王は──前国王は、カルラ様が強硬手段を厭うておられることをご存知でした。ですから、リシマ殲滅の直前に辺境へ追いやった。ところがカルラ様はそれを知り……一週間かけてリシマへと向かわれた。そのまま、消息不明に。王がそこですべてを諦めてくださればよかったというのに、王は二年後、リシマの子孫も手にかけはじめた。最後の子どもをリシマへ置き去りにした際、カルラ様の遺品が見つかったときには……それはもう気落ちされ……リシマに嵐のような異常気象が起きたことを耳にして、全ては恨みが返ってきたのだと、毎日、怯えておられました。部屋から出なくなり、夜には絶叫が」
許してくれ、と。
来ないでくれ、と。
必死に詫びる声が聞こえた、とトファルが言う。
嵐は何とも思わなかった。
それを聞いても、なにも、動かなかった。




