八 支給日
愛桜は、住んでいるアパートの前に立ち尽くしていた。
病院から戻って来た時のことである。
目の前には何段にも積まれた大量の段ボール箱。アパートの前に山積みにされたそれらを見つめ、ため息を一つ。
なぜこんなに大量の段ボール箱があるのかはすぐに分かった。
「あ! 愛桜! よかった! 心配したんだぜ!」
一階の一番左の部屋から出てきた炎が、ニカッと笑って駆けてきた。
「早速で悪いけど……」
大量の段ボール箱を見渡した炎は、言いづらそうな顔をしている。
「あぁ……支給日か」
「ごめん!」
察した愛桜に、炎は手を前で合わせてごめんねのポーズをとる。届いた荷物を一緒に整理して欲しい、ということらしい。
今日は二十八日。月に一度の支給日だ。給料と共に、狩猟で必要なものや生活用品も一気に支給される。
「おーい、病み上がりに頼るなよー」
炎の後ろから灰鳴が出てきた。灰鳴は枕を常時装備しているが、流石に荷物を運ぶ時は持っていない。しかし、いつもと変わらず眠そうだ。
「大丈夫、もうほとんど治ってるから」
「さすがの回復力ー。でも無理はするなー」
「あぁ」
愛桜の回復力は異常に高いが、重傷を負って一日二日で完治するほど優れてはいない。とはいえ、もう傷もほとんど塞がっていて、無理な動きをしなければ問題ない。
愛桜は早速、荷物を運び始める。
それにしても、いつもより回復が早いと、愛桜は少し違和感を覚えていた。一日で普通に動けるようになるなんて早すぎる。
そう思っていたのだが、実際は気を失ってから二日経っていたらしい。大量の段ボール箱を見て立ち尽くしてしまったのは、今日は二十七日、支給日の一日前だと思い込んでいたからだ。
「……先生、そういうのはちゃんと知らせて欲しい」
愛桜は溜息と共に呟いた。
まぁ、聞かなかった自分も悪いのだが。
「おー、先生に会ったのかー? ……会わないわけはないけどー」
愛桜の呟きは灰鳴に聞こえたらしい。
アパートには年の近い狩人が五人住んでいて、主治医は全員同じだ。
だから灰鳴もしばらく会っていない先生のことが気になったのだろう。
「灰鳴はしばらく会ってないんだっけ?」
愛桜が聞くと、灰鳴は頷く。
「そうだなー。思い出したくもないけど、半年は会ってないなー。その時は、五時間一方的に話を聞かされてたー」
それを聞いた炎が、しみじみと言う。
「灰鳴も大変だったんだな。俺は……あれ、何時間くらいだっけ……?」
灰鳴も炎も、遠い目をして思考まで停止しそうになっている。この話は、続けない方がよさそうだ。トラウマが呼び起されてしまう。
『さっさと荷物を運ぶ作業に集中しよう』
三人の考えが一致し、無言で手を動かし始める。
******
アパートの一階、一番左の部屋は地下に繋がっている。
そこには武器や食料、狩りに必要な物が置かれていて、届いた荷物は全てそこに運ぶことになっている。
「つ、疲れた……」
最後の荷物を運び終えると、炎は力尽きたようにか細い声を出した。
まだ荷物を地下に移動させただけで、ここから荷解きをしなくてはならないが、その前に小休止だ。
三人は揃って腰を下ろす。
そこで、地下入口の扉が開いた。
「ただいまー」
「ただいま」
顔を出したのは梗香と灯だ。二人は一緒に仕事に出ていると聞いていたが、ちょうど今帰って来たようだ。
梗香は同じアパートに住む十七歳の少女で、黒い長髪を後ろにまとめている。仕事のない日は髪を結ばないため、綺麗な髪が男を引き寄せ、外に出ればナンパされることが多い。その時は決まって、「私の髪に見惚れた? この髪でお前の首を絞めてやるわ。幸せな気分であの世に行けるわよ」と笑って言うらしい。まともな人間はこれで遠ざけ、しつこい男は面倒だから一発殴って逃げると聞いたことがある。
「うわー。見計らったようなタイミング」
「まぁそう言うなー。実際見計らってたんだろー」
地下に入ってきた瞬間、一息ついていた炎と灰鳴が冷めた目線を投げた。
「お二人さん、嫌味ですよね? それ」
「みんな、お疲れ様」
梗香は悪びれなく冷めた目線を投げ返し、灯は申し訳なさそうに目を逸らす。
「今日が支給日だからって荷物の運び込みやりたくなかったんだろ! 仕事を理由にわざと遅く来たんだろ! それならお前らは最低だ! 人の心がないのか! 見ろ! 病み上がりの愛桜がせっせと働いていたんだぞ!」
炎は捲し立てた。
「そこまで言うようなことじゃ……」
指を差された愛桜が気まずさを感じながら言うと、灰鳴は受け流せと言わんばかりに雑な態度を示す。
「言わせとけ言わせとけー。どうせ言いたいだけなんだからー」
「いやでも、ほら、真面目に受け止める奴がいるから、ほどほどに、な?」
そう。炎は茶番で言っているだけで、本当に怒っている訳ではない。しかし、灯はオロオロしながら梗香を見ている。
灯の様子を見るに、遅れたのは梗香が原因のようだ。
しかし、梗香も大変だと分かっていてサボるような人ではない。深くなくとも、何か浅い理由があるのだろう。
その証拠に、梗香は炎の煽りに全く動じていない。それどころか、オロオロする灯の頭を「大丈夫よ」と撫でて、ニヤリと笑う。
そして、腰に手を当て、偉そうに振る舞い始めた。
「あれれー? そんなこと言っていいのかなー?」
「なんだよ」
「これなーんだっ?」
言いながら、梗香は背負っていたリュックの中から何かを取り出した。
「おぉ?……おぉ!」
不貞腐れていた炎は一瞬自分の目を疑ったが、すぐに輝きに変わり、歓喜する。
「これは……これはっ、メガウエハース!」
梗香が手に掲げたものは、炎の大好物のお菓子、『メガウエハース』だ。直径三十センチのウエハースの生地にチョコを何層にも挟んでいるお菓子だ。スーパーならどこでも売っているというわけではなく、販売している店舗が限られている。しかも、同じ店でも販売している日は疎らで、見つけられればかなりラッキーな代物だ。
「ふふふ、一つだけじゃないんだよー?」
と、梗香は袋に入った大量のメガウエハースを見せつける。
「おおぉ‼ こんなにも! よし、荷物なんていくらでも俺らが片してやる!」
炎は目を輝かせて大好物のお菓子を抱きしめる。
「俺」
「ら?」
なぜか関係のない愛桜と灰鳴も巻き込まれ、二人は炎を見るが、炎はその視線に気づかない。メガウエハースに夢中だ。
流石に三人だけで荷解きは時間がかかるため、手を借りたいのだが……。
そう思いはするが、結局は梗香も灯も手伝ってくれるのはみんな分かっている。全ての荷解きを男に任せるなど、梗香はともかく灯は絶対にしないだろうから。梗香だって、炎を買収したみたいになってしまったが、本心は珍しく見つけたメガウエハースを炎にあげて喜ばせたかっただけだろう。
「そういえば、愛桜、帰ってたのね!」
梗香は炎にメガウエハースを渡すと、今更ながら、包帯で固められている愛桜を見て声を上げた。
続いて灯も、
「よかった……」
と小声で呟く。
梗香たちには入院したことは知らされているが、普段から五人揃うことは珍しいため、誰かいなくても違和感はない。「そういえば入院したらしいけど、ここにいるじゃん」くらいの軽い感覚で気づいたのだろう。それでもやはり、二人は愛桜がいることに安心したみたいだ。
「あぁ、ごめん、もう大丈夫」
「私、お茶淹れるね!」
灯は、退院した愛桜と、荷物の運び込みをやってくれた炎と灰鳴にも「お疲れ様」の意を込めて、美味しいお茶を淹れようと意気込む。
「疲れてるのに悪いな。ありがとう」
愛桜にそう言われ、一階にある台所に行こうとしていた灯は振り返る。それはもう、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて。
「ううん、愛桜くんを見て疲れなんて……吹き飛んだよ!」
灯の温かい笑顔。それは、見た人全員をほっと和ませる。
灯が台所に駆けて行った後、
「なんだろう、灯の笑顔は人の思考を狂わす凶器ね」
と、梗香は心が洗われたように、顔を緩ませて言った。
「そだねー。長く一緒にいるのに、俺キュンと来ちゃったー」
少し顔を赤らめた灰鳴は、胸を押さえた。
そんな灰鳴に、梗香が、
「灰鳴はもう寝てて。灯には指一本触れさせないわ」
と、冷たく言い放つ。
「えー、ひどーい」
灰鳴は口を曲げるが、本当に横になって寝ようとしている。
その空気を壊すように――というか、一人だけ別世界にいる炎が声を上げる。
「愛桜復活記念! メガちゃんパーティーだー‼」
炎はメガウエハースを高く掲げてはしゃぎ始め、灰鳴は横になったまま呑気に呟く。
「メガちゃんってー」
愛桜と梗香は炎の熱意に若干押され気味になりながらも、
「好きすぎだな。メガウエハース」
「買った甲斐があったわ」
と、微笑んだ。
しばらくしてお茶を持って地下に戻って来た灯は、その様子を見て、まるではしゃぐ子供とその親だなと顔を綻ばせる。
「嬉しそうでよかった」
炎は、四人から子供を見守るかのような温かい目を受け、照れくさそうにへへっと笑った。
******
灯が淹れたお茶を飲み終わると、炎はメガちゃんパーティーが待ちきれず浮ついていたが、支給日にはもう一つ、必ずと言っていいほど付いてくる嫌なイベントがある。
メガちゃんパーティーはその後に開催することにして、一同はまず、イベントに備えて荷解きを終わらせることにする。




