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捕食者のサガシモノ  作者: 星 ひかり


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十四 記憶の奔流

「くくくっ。よく気が付いた。見事だ。これが噂のハンターか。まさかこんな子供とは」


 愛桜は花織の父親と対峙する。

 しかし、その父親から出て来た言葉は本人のものではなかった。


「ウェンディゴ、だな」


 まだ被害が出る前に見つけられて良かったと思う反面、周りに人がいる時点で状況は悪い方に傾いている。梗香と灰鳴、灯は、ウェンディゴの相手を愛桜に任せ、すぐに集まった野次馬の避難に動いていた。


「あぁ、そう呼ぶらしいな。何を特別視しているのか、人間は俺たちを神の使いと認識しているみたいだ。力のある生物がそんなに怖いか?」

「力があることより、得体が知れないから怖いんじゃないか?」


 会話しながら、愛桜は思う。

 人を喰う捕食者が、人間の言葉を正しく理解し、話すこともできる。これほど気味の悪いことはない。

 現時点のディールに関する研究では、言葉を理解できるのはウェンディゴのみで、他のディールは優れた五感で人の感情を読み取れるが、言葉は理解できないとされている。


 気味が悪いのは、ウェンディゴが他のディールと同じ捕食者であることは変わらないのに、言葉を理解できるというだけで「話せば分かり合える」と少しでも思わされてしまうことだ。――分かり合えることは決してないのに。

 

 駆除するならウェンディゴの言葉に耳を貸さず、発見した瞬間に仕留めるのが最も安全だ。

 しかし今回は捕獲。

 そう簡単にはいかない。


 まずは、邪魔な野次馬をどかさなければ、存分に戦えもしない。


「なんだお前、俺たちと話がしたかったのか?」


 愛桜は時間稼ぎの会話を試みる。この間に梗香たちが野次馬を避難させられればいいのだが、横目で見る限り難航している。武力行使して無理に避難させることは出来るが、その場合パニックになりかねない。精神攻撃をするディールの前でそうなれば、それをどう利用されるか分からない。

 だから、穏便に避難を促しているが、命が惜しくないのか野次馬は全く動く気配がない。


「はっ! そんなわけがあるか。俺はお前たちが壊れるところが見たい。それだけさ」


 ウェンディゴは鼻で笑い、背中の後ろに隠していた右手を出した。手には包丁を持っている。


「何を隠していたのかと思えば、そんなものか」

「こんなものだが、人を何人も殺してきた!」


 ウェンディゴが憑依した父親は何のためらいもなく、愛桜の頭を真っ二つに割るように包丁を振り下ろす。


 愛桜は後ろに避けたが、今度は腹に包丁が迫り、刺される前にその手を掴む。そのまま床に叩きつけて拘束するつもりだった。


 ――しかしそこで、脳を揺らす衝撃が走った。


 衝撃が体に影響を及ぼす前に、即座に手を離して後ろに跳び、距離を取る。


「おっと惜しい」


 ウェンディゴは何か企んでいたのだろうが、愛桜がすぐに距離を取ったことで失敗に終わったようだ。


 それにしても、厄介だ。


「ぐっ……」


 頭がくらくらして、膝をつく。


 一瞬、脳に処理しきれないほどの情報が流れ込んできた。恐らく、父親の記憶だ。他人の記憶を情報として圧縮し、強制的に送られたことで脳がオーバーヒートしたのだ。それは文字通り、脳を揺らす衝撃となって愛桜を襲った。


「俺たちは、力にうぬぼれる人間とは違って日々進化していくんだ」


 ウェンディゴはニタァ、と口の端をつり上げて薄気味悪く(わら)った。

 

 愛桜でも知らなかった能力(ちから)だ。ウェンディゴが言う、進化で最近得た力なのかもしれない。手加減していればこちらがやられる。かといって、父親の体を傷つけるわけにはいかないが、父親の方は完全にウェンディゴと同化していて、見る影もない。


 ウェンディゴは、人を誑かす能力はあっても操る能力はない。父親はウェンディゴに精神をいじられて、自らウェンディゴに従って動いていることになる。言葉だって脳に届くウェンディゴの声をそのまま声に出しているだけで、ウェンディゴが操っているわけではない。


「その人はもう、戻ってこれないか……」


 ウェンディゴの甘い言葉に惑わされず、強い意志でウェンディゴを拒否しなければ、本来の自分に戻ることは出来ないだろう。


 愛桜は意を決する。


「仕方ない、斬ろう」


「愛桜⁈」


 二本の短刀を引き抜いた愛桜に、野次馬を避難させていた梗香が戸惑いの声を上げた。


 ハンターが人に危害を与えることは許されない。銃火器を扱い、人よりも力を持っているからこそ、それは順守される。所属する狩猟団体でそれを守れなければ狩猟免許剥奪、解雇のうえ犯罪者として牢屋行きだ。子供であってもその罰は変わらない。噂では、ディールの住処に捨てられて死ぬまで放置されると聞いたこともある。

 もし、憑依された人間に殺されそうになったとしても、人を傷つければ罰が下される。

 例えば今、父親が野次馬に襲いかかって、愛桜がそれを止める過程で怪我を負わせたとしても、罰は下される。いくら事情があっても、人を傷つけることは許されない。

 それほど、武器を持つことが許されたハンターの責任は重いものなのだ。与えられた武器と権限、環境、それらは責務を全うできる信頼の(もと)にあるものだ。

 人のために行動することしか許されず、自分の命を投げ打つ覚悟を持っていなければディール専門のハンターになれない。


 それでも愛桜は、罪を恐れて守れるはずの人を守れなくなる方が怖い。


 だから、刀を構える。


 どう足掻いたって守れないものもある。

 欲張れば全てを失うこともある。


 欲張らず、可能か不可能かを見極め、為せることを成す。

 人は、持っている(ちから)以上のことは出来ないのだから。


「やる気になったか。こうやって、人は殺し合う。命を守るため、誰かを守るため、意志を通すため。でもなぁ、不思議だよなぁ、人はそこに罪悪感を抱いて、それでも正当化してしまうんだから。生存本能に躊躇いを抱くなんて俺たちには考えられないね。まぁ、結局は躊躇いに蓋をして生存本能に従うのはよく分かる」


 ウェンディゴは包丁の刃先を愛桜に向けた。


 こうやって何度も殺し合いをさせたのだろう。人の心の弱さに付け入り、人を殺させ、恨みや憎悪を生み出して、また殺させる。


「そうだな。人は弱くて卑怯だから、自分を守るためなら他人を傷つけて、それさえも正当化する」

「おや? お前はこちら側の思想を持っているのか?」

「俺だけじゃない。みんな、本当は分かっている。人は、お前が思うほど単純じゃない」


 人間は弱くて卑怯だ。だからといって、ウェンディゴのようにそれを利用して面白おかしく見物する気にはならない。なんて愚かなんだ、と嘲笑って見下すこともしない。


「俺は、人間だ。そんな弱くて卑怯な人間を守るためにここにいる」


「あぁ、つまらない。お前の心は閉ざされている」


 揺るがない敵対の目を向けてくる愛桜に、ウェンディゴは包丁を持った手に力を込めた。


(こんな子供に負けるわけがない。憑依したこの男とは精神がほとんど同化できた。今ならこの男で俺のスピードを再現できる。完全な再現までとはいかないが、こいつらを殺すには十分だ)


 この有利すぎる状況に笑みを浮かべるウェンディゴ。


 愛桜は、梗香と炎、灯を見る。

 避難は進んでいない。ならば、守らなければならない。愛桜は、その役目を仲間に任せることにする。


「みんな、頼んだ」

 

 三人は、うん、と頷いて避難を中断し、守ることに専念。

 愛桜は、ウェンディゴの動きに集中する。


「いくら集中しても、意味がない。俺のスピードを見切った者はいない。それに、人殺しなんてお前にできるのか?」


 ウェンディゴはそう言って、僅かに動いた。

 愛桜がそれを認識した時、左手から刀が落ちていた。


「あ……」


 千切れかけた左腕がぶらぶらと揺れる。

 呆けている暇はない。愛桜は痛覚を閉ざし、すぐに切り替える。

 こういう時、二刀流でよかったとつくづく思う。片腕が動かなくなろうと、もう片方の腕で戦えるのだから。


 背後に気配を感じ、右手の刀を後ろに回し、跳ね返す。キンッと甲高い音が鳴って、包丁とぶつかり合い防げたのだと分かる。そして、体を捻りながら刀を横に一閃。後ろにいるウェンディゴを真っ二つに斬る。


 しかし、避けられた。


「後ろに目でもついているのか? お前は」

「そう簡単にはいかないか」


「フハハハハハ! ハハハハハハハッ」


 ウェンディゴの高笑いが響き渡る。

 なぜ笑っているのか理由は分からないが、攻撃してこない。

 愛桜は今の内に、千切れかけた左腕を無理矢理くっつけるように押さえて離れないようにする。じっとしていると治りが早くなるため、くっつけばいいのだが。


 それを見たウェンディゴは、笑いながら言う。


「痛くないのかよお前! お前も人間から外れてんじゃねぇか!」


 まるで歓喜の叫びのようだ。


 対する愛桜は、顔を顰めた。

 ……痛いに決まっている。今は痛みに構う余裕がないから無視しているだけだ。


「なぁ、聞こえるか? あの娘の声が! お父さん、もう会えないの? って泣いてるぞ! そうだよ、お嬢ちゃん。この人がお前の父親を殺すんだ! そうだろ? なぁ?」


 花織の姿はもう見えずここにはいないが、ウェンディゴには分かるのだろう。心を覗くのに距離は関係ないらしい。

 そして、人の記憶を覗き、心を弄ぶウェンディゴには()()も分かるのだろう。


「だってお前、()()()()()()()()()()()()だろ?」


「だからなんだ」


 愛桜の動じない応えに、ウェンディゴは笑みを消す。

 少し見透かしただけで、愛桜の心を揺さぶれると思っていたのだろうが、愛桜にとっては少しもダメージにならない。

 劣悪な環境で、綺麗なままでいられなかった。それだけのことだったのだから。


「ハハッ。いかれてやがる」

「そうしたのはお前たちだ」

「おや? 散々な仕打ちをされてきたのに、まだ人間を庇うのか? お前をそうしたのは俺たちじゃないだろう? 分かっているくせになぁ」


 笑みを取り戻したウェンディゴは、挑発するように言ったが、愛桜はそれに乗らない。

 というよりも、あまりその話はしたくないと言った方が正しいのだが、心の隙になりそうだからそう思わないことにする。


「お前、俺たちが来ること分かっていただろ。殺したいなら不意打ちをする機会なんていつでもあったのになぜ出てきた」


「あぁ、話を逸らしたなぁ」

 薄気味悪い笑みを濃くするウェンディゴ。

 図星を突かれて話を逸らしたことに気づかれた。しかし、意外にもウェンディゴはそこを深掘りせず、愛桜の問いに答えてくれるようだ。


「まぁいい。教えてやるよ。楽しみにしてたんだよ。俺は! 人を守るハンターと、ハンターが守るべき人、ぶつかり合えばどうなるのか見たかったんだよ! これまでも面白かった! でももっと面白くなりそうだ! そう思ってお前らに殺されるために来たんだよ! わざわざ観衆も用意してなぁ!」


 両手を広げて隙まで見せて、高らかに叫ぶ。


「さぁ! ショーを始めようぜ!」


 ウェンディゴの盛り上がりが最高潮に達したところで、異変は起こる。



 愛桜の脳裏に、これまでの人生が一瞬にして流れて来たのだ。



 楽しかったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。辛かったこと。怒りや憎しみ、後悔も全て。


 両親と繋いだ手。姉に頭を撫でられた記憶。喰い殺される様子。斬られて飛び散る血。初めて刀を持った手の感触。それで人を斬った不快感。冷たい手。半分しか残っていない体。差し伸べられた手。頬を伝った涙。大切な人がくれた名前。失った悲しみ。


 凝縮して体験させられるように、五感全てで感じる。

 

(吞まれるな。こいつの思うつぼだ。落ち着け。これは俺の記憶でしかない)


 愛桜は必死に理性を保つ。所詮、ウェンディゴが見せている記憶だ。自分の記憶を見たところで、大したことはないはず。


 ――大したことはない。


 殴られ蹴られた痛み。必死にドブを啜った時の味。殺される絶望。抗う本能。食らいつく体。肉の感触。引きちぎる音。断末魔。助けを求める声。まずい味。喰われた全身の痛み。痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。心が、痛い。


 ――苦しい。


「ふざけるな」


 記憶をねじ伏せ、込み上げてきたのは怒りだった。


 今も流れる記憶に、頭を押さえる。自分の記憶のはずなのに、先ほどとは比べ物にならないほどの情報量にどうにかなりそうだ。でも、感情を殺せば過去に囚われることはない。

 ふらつきながらも、ウェンディゴを睨む。


「お前、やっぱりいかれてるなぁ」

 

 ウェンディゴの笑みは消えていた。


「死ね!」「黙れ!」「消えろ!」「あっちへ行け!」「来るな!」「見るな!」「死ねよ!」

 

 ふと、ざわめきを感じた。微かに聞こえるこの声は、記憶の中からだろうか。


 ――違う。


 周囲を見ると、そこには悲惨な光景が広がっていた。

 殴り合いだ。

 野次馬も宿のスタッフもみんな入り混じって、殴り合いになっていた。


「普通なら、ああなる」

 

 ウェンディゴはその光景に目を光らせ、興味を持ち、面白がり、そして見下すように言った。


 狂ったように叫び、泣き喚き、誰彼構わず暴力の嵐が吹き荒れる。

 唯一、正気な梗香と炎、灯がそれを抑えようと、殴り合いの最中(さなか)に飛び込んで奮闘していた。


(よかった。梗香たちは問題なさそうだ)

 

 安堵する一方、こちらに手が回せないことは明白だった。

 

「何をした」


「言っただろう。普通ならああなると。俺は人間の心理なんて分かないんだが、つい最近知ったことでなぁ。記憶を一気に呼び起こすとああなるんだなぁ。面白いだろ? フハハハハハ!」


 殴り合う人たちは、愛桜と同じように記憶を呼び起こされているようだ。

 事前に何か仕掛けていたのだろう。止める梗香たちは何も起こっていないところを見ると、記憶の呼び起こしには条件があるはずだ。


「なぁ、どうだ? どんな感じなんだ? 自分の記憶でも一気に凝縮されるのは、どんなだ? 自分に能力(ちから)を使えないから体験できないのが残念でなぁ。正気なお前に聞けるのはラッキーだ」

 

 ウェンディゴは、興味津々で前のめりに話し、本当に楽しそうだ。


 愛桜は、正直、最悪な気分だった。

 今にも狂いそうだ。なんでもいいから八つ当たりしないと死にそうだ。嬉しくて悲しくて楽しくてイラついて温かくて痛くて。苦しくて。

 

 それを面白がるこいつを、一番殺したくなる。

 だから答えた。


「誰が答えるか。クソ野郎」


 その答えに、今の気持ちをありったけ込めて。


 人の記憶や心を読んで弄んで殺すくせに、共感もできなし心も分からないとは皮肉なものだ。だから興味を示すのかもしれないが、誰が教えるものか。

 

「なら、吐かせるしかないなぁ。俺は穏便に済ませたいが!」


 ウェンディゴが動く。


「くっ……!」


 愛桜は、まだ記憶に蝕まれて立つこともできない。

 ウェンディゴに、背後に回り込まれるが、動きを追ったところで腕も上がらなければ避けることもできない。

 状況を追うのさえ必死で、何もできない。

 梗香も、炎も、灯も、殴り合いを止めることに手一杯で助けは求められない。

 何か手を打ちたいが、脳に絶え間なく流れる記憶のせいで何も考えられない。


(まずい、斬られる……)


 ――しかし、斬られることはなかった。


(どういうつもりだ?)


 愛桜はゆっくり振り返る。

 するとそこには、花織の父親がいた。


 ウェンディゴの言葉に疑念を持ち、誘惑に逆らい、人を傷つけることを良しとしない、本来のその人が、そこにいた。


 そして、


「……ダメだ。俺は、殺させるわけには!」


 その、嗚咽のような叫びが、父親の勝利を物語っていた。

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