十三 灯台下暗し
ウェンディゴが出る町に着いたのは夜中だった。
愛桜は車を降りて、伸びながら大きく深呼吸する。
磯の香りが強く、波の音も聞こえる。
普段生活している中央区は山に囲まれているので、海を見るのは久しぶりだ。
とはいえ、暗くてはっきり見えるわけではない。
分かることは、港で船が停泊していること、磯の香り、波の音。あとは街灯や周囲の建物に明りがついていないこと。
「水着、持ってくればよかった」
海の方を眺め、灯が呟いた。
「灯が遊びたいなんて珍しいわね」
「みんな考えることは一緒だねー」
「今すぐ飛び込みたいぜ!」
「寒いけどな」
年相応にはしゃぐ学生のように、浮足立つハンター一行。
しかし、夏は過ぎていて海に入るシーズンではない。海水浴はできないだろう。
「俺はそれでも飛び込むぜ! あの月に誓って!」
空が曇っていて見えない月を指差す炎。
「炎が意味わかんないこと言ってるー。はははっ」
灰鳴は、いつもより楽しそうに笑った。
ハンターの仕事で中央区から離れられない愛桜たちは、海なんて滅多にない機会だ。浮かれもする。
仕事が終わったら監督官に遊ぶくらいは許可してもらおう。嫌味と怒号が飛んでくるだろうが、電話なら切れば終わる。愛桜はそんなことを考えて、また磯の香りを吸い込んでいると、
「宿まで案内する」
と、運転手が車から降りて来たので、「もう少し海を感じていたい」という視線を投げかける仲間たちを促して仕方なく荷物を持つ。
「行こう」
ちなみに、監督官は中央区で留守番だ。監督官には監督官の仕事があるらしく、現地では運転手が愛桜たちのお守りをすることになっている。
「この辺りだ。ウェンディゴがよく出るのは」
運転手は、行く先を懐中電灯で照らして歩き始める。
「だから、ここで降りたんですね」
「そうだ」
この辺りにウェンディゴが出るといっても、憑依されたのがこの辺りだと予測されているだけで、ウェンディゴを実際に見た者はいない。そう資料に書いてあった。
宿は、ウェンディゴが出る確率の高い場所の近くに取ってくれたらしい。
「人の気配はないなー」
灰鳴は辺りを見回した後、愛桜を見た。
「どう捜すー?」
愛桜が言うには、ウェンディゴは人に憑依すると、人と同化して姿が見えなくなるらしい。そして、憑依していない時に姿を捉えても、動きが速くて逃げられたら追えないらしい。
だから、ウェンディゴを見つけるには憑依されている人を捜すか、ウェンディゴに悟られないように見つけ出すかしかない。
「俺も途方に暮れているところだ。何かいい案ないか?」
愛桜もいろいろ考えたが、捕獲より探すまでが大変だ。
「愛桜がそう言うとはね」
梗香は頭を悩ませる。
愛桜はディールの狩猟経験が豊富だ。愛桜の知識にいつも助けられているが、その愛桜が案を募ることは滅多にない。
「この辺りに神社とかないのか?」
各々悩む中、炎は真面目な顔をして関係ないような事を聞いてきた。
何か思いついたようだ。
「何で?」
愛桜が聞くと、パチンッと両手を前で合わせる。
「神頼み! 運よくウェンディゴが現れますように! って」
(真面目な顔してるから何かと思ったら)
愛桜は呆れ、そして少し考え、
「……一応、していくか?」
と、半分本気で言った。
手がかりがない以上、運の力に頼るのも……。
「いやいや、神の使いとも言われるディールを捕獲するのに、神が協力してくれると思えないけど」
梗香の冷静な判断。それによって、愛桜が思いかけたことは完全に掻き消された。
「それもそうだな」
「むしろ罰が当たりそうだな!」
炎もこの案は却下のようで、潔く諦めた。
「『神の使い』なんて、ここにいる誰も信じてないのによく言う」
そう言ったのは、会話を聞いていた運転手だ。
愛桜たちは、運転手が会話に入ってきたことに驚く。
「あれ、運転手さんよく分かってるー」
驚いて誰も言葉が出ない中、灰鳴がすぐに会話を繋げた。
監督官が指名した運転手だから、てっきり愛桜たちのことを嫌っているのかと思っていた。
運転手の一言で会話が途切れるとなんだか気まずい雰囲気になって、その後の言動に迷ったと思う。「灰鳴ナイスフォロー」と、他の四人は心の中で思った。
そうして気まずい雰囲気は回避され、灯が言う。
「やっぱり地道に少しずつやるしかないんじゃないかな?」
「そうだよな。それしかないか」
愛桜は頷いた。結局、それが一番確実にウェンディゴに辿り着けそうだ。
「地道って、苦手だよな。俺たち」
炎はあからさまに嫌そうだ。声にも元気がない。
「炎は特にー」
と、灰鳴に言われ、首を縦に大きく振る。
「そうなんだよ!」
「ふふっ、頭もげそうだよ?」
その様子に梗香が笑うと、気づけば灰鳴と灯もつられて笑っていた。
とにかく、地道に手がかりを探すことにするが、問題もある。
「次の被害が出る前に見つけられるといいけど」
愛桜は呟き、己の気を引き締めた。
分かっているだけで二十三件の被害だ。発覚していないだけで、実際はもっと多いのかもしれない。それだけ多くの人が殺された。そして、被害の数だけ、誰もが持っている憎悪や悪意を利用され、犯罪者にさせられた。ウェンディゴは質が悪い。人を喰うために、人に殺させる。これ以上思い通りにさせるわけにはいかない。
******
「それにしても、全く人がいないわね」
少し歩いて、変わらない町の様子に、梗香は不信感を持った。
まだ夜の九時前だ。人が出歩く時間ではないが、真夜中でもない。少し人の気配があるのが普通ではないだろうか。
炎は、
「家に明りも点いてないし、街灯も点いてない」
と、静まり返った家と役割を果たしていない街灯を指差し、灯は、
「静かすぎるね」
と、幽霊が出そうな雰囲気に少し怖がっている。
「ウェンディゴ対策で、日が落ちたら外に出る人がいないらしい。街灯も切っているのは、外に人がいれば分かるようにするためだって」
資料に書いてあったことを言う愛桜に、梗香は疑いの目を向ける。
「でもこれ、効果あるの?」
「やらないよりはマシ、程度だな。一人でいる方が憑依しやすいってだけだし。まぁ、少しやりづらくなったとは思うけど」
「ふーん」
梗香は、何か思うところがあるのか、聞くだけ聞くと静かに町を眺めた。
「ここだ」
話していると、あっという間に宿に着いた。
運転手は中に入り、早速手続きを始める。
「今日は休もう。五時間くらい寝れば十分だろう。深夜二時になったら捜しに出よう」
愛桜は指示を出して、手続きを終えてこちらに来た運転手にも確認を取る。話は聞こえていたはずだ。
「それでいいですか?」
「あぁ、構わない。宿の出入りは特別に自由にできるようにしてもらった」
「ありがとうございます」
「これが部屋の鍵。部屋番号はストラップにかかれている通り、204号室。五人部屋だ。食事は出ないから各自用意してくれ」
運転手はさっさと宿の説明を済ませ、愛桜に鍵を渡す。
「分かりました」
愛桜は受け取って、運転手を好意的に見た。
この運転手、やることが早くて助かる。嫌味も言わないし、どこかの監督官とは大違いだ。
「健闘を祈る」
「はい」
運転手とはここで一旦お別れだ。この後は仕事に専念して、足が必要な時に呼べば来てくれるらしい。
愛桜たちは一礼して部屋に行った。
******
ウェンディゴの捜索一日目。
深夜二時から昼まで休みもせず捜索して、収穫なし。
「結局、みんな怯えてるけど怪しい人はいなかったわね」
梗香はおにぎりを頬張りながら言った。
「あぁ! 沁みる!」
と、歓喜の声を上げたのは炎だ。涙目になりながら喜んでいる。
今日初めてのまともな食事だ。ひたすら捜索や情報収集をして、食事も摂らずに気づけば昼になっていた。堤防の上に座り、海を眺めながら昼食だ。
「俺たちに気づいて隠れたのかもねー」
灰鳴は静かにおにぎりにがっついて、誰よりも早く二個目を手に取る。
「ウェンディゴの気配もなかったし……どこにいるんだろう?」
灯は考える素振りを見せながら、口の端を上げた。
おにぎりは宿の厨房を借りて灯が作ったもので、みんなが美味しそうに食べてくれるのが嬉しいのだろう。分かりやすく顔に出ている。
「灯台下暗しって言うだろー。気づかないだけで近くにいるのかもー」
「灰鳴の言う事、当たりそうで怖いわ」
「よし、食べ終えたら移動だ。一旦戻ろう。灯台の下を捜してみよう」
愛桜は腕時計を見て言った。いつもは着けていないが、あると便利だからと、来る前に監督官に渡されたものだ。普段は罵声や嫌味しか言ってこないのに、たまに普通に接されると裏があるのかと疑ってしまう。時計に何か仕掛けているのだろうか。
「愛桜……考え事?」
食べる手を止めた愛桜を見て、灯が心配そうに顔を覗き込む。
「いや、何でもないよ」
「なら、はい。しっかり食べて」
まだ一つ目のおにぎりを食べかけなのに、もう片方の空いた手に二つ目を乗せられ、微笑む。
「灯は心配性だな。ちゃんと食べるから大丈夫」
「うーん……そうじゃなくて、ほら、早くしないと……」
灯は苦笑いして、炎や灰鳴を見る。ものすごい食欲だ。二十個以上のおにぎりを詰め込んでいたバッグは、もう空になりそうだ。
「あー、そういう」
ふふっ、と灯は笑って両手に持ったおにぎりを見せた。灯も全部なくなる前に自分の分を確保していたようだ。
「すごい食料戦争ね」
梗香も自分の分を取って呟く。
ただひたすらに食べ続ける炎と灰鳴は腹を満たすことに夢中で……幸せそうで何よりだ。
******
夕方、愛桜たちは一旦宿に戻った。
「あれが、例の……」
「えぇ、丁重にね」
エントランスに入ると、事情を聞いているスタッフが物珍しそうに覗いていた。
昨日来た時は夜だったため、最低限のスタッフしかいなかったが、今はスタッフも揃っていて他の客もいる。奥に控えているスタッフも影から顔を出していて、多数の視線が向けられているのが分かる。あまり気持ちのいいものではない。
そんな中、小さな子供が寄って来た。
「お兄さんたちが、狩人?」
足元まで来ると、目をキラキラ輝かせてじっと見てくる。
戸惑っていると、父親らしき男性が慌てて駆け寄ってきた。その父親は白いエプロンを着ていて、料理人だという事はすぐに分かった。
父親が頭を下げる。
「すみません。私たちを守ってくれる皆さんに会いたいと、ずっと言っていまして。テレビや新聞でハンターを見るたびに興味津々で」
「そうですか」
愛桜が無愛想に返すと、父親はばつが悪そうに頭を掻く。
「娘にとって、あなた方はヒーローのようなものでして……おや、あなたは」
ハンターの顔を一人ずつ見ていた父親の目は、灯を見て止まった。
「昨日はありがとうございました。おかげで美味しいおにぎりを作ることができました」
「ハンターだったんですね。来ることは知っていましたが、まさかこんなに可愛らしい方だとは」
照れくさそうにする灯に、愛桜が
「灯、知り合い?」
と、小声で聞くと、灯も愛桜の声に合わせて小声で答える。
「昨日厨房貸してくれた人だよ。お米も使っていいって言ってくれたの」
「怪しいところは?」
「特になかったけど……いきなり厨房貸して欲しいって言っても快諾してくれるような、すごく優しくて、人当たりのいい人だなって」
「そうか」
愛桜は父親を見て小さく息を吐いて、女の子と同じ目線になるようにしゃがむ。
「君、名前は?」
「かおり」
「かおりちゃんか、素敵な名前だね」
「うん! お母さんがつけてくれたんだって! 花に、織物の織で花織!」
嬉しそうに話す花織を見ていると、愛桜の顔も緩む。
「花織ちゃん、ちょっとこっちに寄ってくれるか? せっかく出会えたんだから握手をしよう」
「うん‼」
嬉しそうに出された小さな手。
愛桜は、そのか弱い手を掴み、強く引っ張った。
「うわっ!」
小さな体を引き寄せ、そのまま背後に投げ飛ばすように手を引く。
花織が勢いで転びそうになったところを梗香が支えた。
「何をするんですか!」
「どうしたの? お兄ちゃん」
父親の怒声と、花織の戸惑う声が響く。
愛桜は、花織が前に出ないように右手を広げて制止する。
そして、父親に向けて言う。
「そこにいるのは分かってる。出てこい」
勘が外れていたらいいが、当たっていたら一番危険なのは花織だ。
「やっぱり殺し屋よ……小さな子をあんな雑に……」「トラブルかしら?怖いわ……」
影で見ていたスタッフに言われ放題だが、そんなことはどうでもいい。
周りに人が集まってきたことの方が問題だ。
愛桜は、どんどんやりづらい状況が形成されていくことに舌打ちする。
スタッフ以外にも大声を聞いた野次馬も寄ってきている。被害が出ないように立ち回らなければならない。
「何を! 娘に何をするんです⁈ 娘を返せ! 殺すのか⁈ 所詮殺し屋が!」
父親は、突然人が変わったように鬼の形相で愛桜に迫る。
「お父さん……? じゃないみたい……」
そして、幼い娘の呟きに、愛桜の疑いは確信に変わった。
娘が、生まれてからずっと一緒にいる父親を見間違えるはずない。
「灰鳴! 当たりだ! 花織を頼む!」
――全く。灯台下暗しとはよく言ったものだ。
愛桜の叫びで、灰鳴はすぐさま動く。
ディールと対峙した時、各自役割がある。灰鳴の役割は周囲の安全確保だ。
灰鳴は花織を抱えて走った。野次馬を散らすために声をかけながら。
「離れて下さい! この男がウェンディゴです! 逃げて下さい!」
忠告しても信じないでその場に留まる人がほとんどだが、そんな人達に今は構っていられない。
愛桜が灰鳴の名を一番に叫んだ理由は、一刻も早くこの場から花織を遠ざけることを最優先にしたからだ。
なるべく遠くへ。追いつかれないように。
愛する父親が変貌する姿を見るのは、きっと酷だから。
――愛する父親に娘が殺されるのは、愛桜も灰鳴も、炎も梗香も灯も、誰一人耐えられないから。




