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現代長寿  作者: tomas
3/12

第3話 迫る足音、未来への布石

関東大震災から数年が過ぎ、帝都は不死鳥のように灰の中から蘇っていた。銀座の通りにはモダンなビルが立ち並び、夜には色とりどりのネオンサインがかつてないほどの光を放っている。私が久我山を通じて築き上げた金融決済システムは、震災手形の混乱を見事に収拾し、脆弱だった銀行間の信用の根幹を支えていた。復興の槌音は、日本経済が新たな段階へと進む序曲のように聞こえた。


しかし、その華やかな光景の裏側で、世界は静かに、だが確実にきしみ始めていた。ニューヨークのウォール街から始まった株価の大暴落は、瞬く間に世界恐慌という名の巨大な津波となり、容赦なく各国の経済を飲み込んでいく。日本も例外ではなく、復興景気に沸いた空気は急速に冷え込み、街には失業者と不安の影が色濃く差し始めていた。


「またしても、貴殿の予見通りになったな」


久我山財閥の総本山たる洋館の一室。重厚なマホガニーの机を挟んで、久我山は深くため息をついた。彼の顔の皺はさらに深くなり、その眼光には以前にも増して老獪な光が宿っている。


「私が築いた金融の『心臓』は、どうにかこの国の血液を止まらせずに済んでいる。だが、外から流れ込んでくる毒までは防ぎきれん。このままでは、国全体が衰弱していく」

「ええ。だからこそ、次の手を打つ必要があります」


私は静かに、しかし確信を込めて言った。


「経済の危機は、社会の不満を増大させます。そして、その不満のはけ口は、しばしば過激な思想や、安易な解決策を求める声へと向かう。そうなれば、この国は誤った道を選ぶことになるでしょう」


私の脳裏には、来たるべき軍靴の響きと、世界を覆う戦火の記憶が焼き付いている。この時代の先に何が待っているかを知る者として、ただ座して見ているわけにはいかなかった。


「次の手、か。一体、今度は何を企んでいる? 鉄か、船か、それとも新たな化学薬品か?」

「情報です」


私の言葉に、久我山は怪訝な顔で眉をひそめた。


「情報? 電信や電話のことか。それも確かに重要だが……」

「もっと根源的なものです。情報の伝達速度と、その処理能力。これこそが、次の時代の国家の力を、いや、人類の文明の形を決定づけます」


私は懐から数枚の資料を取り出し、彼の前に広げた。それは、無線通信技術の将来性に関するレポートと、そしてもう一つ、常人には理解しがたい概念図だった。


「一つは無線。電線を必要とせず、遠隔地と瞬時に情報をやり取りする技術です。欧米ではすでに軍事利用も始まっていますが、これを民生に、社会の隅々に行き渡らせるのです。情報の格差をなくし、経済活動を活性化させる力になる」

「ふむ。それは分かる。私のところでも、その分野の若手研究者にいくらか投資はしている」

「では、こちらはどうでしょう」


私が指さしたのは、歯車と継電器リレーが複雑に組み合わさった機械の設計図だった。


「これは……何の機械だ?」

「自動で計算を行う機械、とでも申しましょうか。今はまだ、夢物語に聞こえるかもしれません。ですが、いずれ国家の運営、巨大な工場の管理、複雑な経済予測は、人間の頭脳だけでは追い付かないほどの情報を処理する必要に迫られる。その時、この『計算機械』が人間の知能を拡張するのです」


久我山は、その奇妙な設計図を、まるで異世界の遺物でも見るかのように眺めていた。彼の表情は、私の言葉を理解しようと努めながらも、その真意を測りかねているようだった。


「……俊宏殿。貴殿の語る未来は、いつも壮大すぎる。まるで、我々が生きている時代とは違う場所から物を見ているようだ」


彼の言葉には、長年抱き続けてきた私への根本的な疑念が滲んでいた。私は答えず、ただ静かに彼の目を見つめ返した。


「この技術の種を、今のうちに蒔いておくのです。優秀な頭脳を持つ研究者に、誰にも邪魔されずに研究を続けられる環境を与える。今はただの基礎研究でも、十年、二十年後には、この国を支える巨大な柱となるでしょう」


久我山はしばらく沈黙した後、大きく息を吐いて椅子に背を預けた。


「……よろしい。貴殿の先見性には、これまで何度も救われてきた。今回も、貴殿の目に映る未来に賭けてみよう。具体的な支援先のリストを寄越したまえ。金の工面は、私がつける」


話は決まった。私は久我山という強力なパイプを使い、東北の大学で奇妙なアンテナの研究に没頭する教授や、物理学の傍らで「計算」の論理構造を模索する若き学者たちに、匿名で潤沢な研究資金を流し始めた。彼らは、自らの後ろ盾が誰なのかも知らぬまま、未来の扉を開く鍵を磨き続けることになる。


だが、時代の空気は、私の思惑とは無関係に、より一層不穏なものへと変わっていった。世界恐慌は国内の対立を煽り、政党政治への不信感を増大させ、軍部の発言力を日に日に強めていた。


ある日のことだ。久我山から、珍しく緊急の呼び出しがあった。彼の書斎を訪れると、そこには険しい表情の彼が一人、待っていた。


「俊宏殿。厄介なことになった」

「何か問題でも?」

「貴殿が支援している技術者たちのリスト……どうやら、陸軍省の手に渡ったらしい」


その言葉に、私は内心で舌打ちした。予期してはいたが、思ったよりも早い。


「彼らは、貴殿が支援する技術に強い興味を示している。無線通信は暗号化と兵器誘導に。例の『計算機械』は、大砲の弾道計算を瞬時に行うために使える、と。近々、技術廠の将校が、研究者たちに接触を図るだろう」


久我山は、私の顔をじっと見据えた。


「これは警告だ。貴殿の蒔いた種は、我々の意図せぬ花を咲かせるかもしれん。軍は、その技術を『国力増強』の名の下に、独占しようとするだろう。貴殿はどうする? 彼らに協力するのか?」


それは、私の行動原理そのものを問う質問だった。私は国家のためではなく、社会全体の、人類全体の発展のために動いてきた。特定の国家の、それも軍事力の強化に手を貸すことは、私の信条に反する。


「協力はしません。私の目的は、あくまで民生技術としての発展です」

「だが、一度世に出た技術の使い道を、我々が管理することなどできんのだぞ」

「ええ、承知しています」


私は静かに答えた。「だからこそ、布石は打ってあります」


私が設立し、久我山にさえその全貌を明かしていない海外の法人。それらを通じて、開発された技術の根幹に関わる特許を、国際的に申請し、押さえる。たとえ軍が技術を流用しても、その根源的な所有権はこちらの手にあるように。それは、来るべき戦後の世界で、技術の主導権を再び民間の手に、そして国際社会の手に取り戻すための、気の遠くなるような仕掛けだった。


「軍とは、これまで通り距離を置きます。支援はあくまで、大学や民間の研究所を通じて。決して、直接の関わりは持ちません」


それが、私がこの濁流の中で選び取れる、唯一の道だった。


久我山の屋敷を辞し、夜の街を歩く。ガス灯とネオンが入り混じる街並みは、一見、平穏そのものだ。だが、私の研ぎ澄まされた感覚は、その背後に潜む視線を感じ取っていた。路地の角を曲がった時、先ほどから一定の距離を保ってついてきていた男の気配が、わずかに乱れる。


陸軍憲兵か、あるいは特高警察か。


私は気づかぬふりをして歩き続ける。監視の目は、もう久我山を介した間接的なものではなく、私のすぐ背後にまで迫っていた。


この時代の大きなうねりは、私一人の力でどうこうできるものではない。破滅へと向かう流れを完全に止めることは不可能だろう。だが、流れの先に、瓦礫の中に、新しい芽吹きの為の土壌を用意することはできる。


胸をよぎるのは、いつもの静かな孤独。そして、歴史という名の巨大な奔流に、たった一人で立ち向かう者としての、冷徹な覚悟。


私の蒔いた種が、やがて来る暗い冬を耐え抜き、いつか平和な時代に花開くことを信じて。私の戦いは、さらに深く、暗い水面下へと潜っていく。

忍び寄る軍部の影と、世界を覆う戦火の予兆。俊宏は、日本の技術者や研究者たちを戦争の渦から守るため、密かに彼らを海外へ逃がす計画を進める。しかし、その動きは国家の監視網をさらに刺激し、彼の存在そのものを危険に晒していく。歴史の大きな転換点を前に、彼は自らの不老不死という特性を、これまでとは違う形で使う決断を迫られることになる。

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