第五話
翌朝、早朝、暁鐘鳴り響く前の浅草の街。少し肌寒い江戸の空の下、蒼春の風の先、小さな母屋に居を構える異端者がここに一人、そして、そこを目指す異端者もまたここに一人。
「伊織。どこまでついてくる気だい?」
「それはこっちのセリフです。どこまで行くんだ?吉原の街でも辺境ですよ、ここは」
茶屋の看板から身を乗り出す少女が口を開く。いつもの刀は腰にきちんと携えていた。その二人が向いた方向にあるのはボロい母屋、流石に人が住んでいるようには見えないが男はその母屋に用がある様子だった。屋敷の中にいる人間を叩き起こすには十分な音を立てて、男は扉を開ける。
「うるっせぇなぁ。こんな夜明けに何なんだ、一体。どこのバカだ」
男はしばらく玄関の内で突っ立っていたがそのうちに廊下の奥から人影が現れる。中性的な見た目の麗人だ。つまり中性的とはいえ、伊代とは異なる方向性の「女性」であった。
「こんな夜明けにって言うが、そもそもとしてこれからがあんたの仕事の時間だろう?」
こんな時間というのは吉原で女と遊び倒し、疲れてみんな寝ちまったような時間のことである。
「モーニングコールだぜ、こんな可愛い子にしてもらえて嬉しいだろ」
「厄介ごとのハッピーセットじゃなかったらな」
麗人はいそいそと着物を脱ぎ始める。その光景に剣士は大袈裟に、男は全くの無で反応を示した。
「それで、こちらの方は一体誰なんですか?」
「こいつのことを俺は暁の死神って呼んでいる。だいたいこれぐらいの時間に仕事をしているからな」
「仕事とは?」
男の返答に剣士はさらに質問を投げかける。
「葬儀屋だよ。ここでは法の枠に入り切らない悪意や死が蔓延っているからね。そういうのを埋葬しているんだよ」
剣士の更なる質問に麗人が答える。
「死神ということは神様なんですか?」
「いや、私は神様ではないよ。そもそもこの街に神様なんていないしね。『There is no absolute God in the human world,but the absolute king still exists.』っていう言葉があるかもしれないし」
「また適当なことを言いやがって」
「何語ですか?」
伊織からしてみればこの言語は耳馴染みがないようだ。当然と言えば当然だがこの時代では医学者か幕府の役人ぐらいしか、外国語を身につけない。すなわち、英語もよくわからない言葉になるであった。
「人の世に絶対の神はなく、しかし、絶対の王は顕在するって意味さ」
剣士に麗人は優しく教えてくれた。
剣士の頭には「?」がいっぱい浮かび上がっていた。彼女にはなかなか難しい内容だったようだ。
「そんなことよりこの街では晩鐘に始まり、暁鐘に終わるんだ。いわば、黄昏より上り、暁に帰るというのがお約束なんだよ。よって私は夜勤のような仕事だね。外で言うところの」
「それなのにこいつはいつも朝が遅いから起こしにきているんだよ」
「それだと伊代は全然寝てないのでは?」
剣士はわかりやすく眼をぱちくりしている。今日の自分のことは全くと言って良いほど気にもしていなく質問を投げかける。
「いつも昼間にも軽く寝るんだよ。それにそのために昨日も早めに寝ただろう」
そんな会話の隙間に麗人は支度を済ませたようだ。