第三話
剣士は自分の身の上話を話し終えたら、ずいぶんすっきりとした様子に落ち着いた。どうやらさっきまでの腰を抜かしたりだのの大道芸は緊張から来るもののようだ。ここで伊代と伊織の職務の話をしよう。伊代の仕事は先ほども話したように男にとっても姉に当たる存在である三姫らの着付けやヘアメイク、食事の手伝いなどをする傍らで、頭の良さを生かして奇々怪々な事件を解決する探偵業を営んでいた。伊織はババアから、そんな伊代の護衛と見世の御用人になって欲しいと頼まれる。見た目が男装チックな彼女は張見世の剥がしとしてよく働くだろうというのがババアの考えであった。
話しているうちにその世界は夜闇に沈んでいた。提灯や街灯がほんのり光っており、月の光なぞ意に解さぬ街明かりがこの世を照らし出すような夜の街がここに誕生していた。ババアとの約束通り夜になったので先程の部屋を開け渡す。夜になれば妓女たちは夜を越し、情事に励むために床に入ったりお客を楽しませたりすることを始めるので、世話係の仕事は少なくなる。その間に剣士のための部屋の用意を始める。新しい布団を用意しに外へ行き、行った先では「おう、伊代ちゃんもしかしてまた新入りかい?それとも布団汚しちまったかな?」などと聞かれて、後ろの剣士が真っ赤な顔を傘で隠してしまう。かつては武士が風俗に通うことがバレないように被る笠を流浪の剣士が被っている。ちなみにその笠は編笠茶屋という吉原の入り口にあるお店から買ったものだった。今は笠だけでなく小料理屋や引手茶屋なんかもやっているそうだ。
布団や家具の用意をし終えた後は、明るい街道を練り歩くことにした。多くの遊女屋に男どもが入っていき、ドンジャラドンジャラと騒がしい音色が響いている。そのうちに伊代の元に一人の女子がやって来た。
「兄様〜。大変です。金も払わん輩が出たんです。一緒に探してはくれませんか?」
「ん、まぁ、いいがそうそう見つかるもんではないよ」
「構いません、井戸屋の親父さんがカンカンなんです。私どもじゃあどうにも手が付けられません」
とりあえず、井戸屋のところまで足を運ぶことにする。
「おい、いいのか?こんな勝手に」
「構わないさ、俺ぁは探偵でこの遊廓の便利屋さね。困ったことが起こったら俺のとこに来るのがこの街の日常なんだい」
「そうなのか」と剣士は首を下げる。さっきの説明に納得がいったようだ。そんなことを話している間にヒュンと飛んで井戸屋に着いちまった。
その井戸屋の前では親父さんが顔を真っ赤にして怒っていた。井戸屋というのは「大見世」「中見世」「小見世」と呼ばれる見世の格付けの中で中見世でもかなり有名な見世であった。そして、桜楼閣は小規模ながら大見世と呼ばれている。大見世と呼ばれている故、桜楼閣ではなかなか花魁とは呼ばれないが(三姫と区別するため)世間の呼び方からすればあの場所にいる妓女は全員金二分以上かかる花魁ということになる。金二分は当時の鯖が一二五杯も食べられる金額になるようで、これは床代などではなく、妓女と遊ぶための揚代と呼ばれるものである。そして、話を戻せば、井戸屋の花魁は双子姫と呼ばれており、かたや鈴虫、かたや蜻蛉と呼ばれているのであった。
さてさて、旦那に話を聞いたところにゃ、妓女と遊んで贅沢した挙句、金も払わず逃げちまった奴がいることだって話さね。それからすぐに大門に掛け合い見守ってもらったらしいがどうにもミツカンねぇって話だそうで。旦那も遊女も男の顔はよくよく見ていたらしいので、すぐにでも捕まるだろうと高を括っていたらしい。
それで無銭男はどこへ行ったのだろうか?ここでは二つの解が出る。一つは未だ遊廓に潜んでいるって話だ。でも、これは簡単だ。吉原は周囲を塀で囲われているもんだからそう簡単には出られねぇ。も一つの話といえば、その男が医者であったのならって話になる。吉原の大門は医者だけは駕籠に乗ったまま通っていいって話がある。ただ、駕籠に乗ったままの奴がいたんならそいつをおっかけりゃあ良いって話さね。旦那にその話を伝えりゃ、礼をもらって返されたんだって事らしい。これが「吉原の乙女」探偵伊代の物語の一つになったんだとさ。