女神様の開く道
「そんじゃあ、行ってくるね!」
出発の朝、あたしは家族に別れを告げた。
ひょっとすると、もう戻ってくることは無いかもしれない故郷。
だけど、寂しさよりも、初めて王都に行ける喜びのほうが勝っていた。
あたしの生まれた王国では、大昔から女神様を信仰している。
そして、その力を分け与えられた代理人として、多数の聖女がいた。
聖女は治癒と浄化の力を持ち、人々と大地を癒すのだ。
王国の少女たちは十二歳になると身分を問わず、地元の聖堂出張所で聖力の検査を受ける義務がある。
基準値を超えた者は、王都の大聖堂へ呼ばれる。
そこで一年間の修行をし、十三歳から十八歳までの五年間を聖女として活動することになるのだ。
聖女として務める間は病気にかかることは無く、アクシデントに見舞われることも少ない。
それらは全て、女神様の加護だ。
聖女の派遣先は国の隅々にまで及ぶ。
各領ごとに聖堂出張所があり、そこを管理する神官の指示で動く。
神官の仕事は多岐にわたり、領主からの要請の受付や処理後の結果報告などの事務から生活用の物資購入、薪割りに御者と何でもこなさねばならない。
たいていは体力のある若い男性だが、この任務に就く間は性的な欲望をこれまた女神様の加護によって抑制されることになる。
聖女は本人の意思にかかわらず奉仕を強制されるため、国から十二分な報奨金が支払われる。
貧しい平民の娘、つまりあたしみたいな者からすれば、学が無くとも高給と名誉が手に入るので、皆、喜んで聖女になりたがる。
しかし、なりたくない人もいる。
聖力の検査の日に急病にかかるのは、たいていが裕福な平民か貴族の令嬢だ。
彼女らにとって、聖女の任期は丁度、大事な婚活期間と重なってしまう。
避けたい気持ちもわからなくもないし、そもそも、婚活優先で気もそぞろでは聖女の仕事は出来ない。
国から聖女について一任されている大聖堂でも、後日改めて検査をするなどという手間はかけないのだ。
一年間の修行は厳しい。
治癒と浄化のやり方についての指導も、最初は雲をつかむような話にしか聞こえない。
なかなかコツがつかめず、皆苦労する。
しかし、普段恵まれた生活をしている人ほど苦労することが、他にもある。
食べ付けない質素な食事や、着慣れないごわつく服。
それまでの生活との落差が大きいのは、当然令嬢たち。
修行と生活、厳しさのダブルパンチで脱落する人を笑ってはいけないと思う。
そして、それを乗り越えて聖女になった令嬢を、あたしは尊敬する。
なんとか修業期間を終えたあたしは、もう一人の聖女と共に、田舎の子爵領にある聖堂出張所へ派遣された。
同僚となったのは伯爵家のご令嬢だ。
彼女は二人姉妹の姉で、すでに婚約者がおり、淑女教育もほとんど済んでいるんだとか。
仮に自分が聖女になっても、その間に、婿となる婚約者に領地経営について学んでもらい、聖女の務めを終える十八の歳に婚姻すれば丁度良いと考えたんだって。
それで真面目に検査を受けて、聖女になった。
聖堂出張所で迎えてくれたのは、一人の若い男性神官だった。
彼は一生涯を女神様への信仰に捧げる覚悟まではないけれど、一定期間なら手伝いたいと、神官に応募したんだそうだ。
いいよね、そういうのも。
全財産を寄付するような必要はないと思うんだ。
その気持ちが大事ってこと。
とりあえず、この三人で、五年間を過ごすことになった。
この出張所での仕事は、一年単位できっちりと決まっている。
おそらく、領主が優秀な文官を抱えているのだろう……と神官が言っていた。
畑や果樹園、放牧場などの土地の浄化は何月何日にどこどこ、と書面で通知されているので、二人が交替で出張すればいい。
他に、医療施設から持ち込まれる重病人の治療の手伝いや、飛び込みで事故現場に駆け付け治癒を施すような仕事もある。
忙しい時は忙しいが、何も無ければ暇になる。
それで、いろいろ雑談もした。
あたしは家が貧しいから喜んで聖女を引き受けたけど、家族に十分な仕送りが出来るはずだから、その後は縁を切ろうと思っている、と話した。
やれることをやったら、あとはバッサリ。
下手に帰って、売られるような縁談を押し付けられるのは御免だ。
両親は悪人ではないけど、親戚や知人の誰かから妙な話が回ってこないとも限らない。
折角の自由になれるチャンスを逃す手はない。
それを聞いたご令嬢は、すごく驚いていた。
貴族の世界は、しがらみが多いって聞くもんね。
あたしから見れば、身分で壁を作らないご令嬢の態度は好もしいけれど、その分、彼女の人の好さが心配にもなった。
特に婚約者の段。
修業期間も含めて六年間も放っておくことになる婚約者は、大丈夫なんだろうか?
やはりと言うか、あたしたちが赴任してから一年後のことだ。
ご令嬢にとっては予想外の、あたし及び世間にとってはありがちなことが起きた。
婚約者が心変わりし、令嬢の二歳年下の妹と婚約を結び直すことになったのだ。
それは一通の手紙によって伝えられた。
全てがもう決定した事柄として綴られていたそうだ。
親同士が決めた縁談で、慕う気持ちがあったわけでもないらしい。
だが、せめて、まずは本人の意向を気遣うくらいの配慮はあるべきだったろうと思う。
たとえ、形式だけでも。
婚約解消のショックというより、聖女の務めを終えた後の人生設計が真っ白になったことで、ご令嬢はすっかり気落ちしてしまった。
あたしは心配になって、その日、彼女が行く予定だった遠い村への一泊仕事を代わることにした。
「さすがに今日明日は、心を込めて祈れそうもないです。
ありがとうございます。よろしくお願いします」
こんな時でも、しっかり対応が出来る。
やっぱり彼女は流石だ、と思った。
さて、一泊仕事ともなれば領主の協力が不可欠となる。
送り迎えの馬車と護衛、そして宿は全て領主の責任で手配される。
出発した日の午後と、翌日の午前一杯で村ひとつ分の畑を浄化したあたしは帰途に就いた。
その途中、旅の一団が、休憩所でもない場所で止まっているのに行き合った。
護衛に様子を見てきてもらうと、馬が足をくじいて、落馬した者が怪我をしている、とのこと。
怪我となれば聖女の治癒が効く。
予定外の行動だけど、まだ聖力に余裕がある。
枯渇して気を失っても、馬車で運ばれるからいいやとばかり、馬車を降りて一団に歩み寄った。
「この領で聖女をしております。
ご迷惑でなければ、治癒をかけますが」
あたしは、そう声をかけた。
旅人たちが外国から来ていれば、女神信仰と対立する立場であることも考えられる。
怪我人に意識もあることだし、一応確認したんだ。
「それは助かります。
ちょっと立ち上がることも難しい痛みで……」
と言いながら顔をしかめる若い男。
「では失礼します」
脚と脇腹のあたりの負傷をゆっくりと直すと、まだ余裕がある。
ふと横を見たあたしは、馬と目が合った。
「馬の様子も見ましょう」
「え?」
一団が驚くのも構わず、あたしは馬の足も治した。
実は無類の動物好きで、出張所暮らしでは決まりで猫も飼えないので、鬱憤が溜まっていたのだ。
治癒の後、鼻面をそっと撫でれば、馬はすくっと立ち上がり、感謝を表すように顔を寄せて来る。
しかし、聖力はさすがに枯渇したようで、護衛を呼んで馬車まで運んでもらうことになった。
助けられた若い男は恐縮し、お礼とお詫びをと言い出す。
けれど、ここはお断りする。いや、それが決まりなんだけどね。
「わたしが勝手にしたことですから、お気になさらず。
立ち寄られた教会で、少々寄付などしてくだされば、十分です」
聖女が居住するのは聖堂とその出張所だが、信者たちが通うのは女神様を祀る教会である。
そして多くの教会には孤児院が併設され、寄付はいつでも大歓迎。
「必ず、そうします」
あたしは名乗りもせず、そのまま去った。
出張所で待っていたご令嬢は、帰ったあたしを見て驚いた。
半分気を失いかけて、護衛に抱き上げられているんだもんね。
「大丈夫ですか?」
「だいじょぶだいじょぶ。寝れば戻るから」
聖力の枯渇なら、聖女の力では癒せない。
それでも心配だった彼女は、一晩中ベッドサイドで様子を見てくれていた。
元気いっぱいに眠りから覚めたあたしは、椅子に座ったまま寝ている彼女の様子を見て、申し訳なくも嬉しくなった。
そのことで、あたしたちは、すっかり打ち解けた。
ご令嬢はあたしを見習って、自分も任期があけたら家には帰らず、平民として生きて行こうと思う、なんて言い出す始末。
そうなっても困らないように、と、今まで以上に生活力を磨き始めた。
あたしを先生にするなんて、とんでもないことを言い出したけど、先生がいないよりはマシかもしれない。
だから、あたしも読み書き計算を教えてもらうことにして、ここを出ていく日に備えたんだ。
やがて任期が終わり、あたしたち三人は聖堂出張所を出た。
神官も、これを区切りに還俗したのだ。
あたしは、この後の行先は決めていない。
昨夜、ご令嬢にも訊いてみたけど、彼女も決めていなかった。
『女神様のお導きで聖女となり、無事、務め終えました。
なんとなく、思いのままに進めば、道が開けるような気がするんです』
奇遇だな、あたしも、そんな気がしたんだ。
とにもかくにも、乗合馬車の停車場まで一緒に歩いていると、見知らぬ……いや、どっかで見たような一団がやって来た。
「聖女様!」
「もう、聖女じゃないんだけど」
だから、もう聖女口調もやめたんだ。
側まで来て馬から飛び降りたのは、あの時助けた若い男だ。
馬も、あの時の子だった。
「この子、無事だったんだね。良かった」
「お陰様で。まだ、若かったのに、あそこで動けなくなると、この子は終わりでした。本当に、その節はありがとうございました」
「いや~。今だったらもう、治癒も出来ないから、もう怪我しないように」
「ということは、任期が終わられた?」
「うん、丁度終わったところ。
さっき、次の聖女たちと交代した」
「そうでしたか……では、家へ帰られるので?」
「ううん。気の向くまま、どこへ行こうかって、思ってたところ」
「でしたら、私と一緒に行きませんか?
私はこういう者です」
見せられたのは商業ギルドの証明書。
あたしも、聖女の報酬は商業ギルド経由になってるからわかる。
証明書は本物だ。
「この通り、隣国の商会に属しておりまして、新商品の発掘にあちこち旅をする日々です」
商会は名の知れたところで、手広く真っ当な商売をしていることで有名だ。
新しいものを探す旅って面白そうだな、と思っていると、少し年かさの人が横から口を出す。
「若、商会の跡取りです、とアピールなさいませんと」
「あ、いや、どうかなあ? それ、かえって重くないか?」
ビックリだ。ほんの少女だったあたしに、この人、一目惚れしてた?
しかも、大商会の御曹司だって!
「面白そうだから、行ってみたいな」
「是非是非!」
若と呼ばれた彼の顔が綻んだ。
「ねえ、ご令嬢も一緒に行く?」
「そうですねえ……」
あたしが彼女に水を向けると、神官だった彼が慌て始めた。
「あの」
「はい?」
話しかけられて、彼を振り返るご令嬢。
「私の兄が治めている領地が、ここから近いのですが……良かったら一緒に行って、しばらく滞在しませんか?」
ご令嬢は目を丸くした。
女神様のご加護で抑えられていた、神官の性的な欲望。
それは、世話をする相手である聖女を差別しないよう、好みのタイプかどうかなんてことも、曖昧になってたんじゃないかな?
元神官は今、五年も一緒にいたご令嬢に一目惚れしたのかも。
彼女はしばらく考える。
そこにいた皆は、固唾を呑んで見守った。
「そうですね、わたしの目の前に開かれた道……
よろしければ、ご一緒させてください」
泣きそうな顔で笑う元神官の顔を見て、あたしは心の中で、二人が幸せになりますようにと祈った。
あたしたちは聖女を真面目に勤めあげた後、こんな出会いに恵まれた。
これはもしかすると、女神様の最後のご加護かもしれない。
それをご褒美に出来るか否かは、今後の努力次第なんだろうけど、ね。