9 馬車の中
それからの一ヶ月、私は、朝から晩まで魔法の修練に励んだ。
指先の感覚に集中し、言葉に魔力を込め、幾度も失敗しながらも、私は自分の力を信じて少しずつ進んでいった。
後になって知ったことだが、女神——アルテイアは、銀髪に青い瞳を持っていたらしい。
まるで、私の姿そのもののようだと聞いて、胸の奥に小さなざわめきが広がった。
私の家族——紫色の髪に桃色の瞳を持つ優しいお母様、藍色の髪に同じく桃色の瞳の、元気で少し気まぐれな妹のミアーナ、そして、藍の髪と緑の瞳を持つ落ち着いたお兄様とお父様。
その中で、私だけが銀髪に青い目をしている。
本当に、私は女神——そう思うことに、最近はほんの少しだけ、慣れてきた気がする。
「最近のルアリナ、前よりずっと元気そうね」
「魔法もどんどん上手になってるし。もう立派。さすがルアリナね」
笑顔でそう言ってくれるフィアナさんとカトレアに、私は思わず微笑んだ。
けれど、心の奥に小さな戸惑いが残る。
「ありがとう、フィアナさん、カトレア。でも……私は、女神と呼ばれるほどの者じゃないわ」
謙遜でも、遠慮でもない。
ただ、本当にそう思ったのだ。
自分の力も、過去も、まだ何一つ受け入れられていない私が、果たして女神と呼ばれる資格があるのだろうかと。
それでも——。
この家での暮らしは、どこか懐かしくて、温かかった。
家族のように接してくれる二人がいて、私はいつの間にか、自分が何者であるかを問うことをやめていた。
そして何よりも、私がなぜ倒れていたのかを、誰一人として聞いてこないことが、心から嬉しかった。
ある朝、フィアナさんが頼みごとをしてきた。
「今日の魔法に必要な材料が切れちゃってね。旦那もいないし、カトレア一人じゃ心配だから、
ルアリナ、付き添ってくれる?」
「うん、もちろん。どこで買えるの?」
「帝都にある専門の店よ」
「ていと……?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がきゅっと音を立てたような気がした。
私の反応に気づいたのか、フィアナさんは少し慌てたような目で私を見つめた。
「……ルアリナ。あの日、何があったのか、私たちは知らない。でもね、無理しなくていいの。行きたくないなら、言って」
帝都。
私の過去が眠る場所。
忘れたいと願っても、思い出さずにはいられない記憶の残る街。
だけど——。
「大丈夫。……行けるわ」
「本当に?」
「ええ、大丈夫」
私は、なるべく穏やかな笑顔をつくって頷いた。心配そうなフィアナさんを安心させたくて。
「じゃあ、カトレア。行こうか」
「うん!」
「ルアリナ、カトレア。気をつけてね」
帝都へは転移魔法を使えば一瞬だった。
けれど、その一歩を踏み出すまでに、私は心の中で何度も自分を奮い立たせていた。
街は活気に満ち、まるであの日のことなど何もなかったかのように、人々は笑い、歩き、暮らしていた。
怪我人がいなかったのは不幸中の幸いだった。
……でも、私の心はあの時のまま、時が止まっているようだった。
「転移魔法って本当に便利ね。ねえカトレア、いつもはお父様と来てるの?」
「うん。でもお父さん、忙しくてなかなか帰ってこられないの」
カトレアの声を聞きながら、私はふと、遠い記憶に思いを馳せた。
——お父様、お母様、お兄様、ミアーナは、元気にしているだろうか。
……セシル様も。
名前を思い出した瞬間、胸の奥が痛んだ。
この街に来ると、どうしても考えてしまう。
考えたくないのに。
「わあ、貴族の馬車だ! すっごく綺麗……!」
はしゃぐカトレアの声に振り返ったそのとき。
視線の先、ある馬車の窓の中に——。
「……えっ……」
手が震え、持っていたメモがひらりと落ちた。
風に吹かれて、地面に舞い降りた紙切れを見下ろすこともできず、私はただ、馬車の中を凝視した。
まさか。
まさか、そんなはずはない。
でも、あの人の姿を見た気がして——。
「ルアリナ、大丈夫?」
「え、ええ。……大丈夫。大丈夫よ」
どうにかそう言って、私はカトレアの方を向いた。そして、精一杯の笑顔を浮かべる。
—— 大丈夫。そう言い聞かせるように、私はまた一歩を踏み出した。