57 行かなければならないのに、私は
行かなければならない。
それは、もう分かっている。
分かっているのに。
足を進めるたび、胸の奥で、何かがきしむ。
白霧村を出る道は、いつもと変わらない。
踏み慣れた土。
朝露に濡れた草。
変わらない景色が、かえって苦しかった。
本当に、行くの?
心の奥で、弱い声がする。
行かなければならない。
世界のために。
アルテイア様に託されたから。
魔物が増え、封印が揺らいでいるから。
理由なら、いくらでも並べられる。
けれど。
その理由のどれひとつとして、
「セシル様に会いたい」
とは、言えなかった。
……言えない。
言える訳がない。
会ってしまえば、終わる気がした。
これまで必死に守ってきたものも、
自分が積み上げてきた努力も、
全部、簡単に壊されてしまいそうで。
「……怖い」
声に出した瞬間、自分で驚いた。
戦い。
世界が滅ぶこと。
もちろん、怖い。
すごく怖い。
でもそれ以上に、
思い出してしまうことが怖い。
優しかった声。
当たり前みたいに隣にいた日々。
忘れたはずの温度。
もし、目が合ってしまったら。もし、あの声で名前を呼ばれてしまったら。
私は、逃げられなくなる。
使命なんて捨ててしまうかもしれない。
だめなの、わたしは、女神なんだから。
足が、止まる。
こんなふうに迷っている時間すら、許されないのに。
私はどれほど自分勝手なのだろうか。
世界は、待ってくれない。
魔物は、感情を汲んでくれない。
封印は、躊躇を理解してくれない。
分かっている。
分かっているのに、胸の奥が、泣くみたいに痛んだ。
私は、ずっと同じことをしている。
守りたいと言いながら、距離を取って。
傷つけたくないと言いながら、独りで決めて。
「これが最善だ」と、自分に言い聞かせて。
同じことを繰り返して、何一つ成長せずに。
何も失わなかったことなんて、一度もなかったのに。
いつまで、怖がっているつもりなの。
いつまで、逃げる理由を探しているの。
不意に、アイリスの顔が浮かぶ。
優しくて、かわいくて、侯爵令嬢というのに相応しい——愛されるべき存在。
いつも、彼女の周りには人がいた。
じゃあ、わたしは?
私は、女神の生まれ変わりで。
ここにいる私だけが世界の行く末を知っていて。
それでもなお、普通の、人みたいに、未練を抱えていて。
普通になんか、なれないのに。
怖くても。
心が追いつかなくても。
それでも、行かなければならない。
きっとこれは、使命だからというだけじゃない。
誰かに命じられたからでもない。
これ以上、同じ後悔を見たくないから。
これは、私の思いなのか、それとも、魂に残ったアルテイア様の思いなのか。
わからないけれど。
「……私は」
唇を噛みしめる。
「私は、世界を守る」
そのためには、なんだってする。
みんなの笑顔を守れるのなら。
セシル様を。
お母様を、お父様を、お兄様を、妹を、アイリスを。
あの人の隣で、何も言えずにいた自分のように。
私は、もう。
“選ばなかった”結果で、誰かを失う未来を、選びたくない。
アルテイア様のように、エーテリウス様のように。
胸を張って成し遂げたい。
深く、息を吸う。
震えは、消えないし、不安も、消えない。
それでも。
足は、再び前を向いた。
「……少し、白霧村を離れるわ。今まで、ありがとう。本当、2人には感謝してるわ」
帰ってこれない可能性があるから。
「もう…いくのね。……ルアリナ、絶対に戻ってきなさい。私たちにできることは全てするから」
「ルアリナ、帰ってこなかったら許さないからね!絶対よ!」
2人は、泣きながら見送ってくれた。
ありがとう。
私のために泣いてくれる人が、こんなにいたなんて、なんでもっと早く気づかなかったんだろう。
行こう。
セシル様のもとへ。
この想いが、どんな結末を連れてくるのか。
それは、分からない。
けれど。
逃げたまま世界を救うなんて、そんな都合のいいこと、もうできないから。
『行ってきます』
なんていい加減なことは言えなかった。
だけどせめて、私の感謝を伝えたい。
「ありがとう、2人とも」
2人のおかげで、私は、いろんなことを学んだ。
いろんなことを知れた。
ありがとう。
本当に。
きっと貴女たちに会うことがなかったら、きっと私は何もできなかったと思うから。
さようなら。
私は、前を向いて歩き出した。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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