1 愛する婚約者様
貴方のためを思うなら、私は隣にいてはいけない。
だから…私を忘れてください——。
なのにどうして…貴方は———。
「まあ?エバンズ子爵令嬢ではないですか」
ある令嬢が私をみてそう言った。
私に聞こえるように、わざと。
「ではあの方が……セシル皇太子殿下の婚約者なのね。でも爵位が、ねぇ」
「どうせその容姿で殿下をたぶらかしたのでしょう」
彼女の声を聞いた2人の女性も口々に言う。
私に聞こえるように。
「まあ!なんて酷い。まるで娼婦のような女ね。殿下の幼馴染であるクルーディア様がお可哀想だわ」
またもう1人の女性が言った。
言いたい放題。
———なんて酷い言われようなの。
視線が痛い。
言葉のひとつひとつが、私の心を鋭利な刃物で切り裂く。
そんなの、私だって分かってる。
わかってるけれど……。
もう何も頭に入ってこない。
心なしか、見上げた青空が少しくすんでいるように見える。
セシル様とお会いしたのは、一年前の舞踏会。
『はぁ。疲れた。愛想を振り撒かなければいけないパーティーなんて、何が楽しいのかしら』
『っくく。君は正直だな』
『おっ、皇太子殿下!?も、申し訳ありません。えっとこれには深いわけが……』
あの日、笑ったのをみたのは初めてだった。
いつも遠くから見る彼は、氷の皇太子と呼ばれるのも頷ける程、冷たい顔をしていたから。
それがセシル様との初めての会話だ。
それから私たちは会うと話す仲になった。
「ルアリナ嬢、君の瞳は星のように輝いている」
彼の言葉に、私は頬を赤らめながらも、心の奥底で何かが芽生えるのを感じていた。
そして数ヶ月前、セシル様は私に婚約してくれないかと言われた。
私もセシル様をお慕いしていた。
その時の私は浅はかで、彼と同じ気持ちだと言うことに舞い上がって、頷いた。
心の奥では分かっていた。
現実はそんなに甘くない。
私は子爵家で、彼は皇太子。
身分があまりにも違いすぎる。
家族もみんな心配していた。
でも。
それでも、彼の熱い眼差しを見たら、なんでも乗り越える気がした。
……だから。
私たちは婚約者となった。
だが、家柄が釣り合ってないことから、よくこうして言われる。
言い返すことはできない。
だって何も間違っていないから。
覚悟はしていたけれど。
大丈夫。
私には大切な人たちがいるから。
きっと乗り越えていける。
急に令嬢たちの痛い視線が消えた。
不思議に思って振り向くと、セシル様が歩いてきていた。
「ルア?大丈夫か?顔色が悪い」
「い、いえ、大丈夫です!少し疲れてしまって。でももう元気です」
「本当か?」
「ええ」
そう、今を楽しもう。
私たちは今、帝都でデートをしている。
「それよりも、先程のランチは美味しかったですね!」
「ああ、そうだな」
私はこの空気を変えようと話を変えた。
帝都の有名店でランチをしてきたところだ。
大丈夫。
私は、彼の婚約者なのだから。
私は思い切り楽しんだ。
心の奥には、この婚約にまだ迷っている自分がいることには、気づかないふりをして。




