第3+6i章
第3+6i章
雪咲寧々と七瀬いをりは、同じ中高一貫の女子高に通っている
ふたりが同じクラスになり、仲良くなったのは中学2年生のとき
雪咲寧々はお昼休みに自分の机で聖書を読んでいた
ちょうどコリント人への手紙、というところだった
それは普通の文庫本とは違い、極端に分厚く大きいため一際目立った
最初に興味を持った女の子、天草香苗が寧々の読んでいる聖書を勝手に取り上げ、
表紙に書かれたタイトルを見て笑いだした
そしてみんなが集まってきた
必死に取り返そうとする寧々の姿は、その子たちを面白がらせた
そして寧々は、リアクションのみでしか笑いを取れない
お笑い芸人の役割を演じることを要求された
単に、お昼休みに読書をしていたというだけで
そこから現代の日本社会では滅多にないと思われる、
宗教をもとにした陰湿ないじめが始まった
中高一貫の女子校、それもかなり頭が良くないと入れない女子中高一貫校での、
知恵を持った女の子による寧々の信仰を冒涜するいじめが始まった
雪咲寧々の両親も周りの人もクリスチャンではないし、寧々は教会に行ったこともない
キアヌリーヴス主演の悪魔祓いの映画、エクソシストのアクション映画、
コンスタンティンで少女に取り憑いた悪魔を祓う時に言うセリフ
キアヌリーヴスが聖書を左手に持ちながら言う聖書のセリフが
カッコよくて読んでいただけだった
聖書読んでみたい、と言うと両親は喜んで寧々のお誕生日に
立派な装丁の口語訳聖書をプレゼントしてくれた
口語訳にしたのは、寧々がまだ中学二年生だからという両親の気配りだった
寧々が興味を持ったのは悪魔祓いのキアヌリーヴスのセリフなので新約聖書を読めば
それでよかったのだが、旧約聖書にあたる部分がユダヤ教の経典で、
キリストが出てくるのは新約聖書なのだという知識もなかった
最初から読むものと思って2445ページある聖書の1ページ目から読み始め
その一行目から寧々は聖書の世界に圧倒された
第1章
それは宇宙の始まりの描写
神の霊が水のおもてをただよっていた
はじめに神は天と地とを創造された
神は光あれ、と言われた。すると光があった。神はそれを見て良しとされた
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけ、夕となり、また朝となった
第一日目である
神はおおぞらを造り、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた
神はそのおおぞらを天と名付けられた。夕となり、また朝となった
第二日目である
それは中学2年生の寧々の理解を超えた世界観であり、寧々はその世界観に
強烈に引き込まれた
寧々がいまだ明快な解答が出せないことの一つに
アダムが知恵の実を食べたため、罰として神が人を楽園から追放するシーンがある
結果人間には寿命と苦悩が与えられた
では今学校で知恵を身につけるため勉強しているのはどう考えればいいんだろう
わたしが毎日制服を着て学校に通っているのは
答えが出ないことが無数にあったけれど、新約聖書でキリストが
明快に答えてくれるのかな、とか、キアヌリーヴスのセリフはいつ出てくるかな、
と思い読み進んだ
神が悪に染まった世界を最初からやり直す手段として、箱舟に全ての生き物のつがいを
一種類ずつ入れ、大雨を降らせてすべてを海の底に沈ませるシーンは、
14才の女の子にはスケールが壮大で、寧々は何回かその夢を見た
そして自分はいつも箱舟の中にいた
箱舟は前に進む必要がないため四角く作られ大きく揺れた
寧々はいじめが続いても毎日お昼休みの時間、聖書を読み続けた
それがいじめをする天草香苗を苛立たせた
神様なんかいないし科学的じゃないのに何が寧々をそんなに没頭させてるんだ
もう聖書を読めないよう奪っても、次の日にはまたなぜか聖書を読み進めてる
奪っても奪っても
女の子たちは、寧々の家には無数の聖書のストックがあるか、
その度に買い直しているのだと思っていた
雪咲寧々はその頃1502ページを読み終え、新約聖書まで読み進めついに
キリストが登場し、キアヌリーヴスのセリフが断片的に出てくるところまで
到達した
キリスト教的なものの見方も自然と身につけ始めていた
何しろ毎日熱心に読んでいるのだから
女の子たちは、寧々はキリスト教を信じているクリスチャンなのだと思い込んでいたが
本人は天地創造もノアの方舟も実際にあったかどうか関心がなかった
その複雑な心理が、いじめる側の理解の範囲を超えていて居心地を一層悪くさせた
女の子たちの主犯格、天草香苗が、寧々に向かっていきなり右側の頬を叩きつけた
パシンッと高い音が響いたと同時に寧々の瞳の虹彩から涙があふれた
そしてもう一度今度はさらに強く寧々の右頬を叩いた
寧々は右耳から音がしばらく聞こえなくなった
午後の授業に寧々は出席しなかった
鼻血が止血できなかったので放課後まで保健室にいて、聖書を読んでいたから
寧々はいじめが暴力に発展したのだと思っていたが、
キリストの言葉、
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい、というのを試されていたことを
知るのは、今読んでいるページの54ページ先に書いてあることだったので
その時は分からなかった
いじめをしていた女の子は3人程度
主犯格の天草香苗がほぼ一人でリードしていじめた
そのうちの一人は七瀬いをりだ
正確に言うと、いをりはいじめをしていない。いじめグループ内に自然に入り込み
香苗が奪った聖書の隠し場所の情報を得るスパイとして独自に活動し
取り戻して寧々の家まで行きその日の夕方に届けていた
いくらいじめをする女の子でも、聖書なんかを燃やしたりゴミ箱に捨てたりしたら
天罰が下されるのではないかと思ったのだろう
寧々は両親がくれた聖書が戻ってきたことよりも、いをりがひっそりスパイをしてくれて
優しくしてくれている事が嬉しかった
いをりは寧々の部屋に招き入れてもらい、おいしい紅茶とチョコクッキーを一緒に食べ、
寧々の母親が作ってくれた夕食、すき焼きとかキムチ鍋をご馳走になったし、
週末は寧々と一緒に神社巡りをした
寧々はいをりの好きな御朱印集めに付き合ってくれた
おかげでその頃、いをりの御朱印帳は三冊目になっていた
いをりは日本の神話の話をした
好きなのは、もちろん木花咲耶姫だったけど、
寧々が興味を持ったのは、あめのうずめのみこと、だ
天照大神がいじけて岩の間に隠れ、地上が暗闇になったのを
解決するため、肌の露出の多い服を着て、女性的で魅力的な舞いをして
近くで見たくて思わず神様が穴から出てきちゃう、
そういう男ごころをもてあそぶ存在になりたい、と言った
じっさいには天照大御神は女性だったのだが