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冷凍食品の裏に潜むブルーレイ収集狂!

「お兄ちゃん、お腹すいた…」


羽衣(はごろも)の声は、リビングに漂う柔らかな間接照明の温もりに溶け込むように、だらりと流れてきた。窓の外はすっかり夜の帳が下り、オレンジがかった街灯の光が曇りガラスにぼんやりと映り、外界との境界線を曖昧にしていた。

部屋にはテレビが小さな音でバラエティ番組を流し、時折爆発する観客の笑い声が、逆に室内の静けさを際立たせていた。

彼女は高級感のあるブラウンのソファに深々と沈み込み、細くしなやかな足を組んでいた。片手でリモコンを無造作に弄りながら、もう一方の手は抱き枕をぎゅっと抱きしめている。

柔らかな光が彼女の長い睫毛に落とす影が、退屈さと確かな空腹感を複雑に醸し出していた。壁にかかった猫型の置き時計が、規則正しくチクタクと時を刻む音が、かすかに聞こえる。


「そうだな、そろそろ晩御飯にしようか」

舎人(とねり)は流れるようにキッチンカウンターへと移動した。

スムーズな動きは日々の習慣を物語っている。冷蔵庫の大きなステンレス製の扉を開けると、白い冷気がふわりと立ち上り、覗き込む彼の顔を冷やした。

中には、消費期限が明日に迫った半端な量の市販惣菜パック、パック売りの卵(2個だけ残っている)、ヨーグルト(賞味期限は微妙にあと3日)、カット野菜の袋(少ししなびている)、そして何より目立つのは、冷凍庫にぎっしり詰まった緑色の「グリーンガーデン」シリーズの冷凍食品のパッケージだった。

ありきたりで、どこか寂しい光景が広がる。

「羽衣、何か食べたいものある? 今日はちょっと時間もあるし、特別リクエスト受け付けるぞ」

声は明るく装っていたが、冷蔵庫の内容物を見つめる彼の目には、焦燥の色が一瞬走った。冷凍食品の山が、罪悪感のように迫ってくる。


「美味しければ何でもいいよ」

羽衣の視線はテレビの画面に釘付けだった。人気タレントが意味ありげにドッキリを仕掛けるシーンを、虚ろな目で眺めている。

ソファのふかふかのクッションに全身を預け、まるでそこに吸い込まれてしまいそうなほどの脱力感があった。返事は完全に流されていた。彼女の空腹は確かなものだが、選択肢への興味はゼロに近い。


「それは返事になってないよ」

舎人は冷蔵庫の扉をバタンと力強く閉めた。その鈍い音が、少しだけ彼自身の気持ちを落ち着かせてくれる気がした。唇に苦笑いが浮かぶ。

「じゃあ、定番の肉じゃがはどう? 野菜もたっぷりだし、体にも優しいし、お兄ちゃん特製のやつだぞ」

彼はわざとらしく拳を握りしめ、胸を張ってやる気を見せてみせる。これが一番手っ取り早く、冷凍庫の在庫を減らせる手段だ。

心の奥では「早くこの話題を終わらせたい」という思いが渦巻いていた。


「ええ、もうやだ!」

羽衣は大きなため息とともにソファから上半身を起こした。まるで重い鎧を脱ぐかのように。呆れきったような、少し哀れむような目つきで舎人を見据える。

「何回食べたと思う? 今月だけで何度目よ? カレンダーに肉じゃがマークでも付けとく?」

彼女の指がテーブルの上をトントンとリズミカルに叩く。


「何回って…まだ十回くらいじゃない? 一ヶ月のうちに十食だとしても、一日三食計算すると…」

舎人は指を折りながら、明らかに無理のある理屈をこね始めた。

「割合的にはまだまだ余裕があるってことだろ? だいたい、肉じゃがは日本のソウルフードだぜ?」


「もう十回だろ! 飽和状態ってやつよ! 味覚の限界突破してるわ!」

羽衣は声をわざとらしく張り上げた。リビングの静けさを鋭く切り裂くその声に、テレビの笑い声もかき消されたようだった。

「舌の受容体が肉じゃがの味を完全に記憶しちゃって、もう感動がゼロなの! お兄ちゃんの『愛情』も、電子レンジのスイッチを押す時の『ピッ』っていう音で終わってるわ!」

彼女は大げさに首を振り、長い髪が肩にかかる。


「でもさ、肉じゃがっていろんなメリットがあるだろ」

舎人はキッチンカウンターに肘をつき、必死に弁護に乗り出す。身振り手振りを大きくしてみせる。

「栄養バランスも文句なし! タンパク質、ビタミン、食物繊維…オールマイティだし! 作り方も至ってシンプル。牛肉と玉ねぎ、にんじん、じゃがいもを鍋にぶち込んで、砂糖と醤油とみりんの黄金比率でグツグツ煮込むだけ。手間いらず、時短の極致! これこそ現代の忙しい男のための究極の家庭料理ってわけさ!」

彼は「グツグツ」という擬音を特に強調した。


「なに、その料理方法雑すぎじゃない?」

羽衣は眉の根を寄せ、まるで初めて聞く奇説でも聞いたかのような、顎が外れそうなほどの呆れ顔を浮かべた。

「『ぶち込む』? 『グツグツ』? よくまあ、そんな厨二病全開の幼稚園児レベルの表現で、まともな料理を作れるって言い切れる神経が信じがたいというか…」

彼女は一呼吸置き、目を細めた。

「…むしろ、その開き直りと効率化への執着、哀れですらあるわ。愛情のカケラも感じられないわね」


「いや、それほどでも。これも一種の才能、合理的思考と効率化の美学の結晶だと思って慕ってくれてもいいんだけど」

舎人は胸を張ってみせたが、その目は明らかに泳いでいた。冷蔵庫の冷凍庫をちらりと見る。


「いや、褒めてないから。完全にディスってるの。皮肉ってわからないの?」

羽衣の声は冷蔵庫の冷気よりも冷たく、鋭く突き刺さる。

「結論。肉じゃがはナシ。絶対ナシ。永久にナシ。今月はおろか、来月も再来月も、少なくともこの半年はナシでお願いします」

彼女は手のひらをピタリと前に突き出し、拒絶の意志を示した。


*****

「しょうがないな~」

舎人は乱れた髪をかきむしり、脳内のレシピデータベースを必死に検索した。冷凍食品のバリエーションを思い浮かべる。代替案…代替案は…。

「じゃあ、生姜焼きはどう? あの甘辛いタレがご飯にめっちゃ合うやつ。今日は気合い入れて、ちょっと手の込んだ感じで作ってやるよ」

少し強気に出てみた。冷凍の生姜焼きのパッケージを思い浮かべる。


「生姜焼き?」

羽衣の目がかすかに、ほんの一瞬だけ輝いた。宝石のような瞳がキラリと光る。

上体をさらに起こし、ソファの背もたれから離れて舎人の方をまっすぐ見た。期待の微光が浮かぶ。

「ふーん…生姜焼きね…」

彼女の口元がほんのり緩んだ。これは…イケるか? 肉じゃが以外の選択肢が提示された安堵感。


「そうそう! 新鮮な生姜の絞り汁をたっぷり加えた、醤油とみりんと砂糖をベースにした特製タレに、薄切り肉をじっくり…最低でも30分は漬け込んで…」

舎人は調子に乗って、料理本さながらの詳細な解説を始めた。冷凍食品の説明書きをそのまま口にしているような気がしないでもない。


「知ってるよ、生姜焼きくらい。説明しなくてもいい。小学生かよ」

羽衣はすぐにツッコミを入れたが、その口調には若干の期待と、どこか諦めが混じっていた。彼女はソファから立ち上がり、キッチンカウンターに近づく。

「で? その特製タレ、ちゃんと生姜すりおろして作るの? 市販のチューブとか使わない? あと、肉はちゃんと脂身の少ないロースとか使うんでしょ?」

彼女の目が真剣に舎人を問い詰める。カウンターに手をつき、前のめりになる。


「いや…そのプロセスが結構めんどくさいからな…」

舎人は無意識に目をそらした。冷蔵庫のドアが気になる。冷凍生姜焼きの存在が頭をよぎる。

「効率的に考えて…肉をフライパンで焼き色がつくまでじっくり焼いた後に、市販の…えーと…質の良いバーベキューソースをぶっかけて、さっと混ぜれば、十分それっぽく…いや、むしろオリジナリティあふれる『舎人風』に仕上がるはず…」

声は次第に小さくなり、最後はほとんど独り言のようだった。


「…………」


羽衣は完全な無言になった。まるで時間が止まったかのような重い沈黙がリビングを支配した。彼女はゆっくりと、まるで忍び寄る肉食獣のように、キッチンカウンターまで数歩踏み出す。足音だけがフローリングに響く。

舎人の真正面に立つと、顔をわずかに上げ、彼の目をまっすぐ見据えた。その深い紫色の瞳の奥には、呆れを通り越した、ある種の哲学的問いのようなもの、生命の根源を疑うような光が浮かんでいる。まるで未知の生命体を解剖する科学者のまなざしだ。


「あなた…」

羽衣の声は低く、静かでありながら、研ぎ澄まされた刃のように舎人の鼓膜を深く抉る。

「…それでも人間ですか? 生物学的にはヒト属ヒト種に分類されるの? それとも新種の『手抜き料理亜種』とか?」


「人間を超えた存在…時短と効率化を追求する高次生命体という可能性は、否定しません」

舎人は弱々しく、自嘲気味の笑いを漏らした。完全な守勢。背筋に冷や汗が伝うのを感じる。羽衣のオーラに押し潰されそうだ。


「かっこつけるんじゃないよ」

羽衣の指がカウンターをコツンと鋭く叩いた。その音が緊張を高める。

「これはただの焼いた豚肉に、コンビニで買った安物のバーベキューソースをかけただけじゃないの。こんなの生姜焼きじゃないわ。生姜焼きという概念そのものに対する冒涜よ。生姜焼きさんに土下座して謝りなさい。せめて名前を変えなさい、『バーベ肉のたれかけ』とか『時短肉テリテリ』とか」

彼女は手を広げ、大げさに提案する。


「そこまで言うなら…確かにこれは伝統的な生姜焼きとは呼べないな」

舎人は開き直るように肩を大きくすくめた。虚勢を張るしかない。

「じゃあ、『舎人特製・時短ジンジャーグリル ~BBQソースの新風~』ってことで。どうだ、羽衣? 響きも悪くないだろ? むしろ新しい境地を切り開いてる感あるぜ」無理やり笑顔を作る。


「ごまかさないで」

羽衣は深い、深いため息とも怒りの吐息ともつかない息を吐いた。肩が大きく上下する。

「なにが『特製』だよ。ただの既製品の味の組み合わせじゃない。これこそが『料理』という崇高な行為の名を借りた、怠惰と虚偽の冒涜よ」

彼女の指が舎人の鼻先を指す。

「これもダメ。次。ほかのものを考えなさい。今度こそまともな、魂のこもった、手間ひまかけた料理の提案を期待してるわ。『冷凍』とか『レトルト』とか『ソースでごまかし』

とかいう単語が脳裏をよぎる提案は却下よ」条件を厳しく付加する。



「わがままにもほどがあるぞ!」

舎人の声に、ついに本物のイラつきと疲労がにじんだ。カウンターの端を握りしめる指の関節が白くなる。

「あれもダメ、これもダメ! わがままのデパートかよ! わがままの百貨店か! 俺の料理センスと誠意をここまで貶めるとは、心が折れるぜ!」

彼はカウンターをバンと叩いた。食器がわずかに揺れる。


「誰がわがままだよ!」

羽衣も負けじと声を荒げた。頬をぷくっと膨らませ、猫のように鋭い目つきで舎人をにらみつける。両手を腰に当てる。

「お兄ちゃんだけには言われたくないな、同じ冷凍…もとい、同じ『手抜き料理』を十回も平気で出すような人に! バレバレなんだから潔く認めなよ!」

「冷凍」という言葉を咄嗟に飲み込んだが、舎人には伝わっていた。


「だいたいお兄ちゃんの料理って、魂がこもってないのよ! 超絶適当すぎるんだよ! 愛情がスカスカ! まるで給食センターの大量調理みたい!」

羽衣は追い打ちをかけるように指を突きつけた。その指先が舎人の鼻先でわずかに震えている。怒りと、どこか寂しさが混じっているように見えた。


「うるさい! 適当じゃないって! ちゃんと考えて作ってるんだよ!」

舎人は思わずキッチンカウンターをもう一度バンと叩いた。鋭い音が響き、テレビの音声をかき消した。

「これが男の合理的クッキングだ! 無駄を省き、時間を節約し、結果を出す! 文句あるなら自分で作ってみなさいよ! 毎日献立を頭を捻って考えて、スーパーで値段を見比べながら材料買って、包丁持って調理して…その労力と時間を舐めんな! 料理を作るのって、思ってる以上に精神的にも肉体的にも大変なんだよ! 特に毎日続けるとな!」

彼は必死に料理人の苦労をアピールする。その苦労の中身が冷凍庫開閉と電子レンジ操作だという事実は胸の内にしまっておいて。


*****


「……お兄ちゃん」

羽衣の口調が急に変わった。先ほまでの怒りと毒舌が嘘のように消え、真剣な、むしろ憂いを含んだような深い眼差しで舎人を見つめる。その豹変ぶりに、舎人は一瞬たじろいだ。危険を感じる。


「な、なに?」

警戒しながら、舎人は無意識に一歩後ずさった。羽衣のこの表情は、何か大きな落とし穴の前触れにしか思えなかった。彼女が真剣な時ほど恐ろしい。


「お兄ちゃん、知ってる?」

羽衣はゆっくりと、一つ一つの単語に重みを込めて言った。まるで大事な秘密を打ち明けるように。

「今の時代、料理ができる男子って、めっちゃモテるんだよ。SNSでも『料理男子』タグが流行ってるし」


「…へえ」

舎人は意味がわからず、曖昧に相槌を打った。話題の急転に戸惑っている。


「たとえ私みたいな、世界一可愛くて最高の妹がいてもね」

羽衣はわざとらしくウインクし、いたずらっぽく舌を出した。

「やっぱり将来の彼氏や夫の候補としては、ちゃんと包丁を握れて、火加減を見極められて、愛情込めた料理を作れる男の方が断然評価が高いのよ。見た目も大事だけど、毎日の食卓を温かく、美味しく支えられるスキルって、結局一番大事なんだよね。つまりさ…」

彼女は舎人に一歩、また一歩と近づいた。距離が詰まる。

「これは試練なんだよ。お兄ちゃんが一人前の男として、将来のパートナーに選ばれる存在になるための、大切な試練。私が厳しいけど愛のある審査官になって、お兄ちゃんの本物の料理スキルを根気よく、時に厳しく磨いてあげるの」

彼女は胸に手を当て、いたって真剣な表情で宣言した。


「……一理あるけど」

舎人は思わずうつむいた。羽衣の言うことは突飛で生意気だけど、どこか核心を突いていてグサリとくる気がした。冷凍食品の山が頭をよぎり、罪悪感がじわじわと。



羽衣の指が舎人の顎をそっと、しかし確実に持ち上げた。逃げ場を完全に断つ。

「私の目をしっかり見て、心から言って。お兄ちゃん、この私が課す厳しいけれど愛に満ちた料理の試練、受けて立つって言って」

彼女の瞳は真剣そのもので、舎人の心の奥底を見透かすようだった。


「………………」


舎人は沈黙した。キッチンの壁掛け時計の針が動く「チク、タク、チク、タク」という音だけが、異様に大きくリビングに響く。

羽衣の真剣な瞳に映る自分の姿が、情けなく、みすぼらしく見えた。冷凍食品への依存、料理への無関心…それらが突きつけられるようだった。


「…まあ、とはいえ」

舎人はようやく口を開いた。声は少しかすれ、どこか詰まっているようだった。

「俺の料理、そこまで不味くないはずだろ? 確かに…『効率的』すぎるかもしれないけどさ。手抜きってわけじゃないんだ」

彼は顔を上げ、羽衣をまっすぐ見た。目尻がわずかに下がり、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「でもな、お前も今まで、文句ひとつ言わずに、全部きれいに平らげてくれたじゃん。おかわりしてくれた日もあったよな? それだけでもさ…」

舎人は言葉を探すように一瞬間を置いた。

「…作った甲斐があったって思えたんだよ。正直、ありがとう、羽衣。文句は多いけど、俺の適当…いや、俺の料理を食べてくれるお前がいてくれて、本当に助かってるんだ」

彼は心からの感謝を込めて言った。冷凍食品であっても、食べてくれる人がいることへの感謝は本物だった。


「…まあ、そうね」

羽衣は少し顔を背け、口をとがらせた。しかし、その耳元がほんのりと、しかし確実に赤くなっているのが見て取れた。

照れ隠しに抱き枕をぎゅっと抱きしめ直す。

「だって…冷凍食品とかレトルトとか、素材そのものがある程度ちゃんと美味しくなるように作られてるんだから、そりゃ普通に食べられるわよ。だってプロがレシピ考えてるんでしょ? お兄ちゃんが『作った』ってのは詐欺レベルだけど」


**ガチッ!**


舎人の足が、床に釘付けにされたかのように固まった。全身の血液が一瞬で足から頭へ、そしてまた一気に引いていく感覚。顔面が蒼白になるのが自分でもわかった。心臓がドキンドキンと高鳴り、鼓動が耳元で響く。


「あら~、私が言った通りだね」

羽衣の口元が、ゆっくりと、不気味なまでに大きく歪み、悪魔的な笑みへと変貌した。それは今まで見せたことのない、どこか狂気を帯びた笑みだった。

目は全く笑っておらず、冷たい観察眼と、見つけ出したという優越感で舎人を捉えている。口元だけが不自然に吊り上がる。


「な、なに…?」

舎人は喉がカラカラに渇き、声がひっくり返るようにうわずった。羽衣のその表情と、発せられた「冷凍食品」という言葉に、本能的に生命の危険を感じた。背筋に冷たい汗が伝い、背筋が凍りつくのを感じる。頭が真っ白になる。


「何を言ってるんだ、羽衣? 冷凍食品? ふっ、何の冗談だよ。そんなわけないだろ?」

必死に平静を装おうとしたが、声の震えと額ににじむ脂汗がすべてを物語っていた。顔の筋肉が引きつる。

(やばい…まさか…バレてたのか…? どうして…?)



「とぼけても無駄よ、おーにーちゃん」

羽衣の声は低く、甘ったるいほどに危険な響きを帯びていた。ゆっくりとポケットからスマートフォンを取り出し、画面のロックを解除する指の動きが意図的に遅い。

その行為自体が威圧だった。そして、明るく光る画面を舎人の眼前に突きつける。

「今までずーっと。私がお兄ちゃんの『心を込めた手料理』だと思って、ありがたく?食べてたあれこれ。全部、冷凍食品とかレトルトとか、電子レンジでチンするだけの、あの哀れなアレでしょ? お兄ちゃんの『料理』ってやつは」

彼女の言葉には侮蔑がたっぷりと混じっている。


「………なにを言ってるんだ? そんなことあるわけないだろ…俺が毎日頑張って作ってるのに…」

舎人の顔がさらに強く引きつった。脳内で必死に言い訳を編み出そうとするが、恐怖で思考が停止し、空白が広がるばかりだった。唇が乾く。

(しまった…まさか証拠まで…?! どうやって…?)


「あら~あら~、どうしたのお兄ちゃん? 急に青ざめちゃって。頭の中が真っ白~? 冷凍庫が開いちゃいそうな顔してるよ」

羽衣は心底楽しんでいるかのように、軽やかで嘲るような口調で舎人を弄ぶ。しかし、その笑顔の奥に潜む冷たさと怒りは、むしろ増しているように感じられた。捕らえた獲物を弄ぶ猫のようだ。


「…証拠だ」

舎人は最後のあがきのように、かすれ、震える声で言い放った。喉が焼けるように渇いていた。

「全部冷凍食品だって言うなら、確実な証拠を出してみろよ。口で言うだけなら誰でもできるだろ? 写真かなんかか? それとも妄想?」虚勢を張る。


「いいだろう。お望みなら、証拠をたっぷりと、しかもハイクオリティでお見せするわ」

羽衣は誇らしげにスマホの画面をスワイプした。画面の明るさが最大になり、舎人の青ざめた顔を浮かび上がらせる。

「これ、見覚えある? お兄ちゃんのベッドルームのプライベートスペースにある、あの汚いゴミ箱の風景」


「こ……これは!!」

舎人の目が点になった。瞳孔が開く。画面には、見慣れた緑色の長方形のパッケージが大写しに映っていた。間違いなく「グリーンガーデン 牛肉と野菜の肉じゃが」の空き箱だ。しかも、明らかに自分の部屋の、漫画の雑誌が半分突き出たゴミ箱が背景に写り込んでいる。ゴミ袋の色まで一致する。


「これはね、昨日のお兄ちゃんの部屋のゴミ箱から発掘された、貴重な考古学的遺物よ。妹の清掃活動の成果の一つ」

羽衣は鼻で冷たく笑った。

「直接触るのは衛生的にも気分的にも嫌だったから、念のため高画質で写真保存しといたの。タイムスタンプもバッチリ。これで証拠物件その①」

彼女は証拠品を提示する検事のようにスマホをひらりと回す。


「待て、待て待て待て!」

舎人は声を荒げ、思わず羽衣のスマホに手を伸ばそうとしたが、彼女は素早く引っ込めた。

「なんで勝手に俺の部屋に入るんだ?! プライベートスペースへの不法侵入だぞ! 個人の尊厳の侵害だ!」プライバシーを盾に反撃する。


「掃除してるだけよ、勘違いしないで。お兄ちゃんの部屋、埃まみれの同人誌の山とか、空のジュース缶とか、掃除しないじゃん。妹の献身的な親切心が不法侵入? 傷つくなあ。ゴミ屋敷化を防ぐエンジェルよ?」

羽衣は涼しい顔で言い放ち、またスマホをスワイプした。画面が切り替わる。

「で、これが証拠物件その②、その③…お兄ちゃん、毎日コツコツ記録してたんだね」


画面には、同じ冷凍肉じゃがのパッケージが、日付入りで次々と表示されていく。昨日、一昨日、三日前…まるで連続殺人事件の被害品を時系列に並べる警察の資料のようだった。ゴミ箱の様子や部屋の背景から、確かに舎人の部屋で撮られたものだとわかる。


「…四日前、五日前…ふふ、ここからは連続記録ね。合わせて十日分。毎日コンスタントに肉じゃが御用達の『グリーンガーデン』シリーズを愛用してたみたいだね。まるで契約栽培してるみたい」

羽衣はスマホをくるっと回し、完全に法廷で証拠品を提出する検事のようだった。

「これが揃うと、もう否定のしようがないよね? お兄ちゃん~。これが『愛情込めたお兄ちゃん特製手料理』の正体? 電子レンジの温めスイッチを押す愛情?」

彼女の嘲笑が突き刺さる。


「さてと」

羽衣はダイニングテーブルの椅子を引いて、優雅に座った。足を組み、女王が臣下を見下ろすような鋭い眼光を舎人に浴びせる。そのオーラは完全に尋問官、いや、裁きを下す裁判官そのものだ。

「説明してもらおうか、舎人容疑者。つまり…かわいい妹を欺いてまで、『料理できるお兄ちゃん』という見せかけのプライドを守りたかったってこと? 虚栄心? それともただの手抜きの言い訳?」


「いや、そういうことじゃ…」

舎人は必死に首を振った。言葉が続かない。


「はっ!」


羽衣の目つきが一瞬で豹変した。目に見えない殺気とも言える圧倒的な圧力が、リビングの空気を歪ませ、重く淀ませる。

舎人は思わず背筋をピンと伸ばし、反射的に叫んだ。

「すみません! ごめんなさい! すべて認めます!」

白旗を掲げる。


*****


「ハァ~、まったく…」

羽衣は深い、深いため息をつき、天井を見上げた。失望と呆れが入り混じっている。

「なんでそんなことするの? 男って本当にめんどくさい生き物だわ。見栄? 虚栄心? それともただ妹にバカにされたくないだけ? 『料理できるお兄ちゃん』って幻想にすがりたかったの?」

彼女は舎人の心理を鋭く分析する。


「返す言葉もない…」

舎人はうつむいた。額に脂汗がにじみ、床に落ちる。

「…わかった。償うよ。お詫びに…羽衣が欲しがってたあのソシャゲのガチャ、一万円分くらい回してやるよ…」金で解決を図ろうとする。


「課金代?」

羽衣は首をかしげた。その動きが逆に恐ろしい。猫が獲物を狙う時のようだ。

「課金代はともかく…ね、お兄ちゃん?」彼女の声がさらに低く、危険な甘さを帯びる。

「…まだ何か、隠してることあるんでしょう? 冷凍食品で浮いたお金の行方とかさ…」

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