羽衣の帰還と兄妹の大乱戦最強妹は三次元でも無敵でした
「ただいまーっ!!!」
玄関のドアが風圧で跳ね上がり、その隙間から弾丸のように飛び込んだのは、夕焼けを背にした大島羽衣の姿だった。制服の裾が大きく翻り、リビングに漂う穏やかな空気を一瞬で引き裂く。
その甲高い声は、静寂に慣れた大島家の空間を震わせた。
「お兄ちゃん!あなたの世界に100万年に一度現れるかもしれない奇跡の美少女にして、究極の妹属性を完璧に具現化した存在、大島羽衣が聖なる帰還を果たしましたぞ!光あれ!」
羽衣は片手を腰に当て、もう一方の手で天を指すドラマティックなポーズを決めながら、意図的にコートを大きくはためかせる。
幾つかの教科書がカバンからこぼれ落ちたが、彼女は全く気にしていない。
一方、リビングのソファに深々と沈み込んでいた兄の舎人は、最新型のゲーミングスマホを両手で鷲掴みにし、高性能ヘッドセットから漏れる仲間の熱狂的な指示に耳を傾けていた。
画面にはファンタジー世界が広がり、キャラクターたちが魔法の応酬を繰り広げている。
「あー、おかえり…今、マジでギルド戦のクライマックスなんだ…!」
舎人は指を画面の上で高速にスライドさせ、必殺技の発動モーションを連打しながら、ろくに妹の方も向かずに応答した。額には必死の汗が光っている。
《舎人!左の廃墟の陰から、敵アサシンが急接近!スキル予兆は『闇走』だ!》
ヘッドセットから仲間の緊迫した声が飛び込む。
「了解!喰らえ…『刹那永久凍土陣』!」
舎人の叫びと同時に、スマホ画面が青白い氷結のエフェクトに包まれ、敵の動きを封じる。冷気が画面から漏れ出してきそうなほどの迫力だ。
「ふん!お兄ちゃんの『妹無視モード』には、この羽衣様特製の秘技でお仕置きよ!」
羽衣は鼻を鳴らすと、カバンの中を探り、キーホルダーとしてぶら下げていた小さなフィギュアを取り出した。妖精を模したその樹脂製の小さな人形は、翼の部分が妙に光沢を帯びている。
彼女は素早くソファに近づき、舎人の必死に凝視するスマホ画面の真ん中に、そのフィギュアをそっと、しかし確実に滑り込ませた。
「なっ!?おい、何すんだよ!?画面真っ白じゃねーか!?妖精…?」
舎人が慌ててフィギュアを払いのけようとするが、画面は反射光で白く曇ったまま。
「妖精さんが、『お兄ちゃんは妹と向き合うべきだ』ってお説教しに来たのよ~」羽衣はいたずらっぽく舌を出した。
《舎人!?今の奇声は!?敵の新スキルか!?》ヘッドセットから仲間(どうやら『鏡』という人物らしい)の焦りの声が響く。
「あー…悪い、妹がさ…ちょっかい出してきて…」
舎人は呆れたように首を振る。
《えええぇ!?妹様がいらっしゃったのですか!?それはそれは!》
鏡の声が一転して興奮気味になる。
「まあな、でもな…」
舎人は思わず本音とも冗談ともつかない呟きを零してしまった。
「現実の妹ってのはな…うるさいしわがまま、外じゃ別人みたいにいい子ぶるし…正直、二次元の妹キャラには敵わねーよ、可愛くないんだよね」
「…………」
リビングの気温がみるみる下がった。まるで舎人が発動したはずの『永久凍土陣』が現実に侵食してきたかのようだ。
羽衣の煌いていた笑顔が、カチン、カチンと音を立てて凍りついていく。頬の筋肉が微かに痙攣している。
「お兄ちゃん…今…何て言った?」
羽衣の声は、氷点下のように滑らかで冷たい。目は舎人の背中を、鋭い針のように貫く。
《やはり…やはりですな舎人! 二次元にこそ妹の理想形が! その可憐さ、無償の献身! 三次元の妹ごときが及ぶべくもない…!》
鏡の熱弁がヘッドセットから爆発する。
「だよな? まあ妹の話は置いといて…今の戦況は…」
舎人が再び画面に集中しようと身を乗り出したその瞬間──
**ドカッ!!**
「ぐはあっ!?」
羽衣の放った、鍛え抜かれた新体操部員ならではの回し蹴りとも言えるハイキックが、舎人の背中に豪快に炸裂した。
彼の体はソファから浮き上がり、無様にリビングのフローリングに叩きつけられる。スマホは宙を舞い、ヘッドセットのコードがもつれた。
《舎人!? 今の鈍く重い衝撃音は何だ!? まさか敵の『地裂衝』を喰らったのか!? 舎人!応答を!》
鏡の悲痛な叫びだけが、突然の静寂に残されたリビングに響いた。
* * * *
「うっ…頭が…砕けたかと思った…」
鈍痛と吐き気に襲われながら、舎人がゆっくりと瞼を開ける。ぼやけた視界が次第に焦点を結ぶと、そこには逆さまの羽衣の顔があった。
彼女は床に座り、舎人の頭を自分の膝の上に優しく──しかし逃げられないように──固定している。
「お目覚め? どう、気持ちいい膝枕だった?」
羽衣の声は砂糖を溶かした蜂蜜のように甘ったるい。しかし、舎人の制服の襟元を弄ぶその指先は、ほんのわずか、しかし明らかに震えている。
「心臓が止まっちゃうかと思ったわ、本当に…」
その言葉の裏に、怒りと心配が入り混じっているのが分かる。
「…羽衣? なんで俺が床に…?」
舎人が体を起こそうと力を入れた瞬間、羽衣の手が素早く蛇のように彼の胸元に伸び、強く押さえつけた。
「動かないでって言ったでしょ!だって…」
突然、羽衣の声の温度が急降下し、針のように鋭くなった。
「お兄ちゃんの心の声、全部筒抜けなの、知ってる?」
◆ **記憶の断片が舎人の脳裏を駆け抜ける**
視界の端でチラつくスマホの画面…『神撃のバハムート』のギルド戦…仲間の鏡の声…フィギュアが滑り込む白い光…そして背中を襲った衝撃と、意識が遠のく感覚…。
「…鏡とギルドボス戦の最中だったはず…」記憶は霧の中のようだ。しかし、確かな違和感が頭をもたげる。
「待てよ…後頭部に鈍い痛みが…まるで…誰かに思い切り蹴られたみたいな…」
「まさか…」舎人がゴクリと唾を飲み込む。
視界の端で、羽衣のスカートの裾にほんの少し付いた埃のようなものが目に入った。「お前…まさか…お前…」
(羽衣が突然、舎人の頬を両手で掴むように挟み、目と鼻の先まで接近する)
「私の膝枕、気持ちよかった?」
吐息が舎人の唇にかかる。甘いイチゴのリップの香り。
「雲みたいにふわふわだった?それとも…」
羽衣の右手が舎人の胸をゆっくりと這い上がり、服の第二ボタンのあたりで、意味ありげに止まる。
「この…高層ビル級の『障害物』が気になって、集中できなかった?」
◆ **舎人の脳内パニック・緊急会議**
[理性] 警告! 倫理規定違反! 妹への恋愛感情は絶対禁止! 社会のルールだ!
[本能] 理性沈黙せよ! 眼前に広がる桃色の雲…これは生存戦略上重要な観察対象だ…!
[直感] おい待て! さっきの記憶…後頭部の痛みは確実に外部からの物理的衝撃だ! この甘い罠の前にも事実はある!
「待て待て待て待て!!」
パニックに陥った舎人は飛び起きようともがくが、額が羽衣の胸にドンとぶつかり、逆にその柔らかな感触を強く意識してしまう。
「お、お前…まさか読心能力でも覚えたのか!?それともこの痛みでテレパシーが開眼したとか!?」
(羽衣がケタケタと高らかに笑い、乱れた制服の胸元を優雅に整える)
「能力なんて大げさなもの、必要かしら?」
彼女の指先が舎人の鎖骨の窪みを、蝶が舞うように撫でる。
「お兄ちゃんの耳朶の温度が測定可能な速度で上昇中、推定3.2度上昇。瞳孔の拡大率は平常時の140%を超え、心拍数は運動後レベル…そして何より…」
(羽衣が突然、舎人の右手首を鷲掴みにし、自分の左胸の上へ、ズシリと重みを感じるほどに押し当てる)
「今、このドキドキ…感じる?」
羽衣の声は震えているが、その瞳には危険なほどの決意が煌めいていた。
「全部…お兄ちゃんのせいよ」
「羽衣…そ、それは…」
「…いや、やっぱりやめておきましょう。甘い時間はここまで」
「???」
羽衣の声から一瞬で甘さが消え、冷たい鋼のような緊張感が張り詰めた。舎人は本能の警鐘を聞き、慌てて膝枕から逃げ出そうとしたが、その刹那──
「そこに、座ってなさい」
背後から鋭く手首を掴まれた。その握力は尋常ではなく、同時に背筋を凍らせるような、本物の殺気が羽衣の全身から漂っている。舎人は反射的に、まるで操り人形のように、床に正座に近い形で座り直した。
「な、何の話だ…? 羽衣…?」
震える声が無意識に漏れる。眼前に立つ妹は、普段の猫を被ったような無垢な表情は微塵もなく、獲物を狙う蛇のように冷徹で、底知れない怒りに満ちた眼差しを舎人に注いでいた。夕日が彼女の紫色の長髪を炎のように染めている。
「私は…『うるさくて、わがままで、外では猫かぶるし…まったく可愛くない妹』だったのね」
羽衣が一字一句、氷の刃で刻むように繰り返す。
舎人の息が完全に止まった。顔から血の気が引くのが自分でも分かる。
(まさか…あの時の独り言を!? あのヘッドセット…!?)
「……全部、聞いてたのか」声がかすれる。
「そうよ。全部、完璧に」羽衣の返答は簡潔で重い。
重苦しい沈黙がリビングを支配する。頭の中を駆け巡る推測が、口をついて飛び出した。
「待てよ…ってことは、さっき俺を気絶させたのも、お前の──」
「うるさい!!」
羽衣の怒声が鋭く跳ね、舎人は思わず背筋をピンと伸ばした。彼女の目尻に、悔しさのあまりの微かな涙が光っている。
(やばい…マジでやばい…この眼光…冗談じゃなく殺されるかも…)
舎人の喉がカラカラに渇く。羽衣の瞳には、理性の埒外にある、純粋な傷ついた妹の怒りと悲しみが渦巻いていた。
「あの…羽衣? ちょっと…落ち着いて?」必死に平静を装う声が裏返る。
「なに? 言い訳でもしてみる? 今の『可愛くない』発言に?」
羽衣が一歩近づく。その圧迫感に押し潰されそうになり、舎人は思わず土下座同然に頭を深々と下げた。
「ごめん! 本当にごめん! あれは…あれはノリなんだ! 軽いノリで言っただけ!」必死に言葉を紡ぎ出す。
「だって…鏡のやつ、ガチのシスコン疑惑あるし…お前のこと…本気でどう思ってるかなんてバレたら…ギルド中が大騒ぎになる…体裁を繕うために…軽く流そうとしただけ…!」
「…ノリ?」
羽衣の低い声が、地響きのように舎人の鼓膜に直接響く。その声には、深く傷ついた信頼がにじんでいる。
(まずい! 言えば言うほど墓穴を掘ってる…! どうすりゃいいんだ…!? 正直に…?)
(…よし、覚悟を決めろ、大島舎人)
舎人は顔を上げ、逃げずに羽衣の瞳をまっすぐ見据えた。心臓がドクンドクンと耳元で鳴り響いている。
「俺は…」一呼吸置き、魂を込めて言葉を発する。
「お前のことを…『うるさい』とも『わがまま』とも思ったことなんて…一度もない」
目を逸らさない。
「お前は…俺にとって、かけがえのない妹だ。誰よりも…大切に思ってる」
言葉が震えたが、嘘ではないと自覚していた。
「…………」
羽衣がぱっと顔を背けた。肩が微かに震えている。
(やべぇ…超恥ずかしい…ドラマの主人公かよ…こんなセリフ本当に言っちまった…)
舎人の耳まで真っ赤に染まる。
一方、羽衣は俯いたまま、耳元が真っ赤に染まり、指先が微かに震えていた。唇をしっかりと噛みしめている。
(お兄ちゃんが…まともに…そんなこと言うなんて…信じられない…嬉しくて…今すぐ抱きついちゃいたい…ダメダメ…でも…)
二人の視線は絡み合わず、ただ重い空気と、互いの高鳴る胸の音だけがリビングに満ちた。
「…ねぇ、お兄ちゃん」羽衣が袖でこっそりと涙の跡を拭いながら、か細い声で口を開いた。
「…ん?」舎人もまだ緊張から完全には解けていない。
「さっき…『ノリ』って言ったわよね」俯いたまま、声はさらに小さくなる。
「…ああ」
「それなら…」羽衣は深く息を吸った。
「…今朝、お兄ちゃんが寝ぼけてた時に…こっそりキスしちゃったのも…全部、ノリだから」
顔を上げず、かすれるような声で付け加える。
「…ごめんね…お兄ちゃん」
「いや…」舎人は胸の内に湧き上がる複雑な感情を、苦笑いと共に吐き出した。
「こっちこそ…悪かった。あの悪口は…本心じゃない。『大切だ』ってのは…嘘じゃないんだ」言い切った後、少し気恥ずかしくなった。
「もう…分かってるってば! そんなこと言われたら…恥ずかしくて死んじゃいそうなんだから!」
羽衣が床をポンと叩き、顔を真っ赤にして反論する。そして──ほんの一瞬、舎人の目をチラリと見て、すぐに俯いた。
「…私だって…お兄ちゃんのこと…大事に思ってるもん…バカ」
最後の言葉は、ほとんど息を吐くような、蚊の鳴くような声だったが、それは確かに舎人の鼓動に刻まれた。
「あ、そうだ!」
舎人が突然、明るい声を張り上げて立ち上がった。場の気まずさを一気に吹き飛ばすためだ。
「まだ時間あるしさ、ついでに新しく買ったあの超激ムズ対戦ゲーム、お前に挑ませてやろうか?」拳を握りしめ、挑発的に笑う。
「ゲーム…? いいわよ!」
羽衣もぱっと表情を輝かせ、スッと立ち上がると同時に、乱れたスカートの裾をさっと整えた。目の周りの赤みはまだ少し残っている。
「でもまずは着替えるから…絶対に覗かないでよね?約束よ?」
「誰が覗くもんか! お前のそういうとこ、ほんとわがままだな!」舎人はわざとらしく眉をひそめる。
「え~? 小さい頃は一緒にお風呂入ってたくせに~? 『羽衣の背中流してあげる~』なんて言ってたくせに~?」
羽衣は悪戯っぽく笑いながら言い返す。
「十何年も前の話を今さら持ち出すなー! 早く行け行けー!」
舎人が手を振って追い払うように言うと、羽衣は「はいはい~」と軽やかに返事をして、リビングを出ていった。
羽衣がまるで踊るように階段を駆け上がっていく背中を見送りながら、舎人は胸の奥で鳴り止まない高鳴りを、そっと手のひらで押さえた。
あの激しい怒りも、甘ったるい仕草も、そして今の屈託ない笑顔も…全部が羽衣らしくて、なぜかほっとするのだ。同時に、鏡への言い訳が『ノリ』ではなかったことを、心の奥で認めていた。
* * * *
「よーし、覚悟はいい? 勝ったら何でも買ってあげるって言ったわね?」
コントローラーを握りしめた羽衣が、獲物を狙う猫のようにニヤリと笑う。画面には対戦キャラ選択画面が映っている。
舎人が鼻で高笑いする。
「プロゲーマー志望の俺様が、アマチュアのお前に負けるわけねーだろ? 次に俺が負けるのは、新作のVRMMOがリリースされた時だぜ」
その余裕たっぷりの言葉は、わずか30秒後、画面に大きく映し出された《KO》の文字と、羽衣のキャラの勝利ポーズによって、無残に打ち砕かれた。
「なっ!? 今のは…今のはラッキーパンチだ! 次は本気を見せてやる!」
舎人が慌てて再戦ボタンを押す。
「おやおや? プロ志望のくせに、ラッキーパンチで一撃KOされちゃうの?」
羽衣の指がコントローラーのボタン上で、まるで優雅な舞を踊るように高速で移動する。目つきは一変し、鋭く画面を貫く。
ラウンド開始3秒──舎人の選んだ巨漢キャラが、羽衣の軽快な回避動作の後、見事なアッパーで宙に浮かされる。
7秒──壁際に追い詰められ、壁バウンドを利用した羽衣の連続小技がヒット。
12秒──舎人が反撃の隙を探した刹那、羽衣のキャラが渾身の溜め動作に入り、「氷獄殺!」の叫びと共に、画面を青白い爆炎が包む必殺技が直撃。
《PERFECT VICTORY!》
「不可能だ…ありえん…! あの『氷獄殺』コンボ、理論上はガードか最速ジャンプでしか回避不能なのに…タイミング完璧すぎる…!」
舎人が震える指で再戦を選択するも、結果は変わらない。羽衣の操作は神がかっている。読心術かと思うほどの先読みと、ミリ秒単位の反応速度。
九連敗後のリビングは、夕焼けのオレンジ色に包まれた静寂に支配された。舎人が虚ろな目で、汗で濡れたコントローラーを呆然と見つめる横で、羽衣がゆっくりとソファから立ち上がった。窓から差し込む斜光が彼女のシルエットを浮かび上がらせ、長い紫髪を黄金に染めた。
「愚かなる兄よ…」
羽衣の声に、どこか異界から響くような荘厳な響きが宿る。彼女はゆっくりと振り返り、敗北の虚脱感に沈む舎人を見下ろす。
「お前は確かに天才…ゲームの才に恵まれた選ばれし者…」
その口調はどこか憐れみを含んでいた。
「だがな…お前は世間が言う『ただの天才』に過ぎなかったのだ。努力の果てにたどり着ける凡人の頂点…だがそれは所詮、凡人の領域だ」
羽衣が一歩前に踏み出す。その目は夕陽を反射して、非情なまでに輝いている。
「私を超えることなど…お前の小さな器では届きもしない。お前がどんな秘技、どんな奇策を用いようとも…」
彼女は右手をゆっくりと掲げる。
「この大島羽衣の眼前では、塵芥同然の効果しか持たぬ!」
「だが知るがいい…!」
突然、羽衣の声が雷鳴のようにリビングを轟かせた。彼女の全身から青白いオーラのようなものが迸り出る錯覚を覚えた。
「この大島羽衣こそが! 凡人の限界など最初から存在しなかった『規格外』なる至高の存在だと!」
ポーズが決まる。左足を大きく前に踏み出し、右手は天を、左手は地を指す。その目つきは研ぎ澄まされ、口元には神々しいとすら言える神秘的な微笑みが浮かんでいる。まさに絶対的な勝利者の姿だ。
「お前たち凡人が戯れに『ゲーム』と呼ぶこの仮想世界こそが──」
羽衣が深い息を吸い、最大の見せ場を宣言しようとしたその時──
「…実際にゲームなんだけどね」
ため息混じりの、呆れきったツッコミが炸裂した。
「!」
羽衣の完璧な勝利者ポーズが、一瞬だけ微妙に崩れた。目が泳ぐ。
ソファにもたれ、疲れ切ったように天井を見つめる舎人が、呆れたような口調で言う。
「で? 厨二病全開のセリフ、全部言い終わった?」
「…うん」
羽衣の声が急に小さくなり、トーンががくっと下がる。
「あのセリフさ…」舎人がパチンと指を鳴らす。
「『星刻の魔男』のOPソング『Break the Limiter!』の歌詞、そのまんまパクってね?」
「違うわ! それは『光の四騎士』の最終回で、聖王が魔王に対して…あっ!」
羽衣が咄嗟に口を押さえる。が、時すでに遅し。舎人の「やっぱりな」という、半ば諦め半ば愛おしむような視線を浴びて、顔が再び真っ赤に染まった。
「それにさ…」舎人は立ち上がり、羽衣の頭をゴシゴシと乱す。
「こんな恥ずかしいセリフ、よく平気で言えるな? 録画されてたら一生の黒歴史だぞ?」
「ぜっっっったいに恥ずかしくないわ! これは信念の表明よ!」
羽衣は頬を膨らませて抗議するが、耳まで赤い。
「はいはい、信念信念。」
舎人は苦笑いしながら手を離す。
「で、約束したことだ。勝ったら何でも買ってやる。何が欲しいんだ? まさかあの超高級な魔導書型メモパッドとか?」
「違うわ!」
羽衣はすっと舎人の前に立ち、真剣な眼差しを向ける。
「お兄ちゃんが約束したこと、忘れちゃだめよ?」
その目は、さっきまでの遊び心とは違い、確かな何かを求めている。
「…ああ。」
舎人は一瞬、何を指しているのか戸惑ったが、すぐに思い出した。キックされる前の、あのヘッドセット越しの会話。
「わかってる、わかってるよ。」
彼は少し照れくさそうに目を逸らした。
「…今度の週末、ちゃんと時間空けるからさ。どこか行きたいところ…あるだろ?」舎人が付け加えたのは、羽衣が以前、友達と行ったショッピングモールを羨ましそうに話していたことを思い出してのことだった。
羽衣の顔に、朝日のように眩しい笑顔が咲いた。それは、規格外の力を誇示した時とはまた違う、本当に嬉しそうな、妹の笑顔だった。
「約束ね!」