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立ち止まって、振り向いて3


 試合が終わり、ロビー画面に戻って来たところで、野島さんがボイスチャットツールに何かを書き込み、ヘッドセットを外してから、椅子ごとこちらを振り返った。


「勝った、お待たせ」

「いえいえ。大丈夫ですよ、もう一戦」

「いや、ちょっと離席するって言っておいた」

「お気になさらず」

「いや、ちゃんと話を聞かないと集中できない」

「同僚の私生活を問いただすおつもりで?」

「いやいや、気になるような言動を取った小山くんと葵ちゃんが悪い!」


 気になろうが何だろうが、わたしたちが付き合っていないことに変わりはない。


 確かに自宅マンションには頻繁にお邪魔している。平日でも休日でも、時間が合えば夕飯を作って、一緒に食べたりもしている。映画にも行くし、洗濯をしたりごろごろしたり、オンラインゲームで遊んでいるのを隣で見ていたりもする。それくらいだ。


「野島さんだって知ってますよね、あの人ゲームをしていると、食事も睡眠も取らないんですよ。気が向いたときに食べるのは、ハンバーガーやピザばっかり」

「うん、知ってる……」

「普通に考えて、身体に良くないじゃないですか。うちの会社にいたときからちょっとまずい生活をしているなって思っていたけど、ついに血尿が出て胃潰瘍になって転職したのに」

「それはそう」

「転職しても結局ゲームなんですもん。ほっといたら絶対孤独死しますよ」

「そうなんだよねえ……」



 小山桂輔さんは、うちの会社に常駐するシステムエンジニアだった。

 仕事で関わることはなかったけれど、休憩室で度々顔を合わせているうちに、会釈をするようになり、挨拶をするようになり、雑談をするようになった。

 切れ長の目に顎髭を生やし、常にローテンションの彼はなかなか近寄り難い雰囲気ではあるけれど、物知りで、話せば楽しい人だった。


 わたしより五歳年上の三十三歳で、身長は百八十センチもあるのに、猫より丸い猫背のせいでそんな風に見えない容貌をしている。けれどSEとしての技術も、コンピュータの知識も、誰よりも多く持っている人だと、同じく休憩室で仲良くなったらしい野島さん経由で聞いた。


 そして彼はゲーマーでもあった。システム開発という多忙な日々を送っていたとしてもゲームはしたい。その結果、食事も睡眠も掃除も洗濯も入浴も後回しになり、ついには身体を壊した。


 会社で会うたび「顔色が悪いなあ」と思っていたけれど、一段と悪い日に声をかけたら「なんか血尿出たわ」なんて言い出した。受診と検査を勧めたけれど、多忙の小山さんはそれすら後回しにし、ついに胃と腎臓をやられて倒れてしまった。


 入院先の病院にお見舞いに行ったら「今の仕事が一段落ついたら退職するわ」と言うから大賛成したというのに、「ゲームする時間が取れるところに転職する」と言うから大激怒した。

 そしてその勢いのまま、「連絡先を教えてください、小山さんがまた倒れて孤独死していたらいやなので、たまにご飯を作りに行きます」と押し切ったのだった。小山さんはベッドの上でぽかんとしたのち「あはは」と笑って、連絡先を教えてくれた。


 間もなく小山さんはうちの会社での仕事を終え、外部からの常駐SEとしてではなく、社内SEとして、別の会社に再就職した。社内SEは自社内でのシステム開発を行っているためわりと融通が利くらしく、彼はようやく「健康的な生活」を手に入れた。


 かと思われたが。どこまでいっても小山さんは小山さんである。多忙から解放されて頭がすっきりしたのか、曰く「集中力が増してめっちゃ勝てる」とのこと。勿論ゲームのことである。


 以前より睡眠時間も食事の量も増えているとはいえ、定期的に確認に行かなければ、安心してひたすらゲーム三昧の日々を送るだろう。それを防ぐために食事を作りに行くし、たまには日光を浴びさせようと外に連れ出すし、着替えがなくなるとすぐに新しく買おうとするから洗濯をして、埃を吸い込んで病気にならないよう掃除もするのだ。

 小山さんにとってわたしは、小言のうるさいお母ちゃん、のようなものだろう。


 だから野島さんが考えているような「何か」は、何もない。本当に、何もないのだ。悲しいくらいに……。



「今日は急に来てごめんなさい。いつもとは違う視点で、おふたりのゲームを観てみたかったんです」


 筋骨隆々な男性とスタイル抜群の女性が並んで映るモニターを見つめながらそう言うと、野島さんは首を横に振って苦笑した。


「小山くんの後ろじゃなく僕の後ろで見て、どうだった?」

「常々思っていたのですが、野島さんは回復アイテムを大量に持つ癖がありますね。応急処置キットも包帯もエナジードリンクも鎮痛剤も、これでもかってくらい拾って手持ちぱんぱんにして、ちょっとの怪我でもすぐ使っちゃいますね」

「やめて! 僕の分析しないで! だって心配じゃん、怪我したりエリアに飲まれたときのために備えなきゃ!」

「いいと思いますよ。前に、エリア外で応急とエナドリで耐え続けて、最後の最後に勝ったことがあるって、小山さんから聞きました。珍しく声を弾ませて、楽しそうに思い出し大笑いしてました」

「あったあった、二年くらい前の話だ」

「基本的にニュートラルな人なので、あそこまでの大笑いは貴重です。わたしではあの大笑いは引き出せません」

「葵ちゃんもゲーム始めてみればいいのに」

「わたしはゲームの才能がありません。前に小山さんと格闘ゲームをやったら、三十秒もかからず負けました」

「それはゲーマーの小山くんが、初心者の葵ちゃんに手加減してあげないのが悪い」


 けたけた笑う野島さんに「ですよね」と返してわたしも笑って、「でも」と続ける。


「来て良かったです。野島さんにはご迷惑をおかけしましたけど、いつもとは違う視点で見ることができて」

「うん、そうかもね」

「少し、迷っていたんです。半ば強引に連絡先を交換して、恋人でもないのに小山さんの世話を焼いて。ここ数ヶ月、わたしの視界には会社と自宅と小山さんの部屋しか入っていなかったから。視野が狭くなっているな、と。本当にこれでいいのかな、と。だからちょっと立ち止まって、振り向いてみることも必要かな、と」

「答えは見つかった?」

「野島さんのお部屋でふたりっきりでいるのは、とても緊張することが分かりました」

「はは、まさか。それとも、小山くんとふたりっきりだと安心するっていう惚気?」

「惚気る関係じゃないです」

「はは、まさか」


 けたけたと楽しそうに笑い続ける野島さんを見つめながら、失礼なわたしは、小山さんのことを思い出していた。

 悲しいくらいにわたしを異性として意識していない小山さんは、わたしが今夜野島さんの部屋にお邪魔したと言ったら、どういう反応をするだろうか。野島さんの部屋を訪ねた理由を「立ち止まって振り向きたかったからだ」と話したら、どう返すだろうか。


 きっと大笑いは見られない。恐らくいつも通りニュートラルな様子のまま「おまえはいつも変なことをするし、変なことを言うね」と、呆れた様子で言うだろう。


 そんな小山さんに、会いたくなった。鳩尾のあたりが、じくじく疼いた。


 立ち止まって振り向きたかったのは、いつの間にかわたしの日常が小山さんでいっぱいになって、周りが見えなくなりかけていたからだ。

 この日常的に心に在り続ける小山さんへの気持ちの正体が、元同僚としての情なのか、友人としての情なのか。それとも野良猫に餌付けをしている感覚なのか、異性として意識しているのか。それが知りたかった。


 結果、今こうして小山さんのことを考え、鳩尾の疼きを堪える羽目になっている。あの人の大笑いを引き出すことができないのが悔しい。あの人と共通の趣味を持ち、長い時間を過ごすことができる野島さんが羨ましい。異性として意識されていないことが悲しい。


 だからたぶんわたしは、小山さんのことが好きで好きで仕方がないのだろう。それが分かっただけでも、先輩に迷惑をかけた甲斐がある。



 さて。あまり長居しても、野島さんを困らせるだけだ。これ以上居座って、野島さんがまた「地元に帰る」なんて言い出したら大変だ。


 そろそろお暇しようと腰を上げかけた、とき。けたけた笑いながらパソコンに向き直った野島さんが「は、」と笑い声を切って黙り込み、次に「スー……」と空気が抜けたような音を出した。

 そして、油でもさしたほうが良いのではないかと思うくらいぎこちなく、ギギギギと効果音が聞こえてきそうなほど下手くそに振り向いた。表情は笑っていたけれど、目にはもう生気を感じられなかった。


「どうしたんですか?」

「あ、あの、葵ちゃん……その……」


 みるみるうちに顔を青くさせる野島さんは、これまたぎこちなく右手を挙げ、パソコンのモニターを指差す。指先は、どうしようもないくらい震えていた。


 不思議に思って立ち上がり、野島さんの隣まで行ってモニターを覗き込む。

 どうやらボイスチャットツール経由で、小山さんからメッセージが届いたらしい。その内容は「葵がご迷惑をおかけしました。タクシーを手配しておいたので、葵を放り込んで、俺の部屋まで輸送してください」というものだった。


「な、な、なんで葵ちゃんがうちにいるって……もしかして葵ちゃん、小山くんに……?」

「言ってませんよ。今日はメッセージのやり取りもしてませんし」

「じゃあGPSとか仕込まれてない?」

「まさか」


 野島さんは「あのコンピュータ男ならやりかねん」「独占欲こわ」「地元帰ろかな」と怯え切った様子だったけれど、小山さんは空気読みに長けているから、ただ単に察してしまったのだろうと思った。

 そりゃあわたしが訪ねるまでボイスチャットをしていたわけだし、それが来客で中断され、しかもミュートが解除されないままゲームが再開されたのなら、「小山くんに知られたくない異性の客が訪ねて来て居座っているが、ゲームは出来る状態である」と分かるだろう。


 すぐにボイスチャットツールに新しいメッセージが届き、野島さんが「ひぃっ!」と甲高い悲鳴を上げる。

 新しいメッセージは、わたし宛てだった。「葵、タクシーもう来る。タクシー代は俺が出すから早く来い」とのことだけれど、なぜわざわざ野島さんとのボイスチャットツールに書くのか。わたしに直接メッセージを送ればいいだけの話なのに。


 小山さんも小山さんで不思議な人だな、と思いつつ、怯える野島さんの肩を叩いて励まして、今度こそお暇しよう。


「野島さん、ピザ、かっちかちになる前に食べてくださいね」

「あ、葵ちゃんこそ、ちゃんと小山くんに言っておいてね、僕らは本当に、本当に何にもしていない。僕はゲームをしていて、葵ちゃんは後ろに座って観ていて、ちょっとだけ話をしただけだって。来てから三十分も経っていないって」

「はいはい、伝えます」

「頼むからね!」


 心配性の野島さんの肩をもう一度たたいて励まして、わたしはこの、築年数がわたしの年齢よりも上の木造アパートの一階、一〇三号室を後にした。




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