四月
令和二年、無期懲役の判決を受けた俺はこの刑務所で人生の幕を閉じた。72年の人生は決して煌びやかなものではなく、一貫して血生臭いものであった…。
倒れる瞬間、瞼には桜の花びらが散っているのが映った。刑務所の外は桜並木になっていて、毎年この時期になると花びらが刑務所の運動場に舞う。20年も居るとシャバに居た時にはなんとも思わなかった事が段々と奇跡のように綺麗な物に思えてくるものだ。なんだかんだで刑務所生活が人生で一番綺麗だったかもしれない…。少なくとも「血生臭い」事はない。
もう一つ…この時期になると思い出す事がある…。
「……!」「…野!」「草野!」誰かが俺を呼ぶ。多分刑務官だろう。すぐに身体が軽くなって宙を舞う気がした。担架だろうか…。風を感じながらも次第に消えゆく意識の中で、俺は毎年思うあの日々を思い起こした。
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昭和59年四月。俺は小沼一家総長で親父と慕う小沼譲二に盃を貰い、当時俺が組織していた愚連隊だった「草心会」を正式に組として発足させた。草心会は愚連隊時代からイケイケで、すでに組員は60人を超えていた。シャブや殺人もお構いなしの俺たちを哀れんだのか、親父は俺たちを拾ってイチから男としての道を教えてくれた。
草心会は日本有数の経済都市「大原市」に本拠を構えた。順調に勢力を広げ、平成六年に親父が死ぬ時には政治の世界にも踏み込んでいた。この時俺は46歳。
「任侠」を親父から叩き込まれたものの、「弱きを助ける」どころかカタギ相手でも相変わらず無茶な事をやってのけていた。そんな俺達でも親父は変わらず接してくれた。もちろん雷が落ちるほど怒られた事もしばしばある。その証拠に俺は左手の小指は無い。でもそれは本当に俺が悪かったし、自分なりの誠意を示したつもりだ。親父はそれを理解てくれ、その件を解決してくれた。
この頃一番組織を困らせたであろう一件で、俺が無期懲役を食う事になる原因でもあったのが、日本最大勢力の「桑子組」との戦争だ。桑子組は桑子仁という典型的な経済ヤクザを首領に据る組織で、政治からスポーツの世界にも顔が利くヤクザだった。そんな大組織と事を構える事になったのは、小さなキッカケからだった。ウチが面倒を見るスナックで桑子の連中が騒ぎを起こし、ウチの若いのが奴らの内の1人を刺し殺した事が始まりだ。当時からヤクザは「喧嘩」より「外交」を重視し、小沼一家と桑子組は親戚関係にあった。そんな中で時代錯誤の草心会が話し合いでケリを付けるというセオリーを破り、相手を刺したっていうんだから小沼の執行部は相当ピリついただろう。
俺はすぐに小沼一家の本部のある山形まで呼び付けられた。
「失礼します。」
俺は立派な門構えの本部に入って、2階にある「執務室」に入った。中には執行部の面々が揃い、いつも親父が座っていた席には別の男が座っていた。この男が二代目小沼一家総長の小沼秀成だ。親父の実の次男で、俺とは相性が最悪だ。若い頃には殴り合いの喧嘩になった事もある。開口一番に秀成は
「どうするつもりなの?」
静かに喋るが今日は明らかに憤激している。
「元々ちょっかい出してきたのは桑子の方じゃないですか。できればこのまま…」
「このままってお前、ウチと桑子は親戚なんだよ。お前んとこが収める態度さえ見せれば大事にならずに済むんだ。お前もういいから黙ってろ。後はこっちでやるから。」
執行部の誰かが言った。
「これだから愚連隊アガりは…。」
その言葉にカチンときた俺はつい怒鳴ってしまった。
「愚連隊だからなんだってんだよ。お前ら時代だの何だのって、ヤクザが舐められたらメシは食えねぇし、特にウチみたいな枝はシノギすんのも大変なんだ。ちったあその辺りも考えてくださいよ。」
執行部に対する態度としては万死に値する態度だろう。見る見るうちに秀成の顔が引き攣っていくのが分かった。
「おい草野。この件で向こうにはウチのシマには入らない事を約束させる。そんでお前指詰めろ。そんで仕舞い。」
執行部の面々も俺の「指詰め」に安堵した表情を見せる。秀成がそう言わなければ殺し合いになっていただろう。
「ちょっと待って下さいよ。」
俺は納得がいかない。
「シマに入らないなんてそんなん熱りが冷めればまた連中は来ますよ?俺は指持って行って、向こうは口約束だけですか?」
深いため息をついて秀成は煙草に火を灯す。
一服…二服…三服目の煙を吐きながら秀成が再び口を開いた。
「とにかく。それで仕舞いだ。」
煙草の煙で表情がよく見えないが、煙の間から見える目は烈火のようだ。
(こりゃあこれまでか…)
「分かりました。指は詰めます。今兄貴達にもとんでもねぇ態度も取っちまったし。」
秀成はそれを聞いてクスッと笑った。
時間にして大体20分くらいか。こんなに短時間の滞在も初めてだ。さっさとケリをつけたい執行部の態度が気に入らない。
「失礼します。」
半ば不貞腐れるように俺は本部を後にした。
帰りの車中で俺は隣に居る梅津にこの日初めてまともな口をきいた。
「指詰めろってさ。向こうはウチのシマに今後入らないって事で手打ちだと。」
梅津は怪訝そうだ。
「そんな事言っても親分、金ぐらいもらっておかねぇと格好つかないんじゃ…。」
そんな事は分かりきっている。少しイラついたので梅津を睨んだ。
「失礼しました。」
梅津は俺の右腕で、草心会の若頭だ。俺の一つ年下で、実の弟にようにこれまでやってきた。
ほんの一瞬、気まずい雰囲気になった後俺は言った。
「ったく。本部の庭でションベンでもしてやりゃ良かったよ。」
俺のたまに言う笑えない冗談に梅津はクスリと笑った。
しばらくして車は大原に到着した。事務所の前には5〜6人の若い衆が俺の到着を待っている。
「おざっす!」
車の後部座席のドアを開き若いのが1人叫んだ。それに続くように他の若い衆も俺に挨拶をした。
「梅津、例の用意しといて。」
「分かりました。」
例のとは、指詰めに使う道具の事だ。道具っても大した物じゃない。麻紐とハンマー、それと大工用具のノミだ。
「失礼します!」
事務所の3階には俺の部屋がある。若いのが茶を持ってきた。
「ふぅ〜。」
茶をひと啜りした俺は煙草に火を着ける。
指を詰めるのは何ともない。ただ理由だ。いくらなんでもこんなくだらない事で自分の指を詰めるなんて…
そう考えれば考える程余計に腹が立つ。
「失礼します。」
そう言って梅津が入ってきた。
「おーう」
軽快なリズムで俺は応えた。
「さて、どっちの指にするかな。」
しばらく悩んだあげく左手の小指にする事にした。
「少し風入れますか。」
そう言って梅津は窓を少し開けた。慣れてはいるが、指を切断した後は少し身体が熱い。興奮はするのだろう。風があると心地良い。
俺は過去に切断した左手の小指の第二関節の少ししたを縛った。今回は第二関節を詰める。
ところで、俺の小沼一家での立ち位置は親父の居た時とはずいぶん様変わりした。元々親父の直系だった俺は「若頭補佐」を務めていた。しかし秀成が跡を継いだ後は降格させられ、今じゃ異端児扱いされている。要は目の上のたんこぶのような存在なのだろう。今回みたいに平気で相手を刺し殺すような連中の集まりだ。向こうからすりゃ無理もない。
「親分。だいぶうっ血してきたみたいです。」
梅津に言われて小指を見ると「良い塩梅」だ。
「よし。」
そういうと俺は小指をテーブルの上に差し出した。
慣れた手付きで梅津がノミを当てがい、一気にハンマーを振り下ろした。
(ゴッパーン!)
ものすごい勢いで小指は飛んだ。
「あっ…!」
誰かの焦った声がした。多分茶を持ってきた奴だろう。
「あれ?」
小指がないのだ。
俺は少し火照った顔を扇子で煽ぎながら辺りを見回した。梅津もそれに続く。
「親分、外に落ちたかもしれません。」
麻紐を解くと血がいきなり吹き出すので、俺は痺れた左手を天井に向けたまま笑い転げた。
「お前…!どうすんだよ俺の指!」
「今探しに下まで行きます。おい。」
梅津の指示で若い奴ら総動員で指を探しに行く。おそらく事務所と隣のクリーニング屋との間のどこかにあるだろう。そこは狭い空間で、縦一列に並んでいかないと入れない。おまけに雑草の手入れもままならない状態で、なかなか2センチほどの「モノ」は見つかりにくい。
「窓開けたのが失敗だったな。」
「すみません。」
「いいよ、どうせ大した事で詰めてんじゃないんだから。」
そう言って俺はまた爆笑した。
しばらくして指に巻き付いた麻紐を解くと、思ったより出血はない。若い奴に包帯を巻かせて俺はまた煙草に火を着ける。どのくらいか…しばらくして1人若い衆が戻って来た。
「親分すみません。指…無いです。」
梅津はしかめっ面で怯えた様子でそう言う若い衆を睨みつける。
「そうか。じゃ、仕方ない。」
梅津の視線に怯えた様子を見せながらもソイツが言う。
「親分。すみません…自分の指じゃダメですか?」
何か発明したかのような顔をするコイツの顔に何だか腹が立った。茶を持って来たコイツはたしか…藤村って奴だ。
「お前みたいなチンピラの指で何になるってんだ!コラ!おい!」
ヤクザが普通はそんな事は言わない。指を詰める事がどういう事かコイツは分かっていない。でも「愚連隊アガり」の俺たちは元々ヤクザの型にハマらない連中の集まりだ。こんな突拍子も無い事を考える奴も多いのだ。
「ちょっとこいコラァ!」
俺は藤村の胸ぐらを掴む。梅津は呆れた様子でそれを傍観する。
気付くと藤村の顔はパンパンに腫れ上がっていた。ずいぶんと痛めつけたらしい。昔から頭に血が昇ると記憶が曖昧になる。悪い癖だ。
俺は気が済むと冷めた茶を一啜りした。
「まぁいいや。お前指詰めろ。それ持ってくか。」
大した理由で詰める事になった訳でもないし、誰の指持って行ってもバレやしない。藤村を痛めつけたのは指詰めの文化がどうのこうのって事よりも、昼間の鬱憤を晴らしたかったっての方が強い。自分の「大事な」指を俺のために差し出そうとする藤村の顔も立ててやりたかったのだ。
「俺ちょっと出るから、梅津。あと頼んだ。」
俺は片手にノミを持つ梅津にそう言い残して大原の繁華街へ出掛けた。
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